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後
しおりを挟む「そういえば、さっき言っていたけど、シルビアは僕が妾を囲っても怒らないの?」
「怒る理由がありませんもの」
「それって僕のことがあんまり好きじゃないってこと?」
「……どういう意味で仰ったのか教えてくださる?」
ライアンの頭の中からは、先程の手紙のことなどすっかり消えてしまっているようだった。納得と共に、必要のないものとして切り捨てられてしまったのだろう。
「僕が他の女の人と仲良くしても嫉妬とかしないってことは、僕があんまり好きじゃないってことだよね」
「……失礼を承知で申し上げておきますけれど、私、婚約者に贈るプレゼントすらまともに用意出来ないライアン様に、妾まで囲う甲斐性があるとは思えませんの」
「あー、えっと、そもそも囲わないよねって話?」
「仮に、万が一囲ったとしても怒りませんわよ。嫉妬なんてものはもう五年も前に卒業致しましたわ」
小さく鼻を鳴らしたシルビアに、ライアンが首を傾げる。本気で分かっていないのはその顔を見るだけで十分に伝わったので、シルビアはややそっぽを向いたまま口を開いた。
「ライアン様は私より魔道具がお好きでしたものね。私、無機物を相手に嫉妬を抱いたのは初めてでした。ええ、本当に。ライアン様にとっては私の磨き上げた美貌なんてどうでもよろしいのでしょう?
せっかく訪ねた婚約者を三時間も放置して魔道具の改造に夢中になった挙句、暴発して黒煙と共に部屋から出てきた時なんて、このまま帰ってしまおうかしらと思いました」
「あ、あー、それでも帰らないでいてくれるからシルビアは優しいよね」
「諦めているだけですわ。散策の途中に道端に木の棒で構成式を書き始めた挙句、書き写す為のメモを取ってくるから此処で待ってて、と私を見張りに立たせた時もありましたわね。あの時、本当に、足で消してしまおうと何度考えたことか」
「ええと、うん、ごめん。あれは、僕も悪かった」
「僕も?」
「僕が悪かった、全面的に」
言い直したライアンに、シルビアは淑女の笑みで応える。柔らかい顔立ちの彼女が浮かべる、なんとも優しげな笑みがこんなにも恐ろしく見えるのは何故なのだろう、と貴族学院では度々七不思議として上げられがちだ。
流石のライアンも、この笑みが出た時だけは一も二もなく謝る。例え何も察せていなくとも、謝らなくてはいけない、ということは分かるのだ。
再び謝罪を口にしたライアンに、シルビアは溜息と共に軽く目を伏せた。流すことを決めた時の所作だ。大抵、日に二度は見る。
「それにしても、意外ですわね。ライアン様は私に嫉妬して欲しいのですか? 色恋に興味がおありとは存じ上げませんでした」
「嫉妬っていうか、シルビアは僕がシルビア以外の女の人と何かしてても気にしないんだ、と思うと嫌だから、確認したくて」
「…………別に怒るほどではありませんわ。だって、私が正妻ですもの」
「あー、えーと、違う、もしかして僕の言いたいこと伝わってない?」
「全く」
薄らと察してはいるが、ライアンの言葉で聞きたいと思ったシルビアは素知らぬ顔で答えた。
普段は言葉の意図を拾い上げてもらうことで会話を成り立たせている節の多いライアンは、自分の気持ちを言葉にするのが下手だ。
自分の中では既に答えが決まっていて、それを当然相手も分かっているという前提で話すため、言葉が圧倒的に足りないのだ。魔道具開発の面でも、しばしば周りを置いて一人で話して納得している節がある。
最悪、仕事ではそれでも構わない。だが、折角婚約者として、そしてこれからは夫婦としてそばに居るのだから、言葉に出来そうな時にはしてほしい、とシルビアは思う。
「僕は妾を囲う予定とかは無いし、シルビアとしか結婚しないんだけど、もしもシルビアが僕のこと少しもなんとも思ってなかったら悲しいから、えーと、つまり、僕はシルビアが好きだから結婚したいけど、シルビアはどう?ってこと」
「今更それを確認するのですか? 八年も一緒に居て?」
「こんな僕と八年も一緒にいるんだから、ちょっとは好きだと思ってくれてるのかなと勝手に考えてた。あれ、違う?」
本当に、いつまで経っても子供のような人だった。シルビアはライアンのこういう面に触れる度、呆れと愛しさが混じった、何とも言えない思いを抱く。
言って欲しいとは思っているのに自分から言うのは何処か気恥ずかしく、シルビアは視線を外すのと同時に僅かに話題を逸らした。覚悟を決める時間が必要だったので。
「そんな風に考えていたのに例の無遠慮な御令嬢とは随分と親しくなさっていましたわね」
「あの子はアランとサイラスとリチャードと殿下が好きだったんだよ。僕はおまけで側にいただけだし、あの子の話詰まらないから、そんなに親しくもしてないよ」
「あら、他の殿方にはご好評でしたのよ、あの子の話」
「みんなは好きだったのかもね。でも僕の話を聞いてくれる訳じゃないし、自分の話ばっかだし、シルビアみたいに話してて可愛いとも思わないし、詰まんなかったな」
カップを落とさずに済んだのは、淑女教育の賜物と言ったところだろう。極めて平静を装って音も立てずにカップを置いたシルビアは、目の前で焼き菓子を摘むライアンを横目で捉え、あらゆる感情を飲み込むように一度目を閉じてから、小さく吐息を溢した。
「ライアン様」
「うん?」
「ちょっと、ではなく、ちゃんと、です」
「……うん?」
珍しい形の焼き菓子を観察していたライアンの蜂蜜色の瞳が、シルビアを見つめる。無垢な少年のまま成長した彼の瞳はいつも、自分が興味を持った対象への光を宿して輝いている。
その目に映るのが自分だけであればいいのに、とシルビアはいつも、密かに願っていた。
「ちゃんと好き、です」
赤く染まる頬を誤魔化すようにわざとらしく呆れた笑みを浮かべたシルビアの視線の先で、ライアンが一度瞬く。
嬉しそうに弧を描いた瞳からシルビアが目を逸らすのと同時に、なんとも機嫌の良さそうな、邪気のない声が耳を撫でた。
「僕もちゃんと好きだよ」
「……そうですか、それは何よりです」
「良い式にしようね」
「ええ、そうですね」
「今、結婚式のための魔道具も考えてるんだ。花嫁さんが空から現れたら格好いいと思わない? 四肢に取り付けて空を飛べる風魔法のブレスレットとアンクレットを考えてて、」
「ライアン様」
「何?」
「申し訳ないのですけれど、それを用意してきたら離縁致しますわ」
「え? えっ? 駄目? 格好良くない?」
「離縁ですわね」
「駄目かあ……」
格好いいと思ったんだけどな、と肩を落とすライアンに再度溜息を落としたシルビアが、愛しさと諦めの混じった笑みを零す。
代案として提示された海から登場する方法もすげなく却下しつつ、シルビアは改めて、ライアンの側にいるのは自分で無ければ、という確信を強く持ったのだった。
半年後、二人は花婿が空から現れる前代未聞の式を挙げる羽目になるのだが、ひとつ、幸せな式だったことだけは確かだと記しておこう。
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