瓦礫の国の王~破燕~

松井暁彦

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災禍の音

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 空には灰色の鉄床状の雲が拡がっている。まるで、この先彼等に待ち受ける暗雲を予言しているようである。
 
 蘇代そだい蘇厲それいは同時に狼顧ろうこした。迫る砂塵の隙間から、幾つもの馬脚が見える。

「急げ!急げ!」
 蘇代は張り裂けんばかり声を張り上げ、馬を駆った。二頭の馬は疾駆する。だが、所詮は戦の為に鍛え抜かれた軍馬には劣る。

 砂塵との距離は詰まる。砂塵が晴れると、四頭立ての戦車の姿が露わになった。その数、三輌―。一輌の戦車には、馭者を含めて三名の兵士が乗っており、計九名の兵士が、二人を追い立てている。
 
 蘇代は旗手が持つ、斉の旌旗せいきを恨めし気に睨んだ。

「兄上、河間かかんは燕の領土ではなかったのか!?」
 うねるような風が耳翼を震わせる中、蘇厲が叫んだ。

「ああ。その通りだ!もう少しで河間に着く!そうすれば、私達は燕に保護してもらえる!」
 だから、頑張れと言葉を継ごうとした刹那だったー。河間の城郭を視界に捉えた。歓喜の声が漏れる。だが、直ぐに絶望へと変わる。城郭の一帯には軍が駐屯しているのが見える。そして、宿陣から掲げられる斉の旗。

「河間も陥とされたのか」
 絞り出した声は、己のものではないかのように生気がなかった。

 挙兵して一ヶ月。斉はまるで無人の野を駆けるが如く勢いで、燕の城を悉く陥落させた。そして、燕によって南の要衝である、河間も陥とされたときている。

(くそっ。私達はこの荒野で、四肢を刻まれ、名も青史せいしに刻めぬまま死んでいくのか)
 瞼を閉じると、兄の雄々しい背中が蘇ってくる。兄の蘇秦そしんは、武の人ではなかったが、遊説家として栄耀を極め、燕の臣として、志を果たして逝った。他人からすれば、斉の刺客に殺された兄の死は、つまらないものに映るだろう。

だが、違う。残された蘇代、蘇厲兄弟は知っている。兄の死は、誉れ高いものであったと。

「死ねるものか!私は兄の死を無駄にはしない!」
 風で涙が軌跡を描いて飛ばされていく。異変を感じ取った、河間の駐屯地から、五輌の戦車が現れる。距離は指呼の間。

「兄上!!」
 蘇厲が叫んだ。
 
 方向を転じ、右に曲がる。あてなどある訳ない。だが、諦める訳にはいかない。馬から大量の汗が噴き出している。潰れかけているのだ。
 
 蘇厲の馬が半馬身遅れ始める。覚悟を決め、腰の剣を抜き放つ。咆哮する。反転。弟だけでも生かす。
 
 瞬間―。後方から矢の雨が降りしきる。矢が追っ手達を捉え、駆ける戦車の統率が乱れる。吶喊とっかんが重なる。顔に黒の被帛を纏った集団。全てが北の蛮夷のように騎馬である。その数三十。

 隊長格らしき男が蘇代、蘇厲を抜き去る。反転。兜と被帛の隙間からのぞく、双眼が兄弟を刹那の間、見据える。
鋼色の眸の奥に、烈々と燃え上がる意志の強さを見た。抜き身の剣が見えた。信じられないことだが、剣の刀身が淡い白い輝きを放っていた。

 男が猛虎の如き雄叫びを上げた。臆することなく斬りこんでいく。
 
 騎馬隊は縦横無尽に荒野を駆け、瞬く間に、戦車隊を蹴散らしていく。中でも白い輝剣の男は勇猛果敢であった。馬の背から戦車に飛び移り、敵を斬り捨てていく。ものの数刻で敵は片付き、騎乗した被帛姿の一団が二人を取り囲んだ。

一団の風貌は異様であった。全員が騎兵であり、具足は革のものを用いている。遊牧民は戦場では主に革の鎧―。戎衣じゅういを纏う。

之を胡服こふくと呼ぶ。防御力こそ悪金の鎧や金(銅のことをさす)の鎧に劣るが、革の鎧に方が騎乗する馬への負担が軽減される。遊牧民の戦で枢要なのは、何よりも速さなのである。

また中原諸国では、袖の長い上衣の下に、ゆったりと幅のあるはかまを合わせるのが主流である。対して、胡服は袖の短い筒袖の短衣に、ずぼんを合わせる。裳は鞍上での動きを妨げるからである。中華には古代より漢字圏より圏外の風習と野蛮と捉えている。

その根本には華夷思想が根付いていることにあり、文字を持たず、定住を好まない遊牧民族の風習を忌み嫌う。そもそも現代の中華の軍隊には蛮族の如く、戦車ではなく、馬を駆って、戦場を駆け回るという発想はない。

「おい。お前等」
 と顔半分を覆っていた被帛を下げたのは、白い輝剣で敵を斬り伏せた男だった。北の訛りもない流暢な言葉である。
まだ髭も生えていない若い男だった。というより少年かー。だが、一騎当千のつわものが如きは覇気を漲らせ、光風霽月こうふうせいげつの観がある。

「斉の連中に追われていたな。斉の要人か?」
 少年の問いに、蘇厲が困惑気味に兄を見た。この者達の素性が曖昧模糊としている以上、本当のことを告げていいものなのか分からない。だが、この少年には、如何なる韜晦も通用しないのだと云う直感がある。
 
 蘇代は下馬し、揖の礼をとった。眼上の者に対する作法である。面妖ではあるが少年には、此方を慇懃にさせる、高貴な気配があり、既に北の者ではないという確信が芽生えている。

「命を助けて頂き感謝致します。我等、兄弟は斉の臣であって、斉の臣にあらず」
 少年が眼を眇める。

「どういう意味だ?」

「我等の姓は蘇。燕に尽くし、燕の為に果てた蘇秦の弟で御座います」

「蘇秦だと?」
 僅かだが、少年の声音から険が解けていく。

「大兄を御存じか?」
 蘇厲が訊く。

「存じているも何も、その名を知らぬ者はいないほどの歴史の功労者ではないか。秦の東進を阻む為、不可能と思われていた六か国合従を盟主となり締結させ、燕の為、憎き斉で反間はんかん(間諜)として働き続けてくれた。いわば、説客のさきがけとなった偉大な男だ」
 おお。と蘇厲が感嘆の声を漏らした。

「だがー。曾祖父の妃妾と私通していたのは褒められたことではなかったがな」
 少年が口許に微苦笑を浮かべながら言った。

「曾祖父ですと」
 蘇代は先の言葉を待つ前に、躰が震えるのを感じた。

「俺の名は姫平。燕王の庶子だ。此処でお前達の命を救ったのも、星の廻り合わせかもしれない。歓迎するぞ。蘇秦の弟達よ」
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