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第二十一話 〈2〉

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「で、女神のそっくりさんであるお前は結局何なんだ?」
『私はミアス・ルーゲンスティア。複製元のウルベルトシュを作り出した創世の女神であり、封じられた魔の王であり、原初の人類全てを呪う害意の根源です』
「…………………………………………」

 こいつ分からせるつもりねーだろ、という言葉が俺の口から出ることはなかった。が、顔面の表情筋全てを使ってそれを主張した俺に、ミアスは瑠璃色の瞳を一度、ゆっくりと瞬かせた。 

『当然、疑問は尽きぬことでしょう。貴方からの疑問全てにお答えしたいのは山々ですが、時間は限られています。まずは私の伝えたいことを全てお伝えしましょう。質問はそれから。よろしいですか』
「まあ……よろしいけども」
『では、まずは此方をご覧ください』

 説明してもらえるというのならば聞こうじゃないか。素直に聞く姿勢を取った俺に、ミアスは片手を持ち上げると、揃えた指先で白い空間を軽く薙いでみせた。

 何もないように見えた空間が、ミアスの指先が触れた箇所から開かれていく。
 まるでスクリーンが下りるかのように色を変えた空間は、ミアスが手を戻すのと同時にある景色を映し出した。

 数多くの人々が行き交う、賑やかな王都。パージリディア国の見慣れた街並みだ。

『これは貴方が今カコリスと存在している世界────複製された並行世界としてのウルベルトシュです。〝救世の乙女〟を生み出す為に複製元のウルベルトシュをなぞり、ある一定期間の歴史を繰り返しています』

 ミアスが一度、手を振る。すると、そこには俺が見慣れた街並みによく似た────しかし決定的に違う光景が映った。
 街並みだけならばよく似ているだろう。だが、そこには人類と思しき存在は一人として映り込んではいなかった。
 静まり返った世界で動いているのはただ一つ、黒い泥を人型に固めたような、禍々しい存在だけだ。

『そしてこれが現在の、複製元である真なるウルベルトシュです。五百年ほど前からこのような状態で留めています』
「………………もう既に二、三聞きたいことがあるんだが、とりあえず続けてくれ」

 どことなく渋い顔になってしまった俺に構うことなく、ミアスは続けた。

『今から六千年前、私は創世の女神としてウルベルトシュという世界を生み出しました。それが女神として生まれた私の存在意義だったからです。
 新たな世界を作り、その行く末を見守り、どのような終焉を迎えたとしてもそれを観測することが私の義務でした』

 ミアスがまた、ゆっくりと片手を振った。
 切り取られた空間に映り込む景色が変わる。そこには晴れやかな笑みを浮かべる住人たちと、彼らの前で穏やかで愛おしげな笑みを浮かべるミアスが浮かんでいた。

『ですが、私は観測者としての立場を逸脱し、自分が作り出した世界に生まれた〝原初の人類〟へと手を貸してしまいました。私には自らの力で生命を繋ぐ彼らがひどく愛おしく思え、彼らが災害や争いで命を落とす度に、どうしようもなく心が痛んだのです』

 そう語るミアスの声には、感情の揺らぎは微塵もないように思えた。あくまでも淡々と、ミアスは続ける。

『全ての者が何の苦しみもなく、何の苦労もない世界を作るために、私は自身の神性を惜しみなく使いました。彼らは喜び、私に感謝の祈りを捧げ、それによって、女神である私の力は更に増しました。
 しかし、ある時から彼らは女神への感謝を忘れていきました』

 映像が変わる。快活な笑みを浮かべ、汗を流して働いていた住民たちは、徐々に派手に着飾り、働くことをやめ、ただ享楽と食糧を貪るだけになっていった。

『与えられる奇跡を当然のものと信じ込み、望んだ結果が得られないと知ると女神をひどく罵るようになりました。女神は全ての民を支え切れず、その力は徐々に擦り減って行きましたが、民たちは求めることをやめませんでした。
 そして、とうとう生活基盤を自身で支えられなくなった頃、原初の人類は思いを一つとしたのです』

 映像が変わる。蹲る女神を、多くの人が囲んでいる。衣類は擦り切れ、互いに争いでもしたのかあちこちに傷を負った彼らは、もはや武器を持つことすら忘れてしまったのか、拾い上げた石を女神に向かって投げつけていた。
 その全てが、彼女の身体をすり抜けていく。きっと、物理的なダメージはないのだろう。だが、女神の顔は青ざめ、その唇はかすかに震えていた。

『それは確かに呪いでした。彼らは一丸となって女神を呪ったのです。信仰によって力を得ていた女神が、呪いによってどのような変容をするかは私自身知りませんでしたが、答えはすぐに分かりました』

 映像が変わる。祭壇と思しき場所から湧き出る黒い泥の波と、逃げ惑う人々。
 腐り落ちるように溶ける彼らの絶叫は此処までは聞こえなかったが、それでも耳に悲鳴が残ったような気がした。

『人々の怨嗟を込めた呪いを受けた女神の神性は失われるどころか反転し、憎悪の塊となりました。全ての人類を飲み込み、殺し尽くすまで、あれ・・が止まることはない。私はそれを本能的に察しました。
 そして、自身が作り上げた世界を自身で滅ぼすことを恐れた私は、最後に残った神性を使い、〝憎悪〟を己から切り離し、世界の一角に閉じ込めたのです』

 そこまで語り終えたミアスは、止まった映像から視線を外し、隣に立つ俺へと目を向けた。

『ミアス・ルーゲンスティアから切り離された〝憎悪〟こそが、複製されたウルベルトシュでは〝魔の王〟と呼ばれる存在であり、今此処にいる私は、ミアスに最後に残った神性です。
 そして、貴方が出会った〝女神〟は、ウルベルトシュと同じく、私が自分自身を複製した存在です。力のほとんどを世界の複製に回したがために、彼女の複製はあまり上手くいったとは言えませんが……だからこそ新たな道が拓けたとも言えます。
 ひとまず、此処までの話はご理解いただけましたか?』
「……ああ、まあ、何とかな」

 頷いた俺の脳裏には、念話を使ってミアスと会話した時の問答が浮かんでいた。

 言葉が通じないが故に二択の答えでコミュニケーションを図った際、ミアスは『お前は女神か』という問いには答えなかった。そして、『魔王と呼ばれる存在か』という問いには肯定を返した。
 俺の発した『女神』が複製された存在のことであって、ミアスのことではなかったからだろう。

『では続けましょう。
 ウルベルトシュを複製した私は、世界の管理を複製した〝女神〟に任せ、自身は眠りにつき、意識のみで複製元のウルベルトシュを守るために世界に干渉しています。
 私の生み出した世界を壊さないためには〝魔の王〟を完全に排除する他ありません。ですが、元々は一つの存在である私と魔王は、互いに決定打を与えることができませんでした。
 そこで必要だったのが、〝聖女〟の存在です。人として生まれ、人の身で得た力でこそ、〝魔の王〟を浄化することができたのです』
「…………だから、何度も世界を繰り返してでも、『最強の聖女』を作り出そうとしたってことか?」
『その通りです。人類が光魔法を得てからの歴史を見た結果、リーザローズ・ロレリッタこそが光魔法の使い手に相応しいとなりました。彼女の光魔法への適性はこれまでに生まれた誰よりも高く、元より好戦的で戦いへの恐怖を持たず、人の上に立ち、敵を倒すことを好む性質でした』
「つまり、魔王を倒すためなら人格はどうでもいい、と無視したと」
『必要なのは〝魔の王〟を打ち倒し、複製元のウルベルトシュに平和をもたらす為の武器としての存在です。その武器がどんな人格を持っていようと、使う側にとっては関係はないでしょう』

 聞いているだけで頭が痛くなってくる話だった。やはり神には人の心は分からんのである────と、言いたいところだが、この場合はちょっと違うんだろう。
 目の前で言葉を紡ぎ続けるミアスの顔を見上げ、俺は小さく溜息を落とした。

 ミアスの表情はやはり変わらない。表情だけでなく、声音すら一定でブレがない。
 冷淡にすら聞こえるその声から『一切の感情らしきものが削ぎ落とされている』ことには、ちょっと耳を傾ければすぐに気づいた。

 おそらくこいつは、〝憎悪〟と一緒にあらゆるものを切り離してしまったのだろう。だから、『原初の人類』とやらを慈しみ愛する心があったはずなのに、裏切られたことへの悲しみや憤りも見せない。もうミアスの中にはないものだからだ。
 そして、ミアス自身もそれには気づいているに違いない。己がどうしようもなく変容してしまっていることを彼女は察している。だから、ミアスは度々、女神や魔王をまるで他人であるかのように語るのだ。

『世界の成り立ちについてはお伝えしました。次は、私が貴方を此処へ喚び出した理由についてご説明します』

 何一つ表情の変わらない顔で俺を見つめるミアスは、平坦な声で続ける。

『私は複製元の世界に干渉する存在であり、世界同士の狭間に位置する者です。故に、世界を跨いで言葉を交わす試みには齟齬が出ました。特異な魂を持つ貴方からの接触を通しても相互理解は困難であり、下手をすれば精神の崩壊を招きます。
 それを解決する方法として、私は貴方自身の魂を一時的にこの狭間に喚び出しました。この通り、此処では私も貴方も安全に会話をすることが可能です』
「ああ、まあ、そうだな。その点に関しては助かってる……んだが、やっぱり一つだけいいか」
『カコリスの身体ならば、意識を失っているだけで生命活動に支障はありません』
「………………そうか、なら良かった」

 良かった、と素直に言い切れる状況では無いが、『魂が抜かれたので死にました』と言われないだけまだマシだった。そりゃまあ、ミアスだってお嬢様が光魔法の使い手として全力で戦うためには俺が必要だって分かってるだろうし、殺す筈はないけども。
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