128 / 137
旦那様は魔王様≪最終話≫
記憶 3
しおりを挟む
シヴァは決裁書から顔をあげた。
執務室の扉の前に誰かが来た気配を察知したからだ。
執務机から立ち上がり、シヴァは扉の方に向かって歩いていき――、途中で驚いて足を止める。
「……沙良?」
間違いない、沙良の気配だった。
驚かせないようにシヴァがそっと扉を開くと、沙良が腕を中途半端に振り上げたまま困惑した表情で見上げてきた。
どうやら、扉を叩こうとしては逡巡したらしく、突然目の前の扉が開いてびっくりしてしまったようだ。
「どうかしたか?」
怯えさせないように、少し身をかがめて訊ねれば、沙良が怯えたウサギのような目で見つめ返してくる。
(こんなに……、怖がっているのに)
アスヴィルにそそのかされて作ったクッキーを持って来たことはあったが、沙良が自らの意思でここに来るのは、沙良が記憶を失ってからはじめてのことだった。
「……入る、か?」
シヴァは遠慮がちに訊ねる。シヴァを怖がっている沙良が、シヴァの執務室に入りたがるとは思えなかったが、それでもまさかという淡い気持ちで訊いてみた。
すると、沙良は迷うように視線を彷徨わせてから、びくびくと肩を震わせながらも小さく頷いた。
シヴァは目を見開いた。
(……入るのか?)
そっと扉を大きく開けば、沙良はシヴァの方をちらちらと見上げながら、まるで肉食獣の檻の中に入るかのようにそろそろと足を踏み入れる。
沙良が完全に執務室に入ったところで、シヴァが部屋の扉を閉めると、パタンというその音にびくりと肩を揺らして、沙良は肩越しにシヴァを振り返った。
「座りなさい」
座るように指示をしなければ、いつまでたっても立ったままでいそうな雰囲気だ。シヴァがソファを指してそう言えば、沙良はその端っこにちょこんと腰を下ろした。
シヴァがパチンと指を鳴らして、沙良の目の前に紅茶を出す。それから茶請けに、アスヴィルが持ってきていたチョコレートケーキを出した。沙良は砕いて細かくしたクルミの入ったチョコレートケーキが好きだったはずだ。
シヴァはできるだけ沙良と距離を取って座ると、遠慮してケーキに手を伸ばそうかどうしようか迷っている彼女に苦笑する。
沙良は本当に思っていることが顔に出やすい。
シヴァが迎えに行くまで、ほとんど誰にも会わずに生活していたため、表情から感情を消すということを学ばずに育ったのだろう。だが、それが沙良の美点なので、できることなら今のまま変わらずいてほしい。
「食べるといい。アスヴィルがたくさんおいて行ったが、俺には多いからな」
あのおせっかいな友人は「沙良に持っていけ」と言ってシヴァに菓子を押し付ける。しかし、シヴァが近づくたびに怯える沙良にそんなに頻繁に会いに行けるはずもない。そのため、シヴァはちびちびと執務の合間にアスヴィルに押し付けられた菓子を消化していたのだ。
沙良はこくんと小さく頷くと、フォークを持った。
シヴァは、沙良が菓子を食べているときの顔が好きだった。本当に幸せそうな顔をするのだ。
シヴァは沙良がチョコレートケーキを食べている間、ぼんやりとそれを見つめていたが、食べ終わった沙良がハッとしたように顔をあげて、慌てたように口を開いた。
「お、お菓子を食べに来たわけじゃなかったんです!」
それはそうだろう。だが、すべて食べ終わるまで用件を忘れてしまうような沙良の天然さも記憶を失う前から変わらないようで、シヴァは小さく微笑む。
沙良はシヴァに向きなおると、怯えた目をしたまま、
「クラウス様から、わたしの記憶をもとに戻す方法があるって聞きました」
唐突にそう告げてきたから、シヴァが目を丸くした。
「……なんだって?」
嫌な予感がして、思わず顔をしかめる。
すると沙良がびくりと震えて泣きそうな顔をしたので、シヴァははっとして表情を緩めた。
「あ、いや……。怯えさせて悪かった。それで、クラウスは何と言ったんだ」
「えっと……、わたしが仮死状態になっている間だったら、シヴァ様が記憶を探せるって」
予感的中。
(あの愚弟め!)
シヴァは内心舌打ちした。シヴァが断ったというのに、クラウスはまだその方法を諦めていなかったらしい。
(沙良に余計なことを……!)
だが、それを聞いたとして、どうして沙良自身がシヴァのところに来たのか、シヴァにはさっぱりわからない。
疑問に思っていると、沙良はうつむいてぼそぼそと言った。
「わ、わたしも……、記憶、もとに戻ってほしいです。シヴァ様のこと、思い出したい……」
シヴァはハッとした。
沙良はきゅっと唇をかみしめて、ワンピースのポケットから何かを取り出す。
沙良は顔をあげて、シヴァの目をまっすぐ見つめた。
「だから……、これ、使ってください」
そう言って沙良が見せた小瓶を見た瞬間、シヴァは大きく息を吸い込んだ。
執務室の扉の前に誰かが来た気配を察知したからだ。
執務机から立ち上がり、シヴァは扉の方に向かって歩いていき――、途中で驚いて足を止める。
「……沙良?」
間違いない、沙良の気配だった。
驚かせないようにシヴァがそっと扉を開くと、沙良が腕を中途半端に振り上げたまま困惑した表情で見上げてきた。
どうやら、扉を叩こうとしては逡巡したらしく、突然目の前の扉が開いてびっくりしてしまったようだ。
「どうかしたか?」
怯えさせないように、少し身をかがめて訊ねれば、沙良が怯えたウサギのような目で見つめ返してくる。
(こんなに……、怖がっているのに)
アスヴィルにそそのかされて作ったクッキーを持って来たことはあったが、沙良が自らの意思でここに来るのは、沙良が記憶を失ってからはじめてのことだった。
「……入る、か?」
シヴァは遠慮がちに訊ねる。シヴァを怖がっている沙良が、シヴァの執務室に入りたがるとは思えなかったが、それでもまさかという淡い気持ちで訊いてみた。
すると、沙良は迷うように視線を彷徨わせてから、びくびくと肩を震わせながらも小さく頷いた。
シヴァは目を見開いた。
(……入るのか?)
そっと扉を大きく開けば、沙良はシヴァの方をちらちらと見上げながら、まるで肉食獣の檻の中に入るかのようにそろそろと足を踏み入れる。
沙良が完全に執務室に入ったところで、シヴァが部屋の扉を閉めると、パタンというその音にびくりと肩を揺らして、沙良は肩越しにシヴァを振り返った。
「座りなさい」
座るように指示をしなければ、いつまでたっても立ったままでいそうな雰囲気だ。シヴァがソファを指してそう言えば、沙良はその端っこにちょこんと腰を下ろした。
シヴァがパチンと指を鳴らして、沙良の目の前に紅茶を出す。それから茶請けに、アスヴィルが持ってきていたチョコレートケーキを出した。沙良は砕いて細かくしたクルミの入ったチョコレートケーキが好きだったはずだ。
シヴァはできるだけ沙良と距離を取って座ると、遠慮してケーキに手を伸ばそうかどうしようか迷っている彼女に苦笑する。
沙良は本当に思っていることが顔に出やすい。
シヴァが迎えに行くまで、ほとんど誰にも会わずに生活していたため、表情から感情を消すということを学ばずに育ったのだろう。だが、それが沙良の美点なので、できることなら今のまま変わらずいてほしい。
「食べるといい。アスヴィルがたくさんおいて行ったが、俺には多いからな」
あのおせっかいな友人は「沙良に持っていけ」と言ってシヴァに菓子を押し付ける。しかし、シヴァが近づくたびに怯える沙良にそんなに頻繁に会いに行けるはずもない。そのため、シヴァはちびちびと執務の合間にアスヴィルに押し付けられた菓子を消化していたのだ。
沙良はこくんと小さく頷くと、フォークを持った。
シヴァは、沙良が菓子を食べているときの顔が好きだった。本当に幸せそうな顔をするのだ。
シヴァは沙良がチョコレートケーキを食べている間、ぼんやりとそれを見つめていたが、食べ終わった沙良がハッとしたように顔をあげて、慌てたように口を開いた。
「お、お菓子を食べに来たわけじゃなかったんです!」
それはそうだろう。だが、すべて食べ終わるまで用件を忘れてしまうような沙良の天然さも記憶を失う前から変わらないようで、シヴァは小さく微笑む。
沙良はシヴァに向きなおると、怯えた目をしたまま、
「クラウス様から、わたしの記憶をもとに戻す方法があるって聞きました」
唐突にそう告げてきたから、シヴァが目を丸くした。
「……なんだって?」
嫌な予感がして、思わず顔をしかめる。
すると沙良がびくりと震えて泣きそうな顔をしたので、シヴァははっとして表情を緩めた。
「あ、いや……。怯えさせて悪かった。それで、クラウスは何と言ったんだ」
「えっと……、わたしが仮死状態になっている間だったら、シヴァ様が記憶を探せるって」
予感的中。
(あの愚弟め!)
シヴァは内心舌打ちした。シヴァが断ったというのに、クラウスはまだその方法を諦めていなかったらしい。
(沙良に余計なことを……!)
だが、それを聞いたとして、どうして沙良自身がシヴァのところに来たのか、シヴァにはさっぱりわからない。
疑問に思っていると、沙良はうつむいてぼそぼそと言った。
「わ、わたしも……、記憶、もとに戻ってほしいです。シヴァ様のこと、思い出したい……」
シヴァはハッとした。
沙良はきゅっと唇をかみしめて、ワンピースのポケットから何かを取り出す。
沙良は顔をあげて、シヴァの目をまっすぐ見つめた。
「だから……、これ、使ってください」
そう言って沙良が見せた小瓶を見た瞬間、シヴァは大きく息を吸い込んだ。
11
あなたにおすすめの小説
転生皇女セラフィナ
秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。
目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。
赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。
皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。
前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。
しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。
一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。
「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」
そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。
言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。
それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。
転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。
※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
【完結】タジタジ騎士公爵様は妖精を溺愛する
雨香
恋愛
【完結済】美醜の感覚のズレた異世界に落ちたリリがスパダリイケメン達に溺愛されていく。
ヒーロー大好きな主人公と、どう受け止めていいかわからないヒーローのもだもだ話です。
「シェイド様、大好き!!」
「〜〜〜〜っっっ!!???」
逆ハーレム風の過保護な溺愛を楽しんで頂ければ。
お飾り王妃のはずなのに、黒い魔法を使ったら溺愛されてます
りんりん
恋愛
特産物のないポプリ国で、唯一有名なのは魔法だ。
初代女王は、歴史に名を残すほどの魔法使い。
それから数千年、高い魔力を引き継いだ女王の子孫達がこの国をおさめてきた。
時はアンバー女王の時代。
アンバー女王の夫シュリ王婿は、他国の第八王子であった。
どこか影の薄い王婿は、三女ローズウッドを不義の子ではと疑っている。
なぜなら、ローズウッドだけが
自分と同じ金髪碧眼でなかったからだ。
ローズウッドの薄いピンク色の髪と瞳は宰相ククスにそっくりなのも、気にいらない。
アンバー女王の子供は四人で、すべて女の子だった。
なかでもローズウッドは、女王の悩みの種だ。
ローズウッドは、現在14才。
誰に似たのか、呑気で魔力も乏しい。
ある日ストーン国のレオ王から、ローズウッド王女を妻にしたいとうい申し出が届いた。
ポプリ国は、ストーン国から魔法石の原料になる石を輸入している。
その石はストーン国からしか採れない。
そんな関係にある国の申し出を、断ることはできなかった。
しかし、レオ王に愛人がいるという噂を気にしたアンバー女王は悩む。
しかし、ローズウッド王女は嫁ぐことにする。
そして。
異国で使い魔のブーニャンや、チューちゃんと暮らしているうちに、ローズウッドはレオ王にひかれていってしまう。
ある日、偶然ローズウッドは、レオ王に呪いがかけられていることを知る。
ローズウッドは、王にかけられた呪いをとこうと行動をおこすのだった。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜
楠ノ木雫
恋愛
病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。
病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。
元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!
でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?
※他の投稿サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる