入れ替わり夫婦

廣瀬純七

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隆司と美咲

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山本隆司は、真新しいダイニングテーブルに腰かけながら、手元の小さな段ボール箱をまじまじと見つめていた。送り主は「ミライ製薬株式会社」。結婚してまだ三か月足らずの彼と美咲の元へ届いたのは、応募していた製品モニターの当選通知と一緒に、奇妙な説明書きのある白い箱だった。

「性別交換用外用クリーム ― 試験版」。

箱の表記を二度三度確認しても、やはりそこにはそう書かれている。冗談のようでいて、説明書は至って真面目な文体だ。「男女双方が同時に指定部位へ塗布することにより、一定時間、互いの性別が入れ替わります」。効能や注意事項は、医薬品らしい細かい文字でぎっしりと記されている。

「ねえ、隆司。ほんとに応募してたの?」
キッチンから顔を覗かせた美咲が、半ば呆れたように笑う。白いエプロン姿の彼女は、まだ料理の湯気を背中にまとっていた。

「いや、正直、半分冗談のつもりだったんだよ。どうせ当たらないと思ってたし……まさか送られてくるとは」
隆司は頬をかきながら答えた。

美咲は湯気の香りとともに近づいてきて、箱を手に取る。ふたりは大学の同級生同士で、数年の交際を経て結婚に至った。日々の生活は穏やかで、特別な波乱はない。だが「新婚生活に何か新しい体験を」という軽いノリで、隆司は応募フォームに名前を記入していたのだ。

「……ねえ、試してみない?」
意外にも先に口にしたのは美咲だった。

「えっ、本気で?」
隆司は目を丸くした。

「だって、こんな機会ないじゃない。男女逆の立場になってみたら、お互いの気持ち、もっと理解できるかもしれないでしょ。どういう風に世界が見えるのか、私も興味あるし」
美咲は冗談半分ではなく、真剣にそう言った。

隆司は考え込む。たしかに、もしも本当に性別が入れ替わるなら、自分が普段当たり前だと思っている感覚を、彼女も知ることができる。そして自分もまた、彼女の側に立てる。結婚生活を続けるうえで、それは案外、貴重な体験になるかもしれない。

「……じゃあ、やってみるか」
ついに隆司は覚悟を決めてうなずいた。

二人は説明書を読み込み、注意事項を確認した。塗布後、効果はおよそ二十四時間持続し、自然に元に戻る。副作用は今のところ報告されていないが、激しい運動や飲酒は控えるべし――。医薬品らしい無機質な文面が逆に信憑性を与えていた。

やがて、寝室のテーブルの上に並べられた二本の小さなチューブ。キャップをひねると、ほのかにミントのような香りが漂う。

「じゃあ……せーので塗る?」
美咲が緊張混じりに笑う。

「そうだな。……いくぞ、せーの」

二人は互いに頷き合い、クリームを掌に伸ばしてお互いの下腹部に塗り込んだ。最初は何の変化も感じない。ただ、数秒の後、全身を小さな電流が駆け抜けるような感覚が訪れる。胸の奥がひゅっと軽くなる一方で、腰のあたりに今までなかった重量感が芽生える。

「――っ!」
美咲が短い息を漏らす。

隆司も思わず息を呑んだ。鏡の中に映る二人の姿は、ほんの数十秒前とは明らかに違っていた。隆司は自分の声を確かめるように口を開く。

「……これ、ほんとに……入れ替わってる……?」

新婚夫婦の部屋に漂う静寂は、いつもの夜よりもずっと濃かった。だが次の瞬間、美咲が堪えきれずに笑い声を上げた。

「ふふっ……なんだか、すごいね。夢みたい」

その笑顔を前に、隆司もまた口元をほころばせる。こうして、ふたりの“性別逆転”新婚生活が幕を開けたのだった。

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