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最終話 〈3〉
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とにかく、これで憂いは一つ去った訳だ。
心底ほっとした気持ちで、尚も続く最悪の体調不良と真理の波に呻く僕を、マリーは慈愛に満ちた顔で見下ろし、そっと頭を撫で続けた。
暖かい手のひらの感触だけが、僅かに苦痛を和らげてくれる。
「……ごめんね、マリー……こんなことに付き合わせて……」
「いいのよ、ロバート。少しでも貴方の役に立てるなら、私はこんなに嬉しいことはないの。むしろ、何か他にして欲しいことはない?」
「じゃあ添い寝してほしい……あ」
言ってから、これは流石に不味ったな、と我に帰った。脳のリソースが足りていないので、下手なことを口走ってしまう。
ごめんね、冗談だよ、と言おうと思ってなんとか傍に座るマリーを見上げた僕は、そこで真っ赤な顔で固まる彼女に気づいて、一瞬、ほんの一瞬、全身の不調が何処かに吹っ飛んだ気がした。
まあ、気のせいだったけども。愛は全てに打ち勝つ訳ではない。悲しい話だ。
悲しかったので、僕は無言でそっと、ベッドの中で横たわる位置を奥の方へとずらした。
療養用のベッドなもので狭く、結局0.7人分くらいのスペースしか空けられない。が、マリーは細いので、十分収まることだろう。
「え、……え、っと」
「あ。別に、嫌だったらいいよ」
実際、今の時点でも充分、満たされてはいる。ただ、追加で癒しがもらえるのなら貰っておくに越したことはないよね、という話だ。
幾分落ち着いた顔色で、それでもいつもよりはやや血色の良い顔で僕を見下ろしていたマリーは、やがて意を決した様子で寝具の合間へと潜り込んできた。
あ。いいんだ。
いや。僕としては嬉しいけども。大層。
そういえば昔、アルメール家の中庭で二人して寝転んで、怒られたことがあったな。
僕がマリーを連れ回していた頃だから、本当にずっとずっと前のことだ。
ぼんやりした思考と視界の中でそんなことを思い出していると、隣に寝転んだマリーも同じことを思い浮かべていたらしい。小さな笑い声が対面から聞こえた。
一応、若干の言い訳として、マリーの体に腕を回すようなことはしなかった。共寝をしておいてその程度の言い訳で許されるなと思うなよ、というのが僕の理性の主張だったが、残念ながら現状の僕の脳みそは半分以上お留守である。
「あのね、ロバート」
「うん?」
「ずっと……聞きたかったことがあるの」
「なあに、なんでも聞いてよ」
機密事項じゃなかったら何でも答えるよ、と付け足すつもりの文言は、途中でちょっとした呻き声に変わってしまった。
目を閉じたまま縋るようにマリーの手を握った僕に、彼女の手のひらからも柔らかく握り返される。
「ロバートは、私のこと好き?」
「好きだよ」
「……それは、その……い、……いやらしいこと、をしてもいい、って気持ちで?」
え、それこの状況で聞くの? 危なくない?
というのが、僕の素直な気持ちだった。
いや。だってさ。ほら。危なくない?
聞くにしても、ほら、もっと安全な場所で聞くべきじゃない?
別に僕が危険だと言うつもりはないけども。多分。
何に言い訳をしているのかも分からない気持ちになりつつ、何やら縋るようにして此方を見つめるマリーをそっと見つめ返す。
公爵家の御令嬢であり、生粋の箱入り娘なものだから、てっきり意味も分からずに聞いているのかと思ったのだけれども、どうやらそうでもないらしい。
要するにマリーが聞きたいのは、『自分は女性として魅力があるのかどうか』という話だ。
無い訳ないだろうに、と言うのが僕の本音である。
世の中にはありとあらゆる趣味嗜好が溢れているので、当然相手にあれがいいだのこれがいいだの注文をつけるのは多々あることだが、僕にとっては、今も昔もマリーが一番魅力的な女の子だ。
「してもいいの?」
「え」
「してもいいなら僕は大歓迎だけども」
「ほ、本当に?」
「嘘ついてどうするのさ、こんなこと」
「だって……ロバートはそういう意味で私を好きな訳じゃない、って思っていたから……」
少し掠れた声で、不安と喜びをないまぜにしたような響きで落とされた呟きに、僕はようやく、ああ、と合点がいく。
アルメール家では、『無理に女性に迫るような男は騎士道精神に反する』というのが幼少の頃よりの教えである。故に僕は婚姻に至っていない女性に性的な接触を図るのは大変に失礼なことだと思っていたのだが、良好な婚約関係においては、ちょっとの素振りも見せないのは不安を煽る行為だったらしい。
まあ、多分父の場合は僕があまりに突拍子もないことをしでかすので、他の息子より強めの縛りをかけていたのだろうけども。
なるほど。言葉だけ重ねてもどうにも上手く届いてくれない訳だ。
やっぱり伝え方というのは重要なもののようである。今度、グスティンにでも聞いてみるのがいいかもしれない。
ともかく、腑に落ちた安堵と共に、握り締めた手にそっと唇を押し当てる。
途中、頭痛のせいで無様な呻き声がこぼれたのでどうにも格好がつかなかったが、僕のような男が格好つけたところで大した効果もないので、とりあえず安心させる意味合いの口付けだった。
「ちゃんと好きだよ、ずっと昔からね」
囁いたところで流石に限界が来たので、僕はマリーの顔も見ないまま、ぐるぐる回る視界を放棄するように無理やり眠気を手繰り寄せた。
起きた後、マリーディアは何故か真っ赤な顔で涙目になりながら、「わ、私、はしたない娘だわ。淑女失格よ……」と震えた声で呟いていた。
共寝程度なら多分そんなに怒られないよ、と言っておいたけれども、マリーは何やら誤魔化すように言い淀むだけだった。
はて。一体何をそこまで気にすることがあるだろうか。
謎はしばらくしてから割と簡単に解けた。キスしようとするとあからさまに挙動不審になるので、「寝てないと無理?」と尋ねたら「気づいてたの?」と悲鳴のような声が上がったのだ。
この先はもっとすごいことするのにね、と冗談混じりに告げると、マリーは首まで真っ赤になって、まだ早いわ!と慌てたように離れていってしまった。何だか、前より物理的な距離が空くようになってしまってちょっと悲しい。
まあ、伝わっているのならば何よりである。
心底ほっとした気持ちで、尚も続く最悪の体調不良と真理の波に呻く僕を、マリーは慈愛に満ちた顔で見下ろし、そっと頭を撫で続けた。
暖かい手のひらの感触だけが、僅かに苦痛を和らげてくれる。
「……ごめんね、マリー……こんなことに付き合わせて……」
「いいのよ、ロバート。少しでも貴方の役に立てるなら、私はこんなに嬉しいことはないの。むしろ、何か他にして欲しいことはない?」
「じゃあ添い寝してほしい……あ」
言ってから、これは流石に不味ったな、と我に帰った。脳のリソースが足りていないので、下手なことを口走ってしまう。
ごめんね、冗談だよ、と言おうと思ってなんとか傍に座るマリーを見上げた僕は、そこで真っ赤な顔で固まる彼女に気づいて、一瞬、ほんの一瞬、全身の不調が何処かに吹っ飛んだ気がした。
まあ、気のせいだったけども。愛は全てに打ち勝つ訳ではない。悲しい話だ。
悲しかったので、僕は無言でそっと、ベッドの中で横たわる位置を奥の方へとずらした。
療養用のベッドなもので狭く、結局0.7人分くらいのスペースしか空けられない。が、マリーは細いので、十分収まることだろう。
「え、……え、っと」
「あ。別に、嫌だったらいいよ」
実際、今の時点でも充分、満たされてはいる。ただ、追加で癒しがもらえるのなら貰っておくに越したことはないよね、という話だ。
幾分落ち着いた顔色で、それでもいつもよりはやや血色の良い顔で僕を見下ろしていたマリーは、やがて意を決した様子で寝具の合間へと潜り込んできた。
あ。いいんだ。
いや。僕としては嬉しいけども。大層。
そういえば昔、アルメール家の中庭で二人して寝転んで、怒られたことがあったな。
僕がマリーを連れ回していた頃だから、本当にずっとずっと前のことだ。
ぼんやりした思考と視界の中でそんなことを思い出していると、隣に寝転んだマリーも同じことを思い浮かべていたらしい。小さな笑い声が対面から聞こえた。
一応、若干の言い訳として、マリーの体に腕を回すようなことはしなかった。共寝をしておいてその程度の言い訳で許されるなと思うなよ、というのが僕の理性の主張だったが、残念ながら現状の僕の脳みそは半分以上お留守である。
「あのね、ロバート」
「うん?」
「ずっと……聞きたかったことがあるの」
「なあに、なんでも聞いてよ」
機密事項じゃなかったら何でも答えるよ、と付け足すつもりの文言は、途中でちょっとした呻き声に変わってしまった。
目を閉じたまま縋るようにマリーの手を握った僕に、彼女の手のひらからも柔らかく握り返される。
「ロバートは、私のこと好き?」
「好きだよ」
「……それは、その……い、……いやらしいこと、をしてもいい、って気持ちで?」
え、それこの状況で聞くの? 危なくない?
というのが、僕の素直な気持ちだった。
いや。だってさ。ほら。危なくない?
聞くにしても、ほら、もっと安全な場所で聞くべきじゃない?
別に僕が危険だと言うつもりはないけども。多分。
何に言い訳をしているのかも分からない気持ちになりつつ、何やら縋るようにして此方を見つめるマリーをそっと見つめ返す。
公爵家の御令嬢であり、生粋の箱入り娘なものだから、てっきり意味も分からずに聞いているのかと思ったのだけれども、どうやらそうでもないらしい。
要するにマリーが聞きたいのは、『自分は女性として魅力があるのかどうか』という話だ。
無い訳ないだろうに、と言うのが僕の本音である。
世の中にはありとあらゆる趣味嗜好が溢れているので、当然相手にあれがいいだのこれがいいだの注文をつけるのは多々あることだが、僕にとっては、今も昔もマリーが一番魅力的な女の子だ。
「してもいいの?」
「え」
「してもいいなら僕は大歓迎だけども」
「ほ、本当に?」
「嘘ついてどうするのさ、こんなこと」
「だって……ロバートはそういう意味で私を好きな訳じゃない、って思っていたから……」
少し掠れた声で、不安と喜びをないまぜにしたような響きで落とされた呟きに、僕はようやく、ああ、と合点がいく。
アルメール家では、『無理に女性に迫るような男は騎士道精神に反する』というのが幼少の頃よりの教えである。故に僕は婚姻に至っていない女性に性的な接触を図るのは大変に失礼なことだと思っていたのだが、良好な婚約関係においては、ちょっとの素振りも見せないのは不安を煽る行為だったらしい。
まあ、多分父の場合は僕があまりに突拍子もないことをしでかすので、他の息子より強めの縛りをかけていたのだろうけども。
なるほど。言葉だけ重ねてもどうにも上手く届いてくれない訳だ。
やっぱり伝え方というのは重要なもののようである。今度、グスティンにでも聞いてみるのがいいかもしれない。
ともかく、腑に落ちた安堵と共に、握り締めた手にそっと唇を押し当てる。
途中、頭痛のせいで無様な呻き声がこぼれたのでどうにも格好がつかなかったが、僕のような男が格好つけたところで大した効果もないので、とりあえず安心させる意味合いの口付けだった。
「ちゃんと好きだよ、ずっと昔からね」
囁いたところで流石に限界が来たので、僕はマリーの顔も見ないまま、ぐるぐる回る視界を放棄するように無理やり眠気を手繰り寄せた。
起きた後、マリーディアは何故か真っ赤な顔で涙目になりながら、「わ、私、はしたない娘だわ。淑女失格よ……」と震えた声で呟いていた。
共寝程度なら多分そんなに怒られないよ、と言っておいたけれども、マリーは何やら誤魔化すように言い淀むだけだった。
はて。一体何をそこまで気にすることがあるだろうか。
謎はしばらくしてから割と簡単に解けた。キスしようとするとあからさまに挙動不審になるので、「寝てないと無理?」と尋ねたら「気づいてたの?」と悲鳴のような声が上がったのだ。
この先はもっとすごいことするのにね、と冗談混じりに告げると、マリーは首まで真っ赤になって、まだ早いわ!と慌てたように離れていってしまった。何だか、前より物理的な距離が空くようになってしまってちょっと悲しい。
まあ、伝わっているのならば何よりである。
応援ありがとうございます!
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マリーとロバート、本当にかわいい♡お話も全体を通してとても面白かったです。
ありがとうございます!!
楽しんでいただけたなら何よりです!!
とてもとても可愛いお話でした!一気に読んでしまってもったいなかったです。もっとちびちびじわっと味わえばよかった!!
読ませていただけて幸せです。ありがとうございます!!
読んでいただきありがとうございます!
楽しんでいただけなら何よりです!!