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十五

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 残った西瓜の半分は、気づけば腐って捨てられてしまっていた。
 それがシェリーの悲しみと、虚しさに拍車をかける。あの日から、シェリーはハルヨシと言葉を交わすどころか、顔を合わせることも無くなっていた。
 シェリーが、ハルヨシの頼みを断り、彼が悲しげに笑ったあの日からだ。

 あの夕日に染まるバルコニーで、やはり普段と変わらず、何てことはない調子で放たれたハルヨシの言葉を思い出す。

『僕はね、僕を愛した人間の手にかからなければ、死ぬことが出来ないんだ』

 生まれてきてからずっと、死ぬことを夢見て生きてきたのだと彼は語った。
 百を超えて生きる彼がどんな想いを抱えてきたのか、シェリーに図り知ることは出来ない。けれども、普段から何をするにも楽しげに笑い、全てを受け入れて生きているように見える彼がそんな風に考えてしまうような人生だ。多くの苦悩があったに違いない。

 憂いを浮かべるハルヨシは、シェリーの視線に押されるようにして、彼の人生を語り聞かせた。

 ハルヨシは基本的に人を喰らうことはしない。けれども、時折、無性に人が食べたくなる時が来るのだそうだ。
 彼は半分は人で、半分は妖だ。どんなに彼が拒もうとも、彼に混じった物の怪の血が、それを求める。
 初めて喰らったのは、彼の母だったそうだ。父が死に、その親族である妖どもに疎まれ、母子二人で隠れるように暮らす日々。貧しくはあれど幸福だった生活の中、成長し人を求めるようになった彼は抑えきれずに母親を喰らい、そして我に返って死を望んだ。
 けれども、幾ら死のうとしても死ねなかった。『混ざりモノ』の性質は、その特性上あまりにも多岐に渡る。死ねない理由を追い求め、父の血筋を追い、過去に巫女として名を馳せた母の力を知り、そして理解した。

 不老の父の性質と、我が子のへ愛を鉄壁の巫術に変え息子に宿した母の力。
 ハルヨシを心から愛し、その守りを破った者の手にかからなければ、ハルヨシは死ぬことすら出来なかった。

『百も過ぎれば諦めるようにもなったよ。人にも妖にも成れない僕を、愛する者など現れないだろうから』

 ハルヨシはそこで、シェリーを見て笑った。
 長く生きてきた時の中で、きっと彼はシェリーが想像もできないような経験をしてきたのだろう。
 その柔らかい声を聴いて、場違いにも胸をときめかせてしまうほどに、シェリーは彼を愛していた。助けてもらったから、というのはそうかもしれない。あの日のことが無ければ、シェリーだってハルヨシを化け物だと思っていたかもしれない。
 それでも、シェリーはあの日ハルヨシに救われ、彼と共に過ごし、確かに恋をした。それが事実だ。

『君は僕を愛した。僕が望むように僕を愛してくれた。こんな化け物を。……君は不思議な子だね、シェリー』


 自嘲気味に笑うハルヨシに、シェリーは緩く、首を振った。
 ハルヨシは気分屋で、自分の思うように行動する。常に飄々としていて何を考えてるのか分からない、どこか空恐ろしい空気を持つ人物であるように思う。
 けれども、時折見せる甘えるような身勝手さや、シェリーの前で子供のように笑う姿などが彼を愛らしく見せるのだ。

 彼の見目を恐れる理由などないシェリーには、そんなハルヨシの心根が愛おしくてしょうがなかった。
 不思議なことなど何もない。もし彼の見目が普通の人だったならば、きっと彼のそういう部分に惹かれる女性は少なくないだろう。
 そう思うと、シェリーはハルヨシが『混ざりモノ』で良かった、などと、彼の境遇すら無視して考えてしまうのだった。

 醜い独占欲だ。それ程までに愛している。愛しているのだ。
 
『……ハルヨシ様、申し訳ありません。私には、出来ません』

 だからこそ、シェリーには彼が唯一望んでくれた、自分に求めてくれた願いを叶えることができなかった。
 彼を殺すことなんてできない。この、ただ続く幸福の日々を享受していたい。それはシェリーの我儘で、恩を仇で返すような行為だったけれど、ハルヨシは困ったように笑うだけで何も言わなかった。
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