河川敷のピロウトーク

河川敷のピロウトーク

　自殺志願者の気は知れない。

　とりわけ、夕刻の河川敷を歩きながら呑気にポッキーにパクついている自殺志願者の気なんて、私は知らないし知りたくもなかった。

　隣を歩く彼女の髪は肩にかかるセミロングで、肌は雪のように真っ白だ。暗い夕景のなかに浮き上がる肌は生気を感じさせなくて、実はもう死んでいるのではないかと、齢一五歳の私に錯覚させる。
　喪服のような黒い髪を冬の冷たい風に遊ばせて、彼女はいつもの飄々とした相変わらずの調子で言った。

「もうね、死んじゃった方が楽だと思うんだ。人生生きていくには長過ぎるし、大人になると責任と義務と抑圧の毎日なんだよ」

　だから死ぬことにした。
　彼女がはじめにそう言ってからはや五分。帰路の河川敷は道の半ほど。河川敷が終われば、私達の帰路は別れる。仮に彼女が本気で自殺をする気でいるのなら、引き留める機会はいましかなかった。
　私の押す自転車の籠には二人分の制鞄が乗っている。ポッキーの赤い箱は彼女が自分の手で持っている。
　不平等だと。そう思った。

「ポッキー、ちょうだい。私だけ荷物持ちなんだけど」

「やだね。最後の晩餐だよ。誰にもあげない」

　ぽり。ポッキーの棒が、彼女の唇の狭間で折れた。あの厚い、触れると濡らしたフェルトのような触り心地の唇の間で。

「それにしても今日は寒いね」

　それはそうだ。一二月なのだから。
　震えた彼女が口から吐いた熱い息を浴びてもなお、その指先は赤く悴んでいる。あるいは、紅潮していた。きっとそうだった。紅潮しているに違いない。
　あの熱い、甘い吐息を浴びて理性を保てるものが存在するはずがなかった。それは彼女自身の手の平だって同じはずだ。
　彼女の手は長くてしなやかで、けれど楽器をやっているからか少し固い。彼女は爪の手入れにいつも気を配っていて、爪は切らずにやすりで削る。「時間がかかるだけだろう」そう問いかけたことは数知れない。それに彼女が「大切なものを傷つけたくない」と答えるまでが常だった。
　それが彼女の愛機の白いギターに向けられたものか。それとも私に向けられたものなのか。答えを知るのが怖くて、私はいつも聞けずにいた。

「ねぇ、今日。家、親の帰り遅いんだけどさ。……寄ってく？」

「一緒に死んでくれるなら」

「絶対にやだ」

「じゃあパスで。行っても、どうせまた襲われそうだから」

　その一言で肩が跳ねる。ちょうど小学生が隣を駆け抜けていって、彼女の姿を目で追っていた。彼女は謙遜して否定するだろうけど、生粋の初恋泥棒であることをいい加減少しは自覚するべきだと思う。
　思わず耳まで体が熱くなった。
　顔を伏せて、足下に言い訳を探す。長く伸びる私の影は、私のなかには収まりきらなかった欲求みたいに黒くて大きくて、不明瞭な輪郭をしていた。
　僅かに沈黙が落ちる。
　河川敷はもう真ん中。彼女を郊外に運ぶ電車の停まる駅が、刻一刻と迫り出す。

「勘違いしないでね。別に貴方とのセックスが不快だったからとか、自分が同性愛者だって自覚したから自殺するとかそんなんじゃないから」

「ハッキリ言うな……」

　三日前の放課後。
　彼女の乗る帰りの電車が駅に来る時間まで、いつものように私の家でくっついて二人でゲームをしていた。
　事のはじまりはほんの些細なこと。
　彼女が暖房のつよい部屋にいて少し汗ばんだみたいで、ブレザーとセーターを脱いだのがきっかけだった。
　魔がさして彼女に抱きついた。彼女は少し戸惑っていたような気がする。
　普段は飄々としている彼女が目を見張って、その表情に心臓が締まるような感覚が起こった。だから今度は少し大胆に、彼女のおっぱいに両手を重ねた。手の平から少し零れる、その位の大きさだった。あまりに反応が可愛かったから、ブレザーを持ち上げた。下着は、彼氏もいないのにレースついたの白色。乳房も顔と同様に、真っ白で、そして何より甘かった。あそこに触れると、紅潮した彼女はちいさく肩を震わせた。

「なんで死ぬなんて言い出したの」

　自転車を止めて問う。
　足を止めた彼女は髪をかきあげて、静かに目を伏せた。すこし苦かった耳の味が、舌の先に蘇る。苦かったのは耳に飾られたピアスの、鋭い鉄の味。私は金属アレルギーだから、あの後しばらく舌先がピリピリした。

「今の自分が嫌いだから。大人になりたくないから。これじゃあ、納得できない？」

「それは私とセックスしたから？　大人になったら、男の人とセックスして子供を作らないといけないから？」

　自分でも意外なほど「セックス」という単語は流暢に出た。いつも女友達と話すときは、「ヤる」と「シた」とか濁すのに。

「……そうだね。それは正解かも。貴方とセックスしたから、私は自分が男の人とセックスしている未来を想像出来なくなったのは事実だよ」

「じゃあ死ぬのは私のせい？」

「うん。貴方のせい。貴方が私に生きていく退屈さを刻んだの」

　彼女が歩み寄って来る。
　私よりも身長は一回りくらい高くて、近づくと彼女の肩は私の目戦と同じ高さになる。ふわ、と香水が香った。じわり、とお腹が熱を帯びる。
　それから言葉もなく彼女が私を抱きしめてきて、背筋を何かが駆け上がった。一瞬、呼吸が止まる。次の瞬間から私は肩で呼吸するようになって、縋るように彼女のブレザーを掴んだ。

　つま先で立って、体温を伝え合う。
　そのうち布越しに交わすことさえもどかしくなって、それでもやっぱり外だから服を脱ぐなんて真似はできなくて。



　別れ際のキスは、彼女の歯並びを覚えるほど深く、飽きるくらい長かった。