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第3話 初めての食卓
屋敷の大広間に足を踏み入れると、天井に吊られた燭台が夜を押し返すように明るく輝いていた。長いテーブルには白布がかけられ、金の縁取りの皿や銀器がきらめいている。壁際には葡萄や花をあしらったタペストリーが並び、窓から差す月光が床に細い帯を描いていた。
私は立ち止まり、その光景に圧倒される。社畜時代に見た会議室の冷たい蛍光灯とはまるで別世界だ。
「ようこそ、みなみ」
レオンハルトが席から立ち上がり、椅子を引いて待っていた。彼の仕草は自然で、私の居心地の悪さを和らげようとしているのがわかる。
「こちらへどうぞ。今日はあなたのために料理人たちが腕をふるいました」
「わ、私のために?」
「ええ。客人を迎えるのは我が家にとって喜びですから」
胸が熱くなる。誰かのために自分が理由になるなんて、いつ以来だろう。私はそっと椅子に腰を下ろし、深呼吸して姿勢を正した。
次々と運ばれてくる料理は、どれも見たこともないものばかりだった。白身魚を香草とともに蒸したもの、肉を果実のソースで煮込んだもの、焼きたてのパンと濃厚なスープ。彩り豊かで、香りは食欲をやさしく誘う。
「どうぞ、遠慮なさらずに」
「……いただきます」
小さな声で呟いてスープを口に含む。優しい塩気とハーブの香りが広がり、胃が驚いたように目を覚ました。熱が喉を通り過ぎた瞬間、思わず涙がにじむ。
「お口に合いませんでしたか」
「い、いえ! おいしいです。ただ、あまりに温かくて……」
言葉に詰まると、レオンハルトは目を細めて微笑んだ。
「食事で涙を流されるのは初めて見ました」
「すみません……昔はコンビニのおにぎりやカップ麺ばかりで」
「コンビニ?」
「えっと、前の世界にあったお店です。いつでも買えて、でも冷たくて、味わう余裕なんてなくて」
彼は興味深そうに首を傾げ、それから静かに言った。
「では、これからは温かい食卓を共にしましょう」
「……そんな簡単に」
「簡単です。あなたが座ってくれるだけで、この場は温かくなる」
顔が熱くなる。視線を皿に落とし、パンをちぎって口に運ぶ。外はぱりっと、中はふんわり。噛むたびに甘みが広がり、涙がまたこぼれそうになる。
「もっと召し上がってください。痩せておられる」
「は、はい」
彼の声は優しいのに、命令より強い。私は逆らえず、次々と料理を口に運んだ。体が欲しているとわかる。
食事の途中、ふと笑い声が聞こえた。視線を向けると、若いメイドのソフィが皿を運びながら、私を見て目を輝かせていた。
「お嬢様、とっても嬉しそうです!」
「ソフィ、静かに」アメリアがたしなめる。
「でも、本当に……まるでお姫様みたいで」
「お姫様だなんて」私は慌てて手を振った。
「そうだな」レオンハルトが柔らかく頷いた。「彼女は我が屋敷の姫君だ」
その言葉に、心臓が大きく跳ねた。冗談だろうか、それとも本気だろうか。視線を上げると、彼は真剣な眼差しでこちらを見ている。
やがて食事が終わるころ、ワインの赤が燭台に反射して、部屋を深い朱色に染めていた。私は椅子の背にもたれ、満ち足りた吐息をこぼす。胃も心も、長い年月の欠片が温かさで埋められていくようだ。
「ごちそうさまでした」
「どうでしたか」
「とても……幸せでした」
「それなら料理人たちも喜ぶでしょう。明日もまた一緒に」
私は小さく頷いた。ここでは、食卓に座るだけで「役割」になるらしい。そう思った瞬間、胸の奥の固い塊が少しだけほどけた気がした。
静かな笑みを浮かべる彼を横目に、私はカップの残りを飲み干し、揺れる灯りを見つめていた。
屋敷の大広間に足を踏み入れると、天井に吊られた燭台が夜を押し返すように明るく輝いていた。長いテーブルには白布がかけられ、金の縁取りの皿や銀器がきらめいている。壁際には葡萄や花をあしらったタペストリーが並び、窓から差す月光が床に細い帯を描いていた。
私は立ち止まり、その光景に圧倒される。社畜時代に見た会議室の冷たい蛍光灯とはまるで別世界だ。
「ようこそ、みなみ」
レオンハルトが席から立ち上がり、椅子を引いて待っていた。彼の仕草は自然で、私の居心地の悪さを和らげようとしているのがわかる。
「こちらへどうぞ。今日はあなたのために料理人たちが腕をふるいました」
「わ、私のために?」
「ええ。客人を迎えるのは我が家にとって喜びですから」
胸が熱くなる。誰かのために自分が理由になるなんて、いつ以来だろう。私はそっと椅子に腰を下ろし、深呼吸して姿勢を正した。
次々と運ばれてくる料理は、どれも見たこともないものばかりだった。白身魚を香草とともに蒸したもの、肉を果実のソースで煮込んだもの、焼きたてのパンと濃厚なスープ。彩り豊かで、香りは食欲をやさしく誘う。
「どうぞ、遠慮なさらずに」
「……いただきます」
小さな声で呟いてスープを口に含む。優しい塩気とハーブの香りが広がり、胃が驚いたように目を覚ました。熱が喉を通り過ぎた瞬間、思わず涙がにじむ。
「お口に合いませんでしたか」
「い、いえ! おいしいです。ただ、あまりに温かくて……」
言葉に詰まると、レオンハルトは目を細めて微笑んだ。
「食事で涙を流されるのは初めて見ました」
「すみません……昔はコンビニのおにぎりやカップ麺ばかりで」
「コンビニ?」
「えっと、前の世界にあったお店です。いつでも買えて、でも冷たくて、味わう余裕なんてなくて」
彼は興味深そうに首を傾げ、それから静かに言った。
「では、これからは温かい食卓を共にしましょう」
「……そんな簡単に」
「簡単です。あなたが座ってくれるだけで、この場は温かくなる」
顔が熱くなる。視線を皿に落とし、パンをちぎって口に運ぶ。外はぱりっと、中はふんわり。噛むたびに甘みが広がり、涙がまたこぼれそうになる。
「もっと召し上がってください。痩せておられる」
「は、はい」
彼の声は優しいのに、命令より強い。私は逆らえず、次々と料理を口に運んだ。体が欲しているとわかる。
食事の途中、ふと笑い声が聞こえた。視線を向けると、若いメイドのソフィが皿を運びながら、私を見て目を輝かせていた。
「お嬢様、とっても嬉しそうです!」
「ソフィ、静かに」アメリアがたしなめる。
「でも、本当に……まるでお姫様みたいで」
「お姫様だなんて」私は慌てて手を振った。
「そうだな」レオンハルトが柔らかく頷いた。「彼女は我が屋敷の姫君だ」
その言葉に、心臓が大きく跳ねた。冗談だろうか、それとも本気だろうか。視線を上げると、彼は真剣な眼差しでこちらを見ている。
やがて食事が終わるころ、ワインの赤が燭台に反射して、部屋を深い朱色に染めていた。私は椅子の背にもたれ、満ち足りた吐息をこぼす。胃も心も、長い年月の欠片が温かさで埋められていくようだ。
「ごちそうさまでした」
「どうでしたか」
「とても……幸せでした」
「それなら料理人たちも喜ぶでしょう。明日もまた一緒に」
私は小さく頷いた。ここでは、食卓に座るだけで「役割」になるらしい。そう思った瞬間、胸の奥の固い塊が少しだけほどけた気がした。
静かな笑みを浮かべる彼を横目に、私はカップの残りを飲み干し、揺れる灯りを見つめていた。
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