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第5話 陰謀と襲撃
〇
村に静かな日々が続いたのは、ほんの数日のことだった。辺境伯の兵士たちは竜王の庇護を喜び、宰相ライナルトは毎日のように小屋を訪れた。子どもたちは笑顔で駆け回り、村人たちは新しい畑を耕し始める。焼きたてのパンは、村の心臓の鼓動のように毎朝響いていた。
しかし、王都では別の鼓動が高鳴っていた。聖女の座から追われた私――セラが、辺境で不思議な力を持つパンを焼き、辺境伯・宰相・竜王を引き寄せているという噂。王都の教会や貴族たちは、それを「不吉な芽」と断じた。自分たちの威信を揺るがす存在は、早めに摘み取らなければならない。
その気配を、最初に感じ取ったのはライナルトだった。ある夕暮れ、彼は小屋に現れ、いつになく険しい顔をしていた。
「セラ。君の存在が、王都に伝わった」
「それは……よくないことですか?」
「残念ながらな。教会は“堕ちた聖女が異端の術を使っている”と触れ回っている。貴族の一部は“辺境伯と宰相が共謀して国を操ろうとしている”と騒いでいる」
彼は眼鏡を外し、深くため息をついた。
「つまり、君を狙って刺客が来る」
胸が冷える。竃の火で温まっていた手が、急に冷え切ったようだった。
「でも、私は……ただパンを焼いているだけです」
「それが脅威なのだ。人を癒し、兵を勇気づけ、竜王まで動かした。君は無意識に国を揺さぶっている」
私は木べらを握りしめた。パンを焼くだけで、こんなことになるなんて。だが、嘆いても仕方がない。私は顔を上げ、ライナルトを見つめた。
「……どうすればいいでしょうか」
「まずは備えることだ。幸い、この村には辺境伯の兵が残っている。そして竜王もいる」
彼は声を低くした。
「刺客が来るのは、そう遠くない」
△
その夜。予感はすぐに現実となった。
月が雲に隠れ、村が薄闇に沈んだ頃、影がいくつも忍び寄った。全身を黒布で覆い、音もなく屋根を伝う。刃の煌めきが、月光に一瞬だけ光った。
小屋の窓辺で生地を仕込んでいた私は、異様な気配に気づいた。背筋を冷たいものが走る。扉がわずかに軋み、外の砂利が押し潰される音――。
「来たな」
暗がりからライナルトの声。彼は既に剣を抜き、影の一人を鋭く睨んでいた。
「堕ちた聖女を捕らえよ!」
低い叫びと同時に、黒装束たちが雪崩れ込む。私は竃の火を抱えるように身を屈めた。炎が大きく揺れ、光と影が乱舞する。
刃が閃く――その瞬間。
轟音。
屋根が吹き飛びそうな衝撃とともに、黒い影が夜空を覆った。竜王だ。翼を広げ、怒りの咆哮を放つ。空気が震え、黒装束たちは一斉に怯んだ。
「人の女を害するな」
雷鳴のような声。爪が一振りされただけで、地面が裂け、刺客の半数が吹き飛ぶ。
「退けぇっ!」
残る刺客たちは必死に刃を振るったが、辺境伯の兵が駆けつけ、盾と槍で迎え撃った。村人たちも松明を手にし、恐怖を押し殺して声を上げる。
私は竃の火を守りながら、息を詰めた。ライナルトが私の前に立ち、短剣で敵の腕を弾く。血が飛び散り、月明かりに赤く染まる。
「セラ、下がっていろ!」
彼の声に、私は頷くしかなかった。
◇
戦いは短くも激しかった。竜王と兵士たちの奮戦で、刺客たちは次々に倒れ、やがて残った者は森の闇へと逃げ去った。村に静けさが戻ると、地面には倒れた影と折れた刃だけが残った。
私は竃の火を消し、膝をついた。震える指先を握りしめる。こんな夜が来るなんて、思ってもみなかった。パンの香りで満たされるはずの小屋が、血と鉄の匂いに包まれている。
「大丈夫か」
ライナルトが近づき、私の肩を支えた。眼鏡の奥の瞳は鋭いが、その奥に優しさが宿っている。
「はい……でも、怖かったです」
「当然だ。だが、よく耐えた」
その時、辺境伯が馬に乗って駆け込んできた。遠征から急ぎ戻ってきたのだろう。鎧は土にまみれ、息は荒い。
「セラ!」
「辺境伯様……!」
彼は馬を降り、私の両肩を掴んだ。真剣な眼差しに、胸が震える。
「無事でよかった。報せを受け、気が気でなかった」
「ありがとうございます……守ってくださったのは、皆さんと竜王様です」
竜王は丘の上に立ち、月明かりを浴びながらこちらを見下ろしていた。その金色の瞳が静かに瞬く。
「セラ。汝は我にパンを与えた。我は汝を守る。それだけのことだ」
低い声が夜空に響いた。私は胸の奥に熱を抱きしめ、涙がにじんだ。
「……ありがとうございます」
こうして、村は守られた。だが、王都の陰謀はまだ終わらない。今日の襲撃は、始まりにすぎないのだろう。私は竃の火に手をかざし、心に誓った。
――明日もパンを焼こう。どんな脅威が訪れようとも。
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村に静かな日々が続いたのは、ほんの数日のことだった。辺境伯の兵士たちは竜王の庇護を喜び、宰相ライナルトは毎日のように小屋を訪れた。子どもたちは笑顔で駆け回り、村人たちは新しい畑を耕し始める。焼きたてのパンは、村の心臓の鼓動のように毎朝響いていた。
しかし、王都では別の鼓動が高鳴っていた。聖女の座から追われた私――セラが、辺境で不思議な力を持つパンを焼き、辺境伯・宰相・竜王を引き寄せているという噂。王都の教会や貴族たちは、それを「不吉な芽」と断じた。自分たちの威信を揺るがす存在は、早めに摘み取らなければならない。
その気配を、最初に感じ取ったのはライナルトだった。ある夕暮れ、彼は小屋に現れ、いつになく険しい顔をしていた。
「セラ。君の存在が、王都に伝わった」
「それは……よくないことですか?」
「残念ながらな。教会は“堕ちた聖女が異端の術を使っている”と触れ回っている。貴族の一部は“辺境伯と宰相が共謀して国を操ろうとしている”と騒いでいる」
彼は眼鏡を外し、深くため息をついた。
「つまり、君を狙って刺客が来る」
胸が冷える。竃の火で温まっていた手が、急に冷え切ったようだった。
「でも、私は……ただパンを焼いているだけです」
「それが脅威なのだ。人を癒し、兵を勇気づけ、竜王まで動かした。君は無意識に国を揺さぶっている」
私は木べらを握りしめた。パンを焼くだけで、こんなことになるなんて。だが、嘆いても仕方がない。私は顔を上げ、ライナルトを見つめた。
「……どうすればいいでしょうか」
「まずは備えることだ。幸い、この村には辺境伯の兵が残っている。そして竜王もいる」
彼は声を低くした。
「刺客が来るのは、そう遠くない」
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その夜。予感はすぐに現実となった。
月が雲に隠れ、村が薄闇に沈んだ頃、影がいくつも忍び寄った。全身を黒布で覆い、音もなく屋根を伝う。刃の煌めきが、月光に一瞬だけ光った。
小屋の窓辺で生地を仕込んでいた私は、異様な気配に気づいた。背筋を冷たいものが走る。扉がわずかに軋み、外の砂利が押し潰される音――。
「来たな」
暗がりからライナルトの声。彼は既に剣を抜き、影の一人を鋭く睨んでいた。
「堕ちた聖女を捕らえよ!」
低い叫びと同時に、黒装束たちが雪崩れ込む。私は竃の火を抱えるように身を屈めた。炎が大きく揺れ、光と影が乱舞する。
刃が閃く――その瞬間。
轟音。
屋根が吹き飛びそうな衝撃とともに、黒い影が夜空を覆った。竜王だ。翼を広げ、怒りの咆哮を放つ。空気が震え、黒装束たちは一斉に怯んだ。
「人の女を害するな」
雷鳴のような声。爪が一振りされただけで、地面が裂け、刺客の半数が吹き飛ぶ。
「退けぇっ!」
残る刺客たちは必死に刃を振るったが、辺境伯の兵が駆けつけ、盾と槍で迎え撃った。村人たちも松明を手にし、恐怖を押し殺して声を上げる。
私は竃の火を守りながら、息を詰めた。ライナルトが私の前に立ち、短剣で敵の腕を弾く。血が飛び散り、月明かりに赤く染まる。
「セラ、下がっていろ!」
彼の声に、私は頷くしかなかった。
◇
戦いは短くも激しかった。竜王と兵士たちの奮戦で、刺客たちは次々に倒れ、やがて残った者は森の闇へと逃げ去った。村に静けさが戻ると、地面には倒れた影と折れた刃だけが残った。
私は竃の火を消し、膝をついた。震える指先を握りしめる。こんな夜が来るなんて、思ってもみなかった。パンの香りで満たされるはずの小屋が、血と鉄の匂いに包まれている。
「大丈夫か」
ライナルトが近づき、私の肩を支えた。眼鏡の奥の瞳は鋭いが、その奥に優しさが宿っている。
「はい……でも、怖かったです」
「当然だ。だが、よく耐えた」
その時、辺境伯が馬に乗って駆け込んできた。遠征から急ぎ戻ってきたのだろう。鎧は土にまみれ、息は荒い。
「セラ!」
「辺境伯様……!」
彼は馬を降り、私の両肩を掴んだ。真剣な眼差しに、胸が震える。
「無事でよかった。報せを受け、気が気でなかった」
「ありがとうございます……守ってくださったのは、皆さんと竜王様です」
竜王は丘の上に立ち、月明かりを浴びながらこちらを見下ろしていた。その金色の瞳が静かに瞬く。
「セラ。汝は我にパンを与えた。我は汝を守る。それだけのことだ」
低い声が夜空に響いた。私は胸の奥に熱を抱きしめ、涙がにじんだ。
「……ありがとうございます」
こうして、村は守られた。だが、王都の陰謀はまだ終わらない。今日の襲撃は、始まりにすぎないのだろう。私は竃の火に手をかざし、心に誓った。
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