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第8話 公爵の秘密
翌朝。山から吹き下ろす風が一段と冷たくなり、屋敷の窓はうっすらと氷の花で覆われていた。朝靄の向こう、遠くの森は白く沈黙し、まだ眠っている。私は厚手のマントを肩に掛け、研究室へ向かった。夜のうちに調整した共鳴石の回路を、アレクシスに見せる約束をしていたのだ。
廊下を抜け、扉を開けると、すでに彼はそこにいた。黒い外套のまま、窓辺で黙って外を見ている。薄い光が灰色の瞳に差し込み、彼の表情を静かに照らした。
「おはようございます、アレクシス様」
「おはよう、レティシア。今朝は早いな」
「興奮して眠れなくて……昨日の装置、安定稼働を確認しました。温度制御も正常です」
私がそう言うと、アレクシスはわずかに目を細めた。
「本当に、君の共鳴式は常識を覆すな。王都の学者なら三日かかる修理を、一晩で終わらせるとは」
「いえ……ただ、音を聞くだけです」
彼は小さく笑った。
「音、か。君にとっては、それがすべてなんだな」
その声はいつもより柔らかく、胸の奥に温かく残った。
◇
装置の調整を終えたあと、アレクシスは「少し付き合え」と言って屋敷の外に出た。
雪の積もる庭を抜け、裏山の小道を登っていく。冷たい空気が肺に染み、足跡が二人分、並んで続く。
「この先に、私が見せたいものがある」
「見せたいもの……?」
やがて木々の間から石造りの建物が現れた。
小さな礼拝堂のような佇まい。だが壁の隙間からは古びた機械の部品が覗き、屋根には魔力導管が走っている。
「これは……」
「昔、私の父が作った“共鳴装置”だ」
アレクシスの声は低く、静かに雪を踏む音と混じった。
「父は、この地の寒冷を制御する装置を研究していた。だが、実験の最中に暴走が起き、父は……ここで命を落とした」
「――そんな……」
「その日から、私は人を信じるのをやめた。どれだけ知識を積もうと、人の心の軽率さひとつで、全ては壊れる。王都の研究者たちは事故の責任を私に押し付け、父の名も笑った」
灰銀の瞳が一瞬、曇る。
彼が冷徹と呼ばれるようになった理由を、私はようやく理解した。
失ったのは地位でも名誉でもない――信頼だったのだ。
「……アレクシス様」
「君の共鳴式を見たとき、思った。父が追い続けた“世界を繋ぐ音”が、まだどこかで生きているのではないかと」
彼の手が、古い装置の表面に触れる。
指先がわずかに震えていた。
私は迷わず、その手に自分の手を重ねた。
「……もう一度、やり直しましょう。お父様が夢見たものを、今度はあなたと一緒に」
アレクシスは静かに目を閉じた。
その瞳の奥で、何かがほどけていくのが見えた。
「……君は不思議だな。私は長い間、雪のように冷たいままで生きてきたのに」
「雪も、太陽を待っています」
彼の唇がわずかに弧を描いた。
その笑みはほんの一瞬のものだったが、氷が解ける音が確かに聞こえた気がした。
◇
礼拝堂を出るころ、雪はやみ、薄日が差していた。
道の途中でアレクシスが立ち止まり、私の肩に外套をかける。
「冷える。手が赤い」
「大丈夫です。……それより、あなたが笑うなんて、珍しいですね」
「笑っていたか?」
「ええ、少しだけ。でもとても、いい顔でした」
彼はわずかに息を吐き、呟く。
「なら、たまには悪くないな」
そう言って歩き出す彼の背中を見ながら、私は思った。
この人の中に閉ざされた“冬”を、私は少しずつ溶かしていけるのかもしれない。
雪解けの音が、二人の足音と混じりながら、遠くへと続いていく。
世界はまだ白いままだが、私の心の中には確かな春の色が灯っていた。
翌朝。山から吹き下ろす風が一段と冷たくなり、屋敷の窓はうっすらと氷の花で覆われていた。朝靄の向こう、遠くの森は白く沈黙し、まだ眠っている。私は厚手のマントを肩に掛け、研究室へ向かった。夜のうちに調整した共鳴石の回路を、アレクシスに見せる約束をしていたのだ。
廊下を抜け、扉を開けると、すでに彼はそこにいた。黒い外套のまま、窓辺で黙って外を見ている。薄い光が灰色の瞳に差し込み、彼の表情を静かに照らした。
「おはようございます、アレクシス様」
「おはよう、レティシア。今朝は早いな」
「興奮して眠れなくて……昨日の装置、安定稼働を確認しました。温度制御も正常です」
私がそう言うと、アレクシスはわずかに目を細めた。
「本当に、君の共鳴式は常識を覆すな。王都の学者なら三日かかる修理を、一晩で終わらせるとは」
「いえ……ただ、音を聞くだけです」
彼は小さく笑った。
「音、か。君にとっては、それがすべてなんだな」
その声はいつもより柔らかく、胸の奥に温かく残った。
◇
装置の調整を終えたあと、アレクシスは「少し付き合え」と言って屋敷の外に出た。
雪の積もる庭を抜け、裏山の小道を登っていく。冷たい空気が肺に染み、足跡が二人分、並んで続く。
「この先に、私が見せたいものがある」
「見せたいもの……?」
やがて木々の間から石造りの建物が現れた。
小さな礼拝堂のような佇まい。だが壁の隙間からは古びた機械の部品が覗き、屋根には魔力導管が走っている。
「これは……」
「昔、私の父が作った“共鳴装置”だ」
アレクシスの声は低く、静かに雪を踏む音と混じった。
「父は、この地の寒冷を制御する装置を研究していた。だが、実験の最中に暴走が起き、父は……ここで命を落とした」
「――そんな……」
「その日から、私は人を信じるのをやめた。どれだけ知識を積もうと、人の心の軽率さひとつで、全ては壊れる。王都の研究者たちは事故の責任を私に押し付け、父の名も笑った」
灰銀の瞳が一瞬、曇る。
彼が冷徹と呼ばれるようになった理由を、私はようやく理解した。
失ったのは地位でも名誉でもない――信頼だったのだ。
「……アレクシス様」
「君の共鳴式を見たとき、思った。父が追い続けた“世界を繋ぐ音”が、まだどこかで生きているのではないかと」
彼の手が、古い装置の表面に触れる。
指先がわずかに震えていた。
私は迷わず、その手に自分の手を重ねた。
「……もう一度、やり直しましょう。お父様が夢見たものを、今度はあなたと一緒に」
アレクシスは静かに目を閉じた。
その瞳の奥で、何かがほどけていくのが見えた。
「……君は不思議だな。私は長い間、雪のように冷たいままで生きてきたのに」
「雪も、太陽を待っています」
彼の唇がわずかに弧を描いた。
その笑みはほんの一瞬のものだったが、氷が解ける音が確かに聞こえた気がした。
◇
礼拝堂を出るころ、雪はやみ、薄日が差していた。
道の途中でアレクシスが立ち止まり、私の肩に外套をかける。
「冷える。手が赤い」
「大丈夫です。……それより、あなたが笑うなんて、珍しいですね」
「笑っていたか?」
「ええ、少しだけ。でもとても、いい顔でした」
彼はわずかに息を吐き、呟く。
「なら、たまには悪くないな」
そう言って歩き出す彼の背中を見ながら、私は思った。
この人の中に閉ざされた“冬”を、私は少しずつ溶かしていけるのかもしれない。
雪解けの音が、二人の足音と混じりながら、遠くへと続いていく。
世界はまだ白いままだが、私の心の中には確かな春の色が灯っていた。
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