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メイク落としとバスタイム
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部屋に戻ったユイは、ゆっくりとドアを閉めた。バーでの出来事が、まるで夢のように思えた。カズとの会話、街を歩いたあの時間――楽しかった。でも、その余韻の奥に、少しだけ疲れた心が残っている。
「はぁ……」
鏡の前に座ると、見慣れたはずの顔が、どこか“誰かの役”を演じていたようにも見える。ママが仕上げてくれたメイクはまだ美しく残っていたが、それだけに自分の中の違和感がくっきりと浮かび上がっていた。
「落とさなきゃな……」
VR世界でのアバターにも“夜の身支度”が必要だった。画面操作で専用のメイクルームを呼び出すと、そこには“お風呂”“スキンケア”“メイク落とし”のオプションが並んでいた。
「まずは……これかな」
ユイは、YouTube風の動画アプリを開いた。検索バーに「メイク落とし 初心者」と入力すると、無数の動画が表示される。その中から、柔らかい声の女性が教えてくれる動画を選んだ。
「今日はナチュラルメイクの落とし方をご紹介します~。まず大事なのは“こすらないこと”! 優しく、包み込むようにね」
再生される映像に合わせて、ユイはメイク落とし用のジェルを手に取る。指先でそっと肌に触れたとき、仮想空間なのに、なぜか本当に自分の肌を撫でているような気がした。頬、額、唇、目元……ゆっくりとなぞるたび、今日の“演じた自分”が少しずつ剥がれていくようだった。
「……なんか、変な感じ」
だけど嫌ではなかった。むしろ、ようやく本当の自分に戻れるような、不思議な安堵感があった。
すべてを洗い流し終えると、顔はすっぴんになったが、そこに映るのは確かに「ユイ」だった。メイクをしていなくても、さっきよりずっと落ち着いた、自分の顔。
そして次の瞬間、ふわりと湯気が立ちのぼった。
「お風呂、準備完了しました」
ナビゲーションAIのアナウンスに導かれるまま、ユイは浴室へと足を運んだ。バスタブにはラベンダーの香りの湯が張られており、ライトは柔らかな薄紫に染まっていた。静かな音楽が流れ、壁に映し出された夜空には星が瞬いている。
湯に浸かった瞬間、身体中の緊張がふっと溶けていった。目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。VRだとわかっていても、この温もりは本物のようだった。
「……わたし、ちゃんと“女の子”になれてたのかな」
小さな声でつぶやいたその言葉は、湯気の中で静かに消えた。
現実の拓也が抱えていた不安や迷いは、今も心の奥にある。でも今日、カズと話して、自分の姿を見つめて、メイクを落として、こうして湯に浸かっている今――少しだけ、自分を肯定できるような気がした。
しばらくして、湯から上がったユイはタオルドレスをまとい、冷たいハーブティーを片手にバルコニーへ出た。仮想空間の夜風が、髪を優しくなでていく。
「明日も、ちょっとだけがんばってみようかな」
そんな気持ちが、ほんの少し芽生えた夜だった。
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「はぁ……」
鏡の前に座ると、見慣れたはずの顔が、どこか“誰かの役”を演じていたようにも見える。ママが仕上げてくれたメイクはまだ美しく残っていたが、それだけに自分の中の違和感がくっきりと浮かび上がっていた。
「落とさなきゃな……」
VR世界でのアバターにも“夜の身支度”が必要だった。画面操作で専用のメイクルームを呼び出すと、そこには“お風呂”“スキンケア”“メイク落とし”のオプションが並んでいた。
「まずは……これかな」
ユイは、YouTube風の動画アプリを開いた。検索バーに「メイク落とし 初心者」と入力すると、無数の動画が表示される。その中から、柔らかい声の女性が教えてくれる動画を選んだ。
「今日はナチュラルメイクの落とし方をご紹介します~。まず大事なのは“こすらないこと”! 優しく、包み込むようにね」
再生される映像に合わせて、ユイはメイク落とし用のジェルを手に取る。指先でそっと肌に触れたとき、仮想空間なのに、なぜか本当に自分の肌を撫でているような気がした。頬、額、唇、目元……ゆっくりとなぞるたび、今日の“演じた自分”が少しずつ剥がれていくようだった。
「……なんか、変な感じ」
だけど嫌ではなかった。むしろ、ようやく本当の自分に戻れるような、不思議な安堵感があった。
すべてを洗い流し終えると、顔はすっぴんになったが、そこに映るのは確かに「ユイ」だった。メイクをしていなくても、さっきよりずっと落ち着いた、自分の顔。
そして次の瞬間、ふわりと湯気が立ちのぼった。
「お風呂、準備完了しました」
ナビゲーションAIのアナウンスに導かれるまま、ユイは浴室へと足を運んだ。バスタブにはラベンダーの香りの湯が張られており、ライトは柔らかな薄紫に染まっていた。静かな音楽が流れ、壁に映し出された夜空には星が瞬いている。
湯に浸かった瞬間、身体中の緊張がふっと溶けていった。目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。VRだとわかっていても、この温もりは本物のようだった。
「……わたし、ちゃんと“女の子”になれてたのかな」
小さな声でつぶやいたその言葉は、湯気の中で静かに消えた。
現実の拓也が抱えていた不安や迷いは、今も心の奥にある。でも今日、カズと話して、自分の姿を見つめて、メイクを落として、こうして湯に浸かっている今――少しだけ、自分を肯定できるような気がした。
しばらくして、湯から上がったユイはタオルドレスをまとい、冷たいハーブティーを片手にバルコニーへ出た。仮想空間の夜風が、髪を優しくなでていく。
「明日も、ちょっとだけがんばってみようかな」
そんな気持ちが、ほんの少し芽生えた夜だった。
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