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第三十一話 〈1〉

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 ────かくして、世界には無事平和が訪れ、一月が経った。

 聖女パーティは任を解かれ、それぞれ本来の役職へと戻っていった。式典や周年祭の際には再び集まり国の安泰を印象付けることにはなるだろうが、この先は顔を合わせる機会も減っていくだろう。

 カルフェなんかは特にその傾向が強かった。パーティ解散の際、別れの言葉を告げてからすぐに居なくなった。そういう男である。
 多分、騎士団の宿舎に行ってもそんなには会えないだろう。元々、人と触れ合うのが苦手なタイプであるし。もしどうしても会いたい、となったらアーサーを通すのが一番手っ取り早い筈だ。
 騎士団上層部としてはいずれは副団長としてアーサーの右腕にしたい、という思惑があるらしいのだが……あの様子だとどうなることやら。少なくとも、本人は限りなく嫌がるに違いない。

 逆に、アーサーとは顔を合わせる機会はそれなりにある。次期総団長にとの呼び声が高いアーサーは、現在配置換えにより旦那様の側について働いている為、時折公爵家の屋敷にも顔を出すのだ。お嬢様の屋敷が王都に建つまでは、それなりに姿を見かけることがあるだろう。
 ちなみに、会うたびに少しげんなりした顔で『俺は事務処理が嫌いだ……』と零している。分かるぞ、俺も嫌いだ。しかし仲間思いで人望も厚く、実力も伴っているアーサー以外に総団長に相応しい男がいるとも思えないので、逃げ出して良いんじゃないか、とは言えない。頑張ってくれ。

 リィラルは宮廷魔導師として最も高い位を与えられ、最年少で魔導師団の長となるのではと期待を込めて囁かれていた。
 だが、リィラルはその期待の全てを裏切り、どういう手を使ったのかコラットン家とカルグス家からそれぞれ引き抜いた一級魔導師を引き連れ、『共同特別研究室』を設置した挙句────そこに『ルナ・ウィステンバック』を研究室所長に据えた。
 恐ろしいことにこの研究室、完全な独立機関である。聖女パーティとしての功労と、ルナ嬢の開発した魔法への報奨として設置が許された。家の柵をあらゆる物理で断ち切りに行った訳だ。

 ……言うまでもなく、かなりキレている。そりゃそうだ、あれだけの功績を上げたルナ嬢を、ウィステンバック家は未だに軽んじ、侮蔑の言葉まで浴びせたのである。いや、本当に、あれは酷かった。
 この世には何を言おうと矯正不可能な人間というのはいるものである。残念なことに。

 ちなみに、リィラルはルナ嬢に好きに研究を続けてほしいと思っているようで裏方に徹しているらしい。口さがない者たちはあれこれとやかく言っているようだが、二人にとってはそんなことは今更何の障害にもならないだろう。

 アザンは、……まあ、アザンはいつも元気だ。なんでか知らんがしょっちゅう会いに来る。
 別にアザンの顔は見たいとも思ってないんだが、彼が名を貸して立ち上げた孤児院にいるシャロンとリィナを連れていることがあるので会わない訳にもいかない。二人とも元気そうで何よりだった。
 魔王の被害に関わらず、身寄りのない子供というのは一定数存在する。アザンはそういった者たちに対し、なるべく助けになってやりたい、と思っているようだった。貴族第一主義だった男が何故そうも変わったのかといえば、何よりリィナの存在が大きい。

 リィナは圧倒的に低い自己評価に比べて、素晴らしい才能を持った子供だった。何より、居場所を求めるが故に必死に学ぶ。その様を見ている内に思うところが出てきたらしい。
 身分に関係なく優れた者は居るし、仮に優れていなくとも命あるだけで価値はある、と知ったアザンは、取りこぼされる者がいないように力を尽くしたいと思い始めたようだ。
 この辺りは陛下が力を入れようとしている政策と上手く噛み合うので、付与術師として以外にも福祉関係の仕事が増えていくことだろう。


 さて、そういう訳でそれぞれの道を歩み始めた聖女パーティの面々だが、俺はと言えば現在、四学年の必須科目から教科書を見直している。卒業証明資格を得るための勉強だ。
 五学年からでも足りるかと思ったんだが、いかんせん実践に寄りすぎているので四大属性への理解が足りなかったのだ。とりあえず分かる地点まで戻って進めている次第である。

 旦那様から直々に『今年中に取れ』と言われているので、ペースとしてはちょっと急ぎ気味だ。試験に挑むとなると、知識の穴抜けが多過ぎる。
 あと、魔法理論と実践だけではなく、普通に教養科目と歴史学が混ざってくるので辛い。ざっと目は通しているが、興味のないことを頭に入れるのは苦手だ。まあ、誰しもそうだろうが。

「うーん……俺暗記もの苦手なんだよなあ……年号やら死んだ偉人やら覚えて何になんだよ、って昔から思ってたし」
『年号だけを覚えようとするから良くないんじゃないか? 年号よりも歴史の流れで何が起こったか、の方が重要だと思う。同時期に各国で何が起こったか紐付けられないのなら本質は理解できないだろうし、ただの情報として捉えるのなら、それは結局知識にはならないんじゃないか』
「……駄目だ、カコリス。それはな、頭が良くて歴史に興味があるやつの考え方なんだよ……」

 言っていることは分かる。非常によく分かる。だが出来るかは別だ。あとやりたいかも別である。
 頭を掻きつつ、一先ず後回しにする。その他のまだマシな教科の間に挟みつつ消化することでなんとか良いものとして印象づける作戦だ。俺はこういうことをしないと大抵碌に覚えない。

 しかしまあ、お嬢様にどの口で嫌味言ってんだ、とはなるからやるけども。
 前世だったら絶対にやらなかったな。何故なら張り合うような相手も、怠惰で居ても恥ずかしいと思うような相手もいなかったからである。

 ペンを回しつつ教科書全体にざっと目を通す。何度か繰り返し、流れを把握しつつ詳細を頭に叩き込む段階にまで持っていく。俺は書いて覚える派なので、基本的に覚えたい事柄は繰り返し書くしかない。

 カコリスに念話に付き合ってもらっているのは、ラジオ的な感覚だ。多少別の音声を聴いていた方が覚えが良いタイプなのだ。逆に言えば、無音だと他所ごとに思考が持っていかれるとも言える。
 そういう訳で度々雑談を振ってもらっているし、俺も無意識で返しているのだが、覚え切れない単語を再度書き出し始めたところで、カコリスが不意に素っ頓狂な声を上げた。

『────はあっ!?』
「うお、なんだ、びっくりした。何かあったか?」
『こっちの台詞だ! ヒデヒサ、お前今なんて言ったか覚えてるか!?』
「ん? あー、えーと……ああ、そうだ。『お嬢様って好きな人がいるらしいぜ』?」
「その後は」
「『でも誰なのか教えてくんねえんだよな、専属執事続けるなら当主との相性は結構大事だと思うんだけど』……?」

 ペン先は一度止まった形のまま、紙の上に黒い染みを作っている。
 カコリスは俺の答えにしばらく無言になった後、ものすごくデカい溜息を落とした。凄まじく長かった。
 何だか妙な居心地の悪さを感じつつ、言葉を待つ。よく分からんが、俺は今怒られている気がする。なんでそんな気がするのかも分からんが。

『何がどうしてそんな流れになったんだ。何も聞いていないぞ』
「あー……悪い、色々あり過ぎたから説明してなかったな」

 というか、俺にとっては重要でも、カコリスにとってはどうでも良いかと思って言わなかった。お嬢様の結婚相手なんて、カコリスには興味もないだろうし。

 だが、それはどうやら俺の思い違いだったらしい。きちんとした説明を求めるカコリスに、俺は魔王討伐後に陛下の私室で聞いた話を伝えた。
 お嬢様は既に想い人が居て、聖女として名を馳せたお嬢様への求婚の全てを断り、自由恋愛ののちに結婚できる権利を得たという話だ。しかしその『好きな人』とやらにさっぱり思い当たる節がないのである。
 四六時中俺のような邪魔者がくっついていた以上、相手を探すのには苦労していたことだろう。もしかしたら手紙や何かでやり取りをしていたのかもしれない。そんな風に憶測を交えつつ話した俺に、カコリスは小さく呻き声を漏らした。どうした、胃でも痛いか。

『ヒデヒサ』
「おう」
『お前』
「おう、何だ」

 呼びかけられたので答えたが、念話は再び沈黙した。何かに思い悩む唸り声だけは聞こえてくるので、通話が切れている訳ではない。
 俺の話を聞きたがっている様子だが、もしかしたらカコリスの方にこそ悩みがあるのかもしれない。カコリスは勤勉で心優しい人間だし、なんでもそつなくこなすからあまり心配はしていないのだが、それでも何かしらのトラブルに巻き込まれることはあるだろう。
 相談くらいなら幾らでも乗るんだけどな、などと思いながら言葉を探していた俺に、カコリスはようやく、意を決したように切り出した。

『ヒデヒサ、これまでお前とそういう話はしてこなかったと思うから突然なんだと思うかもしれないんだが』
「何だよ、俺とカコリスの仲だぜ。遠慮せず何でも言えって」
『好きな女性というのは居るのか?』
「は?」

 やっぱり悩みのようなものがあったらしい、と耳を傾ける準備としてペンを置いた俺の脳内に、唐突な質問が降ってきた。突然なんだ。先に断りがあっても尚、思ってしまった。
 間抜けにも口を開けて固まった俺に、カコリスは気が急いた様子で咳払いを響かせる。

『いや、何、普段は恋愛話なんてしないだろう? そもそも其方の世界は魔王への懸念があったし、特にここ最近は緊迫した状況が続いていたし、そんなことを相談できる機会ではなかったというか……』
「ああ、なんだ。カコリスお前、好きな子でも出来たってことか。でもなあ、俺はあんまりそういう面では役に立たねえからな」
『恋愛相談なんてのは役に立つか立たないかじゃないだろう、話せる相手が信頼できるか否かだ』
「……それは確かに」

 至って真面目な口調で紡がれた言葉に、小さく苦笑を返す。信頼できない相手に恋愛相談なんぞした日には悲惨なことになる。思い出の少ない学生生活でも、遠巻きにそんな悲惨な光景をいくつか見てきた。
 カコリスが俺を信頼できる相手だと思ってくれているのは、素直に嬉しい。まあ、何より、世界が別だから何を言っても秘密は守られる、というのも大きいかもしれないが。
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