濡れ衣を着せられ、パーティーを追放されたおっさん、実は最強スキルの持ち主でした。復讐なんてしません。田舎でのんびりスローライフ。

さら

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第1話 濡れ衣と追放
 ギルドの集会室は、いつもより空気が重かった。板張りの床に落ちた泥の跡が乾ききらず、獣臭と鉄臭が混じった匂いが鼻につく。壁際のランタンの火は揺れているのに、誰の顔も揺れない、そんな妙な静けさがある。長机の向こうに座る受付の女が、困ったように視線を泳がせたまま手元の書類をいじっている。俺はその前に立って、黙って呼吸を整えた。
「……神妙な顔してんじゃねえよ、ガルド」
 机の脇、腕組みしたまま立っている若い剣士が吐き捨てるように言った。俺の名はガルド、四十二、見た目も中身も、ただの地味なおっさんだ。若い頃はもう少し肩の力も入っていたが、長い冒険者稼業は骨の節々から先に、そういうものを抜いていく。抜け殻みたいな俺に向かって、若さの尖りはよく刺さる。痛いというより、刺さったことすら確認するのが面倒だ。
「話を進めよう」
 剣士の隣で、神官服の女が一歩前に出た。白い布地に金糸の刺繍、洗いたての清潔さが、この部屋の匂いと不釣り合いで、逆に鼻につく。彼女は俺の顔を見ると、わずかに唇をゆがめてから、すぐに慈悲深い顔を作った。
「ガルド、あなた、今回の討伐で……報酬の分配に不正があったって、説明できる?」
 言葉の端に、最初から答えが決まっている響きがある。俺は目だけで彼女の手元を見た。細い指が握っているのは、俺たちのパーティー“灰狼”の会計帳だ。俺が管理していた帳面で、数字の並びは見慣れている。見慣れているはずなのに、そこには俺が書いた覚えのない汚い線と、妙な修正が混じっていた。
「不正はしてない」
 声が自分のものなのに、遠くから聞こえる。胸の内で燃えるものがあるはずなのに、炭のまま冷えている。怒りは、若い連中の特権だ。俺はもう、怒るほどの余力がない。
「嘘だろ」
 弓使いの男が、机に手のひらを叩きつけた。軽い衝撃で書類が跳ね、受付の女がびくりと肩をすくめる。弓使いは俺より年下だが、それでも三十手前で、口調だけはやたら偉そうだ。
「俺たちが命張ってんのに、報酬の銀貨が足りねえんだよ。帳面はお前が握ってた。誰が抜いた? お前以外いねえだろ」
 命張ってんのは、俺も同じだった。盾を構え、前に出て、仲間の矢が通る隙間を作り、魔物の一撃を受け止める役を、何年もやってきた。そういう積み重ねは、いまこの瞬間、紙切れ一枚でゼロにできるらしい。
「銀貨の袋は、討伐後にみんなで確認した」
 俺は淡々と言った。思い出そうとすれば、いくらでも思い出せる。袋の口を結ぶ紐の形、銀貨がこすれる音、弓使いが「少ねえな」と冗談めかして笑った声。
「確認したあと、誰が持ってた」
「……お前だろ」
 弓使いが吐き捨てる。即答だ。俺の言葉は届いていない、あるいは届かないふりをされている。
「じゃあ、そこから先を説明しろよ。お前は『俺が持ってた』って言うんだろ? だったら、お前が盗んでねえ証拠は?」
 証拠。証拠がないことを証明しろと言われると、人はだいたい黙る。俺は黙った。頭の中で、熱を持ち始めたのは怒りじゃなくて、ただの疲労だった。
「ねえ、ガルド」
 今度は魔術師の女が口を開いた。俺たちの後衛で、派手な杖と派手な髪色の、派手なやつだ。彼女は椅子に腰掛けたまま片脚を組み、俺を見上げる視線に、わずかな優越感が混じっている。
「あなたが抜けた分があったらさ、今回のポーション不足も説明できるのよ。なんで私の魔力回復薬、途中で足りなくなったの? あなたが補給担当だったよね?」
 補給担当。そう、俺は前衛で盾をやりながら、荷物の管理もしていた。余計な仕事を背負い込むのが得意なやつは、便利だからな。便利なやつは、便利に捨てられる。
「足りなくなったのは、予定より戦闘が長引いたからだ」
「予定より長引いたのは、誰のせい?」
 剣士が笑う。口の端だけ上げた、子どもじみた笑い方だ。
「前衛が踏ん張れねえからだろ。おっさんが盾で受けきれねえから、後ろが苦労すんだよ」
 言葉が耳に入って、体のどこにも落ちない。落ちる場所がないからだ。昔なら、胸が熱くなって、拳が握られて、喉の奥から何かが出た。今は、ただ、息が少しだけ深くなる。自分が壊れないように、内側の何かが勝手に調整している気がした。
「……討伐そのものも、失敗だった」
 神官が書類をめくりながら言う。紙の擦れる音がやけに大きい。
「目標の個体は討伐できたけれど、巣の根絶には至らなかった。被害は拡大して、追加依頼が出ている。つまり、ギルドへの損害が出た。責任の所在を明確にしないといけないの」
「責任の所在、って……」
 受付の女が小さく声を漏らした。止めたいのかもしれない。だがギルドは規則で動くし、規則は声の大きい者の方へ寄る。俺は受付の女に視線を向けて、首を振るでもなく、ただ黙っていた。巻き込む必要はない。
「ガルドに責任があるってこと?」
 神官は頷いた。慈悲深い顔のまま、さらりと言う。
「今回の戦闘中、あなたが一度、持ち場を離れたって証言がある。荷物の確認に行った、って言ってたらしいけど……そのときに銀貨を抜いたんじゃない?」
 証言。証言って言葉は便利だ。言ったもん勝ちで、しかも「証言」になる。俺が荷物の確認に行ったのは事実だった。前衛を支えるための予備盾が壊れかけていて、補修用の金具を取りに行った。そんなもの、戦闘中に必要になるのは前衛だけで、後衛は知らない。知らないことは、好きな形に塗れる。
「俺は……」
 言いかけて、止まる。何を言っても、もう形が決まっている気がした。俺はこの部屋に立った瞬間から、被告席に座らされている。弁明する権利はあるが、聞く気はない。そういう場だ。
「あなた、最近、金に困ってたって噂もあるの」
 魔術師が肩をすくめる。爪の先が光って、薄い笑いが浮かぶ。
「年だし? 体もきついし? 今後のために貯めとこうって思ったのかもね」
 噂。噂って言葉は、証言よりもっと便利だ。誰の口から出たかも曖昧で、けれど確実に耳に残る。金に困っていたのは事実じゃない。ただ、両親の墓の修繕で一時的に出費があっただけだ。そんな話を、酒場でぽろっと漏らしたことはある。誰かが聞いていたのだろう。聞いた誰かが、今ここで、都合のいい形にする。
「ガルド」
 剣士が一歩近づき、俺の胸元を指で突いた。鎧の上からでも、指の圧は伝わる。若い力は、こういうときに暴力の一歩手前まで簡単に行く。
「お前さ、もう無理なんだよ。俺たちの足引っ張ってんの。金抜いてないって言うなら、証明してみろよ。できねえだろ?」
 俺は剣士の指を見た。爪の間に黒い汚れがある。剣の手入れはしているが、心の手入れはしていない。若い頃の俺も、きっとそうだった。そう思うと、怒りより先に、情けなさが湧いた。彼らの情けなさじゃなくて、俺自身の、こんな場面に立っている情けなさ。
「……もういい」
 俺が言うと、剣士が目を丸くした。神官が眉をひそめ、魔術師が笑い、弓使いが鼻を鳴らす。受付の女だけが、息を飲んだ。
「もういいって何だよ」
「説明しても、信じないだろ」
 声は不思議と落ち着いていた。自分でも驚くほど、腹の底が静かだ。長年、盾で受けてきた衝撃は、こういう言葉の暴力にも耐える訓練だったのかもしれない。
「信じさせる努力もしねえのかよ」
「努力は、もう十分した」
 俺はそう言って、机の上の書類に手を伸ばした。神官が反射的にそれを引いたが、俺は触れない。触れたところで、何も変わらない。
「……お前らがそう決めたなら、それでいい」
 弓使いが苛立ったように机を蹴る。
「決めたっていうか、事実だろ」
「事実かどうかは知らん。俺が言えるのは、俺はやってないってことだけだ」
「じゃあ、誰がやったんだよ!」
 叫ぶ声が、部屋の梁にぶつかって跳ね返る。外の廊下まで聞こえたのか、扉の向こうで気配が揺れた。見物人が集まるだろう。ギルドの噂話は早い。俺が盗んだ、俺が裏切った、俺が足を引っ張った、そういう話は酒の肴にちょうどいい。
「誰がやったか、俺は証明できない」
 俺はゆっくりと言った。言葉の一つ一つを、床に置くみたいに落とす。
「だから、俺が悪いって結論にするなら、そうしろ」
 神官が小さく息を吐いた。勝った側のため息だ。
「ギルドとしても、これ以上の調査は難しいわ。証拠は帳面と証言、そしてあなたの行動……状況証拠が揃っている。パーティー“灰狼”からの申請もある。ガルド、あなたを——」
 受付の女が、耐えきれずに口を挟んだ。
「で、でも、状況証拠だけで追放って……!」
「ギルドの規約にあるわ」
 神官は優しく言った。優しい声ほど残酷なものはない。
「パーティー内の信頼関係が破綻した場合、当事者の排除は認められる。ギルドが介入できるのは、犯罪として立件できるほどの物証がある場合だけ。今回の件は……そこまでではない。だから、処分はパーティー内で決める」
 剣士がにやりと笑った。
「つまり、俺たちが決める。お前は追放だ、ガルド。今日で終わり」
 追放。言葉にすると軽い。けれど、今まで積み上げたものが、紙の上から消される音がする。俺は胸の奥で、何かがふっと抜ける感覚を覚えた。悔しさでも怒りでもない、ただの空洞だ。
「装備と私物は持っていけ。共同資産は置いていけ」
 弓使いが言う。まるで、犬に餌をやるみたいな口ぶりだ。
「あと、今回の討伐で出た負債は……お前の取り分から差し引いとく。足りない分は、まあ……おっさんなら何とかできるだろ」
 俺は頷いた。金なんて、どうでもいい。ここで争って得する未来が見えない。争えば、もっと泥を被るだけだ。
「じゃ、これで終わりね」
 魔術師が手をひらひらさせた。
「さよなら、おっさん。次はもっと年相応の場所で頑張りなよ」
 年相応。そうだな、年相応って何だろう。盾を持って前に立つのが年相応じゃないなら、俺は今まで何をしてきたんだ。そんな疑問が湧いたが、答えはどうでもいい。答えが出たところで、もう、戻る気はない。
 俺はゆっくり息を吐いて、背中の荷物袋の紐を握り直した。重さはいつもと同じはずなのに、肩にかかる感覚が妙に軽い。失ったのは、装備じゃない。仲間じゃない。たぶん、期待だ。期待を手放すと、人は軽くなる。
「ガルド」
 受付の女が、机の向こうから小さく呼んだ。彼女は目尻を赤くして、唇を噛んでいる。俺は首だけで振り向く。
「……すみません。私、何も……」
「気にするな」
 俺は短く言った。それ以上、言う言葉がない。慰める余裕も、励ます余裕もない。ただ、彼女がこの場で心を壊さないでほしいとは思った。
「最後に言うことは?」
 神官が形式的に尋ねた。形だけ整えれば、正義になると思っている顔だ。俺はその顔を見ながら、昔の自分を探した。仲間を信じ、背中を預け、明日の飯の心配をし、今日の怪我を笑い飛ばしていた自分。どこかにいるはずなのに、見つからない。
「ない」
 俺はそう言って、扉に手をかけた。木の取っ手は冷たく、掌にざらりとした感触が残る。背後で、椅子が軋む音がした。誰かが立ち上がったのか、座り直したのか、興味が湧かない。
「ふん、逃げるのかよ」
 剣士の声が追ってくる。追ってくる声は、俺を引き留めるためじゃなく、俺を見下ろすためのものだ。
「逃げるんじゃない」
 俺は扉越しに言った。振り返らないまま、声だけ落とす。
「終わらせるだけだ」
 扉を押すと、廊下の冷えた空気が頬に触れた。集会室の濁った匂いが背中にまとわりつき、代わりに石壁の湿り気が鼻を通る。外では冬の風が鳴っている気配がする。俺は一歩、廊下に足を出しただけで、胸の奥が妙に静かになるのを感じた。ここから先、何をするかなんて、まだ決めていないのに、ただ——この静けさだけが、なぜか救いに思えた。
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