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空を求めて
十三
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楽毅が客間に入ってきた。
蘇代は長揖する。長揖は目上の人に行う、挨拶であるから、通常ならば布衣の身に、過ぎない楽毅に、己が行う礼ではない。
官位爵位など関係なく、己は楽毅に惹かれている。一人の男として、礼を尽くしたいという想いがあった
楽毅は毅然とした姿勢で、同じく長揖を返した。
「楽毅殿。突然の訪問、御寛恕下さいませ」
手で勧められ、蘇代は楽毅と向かい合って座する。
「来意を御尋ねしても?」
楽毅は警戒する様子を隠そうともしない。彼の眼が、蘇代の隣に座る、司馬炎と魏竜に向けられる。司馬炎は仏頂面で、腕を組み、黙している。魏竜はもぞもぞと、居心地が悪そうに、肩を動かしている。
「単刀直入に申し上げます。楽毅殿、貴方は魏王に仕えるべきではありませぬ」
紺碧を湛えた、双眼が収縮する。
「何故、貴方がそのようなことを、私に?」
「失礼を承知の上で、楽毅殿の経歴を独自に悉皆調査させて頂きました」
楽毅は不信感を露わに、眼を眇めた。
「何故です?」
「我が国の為です」
「我が国とは」
「私は各国の便宜を図る為、遊説して各地を巡っておりますが、私の真の主は燕の大王様のみで御座います」
「私と燕には、縁もゆかりもあるません」
「ええ。承知しております。今、我が国は各地から賢者、勇士を募り、富国強兵策に血道をあげております」
「斉の宣王のように。ですか?」
楽毅の言は鋭い。
「はい。後塵を拝した感は否めませんが、かつて斉で起きた、百家争鳴が再び燕で起ころうとしています」
「つまりこういうことですか。蘇代殿は燕に、私を迎え入れたいと」
蘇代は莞爾として笑う。
「何故、燕王は国を強くすることを望まれるのか」
「目下、斉への復讐の為です」
「復讐とは。では、私に燕王の私怨を晴らす、助力をせよといわれるのか」
楽毅の顔が曇った。
(やはりそうか。楽毅は生来からの清廉の士なのだ。こういった、薄暗い話は好まないか)
「私も中山の民として、燕を襲った悲劇には同情しますよ」
燕が跡継ぎ争いで乱れた折、斉の与国として、中山は燕に攻め込んで、略奪を働いた。
「ですが、私怨で戦をすれば、天下は擾れる」
「仰る通りで御座います。ですが、斉は閔王の代になってからというもの、周辺諸国を圧力で脅かしているのは、ご存知でしょう」
斉は宣王、威王の代に、強盛となり、国そのものに大義があった。しかし、閔王の代になってからは、大義を失くし、傲岸不遜な国に成り下がった。
中山を趙が攻めた時、中山王はしきりに斉へ救援を求めたが、閔王は中山を千乗の国の君主が、身の程を弁えず、王を号したという理由で、救援に応じなかった。また、燕を斉の隷属国とみなし、しきりに朝貢を要求してくる。その様は、まるで諸侯を治める、天子のようである。
「天下の一匡を望まれるのなら、西の秦と東の斉は伐たくなくてはなりません」
「燕王には、其れが可能だと確信しておられるような、口振りですね」
「可能です」
蘇代は食い気味に言った。楽毅が眼を瞠る。
「燕王は、諸侯を束ね、泰平の世を創り出せるだけの王器が備わっている」
自らの内に秘めた、熱量が発露する。
「其れはつまりー」
「天下統一です」
楽毅の喉が鳴る。
「どれほど、私が言葉を尽くしても、燕王の器量を十全に語ることはできませぬ。だから、楽毅殿。一度、燕に来て頂けませんか?」長い逡巡があった。
「しかしー」
「懸念は理解しています。使用人も含めて、仕官されるまでの間、生活にかかる費用は全額私が負担致しましょう」
楽毅の澄明な眸が、真っ直ぐに蘇代を見据える。蒼の先に視える。羽搏く、千里の翼が。
「魏王の元で、限られた生を無駄にしたいですか」
駄目押しだった。 楽毅は深き息をつき言った。
「一日。考える時間を頂きたい」
蘇代は長揖する。長揖は目上の人に行う、挨拶であるから、通常ならば布衣の身に、過ぎない楽毅に、己が行う礼ではない。
官位爵位など関係なく、己は楽毅に惹かれている。一人の男として、礼を尽くしたいという想いがあった
楽毅は毅然とした姿勢で、同じく長揖を返した。
「楽毅殿。突然の訪問、御寛恕下さいませ」
手で勧められ、蘇代は楽毅と向かい合って座する。
「来意を御尋ねしても?」
楽毅は警戒する様子を隠そうともしない。彼の眼が、蘇代の隣に座る、司馬炎と魏竜に向けられる。司馬炎は仏頂面で、腕を組み、黙している。魏竜はもぞもぞと、居心地が悪そうに、肩を動かしている。
「単刀直入に申し上げます。楽毅殿、貴方は魏王に仕えるべきではありませぬ」
紺碧を湛えた、双眼が収縮する。
「何故、貴方がそのようなことを、私に?」
「失礼を承知の上で、楽毅殿の経歴を独自に悉皆調査させて頂きました」
楽毅は不信感を露わに、眼を眇めた。
「何故です?」
「我が国の為です」
「我が国とは」
「私は各国の便宜を図る為、遊説して各地を巡っておりますが、私の真の主は燕の大王様のみで御座います」
「私と燕には、縁もゆかりもあるません」
「ええ。承知しております。今、我が国は各地から賢者、勇士を募り、富国強兵策に血道をあげております」
「斉の宣王のように。ですか?」
楽毅の言は鋭い。
「はい。後塵を拝した感は否めませんが、かつて斉で起きた、百家争鳴が再び燕で起ころうとしています」
「つまりこういうことですか。蘇代殿は燕に、私を迎え入れたいと」
蘇代は莞爾として笑う。
「何故、燕王は国を強くすることを望まれるのか」
「目下、斉への復讐の為です」
「復讐とは。では、私に燕王の私怨を晴らす、助力をせよといわれるのか」
楽毅の顔が曇った。
(やはりそうか。楽毅は生来からの清廉の士なのだ。こういった、薄暗い話は好まないか)
「私も中山の民として、燕を襲った悲劇には同情しますよ」
燕が跡継ぎ争いで乱れた折、斉の与国として、中山は燕に攻め込んで、略奪を働いた。
「ですが、私怨で戦をすれば、天下は擾れる」
「仰る通りで御座います。ですが、斉は閔王の代になってからというもの、周辺諸国を圧力で脅かしているのは、ご存知でしょう」
斉は宣王、威王の代に、強盛となり、国そのものに大義があった。しかし、閔王の代になってからは、大義を失くし、傲岸不遜な国に成り下がった。
中山を趙が攻めた時、中山王はしきりに斉へ救援を求めたが、閔王は中山を千乗の国の君主が、身の程を弁えず、王を号したという理由で、救援に応じなかった。また、燕を斉の隷属国とみなし、しきりに朝貢を要求してくる。その様は、まるで諸侯を治める、天子のようである。
「天下の一匡を望まれるのなら、西の秦と東の斉は伐たくなくてはなりません」
「燕王には、其れが可能だと確信しておられるような、口振りですね」
「可能です」
蘇代は食い気味に言った。楽毅が眼を瞠る。
「燕王は、諸侯を束ね、泰平の世を創り出せるだけの王器が備わっている」
自らの内に秘めた、熱量が発露する。
「其れはつまりー」
「天下統一です」
楽毅の喉が鳴る。
「どれほど、私が言葉を尽くしても、燕王の器量を十全に語ることはできませぬ。だから、楽毅殿。一度、燕に来て頂けませんか?」長い逡巡があった。
「しかしー」
「懸念は理解しています。使用人も含めて、仕官されるまでの間、生活にかかる費用は全額私が負担致しましょう」
楽毅の澄明な眸が、真っ直ぐに蘇代を見据える。蒼の先に視える。羽搏く、千里の翼が。
「魏王の元で、限られた生を無駄にしたいですか」
駄目押しだった。 楽毅は深き息をつき言った。
「一日。考える時間を頂きたい」
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