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最終話 〈1〉

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 上級精霊は、基本的には『存在すること』そのものを疎んでいる。
 人間と関わることを楽しむ現世の精霊とは違い、彼らにとってはこの世に生まれ落ちたことこそが苦痛なのだ。
 彼らは皆、己という存在を限りなく希釈し、世界と溶け合うことを目的にしている。

 そんな彼らに、現世の事象に関わる願いを持ち掛ければどうなるか。
 持ちかけた人間の脳を間借りして、『世界』の解釈を深めようと思考回路をぶん回すのである。

 精霊の身では成し得ない世界という概念への理解。真理への到達によって自身を望んだ形へと希釈しようという試み。
 大抵の上級精霊はこれをやる。本当に誰にでもやる。仮に〈落とし子〉が相手でなくても同じような仕打ちを受けたことだろう。まあ、そもそも会話を持ちかけられないのだから、無駄な想定ではあるのだが。

 宇宙ってやつがある。この世には。
 この世界の外側には、人間には永遠に到達できない未知が拡がっている。

 世界を咀嚼し解釈しようというのは、その未知を、丸ごと脳に放り込まれるようなものだ。
 発狂して死んでいないだけで奇跡のようなものだった。

 まあ、簡単に言うなら、常に視界が回りながら上下に揺さぶられて明滅し、脳内でありとあらゆる存在が意味も通らない雑談を繰り返し、その上頭痛と酷い悪寒と耐え難い吐き気と絶え間ない関節痛が襲ってくると思ってくれればいい。

 世界の真実ってやつは本当に、最悪の形をしている。『物語』とやらだった方が百倍マシだった。
 もしも世界がこんなにも素晴らしい、冒険に満ちた表層に包まれていなかったとしたら、絶対に生まれてきたくなんてなかった。

「ロバート、大丈夫? お水はいる?」
「いらない……手を握ってて……とにかく……お願い……」
「ええ、わかったわ」
「ありがとう、マリー…………」

 あと、マリーがいなかったら絶対に生きていたくなんてなかった。

 事態が解決したあと、下手に話せない代償のせいで『正体不明の病』に呻き続ける僕を心配して、マリーはすぐさま駆けつけてくれた。

 命に別状はなく、移る心配もない、と診断された(金を握らせて診察してもらった)ので今では普通に面会はできるし、マリーにだけは本当のことを話したので、彼女は幾分か安心した様子で僕のお見舞いに来ている。
 世間一般では仲睦まじい婚約者同士なので、連日見舞いに来ていてもなんらおかしいことはなかった。

 騎士団内では僕はエルフィン家に家宅捜索に入り込んだ際、違法薬物が宙に舞って、それを吸い込んだことになっている。上級精霊云々を伝えたところで、我が部隊の人員は信じてくれるだろうが、他所では本当に錯乱したと思われるのが落ちだからだ。
 一応、このまま騎士団長が既定路線のため、『先陣を切った結果の負傷』とした方がマシなのである。

 学園内ではエルフィン伯爵家の罪状については伏せられているため、僕は単なる体調不良で休んでいることになっている。
 学園内の心無い人間なんかは、僕がサボって魔物討伐にばかり行った挙句、下手を打って負傷したのを誤魔化すための欠席だとでも思っているだろう。
 善良な学生は多分、僕が父に叱られて謹慎を言い渡されたのだと思っている。実際、過去に似たようなこともあったし、何よりエルフィン家の事情が落ち着くまではそう思われていた方が都合がいいので、特に訂正する気もない。

 ただあんまりにも評判が落ちすぎると、今度は騎士団長に任命する際に不都合が出る恐れがある。
 父からも、在学中にそれらしい功績を上げろ、と言われてしまった。もちろん、表に出せるタイプの実績である。うーん。

 まあ確かに、このままだとマリーの価値に気づいた公爵が、僕では見劣りする、と勝手に婚約者を変えかねない。
 現にお見舞いに来るマリーも、とある日に『お父様は何も分かっていないわ』と憤慨しながら、有力な婚約者の提案を始めた公爵閣下の愚痴をこぼしていったことがある。
 後ほど、事後処理の報告ついでにアルフレッド殿下から教えてもらったのだが、公爵がたじろぐほどの剣幕で、『私の婚約者はロバート以外にはいません』と宣言したそうだ。

 マリーにとって、公爵閣下は永遠に越えられない壁であり、尊敬する父である。それはどんなに虐げられようと変わらない。
 マリーにとって、自分が父より劣っている、というのは主観的に見ても客観的に見ても変えようのない事実だからだ。まあ、僕は後者は断じて否定させてもらうけど。

 それでも、敬愛と恐怖を抱いた相手にも己の意見をはっきり口に出来るようになったのは、彼女がこれまでの生活で積み上げてきた努力と、その結果と、それによって築いた友人関係によって自信を得たからだろう。

 もしもそのきっかけを与えられたのが僕だと言うのなら、それは大分、誇らしいことだと思う。
 まあ、毎度のことながら大分ギリギリで、微妙に間に合っているか怪しい助け方しか出来ないのが僕なのだけれども。

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