降る雪は沈む蒼の心を優しく包む〜冴えない根暗な陰キャぼっちの成り上がりリア充化プロジェクト〜

朔月カイト

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第八章 青黎祭と文学市場

54.過去の傷との再会と、その後の甘い一時


 俺は今、怜愛と待ち合わせ場所のフリースペースへ向かう為に、教室棟三階の廊下を歩いていた。

 ここは三年生の教室があるフロアだ。
 昨日と今日で二回訪れた、樫井会長のクラスの出し物──大正浪漫カフェ『癒泉館』の店内を、廊下側の窓から覗いてみる。
 すると、今日も一般客を混じえて更に賑わっている様子だ。

 昨日樫井会長から受けたアドバイスは、これまで考えた事のない切り口での意見だった。

 ──前世からの繋がりか⋯⋯。

 その要素をどういう形で作品に盛り込んだものかと思索を巡らせながら廊下を歩く。

 そうしていると、その途中ですれ違おうとした若い男女の顔を見て、瞬時に背筋が凍り付き、思わず足を止めて立ち止まった。

 それは、三年前に俺を裏切った、当時は親友だと思っていた藤ヶ谷陸と、恋人だったはずの明日香七星だった。

 陸と七星も俺に気付いたらしく、歩みを止めて、こちらに向き直る。

「蒼介じゃねぇか。久しぶりだな」
「探してたんだよ。蒼介君に会うためにね」

 陸と七星が、仲睦まじさを見せ付けるように、恋人繋ぎをしつつ声を掛けてきた。

「⋯⋯こんなところまで何をしにきた? 君等の地元からは遠いだろ?」

 警戒しつつ、嫌悪感を隠す事もせず低い声で聞いた。

「つれねぇじゃねぇか。お前の事を心配して様子を見にきてやった俺達に対して、ちょっと冷た過ぎるんじゃねぇか?」

 今でも友人面をする陸。酷い裏切りをしたやつが吐いていい言葉じゃない。

「そうだよ、蒼介君。私達、貴方が地元を離れて遠くの高校に進学したって聞いて、凄く気に掛けてたんだよ」

 白々しい事を。そんな気持ちなんか、欠片も抱いてはいないだろうに。

「君等に心配される筋合いはないけどな」

 素気なく返す。彼らに向ける愛想なんかは持ち合わせていない。

「そう邪険にするなよ。俺達親友じゃねぇか」
「元、な」

 その点は断固として訂正させてもらう。

「頑固なやつだな。まぁいい。それにしてもお前、長く見ない内に、だいぶ見た目が変わったじゃねぇか。イメチェンして女子に媚びようってか?」

 嘲るように、陸が片方の口角を吊り上げていやらしくニヤリと笑む。

「そんなにイケメンになっちゃったら、モテモテなんだろうね。あぁでも、付き合ってみたら、やっぱり退屈だってすぐに捨てられちゃうかもしれないから、私の時みたいに深入りはしない方が賢明だと思うよ」

 彼女の方も、クスクスと小馬鹿にしながらだ。
 付き合っていた時は気付かなかったが、上手く猫を被っていたんだろう。
 ここまで中身が腐っている女だとは思わなかった。

 けれど、俺は何も言い返す事が出来ない。
 過去に受けた傷──怜愛によって一度は癒されたはずのそれが、またズクズクとうずき出し、俺の心を絡め取って縛り付ける。

「なんだよ、文句がありそうな面してるくせに、何も言い返せないのな。つまんねぇの。俺とバスケで競い合っていた時のお前は、もっと張り合いがあったぜ?」
「あまり虐めちゃ可哀想だよ、陸君。蒼介くんは繊細なんだから。なよっとして弱々しいとも言うけどね」

 二人から侮蔑され、何も言えずに、ただ忸怩じくじたる思いにさいなまれていると──。


 真っ白い雪が、降り落ちた。


「ふぅん。その様子だと、貴方達が、過去に蒼介君を裏切って傷付けたっていう二人みたいだね」

 怜愛だ。
 身を竦めている俺の隣に立ち、二人に鋭い視線を向ける。

「へぇ、凄い美人じゃん。蒼介、お前にはもったいねぇよ。俺によこせ」

 陸は怜愛のグラマーな身体に視線を這わせて舌舐めずりすると、彼女に誘い掛けた。

「なぁ、そんな詰まらない男なんて止めて、俺の女にならねぇか? 七星と一緒に、気持ち良くさせてやるぜ?」
「ん? 何言ったの? 下半身でしか物事を考える事が出来ない見境ない類人猿の言葉は、理解に苦しむね。君、動物園から抜け出してきたチンパンジーとかかな?」
「⋯⋯んだと?」

 おとしめられた陸が、余裕の態度を崩し、怒りに顔を歪める。

「陸君、こんな女放っておこうよ。貴方には私がいれば十分だよ」

 七星が陸にしなだれながら宥めた。

「こんな女、ね⋯⋯そう言う貴女は、蒼介君が惚れてたって言うからどんな子かと思ってたけど、全然可愛くないね。顔はそこそこ見れるかもしれないけれど、中身の醜さが滲み出てるのは、その厚化粧でも隠せてないよ。ハッキリ言って、ドブスだ。まぁ、チンパンジーの相手役にはお似合いかな」
「なっ!?」

 辛辣な言葉をぶつけられた七星が、言葉を失って狼狽える。

 そうだ。今の俺には怜愛という心強い味方がいる。
 こいつらは、人の心を踏みにじっても何とも思わない、ただのクズだ。
 怯える必要はないし、容赦も要らない。

 俺は折れ掛かっていた心を奮い立たせると、二人を睨み付けながら、突き放すように罵倒した。

「お前等に言いたい事はこれだけだ。二度とその汚い面を俺に見せるな。クズ男とクズ女同士で、好きなだけ乳繰り合ってろ」

 自分達よりも下だったはずの相手に思わぬ反撃を食らった二人は、それ以上何も言う事が出来ずに、悔しげにしながら俺達の元を離れていった。


   §


「蒼介君も中々やるね──あぁ、そう言えば、君は言う時は言う男だったね。『そんなものは紛い物だ』」

 二人だけのフリースペースにやってきて、階段に腰を下ろした怜愛が、含んだように笑む。

「痛々しい過去を蒸し返すのは止めてくれって前にも言ったはずだよな?」

 俺は彼女に半眼を向けながら抗議した。
 言ったところで意に介さない事は承知しているが。

「ふふっ。あの頃の君は、ペシミズムの塊だったからね。迂闊に触れると凍傷してしまうドライアイスみたいな存在だったよ」

 その当時を思い出すようにして目を細めながら。

「君に対しては違っただろ? あの頃の俺にとっては、ねーじゅさんの存在だけが唯一の救いだったんだ」

 そう。俺の心の拠り所は、家族と美作先生、それと彼女──ねーじゅさんだけだった。

「君の唯一になれたのは嬉しい限りだね。喜ばせてくれたお礼に、このたこ焼きを食べさせてあげるよ」

 怜愛は、脇に置いていたパック入りのたこ焼きを手に取り、蓋を開けると、その中から一個を爪楊枝で刺して俺の口の前に差し出した。

「はい、あーん」
「は?」

 不意に彼女が取った行動に、不審感を露わにする。

「だから、あーん」

 けれども彼女は、その体勢を維持したまま、再びその言葉を発した。

「⋯⋯君は羞恥で俺を殺すつもりか?」

 目を細めて抗議する。これ以上、黒歴史の頁を増やそうとしないでくれ。

「ここ、他に誰もいないよ?」
「人目のあるなしが問題じゃあない。その行為自体に問題があると言っているんだ」
「つべこべ言わずに食べるっ! はい、あーん!」

 痺れを切らしたようにして、怜愛が俺の口にたこ焼きをグイグイと押し付けてきた。

「なにす──むぐっ、うぐぐ、うっ⋯⋯って辛っ! なんだ、これ!? 尋常じゃなく辛いぞ!?」
「なんでって、ロシアンルーレットたこ焼きだからね。ハバネロ入りに当たったんじゃない? 当選おめでとう!」

 平然と宣いながら、迷惑極まりない祝福の言葉を浴びせてきた。

「一つもめでたくない! 水、水!」

 辛さに悶える俺は、怜愛がたこ焼きと一緒に買ってきていたオレンジジュースをバッと奪い取ると、一気に呷った。

「ぷはあっ! 生き返った⋯⋯死ぬかと思った⋯⋯」

 息も絶え絶えになりながら、自らの不遇を嘆く。

「あははっ。やっぱり君と一緒に過ごす時間は楽しいね。時間が経つのがもったいないと思えるくらいに」

 さも愉快そうにしつつ、その一時を噛み締めるように。

「俺はこの短い時間の内に、二度も殺され掛けたけどな⋯⋯」

 恨みがましい視線を向けつつ呟く。

「罰ゲームみたいになった事は謝るよ。急遽代役として選ばれたにも関わらず、見事に観客の心に訴える名演をした君にご褒美をあげようと思っただけなんだ」
「その気持ちだけで十分だよ。君は余計な事を考えようとしないでくれ。その度に俺が死ぬ」
「⋯⋯やっぱり、あのラストシーンでの頬へのキス、嫌だった⋯⋯?」

 それまでの楽しげな態度を改めて、上目遣いでしおらしく窺う。

「別に⋯⋯驚きはしたけれど、不快には感じなかったよ。出来れば、衆目の中で──っていうのは勘弁して欲しかったけどな」

 あれで、俺と怜愛の関係を好奇の目で見ていた者達は、ただの友人同士ではないと確信を得ただろう。
 俺の平穏が、どんどんこの手から遠ざかっていく。

「ホントに⋯⋯? 私の事、嫌いになってない⋯⋯?」

 縋るように、その手から離れていくのを恐れているかのように、再びの問いを投げ掛けた。

「俺が君の事を嫌いになる訳ないだろ。ただ、悪いけど、恋愛という意味での好きかって問われると、答えられる言葉を俺は未だ持っていない」

 それをいつか見つける事が出来るのか──保証となるものは何もない。
 俺は、過去の傷は癒えたとは言え、未だ本当の自分というものを失ったままなのだ。

 だが、怜愛は、その愛妹に濁した回答で回避した俺を咎めようとはせず、気を取り直したようにして、

「ふふっ。君らしい言い回しだね。でも、それは私も同じ。だから、あれは、一時の気の迷いが生んだ事故って事にしておこうか」
「そうしてくれ。今思い出すだけでも羞恥で顔が赤くなる。大昔に木の役を演じただけの俺が、あろう事か、家族や知人の目に触れている中での直に頬に触れるキスシーンだぞ。陰キャが抱えるには、あれは重すぎる黒歴史だ。暫くは、夜布団に包まって身悶える日々が続くんだろうな」

 視線を上げ、遠くを見るようにしながら嘆くように呟き漏らす。

「根が純粋で誠実な君には、ちょっと刺激が強すぎたかな? じゃあ、その君を癒すために、本命って言えるご褒美をあげるよ。さあ、おいで」

 怜愛は優しげな眼差しを向けながら、自分の膝をポンポンと叩いた。

「⋯⋯何のつもりだ?」

 再度、訝しげな視線を向けて問う。まさかとは思うが⋯⋯。

「何って、言わなくても分かるでしょ? 膝枕だよ」

 まるで、挨拶を交わすくらいの気軽さで、衝撃的な行為に及ぼうと誘い掛けてきた。

「だから、羞恥で俺を殺すなと言ってるだろ!  さっきからなんなんだ君は! 距離感バグり過ぎてるぞ!」

 俺がそう声を大きくして突っ込むのも無理からぬ事。彼女は一度、その性格を矯正してもらった方がいい。

「むぅ⋯⋯せっかく出血大サービスの癒しプレイをしてあげるって言っているのに」

 拒まれた怜愛が、不満げに口を尖らせる。

「プレイって何か生々しいな! 優しくされるのは嫌いじゃないけど、過剰なサービスは遠慮させてもらう!」
「ホントにいいの? 誰にも咎められずに美少女の柔肌を堪能出来るチャンスなんて、そうそう巡ってこないよ?」
「俺は常に慎ましくしていたいんだよ。ご馳走と見れば見境なくがっつく肉食系とは違う」
「じゃあ、断るなら、これから一週間一言も口利いてあげない」

 ぷいと頬を膨らませながらそんな罰を告げ、顔を背けてしまった。

「え? ⋯⋯否、そ、それは困る⋯⋯以前揚羽との事で君に避けられたの、地味にキツかったんだ。それなのに一週間もそうされるなんて、耐えられないよ」

 狼狽えた俺は、しどろもどろになって弱音を吐いた。

「それなら、どうすればいいかくらい、幾ら察しの悪い君でも分かるよね?」
「はい⋯⋯」

 敢えなく陥落した俺は、身体を横向きに倒すと、遠慮がちに彼女の膝の上に頭を載せた。

「はい、いい子ですねー」

 怜愛が、幼子をあやすように、優しい手付きで俺の髪を撫でる。

 頬に彼女の肌の温もりが伝わってくる。
 それに、何だか甘い香りまでしている。
 強張っていた身体が次第に解れ、心地良くリラックスした状態になっていく。


 暫く、大人しくされるがままに身を委ねていると何だか眠気を感じてきた。

「──『二度と通らない、何気ない風景だけれど、この一瞬は、おそらく永遠なのだ』」

 ウトウトとする中で、彼女の澄んだ声が優しく耳朶を震わせた。

 知っている──恩田陸『夜のピクニック』で読んだ、心に残っている印象的なフレーズだ。

「あの瞬間は、永遠だよ。いつまでも消える事のない、しっかりと君の心に刻み込まれた、ね」

 それがいつの事なのかは、判然としない。

 彼女との思い出は、どれも色鮮やかでちっとも色褪せないから。


 ──永遠なんて、幻想だと思っていた。


 けれど、それが間違いだと思わせるだけの力強さが、優しげな彼女の言葉には宿っていた。

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