婚約者を妹に寝取られてから一か月後、無口で人付き合いが苦手な王弟殿下に「俺の妻になってくれないか」と言われ、ぎこちない溺愛生活が始まりました

さら

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第6話 初めての贈り物

 雨が上がった翌朝、屋敷の庭は澄んだ空気に包まれていた。木々の葉にはまだ水滴が残り、朝日を受けて小さな宝石のように輝いている。私は窓辺に立ち、その景色を眺めながら静かに息を吸った。胸の奥に残っていた重苦しさは、不思議と軽くなっている。殿下と衝突し、そして和解したことで、言葉にしなくても結ばれる絆を少しだけ信じられるようになったのだ。

 その日、私は庭で読書をしていた。柔らかな風がページをめくり、遠くで鳥の声が響く。時折、石畳を踏む音が近づき、殿下が静かに隣に腰を下ろした。灰色の瞳が私を映し、彼は一度深く息を吐いた。

「……渡したいものがある。」

 殿下の手から差し出されたのは、細い鎖に小さな青い宝石が輝く首飾りだった。朝の光を受けてきらめくその色は、空の青をそのまま閉じ込めたように澄んでいた。私は驚きに息を呑み、思わず首を振る。

「こんな高価なもの……受け取れません。」

「高くはない。ただ……君に似合うと思った。」

 不器用な言葉が胸を打つ。私は手を伸ばしかけて、ためらい、そして決意を込めて首飾りを受け取った。宝石の冷たさが掌に触れると、心臓が早鐘のように打ち始める。

「……ありがとうございます。大切にします。」

「似合うはずだ。……つけてもいいか?」

 唐突な申し出に頬が熱くなる。それでも私は小さく頷き、髪をかき上げてうなじを見せた。殿下の手が震えながら鎖を留め、ひやりとした金属が首筋に触れる。心臓の鼓動が高鳴り、呼吸が浅くなる。

「……どうだ。」

 声は低く、どこか不安を含んでいた。私は振り返り、笑みを浮かべた。

「とても……嬉しいです。殿下からいただけるなんて。」

 その瞬間、殿下の瞳が柔らかく揺れ、わずかに口元が緩んだ。彼の表情は普段と変わらず控えめなのに、私にはその笑みが何よりも眩しかった。

 首飾りを胸に抱きしめ、私は小さく囁いた。

「これからも……殿下の隣にいたいです。」

 殿下の手がそっと私の手に重なり、指先がぎこちなく絡む。

「……いてくれ。ずっと。」

 その言葉に胸が震え、目頭が熱くなる。宝石の青が太陽の光を受け、ふたりの影を優しく照らしていた。

 ――不器用でも確かな贈り物は、私たちの絆をさらに深めていく。胸の奥に芽生えた幸福感は、これまで感じたことのないほど甘やかに広がっていった。




 首飾りをつけたまま鏡の前に立つと、胸元で青い宝石が小さく光を放っていた。普段の私なら派手すぎると思ってしまう色なのに、不思議としっくり馴染んでいる。殿下が「似合う」と言ってくれた言葉が心に残り、視線を外せなかった。

 後ろから足音が近づく。振り返ると殿下が立っていた。灰色の瞳が私を映し、しばし沈黙が落ちる。私は頬を染め、思わず問いかけた。

「……本当に、似合っていますか?」

「似合っている。……想像していた以上に。」

 短い言葉なのに胸が熱くなる。殿下は照れ隠しのように視線を逸らし、それでも私の首元から目を離さなかった。

 夕方、食堂での食事はぎこちなくも温かかった。メアリが気を利かせて首飾りを褒め、「奥さま、殿下の選び方は素晴らしいですわ」と笑顔を向けてきた。私は慌てて否定しかけたが、殿下が低い声で告げる。

「……俺も、そう思う。」

 その言葉に、胸の奥がくすぐったく震えた。

 食後、広間の灯りを落とし、二人で窓辺に並んで座った。夜空には雲が流れ、星が顔を覗かせている。殿下はしばらく黙っていたが、やがて小さく囁いた。

「贈り物をするのは、得意じゃない。だが……君が受け取ってくれて、嬉しかった。」

「私は、殿下の気持ちを受け取れたことが嬉しいです。」

 視線が交わり、胸が高鳴る。殿下は何か言いたげに唇を動かしたが、言葉にならず、ただ私の手にそっと触れた。指先から伝わる温もりに息を呑み、私は握り返した。

 そのまま沈黙が流れた。けれど、もはや気まずさではなく、互いの心を繋ぐ静けさだった。外の夜風が窓を揺らし、青い宝石が月明かりを受けてきらりと光った。

 ――初めての贈り物は、言葉以上に雄弁だった。私の胸の奥に宿る温もりは、これまで感じたことのない幸福感として広がり続けていた。




 夜が更けても眠れず、私は寝室の窓辺に立っていた。首元の宝石は月明かりを受けて淡く光り、胸の奥で小さな灯のように輝いている。指先でそっと触れるたび、殿下の言葉と視線がよみがえり、頬が自然と熱くなる。

 扉が軋む音がして、殿下が入ってきた。いつも通りの無表情に見えたけれど、その瞳は少し迷っているようだった。

「……眠れないのか。」

「はい。色々と思い出してしまって。」

 殿下は窓辺に近づき、私の隣に立った。沈黙が流れ、庭の木々が夜風に揺れる音だけが聞こえる。

「俺も、眠れなかった。」

 その言葉に胸が震える。彼も同じだったのだと思うと、心の距離がぐっと近づいた気がした。

「殿下。」

 振り向いた瞬間、視線が重なった。灰色の瞳の奥には、不器用な優しさと不安が入り混じっている。私は小さく息を吸い、勇気を込めて口を開いた。

「……私、もう一度、殿下に言います。いただいた首飾り、とても嬉しいです。大切にします。だから――どうか殿下も、私の気持ちを受け取ってください。」

 殿下の瞳が驚きに揺れ、やがてゆっくりと細められる。

「受け取る。……全部。」

 低く響いた声は、月明かりに溶けるように胸へ届いた。私は涙がにじむのを隠せず、慌てて俯く。けれど殿下の手がそっと顎に触れ、顔を上げさせた。

「泣くな。……君の笑顔が見たい。」

 その言葉に、どうしようもなく涙が溢れ、同時に笑ってしまった。泣き笑いの顔を見て、殿下は一瞬だけ戸惑い、次いでぎこちなく微笑んだ。

 静かな夜に二人の影が並び、月光が淡く照らしている。首飾りの青がその光を受け、まるで誓いの証のように輝いていた。

 ――不器用な贈り物が、私たちをさらに近づける。心は確かに結ばれ、未来へ続く道を照らし始めていた。
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