栞の魚と人魚姫

月兎もえ

文字の大きさ
上 下
10 / 21

魔女

しおりを挟む
「人魚姫!美味しそうなケーキがありましたよ!」人魚姫の部屋に戻ると、そこには人魚姫の姿はなかった。まさか、魔女の所に一人で行ったのだろうか?私は急いでお城中を探し回った。背後から、「みちる!」という怒鳴り声が聞こえた。お城に初めて入った時に会ったあのうるさい黄色い魚だった。
「お城の中をそんなに急いではいけません!全く!ぶつかったらどうするのですか?そうそう、姫さまが城の外へ行くのを見ましたけれど、一人で行くなんて珍しいですね。」
間違いない。やっぱり魔女の所に行ったのだ。
「ありがとうございます!」黄色い魚がまだ何か言っていたが、私は構わず駆け出した。

魚たちに聞きながら、魔女の住む森へ向かっていると、豊かに茂っていた海藻や花が突然 なくなり、ただ、灰色の砂が広がっている道に出た。突然別世界に来たようだった。その道を進んでいくと、枯れた木々の森があった。きっとあれが魔女の住む森だ。私は不謹慎にも少しわくわくしていた。怖いけど、興味深い。お化け屋敷に入るような感覚。そんな高揚感の中、私は森に足を踏み入れた。


森の中は薄暗く、不気味なほど静かだった。時々木の枝が、ポキポキと悲しそうな音を響かせていた。ふと、正面に見える木を見ると、ぎょっとした。木の隙間からは1匹の蛇が顔を覗かせ、私の方をじっと見ていたのだ。周りの木々もよく見ると、1匹では無かった。1本1本の木々の間には30匹ほどの蛇が全員こちらを見ていた。私は流石に怖くなり、全速力で泳いだ。後ろを振り返ると、蛇たちも木に隠れながらもついてきているようだった。
「勘弁してよ~!」
「その声はみちる?みちるなの?」人魚姫の声がした。
「姫様!良かった!みちるです!どこにいらっしゃるのですか?!」私はキョロキョロ周りを見渡すが、木と蛇しかいなかった。
「ここだよ。」おばあさんのような、しゃがれた声がした。すると、突然霧が出てきて、私の体を覆った。周りは真っ白で何も見えない。
「霧に息を吹きかけてごらん。」さっきのおばあさんの声がした。
私は言われた通り、霧にふぅーと息を吹きかけた。すると、蝋燭の火が消えるように、霧は簡単に消えていった。そして、目の前には人魚姫と、全身黒のいかにも魔女という感じの服装の人が立っていた。声の割に顔は若く、瞳は明るい茶色で、タレ目の優しそうな人だった。

「みちる!私を心配して来てくれたのね!ありがとう!」人魚姫は私に抱きついた。
「あんたは、この子の友達かい?だったらあんたからも言ってやっておくれ!人間になるなんてやめておきなって!いくら言っても聞かないんだよ。」魔女はため息をついた。
「まぁ!みちるは私の味方でしょう!みちるからも頼んで!人間になる薬をくださいって!」人魚姫は私の肩を掴み、激しく揺らした。
「何度も言っているだろう?人間になって、永遠の魂を手に入れられたからって、完全ではない。人間の誰かに愛し、愛されないと本当の人間の魂は手に入らないんだからね!しかも、もしお前が愛した人が他の誰かと結ばれてしまったら、お前は海の泡となってしまうんだよ?だったら、このまま授かった人魚の魂を長年全うした方が幸せだろう?」そういえば、絵本では、人間の魂はその一生は短いけれど、何度でも生き返ることができ、人魚の魂は何百年も生きられるけれど、一度きりで、その後は海の一部となると書いてあった気がする。
「それは何度も聞いたわ!王子が私を好きになってくれれば解決することでしょ??」
「随分自信があるようだけれど、愛されるのはそう簡単にはいかないんだよ。お前は薬で声を失ってしまうし、やっと手に入った足だって、一歩踏み出す度にナイフで、刺されたような痛みを感じる。そんなんで愛されるという保証があると思うかい?そのお前の好きな王子と話もできなければ、ダンスもできないんだよ。」
「だから、それも何度も聞きました!話さなくても、遊べるし、痛みは我慢すればいいじゃない。」
私は魔女と顔を見合わせて、ため息をついた。人魚姫は大人しくて、思慮深い子だと思っていたけれど、意外と、こうと決めたら譲らない頑固な子だったみたいだ。
「人魚姫、私も魔女さんに賛成です。仮に人間になれても幸せならなれる保証はありません。」そう、全くないのだ。人魚姫は泡になってしまうのだから。
「みちるまでそんなことを言うの?あなたなら分かってくれると思ったのに。」人魚姫は悲しそうな顔をした。
「さぁさぁ、お友達もそう言ってることだし、帰りなさい。蛇たちに送らせてあげよう。」
人魚姫は顔を上げた。「いやよ。」小さな声でそう言うと、木の枝を一本折ってきたかと思うと、自分の喉元に突きつけた。
「薬を貰えないならここで死ぬわ!憧れているだけの夢なんて、持っていても辛すぎるもの!死んだ方がましよ!」人魚姫は悲痛な声で言った。
どうしよう。この子は本気だ。
その時、蛇が人魚姫の背後から顔を覗かせ、ゆっくりと近づき、枝を奪った。人魚姫は枝をとりかえそうとしたが、蛇は腕に絡まり、動けなくなった。良かった。私はホッとした。
「全く、油断も隙もないね。さて、どうしようかね。いくら私たちが言ったって聞きやしないし、ほっといたら死にそうだし。」
確かにそうだ。今は拘束できていても、このままというわけにはいかない。解放すれば、きっと同じことを繰り返すかもしれない。
「お願い。薬をちょうだい。お願いします。」人魚姫は震えた声で言った。今までにない悲しそうな声だった。
魔女は溜息をついた。
「しょうがないね・・そこまで覚悟しているなら薬をあげよう。」
私は魔女に詰め寄った。
「いけません!泡になってしまうのですよ!それが分かっていてどうして!」
魔女は私を無視して、拘束している蛇に「もういいよ」と言い、人魚姫に薬を手渡した。
「さぁ、行きなさい。陸に出て、この薬を飲めば、足が手に入るよ。」人魚姫の瞳は輝き、大事そうに薬を抱きしめた。
「ありがとう!魔女さん!みちる!行ってくるわね!」ディズニーランドに行ってきます!とでもいうように、人魚姫は嬉しそうに泳いで行った。
「待って!」私は急いで人魚姫を追いかけようとしたら、蛇たちが道を塞いだ。私は魔女を睨んだ。
「通してください。」
「そう、怒りなさんな。お前さんの気持ちはわかるよ。私と一緒さ。けれどね、人魚姫はどうだろうね。」
「気持ちより、人魚姫の幸せを考える方が大切です!早く通してください。薬を飲んでしまいます!」
「そうだね、それは凄く優しいことだ。でもね、その子の気持ちを考えない幸せなんて、本当にあるのかね?」
「は・・・?」何を言っているんだろう?人魚姫の気持ちを考えなきゃいけないなんて分かっている。分かった上で言っているのだ。
「まぁ、いつか分かる時がくるよ。」そう言って、私に白い小瓶を手渡した。
「何ですか?これは?」魔女は微笑んだ。
「ここで、私からお願いだ。この薬は魚が変身できる薬だ。お前さんなら白鳩に変身できるよ。対価も、副作用もないよ。この薬で変身して人魚姫を手助けしておあげ。」いろいろと疑問はある。元々このまま魚の姿がいいと思っている訳ではないので、別に白鳩でもいいが、何で白鳩なのか、本当に副作用はないのか・・でも、そんなことよりも、人魚姫を助けたい。
「ありがとうございます。」人魚姫に薬を渡した恨みはあるが、悪い人ではなさそうだ。見かけは違うけれど、何か千と千尋の銭婆みたいだな。
「人魚姫を頼むよ。さぁ、蛇たちが人魚姫の所に案内してくれるよ。お行き。」
蛇が私の前に出て、こくこく、と頷いていた。さっきまで怖かったけれど、ちょっとかわいいな。
「怖がらなくてもいいさ。この子たちは私の子どもたちだ。誤解されやすい子たちだが、いい子たちだよ。」
「はい。」私は蛇の、頭をなでた。蛇は気持ち良さそうにしていた。人生で、蛇の頭を撫でる時が、くるなんて。
「お前さんも、無理しないようにね。」魔女は心配そうに私を見た。
「大丈夫です。行ってきます。」「あっそうだ。ちょっと。」魔女はそういうと、私の頭をポンポンポンと優しく叩いた。「ちょっとしたおまじないさ。」
「?、ありがとうございます。では。」私は蛇の後を追いかけて泳ぎだした。魔女は私の姿が見えなくなるまで、見送ってくれていた。
しおりを挟む

処理中です...