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記憶喪失
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「ここはどこ……」
ふと目を覚ますとと見知らぬ場所で寝ていた。起き上がり、辺りを見回してみてもこの風景に覚えなどない。鬱蒼と生い茂る草木に阻まれ、ぐるりと見渡せど人の気配も感じ取れない。
困ったことに自分がどこからやって来たのか帰り道も分からないのだ。
さっきまで幼い頃の夢を見ていたような浮ついた心地だ。
「うっ……」
頭がずきずきと痛む。思考に靄がかかったような独特の感覚に覚えがあった。
――アヤ、君を待っているからね。
私をアヤと呼ぶのは誰だろう。もう顔も思い出せない。何度も夢に出てくるあの少年は一体何者か。
「でも、そうね。アヤ、というのは私の名前だわ」
しかし、夢のおかげで自分の名前がアヤという事だけはどうにか思い出せた。
どれくらいこの場所で寝ていたのだろうか。空を見上げれば、昼はとっくに過ぎているようだった。
「もうじき日が暮れるわ。急がないと山を下りられなくなる」
心臓は早鐘を打ち、煩くて落ち着かない。果てのない木々の騒めきに追い立てられる。
「この道を辿ればもしかして戻れるかもしれない」
辛うじて見つけたのは舗装もされていない山道だ。下手をしたらここを通るのは人間ではなく森の獣たちかもしれない。
アヤは歩みを止め、再び周囲に視線を巡らせる。決して助けを呼べるような状況ではなかった。
「薄着だと、きっと夜は厳しいわね」
時々独り言で恐怖をまぎらわせる。野生動物と遭遇しないだけ良いのだと言い聞かせ、とにかく歩く。
しかし、感覚を頼りに一時間ほど歩いたところで人とすれ違うことはない。
太陽がにわかに陰りを見せ始め、あっと言う間に日の光は雲に遮られた。重たい空が今にも泣き出しそうだ。
「どこでもいい。今晩だけでも雨風しのげる場所を見つけないと凍えてしまうかもしれない」
ひんやりとした湿気を含んだ風が肌を撫でる。
夜を越せる安全そうな場所が都合よく近くにあるとも思えない。少し開けた場所まで行って枯草や枝を集めてきた方がいいだろうかと焦りが募る。
せめて何もなくとも大きな木の陰に座り、風を避けてどうにかやり過ごすだけでも違うだろう。
そう考え、またしばらく歩いてみたが身を休めるのに適した場所は見当たらなかった。もう夜を越す準備をした方がいいのだろうが、暗い森の中で野宿をする決心もつかなかった。
それでもあと少し歩こうとなだらかな峠を越えた時だった。さらさらと流れ行く小さな川を見つけたのだ。もうすぐ日が沈む。アヤは自分の勘にかけてみることにした。
川の流れにそって山を降りていくのだ。そうすればいずれは大きな川とぶつかり、果ては海へと注ぎ込む。むやみに歩き回るより人里へ帰りつく確率は上がるだろう。
もう時間がないが、希望を捨てることは出来ない。降りられる道を見つけ、川幅が狭い場所を渡った。
もしかして、と渡った先のなだらかな川縁を登り、遠くまで見渡してみる。
「……家が、ある」
遠くにぼんやりと建物が見えた。
不審に思われれば助けてもらえないかもしれないのだ。決して不安は拭えない。
しかし、それでも光明が見えた気がした。何度となく確認してもあの建物は幻覚ではない。人工的に建てられたもので間違いないだろう。
アヤは意を決してその家を目指した。
「すみません――」
辿り着いた先にあったのは一見して小屋にしか思えないこじんまりとしたものだ。とりあえず声をかけてみるが反応はない。それでも鬱蒼とした森の中で人の存在すら感じ取れなかったアヤにとってはありがたかった。
しかし、そもそもこんな辺鄙なところに人が住んでいるのか。つい浮かんだ後ろ向きな疑念を追い払い、アヤはさらに小屋へと近づいた。
例え拒否されたとしても隠れて軒下に座っているくらいは出来るだろうと言い聞かせ、心を落ち着かせる。
「誰かいらっしゃいますか」
遠慮気味に声をかけてみるが、返事はない。耳をすませてみても中から物音一つしなかった。
「どなたかいらっしゃいませんか」
再び中へ向かって声をかけてみるも反応はない。
戸に手をかけてみると鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。覗き込むと差し込んだ薄日に照らされ、辛うじて中が見えた。
やはり、誰もいない。住んでいる気配もなかった。
「……お邪魔します」
普段から人がいるわけではないのだろう。暖かさはなく、置かれている生活用具も少ない。
しかし、設えはしっかりとしていて敷いてある畳も新しかった。
――もしも、この家の主がたまたま今夜帰ってきたら。
どうなるか分からないが、その時は素直に謝ろうとアヤは小屋へと足を踏み入れた。日が沈み切れば直ぐに凍えてしまうかもしれない。今日を生き残るために多少の問題は飲み込むしかないのだ。
靴を脱ぎ、小屋の中へと入る。アヤひとりが寝るには十分な広さだ。
何か暖をとれるものはないかと部屋の中を探してみるも布団は見当たらなかった。
小さな部屋の真ん中にある囲炉裏を見てため息をつく。問題は火を起こせないことだ。
身ひとつで森の中で倒れていたのだ。持ち物は何一つない。マッチもライターもあるわけがないのだ。
「食料も何もなさそうね」
食料があれば少し失敬していこうと考えていたが、あてが外れた。
役に立ちそうなものは唯一茣蓙だけ。これもい草の香りが残っている新しいものだ。
やはり、定期的に人は訪れているらしい。その確信を得られただけ良かったとしよう。近隣に人里があるとすれば、明日は道に沿って歩いていくだけでいいのだから心持ちは楽だ。
しばらく何もせずに座っていると降り始めた雨がばらばらと屋根を叩き始めた。疲れた身体を休めている間に本降りとなってきたのだろう。雨音が激しくなり、いつしか外は真っ暗になっていた。
ふと目を覚ますとと見知らぬ場所で寝ていた。起き上がり、辺りを見回してみてもこの風景に覚えなどない。鬱蒼と生い茂る草木に阻まれ、ぐるりと見渡せど人の気配も感じ取れない。
困ったことに自分がどこからやって来たのか帰り道も分からないのだ。
さっきまで幼い頃の夢を見ていたような浮ついた心地だ。
「うっ……」
頭がずきずきと痛む。思考に靄がかかったような独特の感覚に覚えがあった。
――アヤ、君を待っているからね。
私をアヤと呼ぶのは誰だろう。もう顔も思い出せない。何度も夢に出てくるあの少年は一体何者か。
「でも、そうね。アヤ、というのは私の名前だわ」
しかし、夢のおかげで自分の名前がアヤという事だけはどうにか思い出せた。
どれくらいこの場所で寝ていたのだろうか。空を見上げれば、昼はとっくに過ぎているようだった。
「もうじき日が暮れるわ。急がないと山を下りられなくなる」
心臓は早鐘を打ち、煩くて落ち着かない。果てのない木々の騒めきに追い立てられる。
「この道を辿ればもしかして戻れるかもしれない」
辛うじて見つけたのは舗装もされていない山道だ。下手をしたらここを通るのは人間ではなく森の獣たちかもしれない。
アヤは歩みを止め、再び周囲に視線を巡らせる。決して助けを呼べるような状況ではなかった。
「薄着だと、きっと夜は厳しいわね」
時々独り言で恐怖をまぎらわせる。野生動物と遭遇しないだけ良いのだと言い聞かせ、とにかく歩く。
しかし、感覚を頼りに一時間ほど歩いたところで人とすれ違うことはない。
太陽がにわかに陰りを見せ始め、あっと言う間に日の光は雲に遮られた。重たい空が今にも泣き出しそうだ。
「どこでもいい。今晩だけでも雨風しのげる場所を見つけないと凍えてしまうかもしれない」
ひんやりとした湿気を含んだ風が肌を撫でる。
夜を越せる安全そうな場所が都合よく近くにあるとも思えない。少し開けた場所まで行って枯草や枝を集めてきた方がいいだろうかと焦りが募る。
せめて何もなくとも大きな木の陰に座り、風を避けてどうにかやり過ごすだけでも違うだろう。
そう考え、またしばらく歩いてみたが身を休めるのに適した場所は見当たらなかった。もう夜を越す準備をした方がいいのだろうが、暗い森の中で野宿をする決心もつかなかった。
それでもあと少し歩こうとなだらかな峠を越えた時だった。さらさらと流れ行く小さな川を見つけたのだ。もうすぐ日が沈む。アヤは自分の勘にかけてみることにした。
川の流れにそって山を降りていくのだ。そうすればいずれは大きな川とぶつかり、果ては海へと注ぎ込む。むやみに歩き回るより人里へ帰りつく確率は上がるだろう。
もう時間がないが、希望を捨てることは出来ない。降りられる道を見つけ、川幅が狭い場所を渡った。
もしかして、と渡った先のなだらかな川縁を登り、遠くまで見渡してみる。
「……家が、ある」
遠くにぼんやりと建物が見えた。
不審に思われれば助けてもらえないかもしれないのだ。決して不安は拭えない。
しかし、それでも光明が見えた気がした。何度となく確認してもあの建物は幻覚ではない。人工的に建てられたもので間違いないだろう。
アヤは意を決してその家を目指した。
「すみません――」
辿り着いた先にあったのは一見して小屋にしか思えないこじんまりとしたものだ。とりあえず声をかけてみるが反応はない。それでも鬱蒼とした森の中で人の存在すら感じ取れなかったアヤにとってはありがたかった。
しかし、そもそもこんな辺鄙なところに人が住んでいるのか。つい浮かんだ後ろ向きな疑念を追い払い、アヤはさらに小屋へと近づいた。
例え拒否されたとしても隠れて軒下に座っているくらいは出来るだろうと言い聞かせ、心を落ち着かせる。
「誰かいらっしゃいますか」
遠慮気味に声をかけてみるが、返事はない。耳をすませてみても中から物音一つしなかった。
「どなたかいらっしゃいませんか」
再び中へ向かって声をかけてみるも反応はない。
戸に手をかけてみると鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。覗き込むと差し込んだ薄日に照らされ、辛うじて中が見えた。
やはり、誰もいない。住んでいる気配もなかった。
「……お邪魔します」
普段から人がいるわけではないのだろう。暖かさはなく、置かれている生活用具も少ない。
しかし、設えはしっかりとしていて敷いてある畳も新しかった。
――もしも、この家の主がたまたま今夜帰ってきたら。
どうなるか分からないが、その時は素直に謝ろうとアヤは小屋へと足を踏み入れた。日が沈み切れば直ぐに凍えてしまうかもしれない。今日を生き残るために多少の問題は飲み込むしかないのだ。
靴を脱ぎ、小屋の中へと入る。アヤひとりが寝るには十分な広さだ。
何か暖をとれるものはないかと部屋の中を探してみるも布団は見当たらなかった。
小さな部屋の真ん中にある囲炉裏を見てため息をつく。問題は火を起こせないことだ。
身ひとつで森の中で倒れていたのだ。持ち物は何一つない。マッチもライターもあるわけがないのだ。
「食料も何もなさそうね」
食料があれば少し失敬していこうと考えていたが、あてが外れた。
役に立ちそうなものは唯一茣蓙だけ。これもい草の香りが残っている新しいものだ。
やはり、定期的に人は訪れているらしい。その確信を得られただけ良かったとしよう。近隣に人里があるとすれば、明日は道に沿って歩いていくだけでいいのだから心持ちは楽だ。
しばらく何もせずに座っていると降り始めた雨がばらばらと屋根を叩き始めた。疲れた身体を休めている間に本降りとなってきたのだろう。雨音が激しくなり、いつしか外は真っ暗になっていた。
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