秘書と社長の秘密

廣瀬純七

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その時、バッグの中でスマートフォンが震えた。 取り出すと、あの奇妙なアプリ『インサイト・ミラー』から通知が届いている。

【シンクロ率 85%:視点の共有が完了に近づいています。入れ替わり解除まで残り、6時間】

 高橋は、画面を見つめたまま立ち尽くした。 あと六時間。明日の朝には、自分はあの孤独な社長室に戻り、彼女は完璧な秘書に戻る。

 だが、今の自分は、昨日までの自分とは違う。 社員たちが何を思い、何を望み、そして自分のどんな姿に失望し、あるいは期待しているのか。それを知ってしまった。

「……新山さん、美紀さん、サオリさん」

 高橋は、由紀の体で、彼女たちを真っ直ぐに見つめた。

「今日、誘ってくれて本当にありがとうございました。……私、明日からもっと、社長に厳しく当たってみようと思います。会社を、皆がもっと笑える場所にするために」

 その決意に満ちた表情に、三人は一瞬圧倒された後、「おおー!」「期待してるよ、木村さん!」と歓声を上げた。

 宴もたけなわ、店を出た由紀の姿の高橋は、夜風に吹かれながら恵比寿の街を歩いた。 ハイヒールの痛みは相変わらずだったが、不思議と足取りは軽かった。

 21時を過ぎたオフィスビルは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。 高橋が社長室の重厚な扉を開けると、そこには自分の姿をした由紀が、社長の椅子に深く腰掛け、デスクの上の置時計をじっと見つめていた。

「……あ、木村くん。遅くなってゴメン、」

 由紀(高橋)は、少しお酒の回った足取りで、慣れないハイヒールを鳴らしながら歩み寄った。 高橋(由紀)は、鋭い眼光でこちらを振り返る。その表情は、高橋が鏡で見慣れた「不機嫌な時の自分」そのものだったが、発せられた言葉は全く違うものだった。

「社長……遅かったですね。女子会、そんなに盛り上がったんですか?」

 低く響く自分の声に、高橋は思わず背筋を正した。

「ああ、いや、その……皆の本音を聞き出そうと思ったら、つい長引いてしまって。すまない、待たせたな」

 すると、高橋(由紀)は大きく溜息をつき、デスクに肘をついて顔を覆った。

「……今日、本当は定時で上がらせてもらう予定だったんですよ。彼氏と一ヶ月前から約束してた、記念日のディナー……断りました」

「えっ……」

 由紀(高橋)は絶句した。
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