楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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蒼き鎧

 一

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 翌年。趙は再び出師すいしした。先鋒は廉頗れんぱ率いる五万。
 右軍が趙紹ちょうしょうの四万。左軍が趙与ちょうよの四万。
 中軍が太子しょうの三万である。
 
 今や呼陀水こだすい以南は、東垣とうえんを除いて悉く趙軍に陥落させられている。
 とうを体良く、排除したい中山王は、呼陀水以北にのぼることを禁じて、東垣の守禦しょぎょを命じた。事実上、死刑宣告に等しい。

「殿下」
 幕舎に集められた、主だった将校達の表情は暗い。

「皆。責めはせぬ。命が惜しいものは北へ逃げよ。私と心中する必要はない」
 董は毅然と誇り高く告げた。

「俺は逃げませんよ」
 机を叩いて、楽毅がくきは立ち上がった。

「楽毅…」

「俺は殿下こそが泰平の世に相応しい、心優しき為政者いせいしゃなのだと思っています。だから、俺は何としても殿下を死なせたくはない」
 声が反響し、場が静まり返る。

「俺もです」同時に司馬炎しばせん魏竜ぎりゅう魏竜が立ち上がる。

「私も同感です。この身、既に殿下に捧げております」
「その通りだ」
 次々に将校達が立ち上がる。

「お前達」
 董が涙ぐみ、彼の背後に控える、司馬熹しばきを見た。
 司馬熹は顔に無数の皺を刻み、微笑んだ。

「わしも当然お供致しますよ」

「爺や」
 音が出るほどに、董は目許を強く拭った。

「では、頼む。皆の者、私と共に戦ってくれ」
 歓声が轟く。

「殿下。俺達は勝つ為の戦をするのです」
 楽毅は太い笑みを刷いた。


 
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