白狼 白起伝

松井暁彦

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長平の闇

 七

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「やれ」
 白起が命じると、兵士達が間、孔の中に土を被せていく。
 
 無論、十八の孔の中は、二十万を越える趙兵が蝟集いしゅうしている。

「やめろ!!何をする!」

「出してくれ!」

「やめてくれ!故郷には家族がいるんだ!」
 阿鼻叫喚。彼等は助けを求め、空に手を伸ばす。だが、その上にまた土が降ってくる。
 
 絶えることのない悲鳴と断末魔。白起は瞬きすることなく、地獄のような様相を刮目かつもくしていた。
 
 王齕は一つ勘違いをしていた。確かに胸中には、憎悪の渦が渦巻いている。だが、それだけで白起は趙兵の孔埋めを敢行したのではない。

魏冄という最大の後ろ盾を失った今、范雎という狡知たる官僚は政を聾断し、あらゆる力を遣って、己を消そうとするに違いない。范雎とて、魏冄と白起の間柄は知悉しているはず。魏冄を誅殺することと、白起の誅殺は一対なのである。この戦が終われば、范雎は動き出す。

(今、俺に出来ることはー。魏冄の遺志を継いだ、王翦に未来を繋いでやることだ)
 王翦には勇者としての才覚も、王としての才覚もある。魏冄の薫陶を受けた彼が、これから先どちらを選び取るのか分からない。でもー。彼が将来、選んだ道ならば間違いはないと思う。

そして、断言できるのだ。彼の時代には、天下は定まっていると。

だからこそ、この老い耄れがしてやれることは、一つでも後顧の憂いを断ってやることになる。その為ならば、俺は史上最悪の極悪人になる。

「呪い殺してやる!」

「この怨み、生まれ変わったとて忘れぬぞ!」

「冥府の業火に焼れてしまえ!」
 累々と夥しい呪詛が、土の隙間が漏れ出してくる。
 
 藻掻く人の姿が視認できなくなるまで、土は被され、均されても、白起の耳―。魂の淵源えんげんには、生き埋めにされた二十万もの呪詛が響き渡る。

彼等の怨魂は、白起が死のうと離れない。いつか、白起の魂が冥府に堕ちた時、彼等は永遠と白起に責め苦を与え続けるだろう。長平の地で二百四十名の少年兵を除いて、二十万を超える趙兵が悉く孔埋めにされた、その日。武安君白起は忽然と姿を消した。
 
 

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