悪役令嬢として断罪され追放された私、辺境で拾ってくれた騎士団長に才能を見出され溺愛と寵愛の中で幸せに暮らしています―今さら戻ってこいもう遅い

さら

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第5話 小さな庭と紅茶の午後



 翌日、辺境の村にはめずらしいほどやわらかな日差しが降り注いでいた。夜のあいだに降った雪はすでに溶け始め、屋根の縁から透明な水滴がきらきらと落ちている。祭りの日――といっても王都のような華やかさはなく、村のあちこちで子どもたちが歌い、大人たちは露店を出して笑い合っていた。

 孤児院の前庭にも、色とりどりの布が張られている。焼いたパンとハーブティーの香りが風に混じり、誰もが穏やかな顔をしていた。私は修道女とミーナに手伝ってもらい、小さな屋台で紅茶を淹れていた。
「レティシアさん、すごい行列ですよ!」
「焦らずにね。茶葉は蒸らす時間が大事なの」
「はーい!」
 ミーナが笑いながらカップを並べる。湯気の向こうには子どもたちが踊り、ギルバートがそれを静かに見守っていた。

「団長さん、笑ってますよ」
「え?」
「ほら、あんなに優しい顔。珍しいです」
 ミーナに言われて目を向けると、たしかに彼の口元がわずかに緩んでいた。子どもたちの踊りを見ながら、まるで父親のような表情で。
 胸の奥がじんわりと温かくなる。こんな彼を見るのは初めてだった。

 お昼を過ぎたころ、ようやく人の波が落ち着いた。私は紅茶を二人分淹れ、裏庭に回った。雪の残る地面を踏みしめて進むと、館の裏に小さな空き地がある。そこに、昨日から気になっていた枯れた花壇があった。
 膝をついて土を掘り返す。まだ冷たいが、春を待つ匂いがする。
「……きっと、ここに花を咲かせたらきれいだわ」
「何をしてる」
 背後から声がして振り返ると、ギルバートが立っていた。
「驚かさないでください」
「こっちの台所に誰もいなかった。まさか庭いじりとはな」
「放っておけなくて」
「花なんて、すぐ雪に埋まるぞ」
「それでもいいの。――この場所、春になったら明るくしたいのです」
 彼はしばらく黙って私を見つめ、それから小さく笑った。
「好きにしろ。だが、凍傷には気をつけろ」
「はい、団長さま」
「ギルバートでいい」
「ふふ……」

 私が掘った土に、小さな木の枝を差し込むと、彼がしゃがんでそれを手伝ってくれた。
「王都では、こんなこともしなかっただろう」
「ええ。庭師に任せっぱなしでした」
「だろうな」
「でも今は、自分で手を動かすのが楽しいんです。こうして、誰かと一緒に」
 彼の指が、私の手に触れた。土の冷たさの中で、その体温だけがはっきりと伝わってくる。思わず息をのんだ。
 ギルバートは気づいていないのか、いつものように淡々とした声で言った。
「お前のそういうところが、この村を明るくするんだろう」
「私が、ですか?」
「ああ。花みたいにな」
 その一言に、頬が一気に熱くなった。彼は気づかぬふりをして立ち上がる。
「茶が冷める」
「あっ……はい!」

 裏庭のベンチに腰を下ろし、二人で紅茶を飲んだ。湯気の向こうで太陽が雪を溶かし、屋根からぽとりと雫が落ちる。
「……静かですね」
「ああ。戦も噂も、ここには届かない」
「そういう場所を、ずっと守ってこられたんですね」
「守りたかっただけだ」
「優しい人です」
「お前にそう言われると、くすぐったいな」
 彼は照れたように咳払いをし、紅茶を飲んだ。
 その横顔を見つめながら、胸の奥で小さな痛みと温かさが入り混じる。言葉にできない気持ちが膨らんでいくのを感じた。

「ギルバート」
「ん?」
「あなたは、どうして私を拾ってくれたんですか?」
 少し間を置いて、彼はゆっくりと答えた。
「雪の中で、お前が笑ってたからだ」
「笑ってた?」
「死にかけてるくせに、どこか穏やかな顔をしてた。見捨てられなかった」
 静かに語られるその声に、息を呑む。
「……あの夜、もしあなたが通り過ぎていたら、私はきっと……」
「通り過ぎるわけがない」
 彼の言葉は短く、けれど力強かった。

 風が吹き、庭の雪が舞い上がる。私は両手でカップを包み、微笑んだ。
「この村に来て、良かった」
「そう思うなら、もう迷うな」
「迷いません」
 そう答えると、ギルバートの灰色の瞳がやわらかく細められた。
 ふと、彼が懐から何かを取り出す。
「これを渡そうと思ってた」
 手のひらの上には、小さな銀の飾りがあった。雪の結晶を模した髪飾り。
「……これを?」
「お前の髪に合うと思って、鍛冶屋に頼んだ」
「ギルバート……」
「ただの礼だ。深い意味はない」
 そう言いながらも、耳の先が赤くなっている。私は微笑みをこらえきれなかった。

「ありがとうございます。大切にします」
「壊したら、また作ってやる」
「ふふ。約束ですよ」
「約束だ」

 雪の庭に光が差し込み、ふたりの影が並んだ。
 その光の中で、私はそっと髪飾りを胸に抱く。
 ――この人のそばでなら、きっと笑って生きていける。
 そう心の底から思った。

 風がやさしく吹き、溶けかけた雪がきらりと輝いた。
 紅茶の香りとともに、静かな幸福が流れていく午後だった。



 昼下がりの陽射しはやわらかく、雪解けの滴が軒先からぽつり、ぽつりと落ちていた。村中の笑い声や笛の音が風に乗って流れ、辺境の空気にほんのり甘い香りを添える。祭りの午後――それはこの土地にとって、冬の中に一瞬だけ訪れる春のような時間だった。

 私は孤児院の子どもたちと一緒に、布飾りを木の枝にかけていた。赤い布、青いリボン、そして乾かした花の輪。指先に少し冷たい風が当たるが、それすらも心地よい。
「レティシアお姉ちゃん! こっちの木にも飾っていい?」
「ええ、いいわ。高いところは危ないから、誰かが支えてあげてね」
「ぼく、やる!」
 笑いながら子どもたちが走り回る。冬空の下で、息の白さまで楽しそうに見えた。

「……ほんと、よく馴染んでるな」
 低い声が背後からして、振り向くとギルバートが立っていた。腕を組み、少し遠くからこちらを見ている。
「来てくださったんですね」
「様子を見にきただけだ。……いや、ミーナが“レティシアさんが張り切りすぎてる”と言うからな」
「ふふ、告げ口されたのですね」
「まったくだ」
 口ではそう言いながらも、彼の目は穏やかだった。

「団長ー! 一緒に踊ろう!」
「無理だ。俺は踊れん」
「えー!」「踊ってー!」
 子どもたちが取り囲むと、彼はひとつ溜め息をついてから、諦めたように微笑んだ。
「……少しだけだぞ」
「やった!」
 手を取られ、輪の中に引きずり込まれる。ぎこちなく一歩踏み出す姿を見て、思わず笑いがこぼれた。

「笑うな」
「だって、とても似合ってますもの」
「似合ってる……か?」
「ええ、意外と」
 彼が顔をしかめる。けれど、子どもたちは大喜びで手を叩いていた。

 音楽が途切れ、皆が一息ついたとき、修道女が温かいスープを持ってきた。
「団長さん、レティシアさん。よければこちらを」
「ありがとうございます」
 木の器から湯気が立ちのぼり、香ばしい野菜と肉の香りが広がる。ひと口飲むと、冷えた身体に染み渡った。
「おいしい……」
「この土地の味だ。素朴だが、悪くない」
 ギルバートも静かにスプーンを動かす。子どもたちの笑い声が続き、雪の上に靴跡がいくつも並んでいく。

 そのとき、空から一羽の白い鳥が舞い降りた。翼を広げ、まるで光を映したように輝いている。
「わあ……!」
 子どもたちが歓声を上げる。鳥は雪原を横切り、館の方角へと飛び去った。
「この村では、あの鳥は“春を告げる使い”と呼ばれているのです」
 修道女が微笑む。
「春を……」
「ええ。あの鳥が見られた年は、良いことがあると」
 私は空を見上げた。薄い雲の間に、青がのぞいている。

「春、か」
 隣でギルバートがぽつりと言った。
「お前にとっての春は、何だ?」
 不意の問いに、少し考える。
「……心が凍えない場所、でしょうか」
「凍えない場所?」
「はい。寒さの中でも、人の温もりがあれば、心は凍らない」
「なるほど」
 彼が少しだけ笑う。
「なら、この村はお前にとっての春か?」
「ええ、たぶん」
「“たぶん”じゃなく、そう言い切れ」
「……はい。春です」
 そう言うと、彼の顔がほんの一瞬だけ柔らかくなった。

「……なら、よかった」
 その短い言葉に、全てが詰まっていた。

 祭りの喧噪が夕暮れに変わる頃、村人たちが焚き火を囲んで歌い始めた。橙の火が空へ舞い、雪明かりの中で輝く。私は子どもたちと手をつなぎ、輪の中で踊った。ギルバートは少し離れた場所からそれを見ていたが、目が合うとわずかに頷いた。
 その仕草が、言葉よりも温かかった。

 歌が終わり、夜の静けさが戻る。焚き火の光が消えかけたころ、私はひとり庭へ出た。遠くの空には星が瞬き、冷たい風が頬を撫でる。
 ――ここが、私の居場所。
 そう思った瞬間、背後から足音がした。

「寒くないか」
 ギルバートが立っていた。肩に雪がかかっている。
「少しだけ。でも、気持ちはあたたかいです」
「それならいい」
 彼が隣に立つ。しばらく、ふたりで黙って星を眺めた。

「……レティシア」
「はい」
「もし、誰かがまたお前を傷つけようとしたら、俺が守る」
 その声は静かで、でも確かな力を帯びていた。
「そんな人、もういませんよ」
「そうだとしてもだ」
 私は微笑んだ。
「その言葉だけで十分です」

 風がやみ、夜空の星がいっそう輝きを増す。
 ギルバートがふと手を差し出した。
「雪が溶けたら、この庭に花を植えよう」
「はい。約束です」
「約束だ」

 ――雪の下で眠る土が、ゆっくりと春を待っている。
 私の心もまた、彼と同じようにその時を待っていた。

 夜空に白い息が溶け、静寂の中にふたりの影が並んで伸びていく。
 その瞬間、辺境の冬が少しだけやわらかく微笑んだ。





 翌朝、祭りの名残を残した村は、穏やかな静けさに包まれていた。夜のうちに風がやみ、雪はさらさらと白く光っている。私はまだ人の少ない通りを歩いていた。昨日の笑い声がまるで残響のように胸に響く。ギルバートの言葉――「守る」。あの一言が、ずっと頭から離れなかった。

 孤児院に向かうと、すでに子どもたちが外で雪玉を転がしていた。
「お姉ちゃーん! 見て! 雪だるま!」
「まあ、大きいわね!」
「団長に似てるでしょ!」
 私は吹き出してしまった。鼻の代わりの木の枝が少し曲がっていて、確かにどこか彼に似ている。
「ふふっ、よくできてるわ」
「お姉ちゃんも一緒に作ろ!」
「ええ、もちろん」

 笑いながら雪を集めていると、背後で誰かの気配を感じた。振り返ると、ギルバートが腕を組んで立っていた。
「……お前たち、朝から元気だな」
「団長ー! 見て見て! これ団長だよ!」
 子どもたちが雪だるまを指さす。ギルバートは眉をひそめ、だがすぐに小さく吹き出した。
「似てるな」
「ほんとに?」
「ああ、目の辺りが特に」
「へへっ!」
 子どもたちが笑うと、空気まで明るくなる。私はその光景を見ながら、胸があたたかくなるのを感じていた。

「今日は珍しくのんびりですね」
「祭りの翌日くらいはな。村人も休みにしてある」
「そうなんですね」
「……お前は、休めてるのか?」
「ええ。むしろ、心が落ち着いています」
 そう言うと、ギルバートは小さくうなずいた。
「それならいい」

 そのあと、孤児院の手伝いを終えた私は、ミーナに勧められて館に戻った。玄関に入ると、いつもより静かだ。廊下を抜けると、暖炉の前でギルバートが何かをしていた。手には古びた地図。
「どうしたんですか?」
「いや……この辺りの地図を整理してた。春に雪解けが来たら、道の修繕をしなきゃならん」
「そんなことまで団長が?」
「人手が足りんからな。放っておくと村が孤立する」
「あなたって、本当に働き者ですね」
「貴族の仕事よりは性に合ってる」
「私も手伝います」
「お前に任せたら、地図が花模様になりそうだ」
「失礼ですわ」
 思わず笑うと、ギルバートもわずかに口角を上げた。

 火の光が彼の横顔を照らす。長いまつげの影が頬に落ち、普段よりも穏やかに見えた。
「……ねえ、ギルバート」
「なんだ」
「もし、雪が解けたら。――一緒に花を植えましょう」
「ああ、約束したからな」
「それだけじゃなくて……村中に、です」
「村中?」
「孤児院の前にも、道沿いにも。あの子たちが大人になっても思い出せるような花畑にしたいの」
 彼は少し目を細めた。
「大きく出たな」
「だめですか?」
「いや……悪くない」
 静かな声だったが、その言葉の奥に確かな温かさがあった。

「お前は本当に、雪の下に春を見つけるやつだな」
「春を見つけてくれたのは、あなたですよ」
 その言葉に、彼の目が一瞬揺れた。
「俺はただ、倒れてた女を拾っただけだ」
「でも、拾う勇気がなければ私はもういません」
「勇気じゃない。……衝動だ」
 少しの沈黙。暖炉の火がぱちぱちと音を立てる。
「それでも、あなたの衝動に救われました」
「……そう言われると、悪い気はしないな」

 彼は地図を畳み、暖炉の上に置いた。
「レティシア。お前はこの村の光だ」
「……そんな、大げさな」
「本気で言ってる。俺が見てきたどんな戦場の火よりも、あたたかい」
 言葉が喉の奥で震えた。胸の奥に押し込めていた感情が、静かにほどけていく。
「……ギルバート」
「ん?」
「あなたのそばにいても、いいですか」
「もうずっと一緒にいるじゃないか」
「そうじゃなくて……これからも、ずっと」
 彼は一瞬だけ目を見開き、それからゆっくりと微笑んだ。

「そう言ってくれるなら、もう離さない」
「……!」
 その言葉は冗談めいていたのに、どこまでも真っ直ぐで。頬が熱くなり、視界が少し滲んだ。
「まったく……あなたって、本当にずるい人」
「そうか?」
「はい。でも……嫌いじゃありません」
「なら、それでいい」

 外では、また雪が降り始めていた。けれど、もう寒くはなかった。
 ギルバートが立ち上がり、私の肩にコートをかける。
「外を歩くか? 雪の音が静かで気持ちいい」
「ええ。行きましょう」

 二人で館を出る。白い世界の中、足跡がふたつ並ぶ。
 頭上には灰色の雲、遠くでかすかに教会の鐘が鳴った。
「なあ、レティシア」
「はい」
「お前が来てから、この村が本当に生き返った。……俺まで、な」
「それは、あなたが私を生かしてくれたから」
「互いさまだな」
 彼がそう言って笑う。雪明かりがその笑顔をやわらかく照らす。

 ――世界が、こんなに優しい音を持っているなんて。

 雪がふたりの髪に降り積もる。私はそっと彼の腕に触れた。
「ギルバート。……これからも一緒に」
「ああ。どんな冬でも、傍にいる」
 彼の声が、雪よりもあたたかかった。

 辺境の夜は静かに更けていく。
 遠くの空に、春の兆しのような淡い光が瞬いていた。
 その光は、確かに――私たちの未来を照らしていた。



 夜の帳が完全に落ちる頃、館の灯がひとつ、またひとつとともり始めた。辺境の空は透き通るように静かで、遠い星々が雪の粒みたいに瞬いていた。私はギルバートと並んで歩いていた。ふたりの吐息が白く揺れ、足元では雪が柔らかくきしむ。

「……不思議ですね」
「何がだ」
「最初にここへ来た夜は、すべてが怖くて冷たくて、世界が終わってしまったみたいだったのに。今は、同じ雪の音がこんなに優しく聞こえる」
 私の言葉に、ギルバートは小さく息を吐いた。
「お前が変わったんだ。雪は昔から同じだ」
「そうでしょうか」
「ああ。……ただ、お前が世界を見つめる目を変えた」
 彼の声は低く穏やかで、夜風に混じって溶けていく。

 館の裏手へ回ると、小さな灯が揺れていた。昨日、私が作った花壇のところだ。雪を払いのけると、土の上に置いた枝の印がまだ残っている。
「春になったら、ここが花でいっぱいになるんですよ」
「楽しみだな」
「どんな花がいいかしら。私は白い花が好きです。雪の上でも咲けるような、小さくて強い花」
「お前に似てるな」
 ふいにそう言われ、胸がどくんと鳴った。
「私が……?」
「ああ。見た目は繊細なのに、芯が強い」
「……あなたもです」
「俺はただの頑固者だ」
「いいえ。あなたがいるから、この村の冬は優しい」

 沈黙が訪れる。けれど、それは居心地の悪いものではなかった。
 頭上の星がひときわ強く瞬き、雪原を青白く照らす。

「レティシア」
「はい」
「お前は、本当にここで生きていけるか?」
「ええ。むしろ、ここ以外ではもう生きられない気がします」
「……そうか」
 ギルバートは一歩近づき、私の肩にそっと手を置いた。その手は大きく、温かかった。
「この土地は厳しい。だが、お前がいればきっと変わる」
「変わる?」
「子どもたちも、村人も、俺も。お前が笑うと皆が救われる」
 そう言われて、胸の奥が熱くなる。こんなふうに必要とされたのは、人生で初めてだった。

「……ギルバート。私、あなたの隣にいていいですか?」
「もう答えを聞くまでもないだろう」
 彼がわずかに笑う。雪の光の中、その表情がとても穏やかだった。

 私は小さく頷いた。
「この花壇、あなたと一緒に育てます」
「俺も約束したからな。必ず咲かせよう」
「ええ。どんな冬でも」
 ふたりで空を見上げる。星の群れが降り注ぐように輝き、静かな雪の音が世界を包み込む。

 ギルバートが低く呟いた。
「……お前が来てから、俺はようやく眠れるようになった」
「眠れるように?」
「戦の夜は、目を閉じると血の匂いが蘇る。だが今は違う。お前の声が耳に残る」
 その告白に、胸が締めつけられる。
「それなら、私があなたの代わりに夢を見ます」
「夢?」
「ええ。戦のない世界を。みんなが笑って暮らす、この村の未来を」
「……それは、悪くない夢だ」

 彼が私の手を取った。厚い掌の中に、私の指が包み込まれる。
「冷たいな」
「あなたが熱いだけです」
「そうかもしれんな」
 ふたりの手の温度が混じり合う。雪の冷たさが、まるで遠い世界のことのように思えた。

「ギルバート」
「ん」
「私、あなたに出会えて本当によかった」
「俺もだ」
 その言葉に嘘はなく、ただ真実だけがあった。

 遠くの教会の鐘が、ゆっくりと夜気を震わせる。
 辺境の冬は長い。けれど、その音が春の兆しのように聞こえた。

 雪の上で、ふたりの影がひとつに重なる。
 やがて空に流れ星が走り、瞬く間に消えていった。
 ――願いごとをするまでもない。もう、私の願いは叶っているのだから。

 ギルバートが微笑んだまま、静かに言った。
「帰ろう。冷える」
「はい」

 手をつないだまま、館へ向かって歩き出す。雪を踏む音が、まるで祝福の音のように響いていた。
 夜空の星が白く滲み、灯りの向こうに温かな未来が待っているように見えた。

 ――そして私は確かに思った。
 この辺境こそ、私に与えられた“幸福の地”なのだと。

 雪がやさしく舞い落ちる。
 そのひとひらひとひらが、永遠の約束のようにきらめいていた。

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