20 / 36
怒りと鬼火 2
しおりを挟む
道間――と、誰かの声が聞こえた気がした。
その声は低くて暗くて、深い憎しみに彩られているようなそんな気配を感じて、わたしはゆっくりと瞼を持ち上げる。
途端にずきりと首の後ろに痛みを感じて、ぎゅっと顔をしかめた。
「ここ、は……?」
ぼんやりと周囲を見渡す。
薄暗い、倉庫のような場所に思えた。
板を組んで作られた薄い壁からは冷たい隙間風が入り込んでいる。
狭い室内に鍬や藁などが置かれていたので、農具を保管している場所ではないかと推測したけれど、どうして自分が農具入れにいるのか理解できなかった。
理解できないが、ひとまずここから出ようと立ち上がろうとして、ようやく自分が縛られていることに気が付く。
驚いたからだろうか、朦朧としていた意識が一気に現実に引き戻された。
「わたし、どうしてこんなところに……」
炭を取りに、裏庭の倉庫へ向かったはずだった。
そこに、誰かが野菜を届けに来て、そして――
……あの人たちに、ここに連れてこられたのかしら。
順当に考えればそうだろう。
計画的だったのか突発的だったのかはわからないけれど、わたしが覚えている最後の記憶を思い出せば、三人の男性に囲まれていた。
誰もが厳しい顔をしていたと思う。
そこから記憶がつながらないので、彼らのうちの誰かが、あるいは全員が、わたしをここに連れてきたと考えれば納得がいった。
理由は考えなくてもわかる。
わたしが、「道間」だからだ。
鬼や魑魅魍魎を狩る一族である「道間家」は、鬼の天敵であり、彼らから深く恨まれている。
わたしは黒髪ではないけれど、彼らはわたしが道間だと気づいたのだろう。
千早様に鬼にしていただいたけれど、それでわたしの生まれが消えるわけではない。
鬼だろうと人だろうと、わたしが道間家に生まれた娘であるのは消し去りようのない事実なのだ。
はあ、と息を吐く。
白く染まったそれを見て、寒いなと思った。
その寒さが、山に捨てられた時のことを思い出させる。
千早様と出会ったあの日。
わたしを冷ややかに見下ろした、綺麗な綺麗な鬼。
「……千早様」
千早様はわたしを殺したと言った。
でもわたしは、助けてもらったと思っている。
ここがどこかは知らないが、さすがにこんなところまで千早様は助けに来てくださらないだろう。
あの日逃れた死が、またゆっくりとわたしの足元に近づいてきているのがわかった。
……死にたく、ない。
あの日、目の前に死が差し迫っていたあの時ですら涙は出なかったはずなのに、気が付けば涙があふれていた。
わたしにとって死はあまりに身近なもので、それを怖いと思う感情なんて、とうの昔に消え去っていたと思っていたのに。
「千早様……」
まだ死にたくない。
まだ千早様の側にいたい。
千早様の気まぐれが終わるその時まで、彼の側で、彼にお仕えしたかった。
彼の側は、暖かいのだ。
決して口数の多い方ではない。
時にぶっきらぼうであったり、淡々していたり……。
でも、わたしをわたしとして「見て」くれる方。
わたしに、手を差し伸べてくれる方。
千早様を想うと胸が温かくなるこの感情を何と呼ぶのか、わたしにはわからない。
だけど、わたしを生かすのも殺すのも、千早様でないと嫌だと思った。
彼の知らないところで、彼以外のものの手によって死ぬのは嫌なのだ。
死の間際まで千早様の側にいたい。
こんな風に考えるわたしは、どこかおかしいのだろうか。
……生きなきゃ。
千早様の側以外では死にたくないから生きなければなんておかしな考えだろうが、わたしはそんな衝動に突き動かされて、何とかしてここから抜け出せないものだろうかともがいた。
まずは、手足を縛っている縄を何とかしなくてはならない。
これさえほどくことが出来たら農具入れの外に出ることも可能だろう。
たとえ戸に閂がされていたとしても、これだけ薄い木の壁なら、そのあたりにある鍬で叩き壊すことができる気がした。
手首を動かしたり返したりしながら、何とか縄を緩めようと試みる。
しかし、縄が解けるよりも前に、ツンと鼻に刺すような焦げ臭い臭いを感じて顔を上げた。
見れば、薄い木の壁の間から灰色の煙が忍び込んでいる。
……火を、つけられた?
そう結論付けるのに時間はかからなかった。
何故なら煙は瞬きをするごとに多くなり、パチパチと爆ぜる音がしはじめたからだ。
凍えるように寒かったのに、急に外気が温まりはじめたのも理由の一つである。
わたしの顔から、さーっと血の気が引く。
この小屋には藁をはじめ、燃えるものがたくさんある。
炎が中に入り込めばそれこそあっという間に燃え広がるだろう。
「――っ」
どうしよう。
もがいてももがいても、縄は緩まない。
足首を縛られているので立ち上がることもできそうになかった。
這って出ようにも、戸のあたりから煙が入ってきているところをみると、入り口に放火されたと思われる。
……いや……死にたくない。
それは、久しく忘れていた恐怖だった。
カチカチと奥歯が鳴る。
「誰、か……っ」
悲鳴が喉の奥で凍って、ろくな声が出なかった。
「千早様……ちはや、さま……」
炎が壁を食らい、部屋の中までその舌をのぞかせていた。
黒い煙を立てる赤い炎に、わたしは咳き込みながら少しでも遠くに逃げようと後退る。
室内の温度が上昇していき、息をするのも苦しくなった。
もう、だめかもしれない――
涙で視界が霞んで、わたしはきゅっと唇をかみしめる。
……死にたく、ない……!
こんなところで終わりたくない。
誰か、と声を上げようとして、助けを求めたところで誰も来ないと思いなおす。
誰かに助けを求めるのではなく、自分でどうにかしなくては、わたしはもう間もなく炎に焼かれて死ぬだろう。
死が目前に迫り、わたしはきつく目を閉じで願った。
――千早様に、会いたい。
その声は低くて暗くて、深い憎しみに彩られているようなそんな気配を感じて、わたしはゆっくりと瞼を持ち上げる。
途端にずきりと首の後ろに痛みを感じて、ぎゅっと顔をしかめた。
「ここ、は……?」
ぼんやりと周囲を見渡す。
薄暗い、倉庫のような場所に思えた。
板を組んで作られた薄い壁からは冷たい隙間風が入り込んでいる。
狭い室内に鍬や藁などが置かれていたので、農具を保管している場所ではないかと推測したけれど、どうして自分が農具入れにいるのか理解できなかった。
理解できないが、ひとまずここから出ようと立ち上がろうとして、ようやく自分が縛られていることに気が付く。
驚いたからだろうか、朦朧としていた意識が一気に現実に引き戻された。
「わたし、どうしてこんなところに……」
炭を取りに、裏庭の倉庫へ向かったはずだった。
そこに、誰かが野菜を届けに来て、そして――
……あの人たちに、ここに連れてこられたのかしら。
順当に考えればそうだろう。
計画的だったのか突発的だったのかはわからないけれど、わたしが覚えている最後の記憶を思い出せば、三人の男性に囲まれていた。
誰もが厳しい顔をしていたと思う。
そこから記憶がつながらないので、彼らのうちの誰かが、あるいは全員が、わたしをここに連れてきたと考えれば納得がいった。
理由は考えなくてもわかる。
わたしが、「道間」だからだ。
鬼や魑魅魍魎を狩る一族である「道間家」は、鬼の天敵であり、彼らから深く恨まれている。
わたしは黒髪ではないけれど、彼らはわたしが道間だと気づいたのだろう。
千早様に鬼にしていただいたけれど、それでわたしの生まれが消えるわけではない。
鬼だろうと人だろうと、わたしが道間家に生まれた娘であるのは消し去りようのない事実なのだ。
はあ、と息を吐く。
白く染まったそれを見て、寒いなと思った。
その寒さが、山に捨てられた時のことを思い出させる。
千早様と出会ったあの日。
わたしを冷ややかに見下ろした、綺麗な綺麗な鬼。
「……千早様」
千早様はわたしを殺したと言った。
でもわたしは、助けてもらったと思っている。
ここがどこかは知らないが、さすがにこんなところまで千早様は助けに来てくださらないだろう。
あの日逃れた死が、またゆっくりとわたしの足元に近づいてきているのがわかった。
……死にたく、ない。
あの日、目の前に死が差し迫っていたあの時ですら涙は出なかったはずなのに、気が付けば涙があふれていた。
わたしにとって死はあまりに身近なもので、それを怖いと思う感情なんて、とうの昔に消え去っていたと思っていたのに。
「千早様……」
まだ死にたくない。
まだ千早様の側にいたい。
千早様の気まぐれが終わるその時まで、彼の側で、彼にお仕えしたかった。
彼の側は、暖かいのだ。
決して口数の多い方ではない。
時にぶっきらぼうであったり、淡々していたり……。
でも、わたしをわたしとして「見て」くれる方。
わたしに、手を差し伸べてくれる方。
千早様を想うと胸が温かくなるこの感情を何と呼ぶのか、わたしにはわからない。
だけど、わたしを生かすのも殺すのも、千早様でないと嫌だと思った。
彼の知らないところで、彼以外のものの手によって死ぬのは嫌なのだ。
死の間際まで千早様の側にいたい。
こんな風に考えるわたしは、どこかおかしいのだろうか。
……生きなきゃ。
千早様の側以外では死にたくないから生きなければなんておかしな考えだろうが、わたしはそんな衝動に突き動かされて、何とかしてここから抜け出せないものだろうかともがいた。
まずは、手足を縛っている縄を何とかしなくてはならない。
これさえほどくことが出来たら農具入れの外に出ることも可能だろう。
たとえ戸に閂がされていたとしても、これだけ薄い木の壁なら、そのあたりにある鍬で叩き壊すことができる気がした。
手首を動かしたり返したりしながら、何とか縄を緩めようと試みる。
しかし、縄が解けるよりも前に、ツンと鼻に刺すような焦げ臭い臭いを感じて顔を上げた。
見れば、薄い木の壁の間から灰色の煙が忍び込んでいる。
……火を、つけられた?
そう結論付けるのに時間はかからなかった。
何故なら煙は瞬きをするごとに多くなり、パチパチと爆ぜる音がしはじめたからだ。
凍えるように寒かったのに、急に外気が温まりはじめたのも理由の一つである。
わたしの顔から、さーっと血の気が引く。
この小屋には藁をはじめ、燃えるものがたくさんある。
炎が中に入り込めばそれこそあっという間に燃え広がるだろう。
「――っ」
どうしよう。
もがいてももがいても、縄は緩まない。
足首を縛られているので立ち上がることもできそうになかった。
這って出ようにも、戸のあたりから煙が入ってきているところをみると、入り口に放火されたと思われる。
……いや……死にたくない。
それは、久しく忘れていた恐怖だった。
カチカチと奥歯が鳴る。
「誰、か……っ」
悲鳴が喉の奥で凍って、ろくな声が出なかった。
「千早様……ちはや、さま……」
炎が壁を食らい、部屋の中までその舌をのぞかせていた。
黒い煙を立てる赤い炎に、わたしは咳き込みながら少しでも遠くに逃げようと後退る。
室内の温度が上昇していき、息をするのも苦しくなった。
もう、だめかもしれない――
涙で視界が霞んで、わたしはきゅっと唇をかみしめる。
……死にたく、ない……!
こんなところで終わりたくない。
誰か、と声を上げようとして、助けを求めたところで誰も来ないと思いなおす。
誰かに助けを求めるのではなく、自分でどうにかしなくては、わたしはもう間もなく炎に焼かれて死ぬだろう。
死が目前に迫り、わたしはきつく目を閉じで願った。
――千早様に、会いたい。
62
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
「最高の縁談なのでしょう?なら、かわってあげたら喜んでくれますよね!」
みっちぇる。
恋愛
侯爵令嬢のリコリスは20歳。立派な嫁きおくれである。
というのも、義母がなかなかデビューさせてくれないのだ。
なにか意図を感じつつも、周りは義母の味方ばかり。
そん中、急にデビュタントの許可と婚約を告げられる。
何か裏がある――
相手の家がどういうものかを知り、何とかしようとするリコリス。
でも、非力なリコリスには何も手段がない。
しかし、そんな彼女にも救いの手が……?
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる