アナザーライフ

廣瀬純七

文字の大きさ
7 / 9

大学のキャンパス

しおりを挟む

 五月の朝。晴れた空がまぶしいほど澄んでいるのに、拓也の足取りはどこか重かった。

 大学のキャンパスに着くと、いつものように人の波に紛れながら、教室棟へと向かう。昨日までと何も変わらない日常。けれど、自分の内側は、昨夜の“あの体験”で確実に揺れていた。

 階段を上がりかけたところで、声がかかる。

 「おい、渡辺!」

 振り返ると、木村真人が笑いながら駆け寄ってきた。高校時代からの付き合いで、気取らず、時々うるさくて、それでも一番信頼している友人だ。

 「お前、昨日LINE既読にならなかったけど、何やってたんだよ? ゲーム誘ったのにスルーかよ。珍しいじゃん」

 その一言に、拓也は一瞬だけ返事に詰まった。

 「……あー、ごめん。ちょっと、寝てたっていうか……いろいろあってさ」

 「ふーん、“いろいろ”ねえ?」

 木村はじっと拓也の顔を見つめたあと、ニヤリと笑った。

 「お前さ、なんか雰囲気変わったよな。髪、ちゃんと整えてるし、アイロンもかけてるっしょ? いつもぐしゃぐしゃのシャツ着てたくせに」

 「……そうか?」

 言いながら、拓也は無意識に前髪を直していた。昨夜、ユイとして鏡の前に座ったときのクセが、手に残っていた。

 「彼女でもできたか?」

 「ちが……うよ」

 言葉に詰まりそうになりながらも、なんとか笑ってごまかす。けれど、木村は思いがけず、静かな声で言った。

 「……もしさ、なんか言いづらいことがあるんなら、言わなくてもいい。でも、お前がちゃんと元気なら、それでいいよ」

 拓也は驚いたように木村の顔を見た。その目は真っ直ぐで、いつもふざけてるようで、ほんとうは誰より人の気持ちに敏感なやつだと、改めて思った。

 「ありがとう。……ちょっと、自分のこと、考えてただけなんだ」

 「そっか。まあ、でも――」

 木村はぐいっと肩を叩いて笑う。

 「悩んでる暇あったら、昼メシ行こうぜ。今日、学食カレー150円の日だってさ!」

 「おまえ、そんな情報ばっか早いな」

 「俺が目指してんのは“生きる知恵”だからな!」

 拓也はようやく、小さく笑った。心の奥にまだ整理できないことはある。でも、こうして笑える場所があることに、少しだけ救われた気がした。

 ユイとしての時間は、現実の自分を偽るための逃げではなく、本当の自分を知るための入口だったのかもしれない。そう思いながら、拓也は木村と並んで歩き出した。

 そしてふと、ポケットの中のスマホを握りしめた。

 画面を開けば、またユイに戻れる。でも今は、それをしなくても“ちゃんと歩いていける”気がしていた。

---
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

リアルメイドドール

廣瀬純七
SF
リアルなメイドドールが届いた西山健太の不思議な共同生活の話

ボディチェンジウォッチ

廣瀬純七
SF
体を交換できる腕時計で体を交換する男女の話

ナースコール

wawabubu
大衆娯楽
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

高校生とUFO

廣瀬純七
SF
UFOと遭遇した高校生の男女の体が入れ替わる話

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

処理中です...