アカンよ! 五月先生

北条丈太郎

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女教師と男子生徒

後手後手の五月先生

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その日、五月は朝から忙しかった。早めに出勤し、手っ取り早く事務を済ませた。
10時には業者が来る。自分が受け持つ国語の授業の準備を済ませ、報告書も作成する必要があった。
「おはよう五月、早いわね。あら? その報告書、例のガラスの件ね」
麻彩は五月が懸命に書き込んでいる書類を見て思わず笑った。まだ職員室には人が少なかった。
五月は人差し指を口に当て、小声で話すよう麻彩に目配せした。
「…………」
「それはいいけど、部費を使うんなら一応、部員たちに説明しないとねえ」
「…………」
「まあ、五月の好きにしたら。アンタは将棋部の顧問なんだし。副顧問は顧問に任せるわ」
興味なし、といった表情で麻彩は突き放すように言った。
昼休み。
五月の招集によって将棋部部員は部室に集合した。副顧問は欠席した。
「おお、ガラス直ってますね、先生」
英樹が笑いながら扉を開け閉めした。
「ドアも大丈夫っぽいすね。さすが先生、仕事速いっすね」
言いながら英樹たち部員は次々と部室へ入った。
「あの、先生。お話の前にお昼ご飯食べてもいいですか?」
さっさと席に着いた麻衣が五月に尋ねた。
「……」
五月はつい、麻衣の屈託のない笑顔を見つめた。
「アタシ、この後生徒会あるんで。お先にいただいちゃいます。ハイ真ちゃん。ここ座って」
麻衣は真之介を手招きして自分の横に座らせた。
「ハイお弁当。これが真ちゃんので、こっちがアタシの」
麻衣は鞄からちゃっちゃと弁当箱を取り出し、机の上に並べた。
「俺の分は? ないよなあ……」
英樹はつぶやきながらカツサンドを取り出した。
その光景を呆然と見ながら、五月も着席した。
「じゃあ、食べながら聞いてね。将棋部の部費の件だけど……」
「どう? 真ちゃん。指が痛かったらアタシが……」
「おいおいお前らアーンとかふざけんなよ。殴るぞ! イチャつくの禁止!」
「うるさいな英ちゃん! アンタだって、こないだ中庭で一年の女子と……」
「アレは違うって。つうかお前ら、そういうのは人のいないとこで二人っきりでやれって!」
真之介は会話に加わらず、もそもそと弁当を食べている。
「……と、いうことでガラスの修理代は」
もはや、誰も五月の話を聞いていなかった。
「あれ? 先生。ご飯ないんですか?」
ニコニコ笑顔の麻衣が小首を傾げて五月に尋ねた。
「…………」
「よかったら、アタシのおかず少し食べます?」
目の前に差し出された弁当の中身は、色とりどりで食欲をそそるものだった。
「ああ、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて……」
空腹に耐えかねた五月は頷いた。麻衣の料理の腕にも興味があった。
「あっ、でもお箸が……」
その様子を見ていた真之介が食事を中断し、自分の箸を差し出した。
「先生、どうぞ。それに俺、食いきれないんで。俺の分も少しどうぞ……」
「真ちゃん! それはない! アタシ怒るよ!」
顔を真っ赤にして麻衣が立ち上がり、机をバンと叩いた。
放課後。
「それはもうアレね。間違いないわね」
五月の話を一通り聞いた麻彩がつぶやいた。
「……」
「保健室の件はともかく、杉田さんはもう五月のライバル決定だわ」
楽しそうに麻彩は何度も頷いた。
「ライバルって、何言ってんのよアンタ。そういうんじゃないって!」
すでに酒が入っているせいか、五月の声はいつもより大きかった。
そこは学校からはやや遠いショッピングモールのファミレスだった。
料理はイマイチだが、いつ来ても空いているのが利点だった。
「もうデキてるかどうかは怪しいけど、同じ部活だし、阿部君が押し切られるのは時間の問題ね」
「……まあ、高校生らしい交際なら、顧問の私がどうこう言うことじゃないわ」
「五月、今どきの高校生ナメすぎ。自分が不毛だったからって想像力なさ過ぎだから!」
麻彩は遠慮なく大声で笑った。
「ええ、ええ。麻彩と違って私の青春時代は不毛でしたとも! 恋愛なんて……」
五月の表情は一気に暗くなった。
「アタシだって、高校時代はそれほどでもなかったわよ。私の全盛期は大学時代……」
麻彩も遠い目になってテンションが落ちた。
「ねえ五月。いっそ将棋部なんかやめて、空手部の顧問になれば?」
「……それはないわ」
「え? だってアンタ空手……。それにファンが多いんでしょう? よりどりみどりじゃん」
「……空手とかそういうの、私もうウンザリだから……」
「いいなあ。男らしくって、若くて。なんならアタシが……」
「麻彩こそ、男子生徒にモテモテやん! 山井君だってさあ!」
「ねえちょっと、五月まだ飲むの? ここファミレスだよ?」
五月はいつの間にか酒のペースが進んでいた。
「山井君はアカンよ。ありゃあ女ったらしの素質あるわ。まあ、かっこええけどな。アレは危険な男や」
「やからって阿部君はいかんよ麻彩。アレはウチのもんや! ああ、真ちゃん可愛いなあ!」
ふと見ると、五月の目は泳ぎ気味だった。これは危険な兆候だ。麻彩は自分の酔いが急速に冷めた。
「おい兄ちゃん! 酒持ってこんかいアホンダラ!」
静かなファミレスに、五月の甲高い声が響いた。
「お兄さん、そろそろお勘定……」
麻彩が冷静に指をクロスしてウエイターを呼んだ。
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