後宮の下賜姫様

四宮 あか

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第21話 人を信じること

……なんて、馬鹿なことをしたの。向俊と出会ったことで、ついつい疑わないといけない男のことを疑わず、かつ時間がないとせかされ承諾してしまった。
 そのせいで本来いてはいけない市井に妃の私が降りてしまった。業者は私を市井にやったことで、どんな結末になるだなんて想像もしていないだろう。
 だって私は、妃の衣ではなく下女の衣を着ていた。
 下女が一人後宮からいなっても、おそらくすぐには発覚しない。


 そもそも逃がした人物が下女であれば捜査をきちんとすることすらないだろう。
 だが、逃がしたのが妃となれば話が違う。




「お祖父さま、いつも着ていた私の仕事着をすぐに用意してください」
「お前は本当に物事を決めたらせっかちな子だなぁ」
「ごちゃごちゃ言うのは後で、このままではお祖父さまも、大事な店もただでは済まないことになるのはおわかりでしょう?」
 琳明がそういうと上游はあわてて部屋から出て行った。


 部屋に残った向俊が心配そうに琳明を見下ろした。
「琳明」
 名を呼ばれて、今度は迷うことなく琳明は彼の胸に飛び込んだ。
 だって、次なんてないかもしれないから。
 後宮に入ることになり、琳明が一番後悔したことは向俊のことだった。
「向俊どうかご無事で」
 離れることを惜しみ、ようやく世の恋人のように琳明は向俊にたいしてふるまった。
 向俊の腕がぎこちなく琳明の背に回った。
 本当に抱きしめ返してもいいのか? と問うようだった。


 切磋琢磨する毎日のなか、不器用ながらまっすぐで偽らない彼に惚れたのだ。
 私は今は一介の町娘ではない。手を出される可能性がほぼないとはいえ、現在は王の妃の一人である。
 それでも、琳明は手を伸ばした、愛しい人の顔に。
 彼との間に恋人らしいことなど一つもなかった。
 恋人同士をすっとばしての結婚の申し込みは幾度となくあったけれど……
 恋人らしいことを最後になるかもしれないからこそ、彼と一つくらいしたかったのだ。


 向俊の頬をなで、流石にここまですればわかるはずと、恥を忍んで琳明はそっと目を閉じた。
 さすがの向俊も琳明の意図がようやくわかり、ぎこちなく琳明の腰を引きよせ、唇をほんの少しだけ重ねた。
 ほんのひと時の離れがたい時間はあっという間に終わり、名残惜しげに琳明を部屋に残し向俊は琳明がうまくやると信じて、自分が疑われたときに証人してくれる人を作るために武官の仕事へと向かった。



 思い出はできた。
 後宮には膿が沢山あることは事実だろう、だけどそれを解決するのは玲真の仕事で琳明の仕事ではない。
 琳明が一番何とかすべきことは後宮の厄介事を解決することではない。
 自分が捨て駒にならないように、敵の思惑から逃れることだ。
 私のすることは玲真の思い通りの結末にするのではない、自分が罰せられないように自分が罪をかぶらないように動くまで!


 勝負服である饅頭売りをしていたいつもの衣に袖を通すと、祖父に向かって琳明はグッとこぶしを握って見せた。
「うまく立ち回れ琳明。助けはいるか?」
「もう必要ないわ。後宮へは自力で戻るから大丈夫。ただ銀杯を貸してください」
「かまわんよ。必ず返しに来いよ琳明」
「もちろんそのつもりです」
「よし、わしも散歩から帰ろうかのう……」
 祖父はそういって琳明より先に部屋を後にした。


 琳明は髪をあげて一目散に目的の場所へと向かった。
 顔を隠そうとすれば余計に目立つ、だからこそ、琳明は堂々と人ごみに紛れ道を行く。
 そう、琳明を後宮へ戻すことができるだろうある人物のところへ。




――――


「孫卓様」
 表の売り子が、困り顔で孫卓のところにやってきた。
 表の責任者ともなるとただ、仕事ができるだけではだめだ、この売り子も曲者でたいていのことは一人で解決する。
 にもかかわらず、わざわざ自分を呼びに来たということは、売り子を遣り込めた厄介な人物が現れたということだ。
 張 孫卓は重い腰を上げた。
「安い茶葉に少しだけ高い茶葉を混ぜて出してやれ。菓子はそうだな、見栄えがいいがあまり売れ行きが良くなくだぶついたのがあっただろう。あれも出してやれ」
「菓子までですか」
 さて、厄介な客はどいつだと孫卓は思っていた。


 大店をやってれば、厄介な客など一日に2,3人は来るもんだ。上を出せといわれても普通は店の一番上のものなんて出てくるわけがない。表だけでうまく解決してしまうのだ。
 ということは、少なくとも相手は出された相手がこの店の主である孫卓ではないと見抜き、かつこの売り子が上を呼びに行くほどうまく立ち回ったのだ。
 怪しい動きをするやつが、連日店の様子を探ろうとしていた。
 表の連日もピリピリとしていた、ここらで一度顔を出しておいたほうがいいだろう。


 はてさてと重い腰を上げた張は、珍しい銀の髪を持つ客の顔をみて固まった。
 それほどの衝撃だった。
 商人として上に上り詰めるために何が必要か、それは短い時間であっても、金になる客の顔を覚えられるかどうかだ。
 張も例外ではない、人の顔を覚えることには自信があった。
 だからこそ、戸惑う。なぜここにいる……と。
 ここにいるはずがないと思うが、張はそれを口には出せない。
 それほど、張の今目の前にいる人物は本来ここにいてはいけない人物だからだ。


「いつぶりかしら、あの時はどうもありがとう。あなたが機転を利かせてくれたおかげで助かりました」
 何を言うかと身構えていた孫卓だったが、琳明があの出会った日のことを話しだした。
 私のことを覚えているでしょう? と言われたも同然だった。

 間違いなく目の前にいる少女はあの時の妃さまで、話を持ち出したことから妃として自分の目の前に現れたことを知り、流石の百戦錬磨の大店の主とはいえ慌てた。

「これは、お久しぶりでございます。このような店の入り口に近い部屋ではなく奥の部屋を用意いたしましょう」
 従業員に使う言葉とは違い改まった言葉を孫卓は即座につかった。
「それは助かるわ。自体は火急を要するの」
(私がここにいてはまずいことに彼も気がついたようね。さすが後宮と取引できるだけある大店の主だわ)
 琳明はニッと笑った。


 奥の部屋に行けばいくほど家具や飾りが豪華になるのが、商家での常識だ。
 大店にもなると、奥へ行けば行くほど、後宮顔負けの見事な家財があるものだからさすが大店と感心した。
 張孫卓が身につけているものも、後宮で見た時よりもずっと上等な布で作られたと一目でわかる。
 後宮では下級妃賓に配慮した格好だったのだろう。
 孫卓が手で合図をすると、控えていた小間使いが去っていく、人払いをしたのだろう。


「さて、さて、こんなにお早く市井で貴方様にお会いするとは思いませんでした。まだ年期は開けていないでしょう?」
 孫卓は穏やかな口調で琳明にそういうが。
 これは、立場が明らかに悪い状態で自分のところに来ているんだぞと琳明に言っているも同然だ。
 現に部屋に通されたのに、琳明はまだ座っていない。

 琳明を上座と下座どちらに座らせるのかをまだまだ、孫卓は考えあぐねているようだった。
 だけれど、こんな口先だけの嫌味に同様する琳明ではない。
 ニッコリと口先だけに笑みを浮かべて、孫卓の立場をわからせようとする発言を認め流す。
「そうね、まだ年期はあけていないわ。だから、あなたのところに来たのよ」
 人のいい笑顔で孫卓は笑う。
 だがそこには、琳明を値踏みする明らかな圧があった。
 ただ、身につけているものが以前後宮で見たときよりもずっとずっと豪華な衣になるだけで、なんという印象が変わるものだろうかと琳明は思った。


 だが、ここで押し負けるわけにはいかない。
 だって、琳明は市井にすでに降りてしまった。
 ここで失敗すれば、琳明を待つのは死のみだ。


 孫卓はしばし思考したのちに、琳明を上座へと座るように促した。
 とりあえず、私の話を聞くまではかろうじて客として扱ってくれることにほっと胸をなでおろすが、そんなことを表情にだせばあっという間に食われてしまう。
 だから、これは当然のことなのよと言わんばかりに、迷うことなく琳明は孫卓がこれ以上促すのをまたず、上座にどかりと腰を下ろした。

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