後宮の下賜姫様

四宮 あか

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第6話 金5両分

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 相手が同じ妃であれば、こちらがどれだけ腹が立っていたとしても、へりくだり妃の怒りのはけ口の矛先を私に向けぬようにとしなければいけなかったが相手は下女だ。
 誰かの女官であれば人物によってはたとえ私より身分が低い女官でも手出しは出来なかったが。
 幸いあちらは後ろ盾のない下女である。
 
 というか、本来下女が一時の感情で宮の主を巻き込み私物を駄目にするなんてやってはいけないことである。


 どのようにしてやり返してやろうかと琳明は楽しげに鼻歌を歌っていた。
「今日はとても楽しそうですね、何かいいことがおありになりましたか?」
 香鈴は楽しげな琳明にそう質問した。
「えぇ、後宮は退屈でしたがようやく暇つぶしになるようなことを見つけましたの」
 にんまりと笑う琳明にゾクリとした香鈴は顔をひきつらせた。主は笑みを浮かべていらっしゃるがよろしくないことを考えていることがわかったからだ。
「そ、それはよろしゅうございました」


 蹴落とすか蹴落とされるかは琳明にとって日常茶飯事だった。琳明が薬屋を継ぐことになるならば、敵は弟だけではなかったからだ。
 祖父は弟に店を継がせたかったようだったが、独立してない祖父の弟子や父の弟子もまだ店にいたし。薬屋はこの街に葛の葉だけではない。女の薬師の地位は低く琳明が成功するためには周りは敵だらけだったのだ。


 一張羅が駄目になったことはものすごく腹が立つが、退屈な後宮での暮らしにほんの少しやることをみつけた琳明が動き出したのは早かった。
 下女が手を出したのは、虐められても黙っている気の弱いお嬢様でも、原因を探らず侍女に怒鳴りつけるだけのお嬢様でもない。

 何かあれば自ら頭を下げねばならぬ女主となることを目指していた琳明だったのだから。



 いつも通り、天気のいい日は女官を一人連れて琳明は後宮を散歩する。
 でも今回の散歩は薬草とりだけが目的ではない。
 情報収集である。商売柄人の顔を覚えるのには自信がある、薬屋は顔だけではなく相手の持病なども把握しないといけない。下女の顔を覚えることくらい琳明にはたやすいことだった。


 いつも通り、薬草を摘み取りながらあたりに視線を配り、あたりの声を拾う。どれだけ腹が立っても、動くときは1回で決めないといけない。
 だからこそ慎重に慎重に、そして周りに悟られぬように琳明は周到に情報を集めた。


 下級妃賓は王のおこしがなく荒れている人が多いこと。そんな妃の下についている女官は地獄らしい。王のおこしがないことの苛立ちや他の女のところへと足を運んでいるのではという嫉妬からあたられる女官はたまったものではないという愚痴、さまざまな情報がのほほんと庭を散策する琳明の元に集まって行く。

 立場の弱いものへ強いものが圧をかけるのはどこも同じか。


 一番の面白い話は衣の被害が私だけではなかったということだ。下級妃賓付きの女官はいつ自分の主の衣が汚されるのではないかとピリピリとしているようだった。
 今回やられたのは私以外に3人の妃の衣であった。いずれも狙ったかのように高価な絹地で泥の汚れがめだつ淡い色ばかり。
 当然やられたほうはたまったものではない。どうしてちゃんと見ておかなかったのという叱責が女官に飛んだそうで、女官は交代で日陰で干している衣が泥で汚れぬようにと見張りをしているようだ。
 まったく下女のせいで無駄に人員を割かれるという最悪な事態だ。



 今日も情報を集めて自分の宮に帰った時だった。
「琳明様!」
 そういって走ってきたのは香鈴だった。
 私の宮には、えっさほいさと荷物が次々と運び込まれていた。
「な……何事ですか」
「それが、それが」
 香鈴は混乱しているようで、なかなか言葉にしない。
 それもそのはず異常な量の荷物が琳明の宮に現在進行形で運び込まれているのだから。

 私に気がついた荷運びの者が責任者を呼んできて小太りの男が現れ膝をついて挨拶をする。
「これは、琳明妃さま、お初にお目にかかります。私は後宮のほうに定期的に物を売りに来ております。チョウ 孫卓ソンタクと申します。このたびは……王から饅頭の材料を琳明妃さまに都合してやれと頼まれまして――多少量は多いのですが、金額通りですのでご了承を」
 さすがに運び込んでいる量が尋常ではないとこの男はわかっているようで、軽く説明をした後目をそっと逸らした。
「饅頭の材料ですって!?」



 宮の中には大きな袋がすでに何袋も詰め込まれている。
 宮に入り手前にある袋を検める。混じりけなし、真っ白。一目で上等だとわかる小麦粉だった。私が品物を改めている後ろから、大変なことをやらかしている自覚のある孫卓がそっと顔をのぞかせ言葉を紡ぐ。
「今日は快晴ですが、雨にあたりますとせっかくの代物が傷んでしまいますゆえ中に運ばせてもらいました」
 私の部屋は備蓄庫じゃないってーの。何袋あるのよ、これ全部小麦粉? 一、二、三ひいふうみいと指で大きな袋を数える。
 運び込まれた小麦粉は今の段階ですでに20を超えている……


「えっと、孫卓さん。注文は具体的にどのように受けたのかしら?」
「大変申し上げにくいのですが、饅頭の材料を金5両分ほど都合せよと……」
「金ごっ・・・・・・5両ですって!? この部屋饅頭の材料だらけになるわよ。というか入るの?」
 思わず大きな声がでた。 


「おそらくですがこの部屋の大きさですと、ご用意した小麦粉をいれるだけで精いっぱいかと。さらに申し上げにくいのですが、餡の材料もございます。私どももなるべく持ち込むのが少なくなるように、上等の物を用意する努力はしたのですが、いかんせん金5両分ですから……」
 注文の段階で大変な量になるとわかったが王に助言などできるわけもなく……、それなら、数を減らしたほうがいいだろうとなるべく高価な物を用意することで努力をしてみたが、いかんせん金5両分だからどう頑張ってもそれなりの量になってしまいましたというのだ。
 小麦粉だけで、部屋がこのありさまなのに、さらに餡の材料って野菜もこの部屋にくるというの? 嘘でしょう……


 同じ金5両もあれば、あの駄目になった衣の買い直しがあっさりとできたのに、私に届いたのはまさかの饅頭の材料。
 思わず額を抑えてよろめいてしまう。


 後宮で饅頭屋なみに饅頭を作る必要などない、せいぜい身内で食べる量あれば十分なのに、なぜ金5両などというとんでもない注文がされ、それが受理されてしまうのか……
「孫卓さん、お願いこれだけの量をこの宮にいれるのは無理だわ。全部搬入しなくてもわかるわ、そのことはあなたもわかっているでしょう?」
 思わず琳明は張 孫卓に泣きついた。
「はい、存じ上げております。しかし品物を持ってこないわけにはいかないのです。私どものの立場もご理解いただけたらと思います。」
 琳明の泣き落としにたいして、張ははっきりとそう答えた。そりゃそうだ、ちょっとした不祥事で王宮との取引がなくなっては大変である。


 琳明の嘆願は叶わず、おそらく、備蓄のしやすさを考えてくれたのだろう。餡の材料の野菜より、小麦粉が部屋にぎっしりと、それは普通に備蓄用に積むかのように天井まで高く積み上げられた……
 通常女ばかりの後宮であの高いところにある小麦をどうやって下すの? など問題は山積みだが、外に出しておくわけにもいかない。
 あまりの予想外の事態に思わずキーーーーっと頭をかきむしりたくなる。
 部屋の外には入りきらなかった野菜がたっぷり、いやごっそりと運び込まれる。

「それでは、金5両分確かに……運びましたゆえ」
「まって」
 帰ろうとする孫卓を呼びとめる。
「はい」
 孫卓もこの惨状のひどさに苦笑いを浮かべながら立ち止まる。
「私……後宮に饅頭づくりの道具など持ってきていないの。だからどれだけ上等な材料を賜っても、これでは饅頭はつくれないのよ。王のお望みは私がここでも饅頭を作れるようにだと思うのです。だから、どうか金5両すべて饅頭の材料ではなく、饅頭をつくる道具を用意するのにも使ってほしいのです。もう材料を準備してしまったことは理解しています。ですが、どうかどうか……」
 思わず涙目になってしまう。
 こんなもの置いていかれたらどうしたらいいんだ。野菜は備蓄出来るように洗って干したりするにしてもスペースを取るのだから。


 孫卓はちらりと積み上げられた備蓄のような小麦の山と、部屋の前にごっそりとある野菜の山をみてため息を一つついた。

「かしこまりました、金1両分ほど使ってなんとかそちらの準備をいたしましょう。ご希望はございますか?」
「とりあえず、基本の道具を人そろえ。饅頭を楽しむには、御茶も必要だと思うのよ。後は私の家に、以前使っていたものがありまして、それもできれば持ってきていただけると。できれば雨が降るとまずいのですぐにでも……」
「かしこまりまして、野菜は傷むもので、小麦をその分ひきとらせていただきます」
 孫卓は頭を下げ、小麦を一両分持ち帰るぞと指示を出すと、琳明の部屋から小麦が運び出される。
 どこで寝たらいいんだから、なんとか通って寝ることができそうなくらいには小麦は減った。
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