『灰を駆ける者 ― ASH WALKER ―』

たーゆ。

文字の大きさ
14 / 41
第1部「灰の路」 第1章「焼け残り」

第14話「喧騒の中の静寂」➆

しおりを挟む
 街灯の薄黄色の光に照らされたリングに、若い女性が颯爽と現れた。
肩まで伸びた髪が夜風に揺れ、薄手のパーカーの背中にうっすら汗が浮かぶ。
手には小ぶりなグローブ、足首には軽く巻かれたトレーニング用のゴムチューブ。
 彼女はスマホをちらりと確認して、「来てみた!」と笑いながらSNSに投稿する。
その指先の動きにも、どこか舞台に立つような高揚感があった。
「えー、マジで殴られ屋ってやってるんだ?」と小声で呟きながらも、顔は明るい。


 見物人のざわめきが少しずつ膨らむ。
「おい見ろよ、構えてるぞ」「本気っぽい?」「いや、映え狙いだろ」
笑い混じりの声が空き地を漂い、スマホのライトがちらちらとリングを照らす。
 蓮司は黙って距離を計っていた。
両手を開いたまま、彼女の視線、呼吸、重心の揺れを観察する。
まるで空気の動きを読むように、ほんのわずかな変化を捉えていた。


 彼女が選んだのはオプションE――「武器あり」。
といっても、実際はスポーツチャンバラ用の柔らかい剣だ。
「へぇ、こんなおもちゃみたいなの使うんだ~」と笑いながら、蓮司の持つダッフルバッグを覗き込む。
中には、短刀、小太刀、長剣、杖、棒、槍が整然と並んでいた。
夜の湿気を吸い込んだビニールの表面が、街灯の光を反射して微かに光っている。
「ど、どれにしようかな……」
「短刀?小太刀?うーん、槍も面白そう……」
 観客たちはすでにリングの周囲に密集し、スマホを構えながら笑いを殺している。
「短刀が無難じゃね?」
「いや槍で前に出た方が映えるぞ」
「自撮りするなら小太刀一択w」
「でも長剣なら“戦ってる感”出る」
「どれ選ぶかで動画のバズり度変わるぞw」
女性はスマホを自撮りモードにしてリング越しに自分を撮る。


 片手で短刀を軽く持ち、角度を確認しながら「うん、映えそう!」と笑い、指でハートを作る。
観客の中から軽い拍手と口笛が起こり、空気が一瞬だけ明るく弾んだ。
「じゃあ、短刀にする!」
そう宣言し、再びスマホを操作して友人にメッセージを送る仕草を見せる。
「よーし、行くよ!」
リング上で軽くジャンプし、呼吸を整えると、短刀を振り上げた。
 最初の一撃。
振り抜く動きは速いが、力が入りすぎて軌道が乱れる。
それでも、その勢いに観客が湧いた。
「おお、振った!」
「かわいい、でも勇ましい!」
「動画撮るぞ!」
蓮司は軽く腰を落とし、上体を滑らかに後方へ引く。


 ――スウェーバック。
パンチや攻撃を“避ける”というより、“すり抜ける”動き。
ほんの数十センチ上体を引くだけで、相手の攻撃は空を切る。
反り返りながらも、膝でバランスを取り、すぐに前へ戻れるよう重心を保つのがコツだ。
彼の動きは最小限で、観客の目にはまるで“時間がずれた”ように映った。


「え、今の避けた?」
「早すぎて見えん」
「マジで当たらない!」
 観客の声が重なり、スマホの光がいくつも揺れた。
女性は笑いながらもう一度短刀を振る。
「ちょ、待って!見てて、ちゃんとやるから!」
勢い任せに踏み出す足音が、湿った板を鳴らす。
振り上げ、振り下ろし、横払い――リズムは不規則で、勢いに任せて形を崩す。


 それでも、その全力さに観客は惹かれていた。
「かわいいけど強そうw」
「映える!」
「もっと撮れ!」
「うわ、今ちょっと当たりそうだった!」
「マジで殴られ屋さんの動き速ッ!」
 スウェーバックで距離を外しながら、蓮司は相手の呼吸を読む。
攻撃が来るたびに、身体を滑らせるように避ける。
そのたびに観客の間で短い息が漏れ、笑いと歓声が入り混じる。


 彼女は息を切らしながらも、笑みを崩さない。
「よし、もう一回!」
スマホをリング上に構え、自撮りポーズを取りながら短刀を軽く掲げる。
観客からは「かわいいw」「盛れてる!」と笑いが飛ぶ。
 三分間。
女性の興奮、観客の笑い声、武器が空気を裂く音、そして夜風と汗の匂いが混ざり合う。
 最後の一振り。
蓮司はほんのわずかに上体をそらすだけで、それをかわした。
短刀が空を切り、静かな風がリングを通り抜ける。


 女性は息を整え、満足そうに笑った。
「やば、めっちゃ楽しかった!」
その笑顔に拍手が起こり、スマホのフラッシュが何度も光る。
 その一方で、蓮司の表情は変わらない。
リングの中央で、誰の歓声にも反応せず、静かに呼吸を整えていた。
まるで――
全ての音が遠のいていく中、ひとりだけ「虚無」を保とうとしているように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...