瓦礫の国の王~破燕~

松井暁彦

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災禍の音

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 子之は数日間の蟄居ちつきょを命じられただけで、宰相へと復職した。この裏には、子之が宰相の座に留まり続けることで、既得権益を保持できる佞臣達と、子之を寵愛し、依存する燕王の思惑が絡んでいた。

失った右耳はまだ痛む。この痛みは決して癒えることはないだろう。胸に業火が燻り続けている。許さない。あの男だけはー。そして、粗暴な男の手中にある、美しく輝く剣を解放してみせる。

 子之は霊験あらたか護国の剣に魅せられていた。今でも鮮明に覚えている。褥を共にする、燕王が護国の剣に関する伝承を語ってくれた時から、己はあの剣の虜になっている。
 
宮殿の奥深くにある祭壇奥深くに祀られる残りの二つの神器とは違う。護国の剣は真の英雄王のみが振るうことを許された特別な剣―。英雄王と護国の剣が巡り合えば、この国に五穀豊穣ごこくほうじょうを齎すと云う。だが、英雄王以外の者が振るえば、この国に災禍を齎す。

 耳元で語られた燕王の話には、所々不明瞭な点があった。本来、護国の剣に関しては、先代から剣を下賜された時のみ、王の口より伝承が直接、語り継がれるらしい。燕王が知っていた伝承は、宮中の高官達も知る噂程度のものであったが、子之を充分に惹きつけた。

 護国の剣は即ちー。燕国の君主の象徴とも云える。つまり、護国の剣を手中におさめれば、己も英雄王たる資格を得る。そして、剣に相応しい器であった場合、万民が額ずく無二の王となることができる。
 
 貧しい両親の元に生まれ、糞のような安い銭と交換で人買いに売られた。紆余曲折があり、鶏姦けいかんの太子噌の元に売り飛ばされた。閨房術けいぼうじゅつと持ち前の器量で、彼の寵愛を得、唾壺係を経て、参謀にまで昇り詰め、今や一国の宰相である。
 
 己には天祐があるとしか思えなかった。泥水を啜るような想いをし、白皙の躰は、燕王の精に塗れている。だが、完全に燕王を骨抜きにし、篭絡した己には、宰相を越えた権勢を得ることが不可能ではない。

その為には、王のしるしとも云える、護国の剣が要る。百官を納得させるだけの説得力が、あの剣にはある。

 焼かれた右耳が疼く。あろうことか易王は護国の剣を燕王に託さず、庶子に過ぎない姫平に託した。宝剣が今や、あの野蛮な男の腰にあるのだと思うと、総毛が立つ。あの男が護国の剣を振りかざした時、白き火焔が刃から燃えあがった。あれは超常的な出来事だった。まさか、護国の剣が品格のない姫平を選んだとでも云うのか。

 悋気りんきに胃の腑が焼かれる。思えば初めてあの男を眼の当りにしてから、ずっと奴は吐き気を催すほどに鬱陶しい存在であった。まるで躰に纏わりついて離れない香気のように。奥歯を噛み締める。口腔内に錆の臭気が拡がる。
 
 子之を乗せた馬車は、相府へと着いた。久方ぶりの出仕だった。自身の執務室へ向かう最中、擦れ違い様に文官達は、足を止め、慇懃に挨拶を述べる。未だ宮中の権力図は変わっていないことに安堵した。己が宰相となったことで、高官達には甘い汁を啜らせてやっている。奴等と燕王の寵愛がある限り、そう簡単には失脚しない。
 
 執務室に入ると、室内には裁可待ちの木簡の山が幾つも堆く積まれていた。此処では、本来、王に奏上すべき問題も、子之が王の代わりとなって最終決定を下す。今の燕王には、政事に関する興味は微塵もない。あの凡愚の頭の中には、奢侈淫楽が渦巻いている。
 
 子之が実質、この国の影の王だった。だが、所詮は影の存在でしかない。百官が仰ぎ見るのは、宰相ではなく、玉座に座す君主なのだ。
 
 焦燥が全身を駆け巡り、拡げた木簡を床に叩きつけた。極限の餓えと渇きを知っているからかもしれない。富を手に入れた今、己は底のない野心に支配されている。飽食の限りを尽くそうが、酒に溺れようが、餓えと渇きが満たされることはない。己のうちに何がいる。そして、それは次々に快楽を欲して来る。
  
 幼い頃に負ったきずが、己を欲深い人間へと変えた。燕王の凌辱によって負ったもの。生きる為、底辺から這い上がる為に手放した操。だが、あの頃の忌まわしい記憶は、四六時中、憑き物の如く付き纏って来る。
己に付き纏う忌まわしい記憶を払うには、失った以上のものを手に入れるしかない。くだけた心の隙間を満たすのは、奢侈ではない。唯一無二の地位である。

 調べた限り、護国の剣に選ばれた王はいない。あの宝剣に選ばれたのなら、己は歴代の王を凌ぐ権勢を得ることができる。自信はあった。品性の欠落した姫平より、己の方が遥かに王たる器量を具えている。護国の剣を手にし、王座を得た暁には、この苦痛から解放されるに違いない。

「失礼します」
 執務室に姿を見せたのは、鹿毛寿ろくもうじゅと云う側近であった。子之は顔を歪めた。彼の醜いあばた顔が、子之は心底嫌いだった。

背は低く曲がった鼻梁に兎口いくち。不細工を体現したような男だった。だが、頭はそれなりに切れた。何より、銭への執着が凄まじく、相応の銭を対価として払ってやると、求めていた以上の働きをする。銭をかすがいとした主従関係の方が、肉眼で捉えることのできない忠心などより遥かに信用できた。

「誰が入っていいと言った」
 側近に投げた言葉はにべもない。

「子之様。益になる噂を仕入れて参りました」
 鹿毛寿は薄い嗤いを刷いている。

「訊かせろ」
 文机から身を乗り出す。

「御存じの通り、我が国は斉の攻撃に晒されて危殆に瀕しております。既に南の要衝である河間は斉に奪われ、五十万の大軍勢が易水を越えるのも時間の問題」
 子之は下唇を強く噛んだ。まんまと斉の宰相である田嬰の欺瞞にのせられた。元よりあの古狸は制圧した燕を、己に寄越すつもりなどなかった。あの老獪な男は、宰相としても、策略家として、己より上手だった。

「そんなことは承知している」

「このままで我が国の敗北は明らか。ですが、混沌した闇にも一条の光は射し込むもの」

「何が言いたい」
 迂遠な物言いに苛立ちが募ってくる。

「斉より蘇秦の弟君である、蘇代、蘇厲殿が参られました」
 子之は切れのある眼を眇める。

「まことか」
 子之と蘇秦には、面識があった。

 まだ燕王が太子に冊立されて間もない頃、よく蘇秦は東宮とうぐうで開かれる饗応に姿を見せていた。その頃、何度か話をし親しくなった。だが、二人の弟が彼にいたことは、初耳だった。しかし、蘇秦の弟が現れたから、何なのだという話だ。遊説家として、立身栄達を果たした、蘇秦はもう亡い。無名の弟達に、この国の窮地が救えるものか。

「蘇兄弟が斉との講和を既に進めております」

「講和だと?」
 思わず吹いてしまった。
 
 蘇兄弟に講和の仲介人など果たせるものか。斉の宣王は蘇秦を酷く恨んでいる。全幅の信頼を置き、重用し続けてきた、蘇秦が実は燕の臣下であり、反間であったのだ。

蘇秦は宣王の信頼を勝ち得て、必要以上に客殿を高く、苑囿えんゆうを大きくさせるなどして、斉の財政を疲弊させた。蘇秦が刺客に殺され、彼が燕の反間であることが世間に露見すると、宣王は大いに怒り、燕を恨んだ。故に宣王が蘇兄弟を信用するはずなどなく、ましてや講和の仲介人の役目など果たせる訳などないのである。

「斉王が交渉の席につくとは思えんが」

「条件次第かと」
 鹿毛寿は得意満面に告げる。

「条件とは」
 鹿毛寿が黄色い歯を剝きだした。

「次期太子と目される人物を人質に出すのです」

「なるほど。そういうことか」
 くつくつと子之は嗤う。やがて、哄笑へと変わる。

「蘇兄弟と大王は話し合いの席についているのだな」

「はい。今の所、血筋から鑑みて、公子職様が至当であると云う流れになっていますが」

「だが、大王は逡巡しておられるのだな」

「左様です。易王より王の徴を託されたのは、あのうつけ者です」
 子之は天井を仰ぎ、嘆息する。

「大王は愚直な御方だ。易王は次期太子に野蛮人を据えるように仰せになられた。何を迷う必要があるのか」
 燕王にとっても御し易いのは、公子職である。手許に残しておくならば、公子職一択ではないか。

「横槍を入れているのは秦開か」
 秦開は幼い頃より、姫平を教育してきた。彼には実の父親以上の愛情を注いでいる。粗暴な姫平の支持者は少ないが、大司馬が彼を支援するとなれば、話は別だ。秦開の存在だけで、宮中の勢力図は大きく変わる。

「いいえ。秦開は北の遊牧民族の対応で追われています。介入できるほどの余裕はありません」

「ならば、誰が?」

「公子職様と蘇兄弟です」
 聡明な姫職は、何故か品性の欠片もない兄の姫平を慕っている。元来、控え目な性格の少年である。不羈奔放な兄に惹かれるものでもあるのだろう。

だが、蘇兄弟が何故、姫平を国に留めようと主張しているのか解せない。国の未来を案じるならば、侠人然とした姫平ではなく、公達然とした姫職だろう。

「何処かでうつけと接触したか」
 認めたくはないが、姫平には人を惹きつける魔性の魅力がある。蘇兄弟も姫平の気にあてられたと考えた方がいい。ならば、迅速に手を打った方がいい。蘇兄弟があの男の虜になる前にー。

「鹿毛寿。蘇兄弟を私の館へ招待する。全身全霊で御二方をもてなそう」

(それで邪魔者を排除できるなら安いものだ。それに奴が斉に質子として行けば、燕国の神器である、護国の剣を他国へ持ち出すことはできない)
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