隠密は恋をしない

粉砂糖

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5 式典前

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あの後ワタシ達は本当に帰った。
ポカンとした顔をする王太子殿下への挨拶もそこそこに部屋を後にしたのだが、我が兄は最後までその様子に笑いを堪えきれていなかったのでどうかしたかと訪ねるも「お前みたいなのがタイプなんだな」とだけ言われた。何のタイプなのだろう。笑いのツボでしょうか?




殿下の入学祝いパーティーまであと二日と言ったところで。他国からの招待客の接待準備や当日の料理メニュー、配膳、乗客控室の手配など城の中は華やかな想像とは違ってかなり騒々しい。メイドさんがひっきりなしに早歩きで廊下を駆け抜けている。

肝心の殿下も入学式の新入生代表挨拶だったり、祝い式典の為の衣装合わせだったりと片しても片しても案件はわんさか舞い込んでいる。
倒れてもおかしくないハードスケジュール。王太子とは心身ともに強靭ではないとやっていけない

ワタシも負担を減らすべく護衛ながらも騎士団へ使いに行ったり、式典前の騒ぐ阿呆を処理したりできることはやっている

しかし努力もむなしくどんどんとやつれていく彼を思い出し、顎に手を当てて悩む様に唸る。
そうなってしまうと少々困るんですよねえ。


「ワタシは彼の副官でも従者でもありませんが…まあ10歳の少女の幼気な気持ちという事で。」


前世の分と合わせると通算30年、年を重ねてはいますがそれは言わないお約束です。


「殿下、ローゼです。よろしいですか」


コンコン、と殿下の執務室の扉を叩くと中から殿下の了承の返事が聞こえたので扉を開く。
かなりやつれているが彼は書面から顔を上げ、張り詰めた表情からくたびれた微笑みを浮かべた。


「すまないな、散らかっていて。何か気になる事でもあったか、」

「いえ今は特別ないのですが…」


ちらりと机の上を見ると高層ビルのように積まれた書類がドンと場所を陣取っている。
目を合わせた彼が苦笑をこぼすが…式典までにこれらに目を通さねばならないと言っていたのはいつの事だったか。
痛みを訴えるこめかみを指でぐりぐり押さえる。

普段の彼は涼やかな顔で画策したりとそれはそれは腹芸がお上手で、物事も器用にそつなく熟す王子様だ。
書類整理もお手の物だろうけど、今回は度が過ぎているという事だろうか、若干進みが遅い。
もしくは体調でも悪いのではないだろうか。


「殿下、少々額に失礼してもよろしいですか?」


10歳らしいあどけなさを出したつもりで、殿下に近寄る。実際ワタシは普段から鉄面皮を被っているため一切温度の変わらぬ顔だったらしいが。
足一つ分だけ空いた距離で座る彼に合わせて身体を屈め、その額にワタシの手を当てた。


「…熱はございませんね。お体に不調はございませんか?」

ワタシの手が冷たいせいか分からないけど、特別体調が悪いわけではなさそうだ。
胃腸の痛みとかは体温に差があるのか知らないけど。


「…冷たい、」


返事もなく静かだな、と思っていた相手の声に視線を向けると彼はワタシの手の冷たさに気持ちよさそうに目を閉じていた。

……美少年趣味はなかったんですけれど、この至近距離でのそのお顔はズルいです。女は基本美形に弱いのです。
女のワタシよりも長くて多いまつ毛、綺麗に整った鼻筋、…耽美的な顔立ちをしている彼が無防備な表情を晒すなんて。

やはり王太子といえどもまだ12歳の少年なのです。ええそういった理由にしてワタシは無理やり納得します。
フゥ、と心の中で一息吐いて目を閉じる彼に声をかける。

「殿下、差し出がましい事を申しますが少しお休みされませんか。このままでは作業効率も低下し式典時の体調も万全ではなくなっていまいます」

そうなると隙も増え狙われやすくなって困る、というのはワタシ都合だがワタシだってまだ未熟な子どもだ。
大人のように守り切れるほどの実力も経験も無いから協力し合わねばならない。
ならば彼の体調を整えるのも作戦の一つだ。

とすべて話すと彼は困ったような笑顔を浮かべながらも「分かった」と答え、気を抜いた笑顔に変えた。

彼を執務室から隣の休憩室に案内しソファに座らせ、飲みやすい温度にした紅茶を出す。


「…美味い。これはローゼが淹れてくれたのか」

「はい。僭越ながら私が。メイドは忙しそうでしたので断っておきました」

影は時として主の一番近くで守る必要がある。
従者として傍に控えるためにも給仕能力はあらかじめ鍛えられているのだ。

一口含んだ彼が小さくホッと一息ついたところを見て、ワタシもわずかに口角を上げた
…つもりだったがこの鋼の様な表情筋は強制命令なしでは一ミリとて動かなかった。まあいいけれど。仏頂面はいかがと気を遣ったつもりだが上手くはいかないものだ。

彼に仕えてまだ二日だが、殿下の崩れた笑顔は嫌いではなかった。民衆が期待し、憧れる完璧な王太子像よりもずっと親しみやすいけれど、そうはいかないのだろう。
いずれ彼の支えになるであろう少女にもこういった表情を見せて、彼女にも受け入れてほしいものだ


…と考えたが。彼を撃ち抜いて骨抜きにするヒロインである筈のアシュリーお嬢様は現在我が兄にぞっこんだった。
思い出したワタシは一瞬で自分の心が冷たくなるのを感じた。
すみません殿下。貴方の花は咲く前から摘まれてしまいました。それも自分の身内なのだから悩ましい。

うんこめかみが痛い。偏頭痛の薬を後で薬師さんから貰って来よう。殿下の分も。
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