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第十六話 〈3〉

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 それにしても懲りないなあいつ……。
 そんなにお嬢様が──というより、『聖女様』が大事なのだろうか。そこまで大事だと言うのならば、少しは正面からきちんとお嬢様自身を見つめれば良いものを。

 アザンの口から出るのはいつだって『素晴らしき聖女様』だ。公爵令嬢でありながら聖なる力を持っているから凄い、という一点に評価が集約している。
 別にそれが間違いだとは言わない。が、それだけではあまりにもお嬢様に失礼だ。アザンはお嬢様がまるで完璧な聖人ででもあるかのように持ち上げるが、それはアザンの頭の中にいる理想の『聖女リーザローズ』であって、本当のお嬢様ではない。

 別に、俺だって、アザンがきちんとお嬢様自身を見ているのならばこんなにも邪険に扱ったりはしない……筈だ。多分。きっと。

「……? どうしたのよ、ウスノロ。そんなところに突っ立っていないで、早く部屋の準備をなさい。それとも、何処か負傷でもしていたというの?」
「いえ、そのようなことは」

 お嬢様をきちんと真正面から捉え、正しく関わるアザン、という存在を想像しかけた俺は、浮かびかけたそれを途中で軽く打ち消した。
 何故そんなことをしたのかは分からない。単純にそんなアザンは想像がつかなかっただけかもしれない。

 寮部屋に辿り着き、いつものように備え付けの湯船の準備をしろと告げたお嬢様が、一転して不安げな視線を此方に向ける。
 そこに浮かんでいるのは、純粋な『闇の魔力による負傷』への心配だ。

 異世界人の魂を持つ俺には、お嬢様の光魔法が効かない。そして、魔王──闇の魔力による負傷は、光魔法でしか治療が出来ない。ここから導き出される答えと言えば一つだ。
 聖女パーティの中で、俺だけ一人一撃必殺の死にゲーをしているのである。治療不可の身体を持って魔王戦に参加するとはそういうことだ。

 その点に関して俺のパーティ参加が今日までほとんど問題になっていないのは、ひとえに『俺の攻撃回避スキルが異様に上達しているから』でしかない。
 お嬢様との攻防を続けること早七年。俺は類稀な回避の術を身につけてしまっていた。ということは、同時にお嬢様もとんでもない追撃スキルを得ているということなのだが、まあその話は置いとくとして。

 ともかく、俺は『聖女の力を底上げすることが出来る』という点でパーティに選ばれ、尚且つ『攻撃を避けることが出来る』という点のゴリ押しで参加が許されているのだ。
 事情としてはやや違う訳だが、俺を聖女パーティに入れておきたい陛下の意向で表向きはそうなっている。

 そして恐らく、真っ当に育ちつつあるお嬢様は、俺が一度でも攻撃を受けたとなれば負傷した俺を魔王戦に連れて行くことを断固拒否するだろう。
 何せ、攻撃を受けたかもしれない、と思っただけでこの態度である。

「本当でしょうね? お前はわたくしの光魔法が効かない、不信心な無礼者なのよ! 気づいていないだけで負傷していた、となればそこから傷が広がることだって大いに有り得るのだから、もっときちんと確認なさい!」
「ご心配なく、何処にも傷ひとつ御座いませんとも」
「本当の本当に? 矮小な器とプライドが邪魔して言い出せないなどと言うことはないでしょうね!」
「そんなまさか。お嬢様ではあるまいし」
「なんですって!? わたくしの器はウルベルトシュ並ですわよ!」
「世界と肩を並べる気とは。まさしく世界級の尊大さ、流石としか言いようがありません、感服いたしました」
「また馬鹿にして! わたくしが珍しく真面目に心配しているというのに、お前って本当に嫌な執事だわ!」

 眉を吊り上げ怒りを露わにするお嬢様は、しかして真実、言葉通りに心配しているようでもあった。
 確かに、心から心配してくれている相手に今の態度は少々失礼だったかもしれない。
 売り言葉に買い言葉、というが、今のはどちらかというと少なくとも本人は売るつもりのない言葉を勝手に買ったようなものだ。

「申し訳ありません、私のような者をお嬢様が真摯に心配してくださるなどとは思っても見なかったもので。お気遣いありがとうございます、お嬢様。
 本当に傷ひとつございませんので、どうかご心配なく……と申し上げたところですが、どうやら私の言葉はどうやら信頼には値しないようですね」

 素直な気持ちを言葉にしてみたのだが、先の攻防が気に障ったのか、お嬢様から胡乱げな視線が向けられるばかりだった。
 うーむ、どうやら臍を曲げられてしまったらしい。本心から出た心配を揶揄われればそうもなるか。

「致し方ありません。信用できぬ、と言うのでしたら見て確かめて頂いても構いませんよ」
「………………え?」

 闇のものによる傷は、言うなれば呪いのようなものだ。多少包帯を巻いたり衣類で誤魔化した程度で隠し通せるものではない。
 だが、上着とベストがある状態で見たとしても信用ならない部分があるのは確かだ。せめてシャツの上からなら判断がつくだろう、と普段着込んでいる執事服の上着から袖を脱ぐ。

「足の方は問題なく歩けている時点で支障ないことが分かるでしょう。まあ、確認したいとのことでしたら構いませんが」

 ベストの前面を留める釦の一番上に手をかけ、外しにかかったその時、それまで固まったように動きを止めていたお嬢様がぎこちなく動き出した。

「いえっ、それは、あの、けっ、結構、いえ、でも、あの、そ、そうね、ちょっと…………だ、ダメよ!!」
「……ダメと申しますと、何か問題が?」
「何か問題が!? 何もかもが問題ですわ!! このっ、こ、この、ウスノロ!! もう結構よ!! 傷一つないと信用しますわ!!」

 かつてないほどの声量で怒鳴ったお嬢様は、真っ赤な顔で俺の上着を拾い上げると、思い切り顔面に叩きつけてきた。難なく受け取り、再度袖を通す。

 あとは風呂の用意をしてベッドを整えるから結局脱ぐんだけどな、と思いつつも襟を正していると、お嬢様は何やら憤慨した様子でどすどすと室内を歩き回り、今度は串ではなく人差し指で俺を指した。全く、よく人を指差すお嬢様である。

「お前!! 淑女と二人きりの部屋で突如ぬっ、脱ぎ出すだなんて、破廉恥にも程がありましてよ!!」
「はあ、脱ぐと言っても上着だけですが。というか、この後浴槽の用意の為に再度上着は脱ぐのですが」
「うるさい!! 馬鹿!!」

 別に全裸になる訳じゃあるまいし、と思いつつ言葉を返したのだが、単純な『馬鹿』を頂戴してしまった。こうなるともはや理屈も何も通じないので、此方が折れる他ない。
 嫌味な物言いや高慢な態度でいられるよりも、此方の方が余程厄介だったりするものだ。

 その後、何故か掃除のために上着を脱ぐことも許されなかったので、俺は上着ごと袖捲りをして浴室の準備を整えることとなった。なんでだ。





「そういえばウスノロ、ルナからお前宛に手紙を預かっているわ」
「私に?」

 就寝準備を終え、時間を置いたことで幾分落ち着いたらしいお嬢様が、ふと思い出したように書き物机の引き出しを開けた。
 長いこと文通を続けているお嬢様の机にはルナ嬢からの手紙が幾つもの分厚い束となってしまわれているが、その中にひとつ、普段とは異なる色合いの封筒が並んでいた。

 薄緑の封筒に混じる濃い藍色のそれを拾い上げたお嬢様が、ぶっきらぼうな態度で封筒を投げて寄越す。人様の手紙を投げるのは如何なものか、と思ったが、何か言うより早く、お嬢様はベッドへと潜り込んでしまった。

「確かに頂戴しました。それでは、おやすみなさいませ、お嬢様」

 俺からは、勢いよく潜り込んだせいで妙な方向に食み出ている金髪しか見えない。それでもいつもと同じく頭を下げると、布団越しにくぐもった『おやすみ』が返ってきた。

 受け取った手紙を手に、部屋へと戻る。
 ルナ嬢が俺に手紙を出すだなんて、初めてのことだ。一体何が書いてあるのだろうか。

 首を傾げつつ、俺はペーパーナイフを取り出し、藍色の封筒の封を切った。

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