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あなたのために

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 謎の人物の声の後、背後から巨大な音が聞こえてきたが、そんなことはどうでもいい。

 今の今までずっと、本当に希望の一欠けらもなかった。どんなに足掻いても身体を動かすのはもう絶対無理だと思っていたのに、何者かも分からない者の甘い言葉に反応して、絶望するまで沈んでいた気分が晴れ渡るように軽くなった。

 例え騙されていたとしても、もう既にあって無いような命。このまま絶望したまま死ぬか、騙されていたと気付いて絶望して死ぬかの違い、ルビアを救うために僅かでも足掻ける余地があるのならば何でもいい。

 しかし、骨が折れてしまった手足が気分だけで治るはずもなく、今は痛みこそないけど、感覚も全くなくて指先でさえ動く気配がない。疲れ切った右手と、右足が何とか動くか、加えて非力。

 一つ手段があるとしたら、私の苦手な魔法くらい。
 しかも使えるとして、得意な風の魔法でさえ私の魔力の総量的に、繰り出せるのはそよ風程度のものしか―――いや、増えていたとしたら、話は変わってくるか。

 ルビアに出会ってから二週間、一日も欠かさず愛し合い、体液を交換していた。その結果、まだまだ仕事や戦闘に使えるまでではないものの、元々の魔力量の二倍近くまで増えていた。
 魔法の実践なんて生まれてこの方、両手で数える程度しかしてこなかった上に、ルビアに会う前は一番簡単と言われている魔法すら、一回しか使用することが出来なかった。

 されど魔力の増えた今ならば、もう一つ上の魔法を使うことが出来る。
 チャンスは一回。しかも、この魔法は一度も使ったことがない。

 こんなことなら、役立つ見込みがなくても普段から練習しておけば良かった。そうすれば、もっと早い段階で魔法を使うと言う手段を、自信を持って選択出来たと言うのに。

 一度は諦めかけた命なのに、心臓の音は加速し、指先が小刻みに震えている。呼吸はもう初めから荒く、深呼吸も出来ない。不安で不安で堪らない。

 いや、でもやるしかない。
 早くやらないと。いつ意識を失うか分からないんだから。

 右手を顔の目の前に置き、魔法を繰り出すための、発射装置を作る呪文を詠唱する。

「『グラナタム』」

 掠れた声でちゃんと発動してくれるか不安だったが、手のひらを中心に魔力が集まり、地面に平行な、白光する小さな円陣が作られる。ここに改めて繰り出したい魔法の呪文を詠唱することで、魔法が完成する。
 『グラナタム』の円の数や大きさが重要だとか何とか勉強した気がするけど、前のこと過ぎて忘れてしまった。今から唱える呪文もギリギリ覚えていたのが奇跡みたいなものだ。

 一拍呼吸を空けてから、出来る限り丁寧に唱える。

「『フー・シー・ス』」

 円の下に、体内にある魔力がほぼ全て集まり、風の圧縮された球体が出来上がる。息つく間もなく球体は破裂し、小さな爆発が顔の目の前で起こる。『グラナタム』を少しミスっていたのか、大量の鋭い風が顔面に吹き付け、目を開けていられない。
 風と同時にとてつもない破裂音も生じ、鼓膜が破れたのか音も聞こえなくなる。これまで体感したこともないような強大な衝撃が軽々身体を吹き飛ばし、空中に投げ飛ばされる。

 感覚をほぼ全て失って、奇妙な浮遊感以外、もう何も分からない。

 体内の魔力も使い果たして、今までどうにか身体を支えていたエネルギーが無くなったためか、プツリと意識の糸が切れた。
 薄れていく意識の中で走馬灯のように思い出されたのは、家族でも友人でもなくて、たった一人、愛すべき少女の姿だった。


***

 どうしても、一目見たかった。
 だから強引にでも、すぐにバレて連れ戻されると分かっていても、あの人に会いに行った。理由はもう忘れてしまったが、確かにあの時、鮮明に何かを思い出し、イブに会いに行った。

 イブとの思い出は、一緒にいる時間を重ねれば重ねるほど輝きを増して、他の何にも代えることの出来ない特別なモノとなっていた。
 だからこそ。大切なモノとなってしまったからこそ、今後悔している。

 自分の勝手過ぎる行動によって、私は彼女を傷付けてしまった。
 あの時、イブが壁にぶつけられて怪我をしてしまった時、もしくはする前にでも、自分が犠牲になるべきだった。それか、こうなる前にあの家を出ていくべきだった。

 イブは今頃どうしている?
 怪我が重症で、死んでしまっていたら?
 自分を追って、国外に出てモンスターに捕まってしまっていたら?

 ―――私のせいだ。

 私が生まれてこなければ。
 私が会いに行かなければ。
 私が早く死んでいれば。

「あ…あぁ…ああああぁぁぁあああああぁぁぁ!!??」

 心の中で無限に渦巻く不安と後悔が、言葉にならない声になって、勝手に口から漏れ出す。もう、前が見えない程に涙が溢れ出して、どうしたらいいのかわからなくて、無意識に車内で立ち上がっていた。

 それを見た無表情のエリクサーの一人は、足元に置かれていた鞄から注射器を一本取り出し、乱暴にルビアの腕に針を突き刺した。
 薬が投入されてほんの数秒後、ルビアは意識を失った。

 その一連の動きがあっても、車内に座るエリクサーたちは誰一人として表情を変えることはなく、淡々と国外を走り抜けていった。


***

 目が覚めた。

 目の前には、見慣れたベッドと、窓とカーペット。私の部屋だ。
 さっき、いや、どれくらい経ったか分からないけど、意識を失うすぐ前に『フー・シー・ス』を唱えて、風の小爆発が起こって、私の身体が宙を舞って―――それから、どうなったんだろう。

 少しの間ボーっと壁に寄りかかりながら、風に揺れるカーテンを見ていたが、ふと居ても立ってもいられなくなって立ち上がる。
 今、ディグはどうしているのか、心の折れかけた私にもう一度希望をくれた、あの声の主は誰だったのか、そして、ルビアは無事なのか。
 恐る恐るドアノブを回してみるが、押しても引いてもピクリとも動かない。木の軋む音すら起きない。

 床に座った状態で目が覚めた時点で少し違和感はあったけど、やっぱり少しだけ変だ。

 私は…死んだの?

 段々脳が目覚めて来たのか、不安や焦りがまた蘇ってきて、血の気が引いていく。
 そういえば風の通っていた窓から外に出られないかと、ドアを背にして勢いよく振り返った。そして目の前に映り込んだ光景に思わず絶句する。

 ベッドの上に正座をしてこちらをジッと見ている―――ルビアの姿がそこにあった。
 その瞬間、ずっと心の隙間に挟まっていた様々な負の感情が全て洗い流されて、視野がずっと大きく広がって、さっきとは別世界みたいに輝いていく。

「ル…ビア…ルビア!」

 少し掠れた声で呼びかけるとルビアの身体はビクッと震え、私の顔を見つめたまま目尻に涙を一杯に溜めて、口元を痙攣させ始めた。それから何かを伝えようと口を開いて音を発しようとするが、涙で喉が詰まってしまったのか上手く言葉を発せていない。

 その今にも消えてしまいそうな姿に強烈な庇護欲が湧き出して、胸の奥を掴まれたような感覚に襲われ、堪らずその小さな体を抱き締めた。
 ルビアは少しだけ驚いたように身体を固まらせていたが、そっと手を伸ばして抱擁し返してくれた。

 柔らかくて瑞々しい肌、全身で感じる彼女の温もり、ルビアの匂い、どうしようもなく全てが愛おしい。
 聞きたいこと、伝えたい思い、山ほどあるけど、この幸せを少しでも長く感じていたくて、抱擁したまま時間が過ぎていった。

「ねぇ……イブ」

 不意に話しかけられて我に返り、お互いに顔が見える位置まで身体を離した。ルビアの顔は真っ赤に火照って、涙袋も腫らしていたが、大分落ち着いた様子だった。

「ん、どうしたの?」

「私のせいで傷付けてしまって、ごめんなさい。迷惑かけちゃって、ごめんなさい。私がイブに会いに行かなかったら…」

 ルビアの目元には、また涙が溜まり始めていた。落ち着いていた声も段々と震えていって、もう喋るのも苦しそうに見える。

「ううん。全然違うよ、ルビ。ルビに会えたから、私は幸せだったんだよ。今も本当に幸せだし、これからも………ずっと一緒だよ」

「………私、イブにまた会うために頑張るから……あんなやつらになんか負けない……そして…そしたら私と―――――」

 ルビアが最後まで言い切る前に、脳が突然シャットダウンしたみたいに意識の糸がぷつりと切れて、五感の全てが機能しなくなった。世界は一瞬で暗闇に変わり、全身に感じていた柔らかな温もりも全て奪われてしまった。

 そうして再び世界に光が戻った時、目の前からルビアの姿は消えていて、代わって視界に入ったのは、黒光りする銀色の甲冑だった。
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