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終章
春の学園にて
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妙なことになった、と俺は学園について一番に思った。厩にみたことのない石造りの駐輪場ができていて、そこに若い番兵が立っていたからだ。
「おはようございます!大公閣下、妃殿下!」
駆け寄ってきた副校長は、俺から大型二輪の錠前を受け取ると、素早い動きで二輪を駐輪場へと押していった。
「馬丁のつもり、かしら?」
シャルロットが言って首を傾げる。前に居たシャルロットをバカにしていた厩の若い馬丁たちの姿はなく、クビになったのか、移動になったのか、それすらわからなかった。
玄関前へ到着すると、そこには秋とは全く違う敷物が敷かれていた。
見慣れた緋色の王室用毛氈は取り払われ、そこに大公家の色である深緑と紺色の毛氈が敷かれていたからだ。
「なんというか、あからさまよね。マリエッタだってまだ在学しているのに」
シャルロットは戸惑ったようにそれを眺める。そうだ、ウィル殿下が卒業しても緋毛氈が敷かれていたのは、婚約者のマリエッタがいたからだった。
「どちらにせよ、特別室はマリエッタが使ってる。一般棟まではなんもしてないだろ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺の意見はあながち間違ってはいなかった。
「まさか、特別棟がつくられているとは思わなかったわね……」
シャルロットは芸術科の秋までのカリキュラムを見ながらため息をつく。
「まあ、4ヶ月ちょっとで卒業まで持っていかないといけないしな」
俺も自分のカリキュラムを見てため息をついた。だいぶがり勉しないとどうにもならん。本来なら既に本課程はほぼ終了し、卒業へむけてのんびりと茶でも啜りながら卒業記念の茶会の準備について話し合うような時期だ。暇な学生たちと同じ学舎ではカッコ悪いことこの上ないだろうな。
「私は去年基礎教育の本課程は修了してるから、ダンスのレッスンと交流のあった令嬢からお誘い頂いてるお茶会ばかりだけど」
とシャルロットはカリキュラムをこちらに見せた。
「茶会か」
そういえばウィル殿下の時は……とシャルロットを見ると、困ったように肩を落としていてはらはらする。
「そうよね、ウィルのときにあの天幕だったもの、このままだとまた新調して紺と緑の天幕をつくっていそうよね。目立つのはあまり嬉しくないわ」
そう言って眉を下げる。……何の心配をしてるんだか。
とにかく、卒業記念茶会についてシャルロットが鬱々としないでいてくれて、ちょっとホッとした。でも、シャルロットが辛い思いをしたあの時を、俺はやっぱり後悔している。
「シャルロット……」
俺が話しをしようとした、その時。
パン!と大きな音を立てて、引き戸の扉が開かれた。
「……マリエッタ・ゴードン伯爵令嬢、こんにちは」
シャルロットが立ち上がろうとすると、マリエッタはその腕を掴んだ。
「妃殿下ですぅ!シャルロットさん、ひどいじゃないですか!なんで戻ってきたんですか?ダニエルを誑かして奥さんになるなんて、そこまでしてウィルの愛人になりたかったなら、私にちゃんと相談してくれればよかったのに!」
小柄だが、マリエッタはとても力が強い。シャルロットはずるずると引きずられて行く。
「でも、近衛兵につかまっちゃったら愛人にはなれませんね!残念です!」
訳のわからないことを言いながら、どこかへ連れ去ろうとする。何でいつもマリエッタはこう突然なんだ?
「マリエッタ、待て。待ってくれ、シャルロットが何をしたっていうのか説明しろよ」
シャルロットを引き戻しながら、俺はマリエッタに尋ねた。
「私の嫁入り道具として王妃さまからゆずっていただいた花嫁衣装のベールが盗まれました!」
……は?俺はシャルロットの方を見た。
「シャルロットと俺は一昨日王都についたんだ、王宮殿に行ってない。それに、シャルロットは君の家を知らないはずだろ?」
それを聞くと、マリエッタは泣きそうな顔で俺を見る。
「かわいそうなダニエル、シャルロットさんに騙されてるんですね。でも、ゲノーム家のこの女の部屋からベールが出てきてしまったら、言い訳はたちませんよね!」
なんてことだ。以前、マリエッタはこの学園で教科書や、靴などが失くなったとしょっちゅう俺たちに泣きついていた。大概はシャルロットやその周りの令嬢のいた場所から見つかり、シャルロットのせいという事になっていたのだが。……こういうことだったのか。
「シャルロット」
俺がシャルロットに声をかけると、彼女は肩をすくめて呆れた、というような仕草をしてみせた。
「ガイズ、シャルロットを頼む」
声をかけると廊下に立って、中の様子を見ていたガイズがシャルロットに手を差し出す。教師の待つシャルロットのレッスン室まで、護衛してくれるはずだ。
一方のマリエッタは何か誤解したらしい。
「よかった、ホントはすごく怖くて……」
等とぶつぶつ言いながらこちらにしなだれかかろうとしてくるから、俺はさっと避ける。
「マリエッタ、君に聞いておきたいことがあったんだ」
たたらを踏んだマリエッタは、ぷく、と頬をふくらませて俺を見た。
「ダメですよぅ、私は王太子の婚約者ですもん、大公の恋人にはなれません」
だめだな、つい舌打ちが出てしまう。マリエッタは驚いたようにこちらを見上げている。
「聞きたいのは、君がゴードン伯爵の血の繋がった娘で、海外の寄宿学校にいたというのは本当か、てことなんだが」
マリエッタはええ、と微笑んだ。
「そうよ?だから私は海が好きなの、貝殻や珊瑚もね……」
マリエッタは勝手にソファに座り、シャルロットのために用意されたカップから茶を飲みながら、作り話の設定資料みたいなものを話しだした。
海、そういえばシャルロットは海に行ったことがないと言っていたな。今年の夏、行けるだろうか?時間を作ってなんとしても連れていってやらないとなあ……。
「ダニエル?聞いてるの?」
ああ、とマリエッタに意識を戻した。どうやら無駄話は終わったらしい。
「マリエッタ、エルミサードという町を知ってるか?」
途端にマリエッタは眉をしかめた。
「知らないわ、そんな寂れた町のこと」
マリエッタは首を振る。が、領主不在でエルミサードが寂れているなんて地理の授業でも習わない。
「そうか……ああ、そうだ。ひとつ最後に教えておく」
俺はマリエッタの腕を掴んで立たせ、特別棟の出口へと引きずりながら話し始めた。
「王や王太子はたしかに人妻でも王宮殿に囲って愛妾にできるが、王妃や王太子妃にはなれない。なぜか解るか?」
びくっ、とマリエッタの腕が震えた。
「…………どうして?」
俺はマリエッタを見下ろし、口元を引き上げた。
「簡単だろ、この国では重婚は重い罪だからさ。特に王族を騙した罪はとても重い。シャルロットをウィル殿下が『血統主義者』と罵ってたけど、まだまだそういう考えも根強いのがこの国だからな」
へえ、そうなんだ、とマリエッタは震える声で言う。冷や汗が襟元をつたうのが見えたから、指で掬ってやった。
「マリエッタ、暑いのか?汗をかいてる」
いいえ、とマリエッタは俺の腕から逃れて、教員棟へ向かう通路へ向きを変えた。
「わ、私は海外に住んでたから、ダニエルが言ってること、なんだかわからないな!じゃ、じゃあ!またね!」
バタバタとマリエッタは逃げるように去っていった。いや実際、逃げたんだろうな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ありがたいことにマリエッタはその日、それから姿を見せなかった。あの調子で騒がれては卒業どころじゃなくなるので、ホッとした。
放課後にシャルロットを乗せて、公爵邸につくと、豪華な4頭だての馬車が車止めに停まっていた。
「バリー宰相の家の馬車だわ」
宰相?なんでそんなもんがここに?俺はシャルロットの前に立って玄関へ向かっていった。
「久しぶりだなダニエル」
声をかけてきたのは、ロイスだった。俺は黙ってそのまま通りすぎる。シャルロットが戸惑ったように俺の袖をひいたが、そもそもむこうが礼儀に沿わぬ態度だったのだ。こちらがへりくだるような立場ではない。
「公爵、なにがあったんだ」
俺はそのままつかつかと中へ入って行き、そわそわと歩き回っていたゲノーム公爵に尋ねた。
「ああ……大公閣下。宰相の子息が近衛兵をつれておいでになったのだ。シャルロットが皇太子宮で盗みを働いたと……」
ゲノーム公爵は大量の汗をかきながら答えた。どうやらゲノーム公爵はなにも知らされていなかったらしい。マリエッタの計画性の無さは、かえってこちらの助けになることが多いな。
「へえ、何か見つかったのか?」
それが、と公爵は困ったように両手を絞るような仕草をした。
「いいえ!今のところはこれだけしかみつかっておりません」
小さな体を精一杯しゃんと伸ばし、やってきたのは俺が大公家からつけたシャルロットの侍女だ。
「麻縄と……囚人用の轡?」
嫌な予感がして、シャルロット、と声をかけた。シャルロットはええ、と頷く。
「おそらく父が普段から私に使うよう侍女に渡していたものですわ」
なるほどね。俺が侍女をつけていなければ、今頃シャルロットは行方不明になっていたわけだ。
「マリエッタ嬢はシャルロットがベールを盗んだと言ってる。なんでもいいから早く出せ」
他にも仕事はあるんだ、とロイスは面倒くさそうに俺に言った。
「だが、公爵家で、昨日皇太子宮に出入りしたものはいないだろ?」
え?とロイスは首をかしげた。
「マリエッタは昨日皇太子宮で、シャルロットの侍女を見たと言っていたが?」
振り返ると、シャルロットの侍女は首を振り、
「昨日は私も妃殿下も、シェーンベルク公爵邸にご挨拶にあがっておりました。公式なものですので、記録が残っているかと」
と答えた。
「ほ、他の侍女がいるだろう!」
俺は呆れた、というように
「大公家のシャルロットの侍女は昨日大公邸でアルゼリア子爵に会ってる。確認してもいいが」
と答えた。
ロイスはキョロキョロと周りを見回して侍女頭を指差し、
「あ、あの女、あの女ではないのか?いつもシャルロットが連れていたのは!」
と言う。
「ゲノーム公爵の侍女?」
と、俺は大袈裟に反応してみせた。公爵はあわてふためき、逃げ出そうとする。ロイスは驚き、こちらを振り返る。
「捕まえろ!王太子宮殿で何かを盗んだ犯人だ!大公妃に対する軟禁未遂の犯人でもある!捕まえろ!」
ええ!とシャルロットが口元を覆った。
「お父様、どうして?」
だから、シャルロットはいつも演技が大袈裟すぎて下手なんだよ……。
捕まえろと命じられた近衛兵は、揃ってゲノーム公爵にとびかかった。
「私が何を盗んだというんだ!私はなにも知らん!やめてくれ!」
悲鳴をあげながら、屈強な騎士に連れ去られる公爵に、つい忍び笑いが漏れる。ロイスは信じられないものをみるように、目を剥いてこちらを見ていた。
「おはようございます!大公閣下、妃殿下!」
駆け寄ってきた副校長は、俺から大型二輪の錠前を受け取ると、素早い動きで二輪を駐輪場へと押していった。
「馬丁のつもり、かしら?」
シャルロットが言って首を傾げる。前に居たシャルロットをバカにしていた厩の若い馬丁たちの姿はなく、クビになったのか、移動になったのか、それすらわからなかった。
玄関前へ到着すると、そこには秋とは全く違う敷物が敷かれていた。
見慣れた緋色の王室用毛氈は取り払われ、そこに大公家の色である深緑と紺色の毛氈が敷かれていたからだ。
「なんというか、あからさまよね。マリエッタだってまだ在学しているのに」
シャルロットは戸惑ったようにそれを眺める。そうだ、ウィル殿下が卒業しても緋毛氈が敷かれていたのは、婚約者のマリエッタがいたからだった。
「どちらにせよ、特別室はマリエッタが使ってる。一般棟まではなんもしてないだろ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺の意見はあながち間違ってはいなかった。
「まさか、特別棟がつくられているとは思わなかったわね……」
シャルロットは芸術科の秋までのカリキュラムを見ながらため息をつく。
「まあ、4ヶ月ちょっとで卒業まで持っていかないといけないしな」
俺も自分のカリキュラムを見てため息をついた。だいぶがり勉しないとどうにもならん。本来なら既に本課程はほぼ終了し、卒業へむけてのんびりと茶でも啜りながら卒業記念の茶会の準備について話し合うような時期だ。暇な学生たちと同じ学舎ではカッコ悪いことこの上ないだろうな。
「私は去年基礎教育の本課程は修了してるから、ダンスのレッスンと交流のあった令嬢からお誘い頂いてるお茶会ばかりだけど」
とシャルロットはカリキュラムをこちらに見せた。
「茶会か」
そういえばウィル殿下の時は……とシャルロットを見ると、困ったように肩を落としていてはらはらする。
「そうよね、ウィルのときにあの天幕だったもの、このままだとまた新調して紺と緑の天幕をつくっていそうよね。目立つのはあまり嬉しくないわ」
そう言って眉を下げる。……何の心配をしてるんだか。
とにかく、卒業記念茶会についてシャルロットが鬱々としないでいてくれて、ちょっとホッとした。でも、シャルロットが辛い思いをしたあの時を、俺はやっぱり後悔している。
「シャルロット……」
俺が話しをしようとした、その時。
パン!と大きな音を立てて、引き戸の扉が開かれた。
「……マリエッタ・ゴードン伯爵令嬢、こんにちは」
シャルロットが立ち上がろうとすると、マリエッタはその腕を掴んだ。
「妃殿下ですぅ!シャルロットさん、ひどいじゃないですか!なんで戻ってきたんですか?ダニエルを誑かして奥さんになるなんて、そこまでしてウィルの愛人になりたかったなら、私にちゃんと相談してくれればよかったのに!」
小柄だが、マリエッタはとても力が強い。シャルロットはずるずると引きずられて行く。
「でも、近衛兵につかまっちゃったら愛人にはなれませんね!残念です!」
訳のわからないことを言いながら、どこかへ連れ去ろうとする。何でいつもマリエッタはこう突然なんだ?
「マリエッタ、待て。待ってくれ、シャルロットが何をしたっていうのか説明しろよ」
シャルロットを引き戻しながら、俺はマリエッタに尋ねた。
「私の嫁入り道具として王妃さまからゆずっていただいた花嫁衣装のベールが盗まれました!」
……は?俺はシャルロットの方を見た。
「シャルロットと俺は一昨日王都についたんだ、王宮殿に行ってない。それに、シャルロットは君の家を知らないはずだろ?」
それを聞くと、マリエッタは泣きそうな顔で俺を見る。
「かわいそうなダニエル、シャルロットさんに騙されてるんですね。でも、ゲノーム家のこの女の部屋からベールが出てきてしまったら、言い訳はたちませんよね!」
なんてことだ。以前、マリエッタはこの学園で教科書や、靴などが失くなったとしょっちゅう俺たちに泣きついていた。大概はシャルロットやその周りの令嬢のいた場所から見つかり、シャルロットのせいという事になっていたのだが。……こういうことだったのか。
「シャルロット」
俺がシャルロットに声をかけると、彼女は肩をすくめて呆れた、というような仕草をしてみせた。
「ガイズ、シャルロットを頼む」
声をかけると廊下に立って、中の様子を見ていたガイズがシャルロットに手を差し出す。教師の待つシャルロットのレッスン室まで、護衛してくれるはずだ。
一方のマリエッタは何か誤解したらしい。
「よかった、ホントはすごく怖くて……」
等とぶつぶつ言いながらこちらにしなだれかかろうとしてくるから、俺はさっと避ける。
「マリエッタ、君に聞いておきたいことがあったんだ」
たたらを踏んだマリエッタは、ぷく、と頬をふくらませて俺を見た。
「ダメですよぅ、私は王太子の婚約者ですもん、大公の恋人にはなれません」
だめだな、つい舌打ちが出てしまう。マリエッタは驚いたようにこちらを見上げている。
「聞きたいのは、君がゴードン伯爵の血の繋がった娘で、海外の寄宿学校にいたというのは本当か、てことなんだが」
マリエッタはええ、と微笑んだ。
「そうよ?だから私は海が好きなの、貝殻や珊瑚もね……」
マリエッタは勝手にソファに座り、シャルロットのために用意されたカップから茶を飲みながら、作り話の設定資料みたいなものを話しだした。
海、そういえばシャルロットは海に行ったことがないと言っていたな。今年の夏、行けるだろうか?時間を作ってなんとしても連れていってやらないとなあ……。
「ダニエル?聞いてるの?」
ああ、とマリエッタに意識を戻した。どうやら無駄話は終わったらしい。
「マリエッタ、エルミサードという町を知ってるか?」
途端にマリエッタは眉をしかめた。
「知らないわ、そんな寂れた町のこと」
マリエッタは首を振る。が、領主不在でエルミサードが寂れているなんて地理の授業でも習わない。
「そうか……ああ、そうだ。ひとつ最後に教えておく」
俺はマリエッタの腕を掴んで立たせ、特別棟の出口へと引きずりながら話し始めた。
「王や王太子はたしかに人妻でも王宮殿に囲って愛妾にできるが、王妃や王太子妃にはなれない。なぜか解るか?」
びくっ、とマリエッタの腕が震えた。
「…………どうして?」
俺はマリエッタを見下ろし、口元を引き上げた。
「簡単だろ、この国では重婚は重い罪だからさ。特に王族を騙した罪はとても重い。シャルロットをウィル殿下が『血統主義者』と罵ってたけど、まだまだそういう考えも根強いのがこの国だからな」
へえ、そうなんだ、とマリエッタは震える声で言う。冷や汗が襟元をつたうのが見えたから、指で掬ってやった。
「マリエッタ、暑いのか?汗をかいてる」
いいえ、とマリエッタは俺の腕から逃れて、教員棟へ向かう通路へ向きを変えた。
「わ、私は海外に住んでたから、ダニエルが言ってること、なんだかわからないな!じゃ、じゃあ!またね!」
バタバタとマリエッタは逃げるように去っていった。いや実際、逃げたんだろうな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ありがたいことにマリエッタはその日、それから姿を見せなかった。あの調子で騒がれては卒業どころじゃなくなるので、ホッとした。
放課後にシャルロットを乗せて、公爵邸につくと、豪華な4頭だての馬車が車止めに停まっていた。
「バリー宰相の家の馬車だわ」
宰相?なんでそんなもんがここに?俺はシャルロットの前に立って玄関へ向かっていった。
「久しぶりだなダニエル」
声をかけてきたのは、ロイスだった。俺は黙ってそのまま通りすぎる。シャルロットが戸惑ったように俺の袖をひいたが、そもそもむこうが礼儀に沿わぬ態度だったのだ。こちらがへりくだるような立場ではない。
「公爵、なにがあったんだ」
俺はそのままつかつかと中へ入って行き、そわそわと歩き回っていたゲノーム公爵に尋ねた。
「ああ……大公閣下。宰相の子息が近衛兵をつれておいでになったのだ。シャルロットが皇太子宮で盗みを働いたと……」
ゲノーム公爵は大量の汗をかきながら答えた。どうやらゲノーム公爵はなにも知らされていなかったらしい。マリエッタの計画性の無さは、かえってこちらの助けになることが多いな。
「へえ、何か見つかったのか?」
それが、と公爵は困ったように両手を絞るような仕草をした。
「いいえ!今のところはこれだけしかみつかっておりません」
小さな体を精一杯しゃんと伸ばし、やってきたのは俺が大公家からつけたシャルロットの侍女だ。
「麻縄と……囚人用の轡?」
嫌な予感がして、シャルロット、と声をかけた。シャルロットはええ、と頷く。
「おそらく父が普段から私に使うよう侍女に渡していたものですわ」
なるほどね。俺が侍女をつけていなければ、今頃シャルロットは行方不明になっていたわけだ。
「マリエッタ嬢はシャルロットがベールを盗んだと言ってる。なんでもいいから早く出せ」
他にも仕事はあるんだ、とロイスは面倒くさそうに俺に言った。
「だが、公爵家で、昨日皇太子宮に出入りしたものはいないだろ?」
え?とロイスは首をかしげた。
「マリエッタは昨日皇太子宮で、シャルロットの侍女を見たと言っていたが?」
振り返ると、シャルロットの侍女は首を振り、
「昨日は私も妃殿下も、シェーンベルク公爵邸にご挨拶にあがっておりました。公式なものですので、記録が残っているかと」
と答えた。
「ほ、他の侍女がいるだろう!」
俺は呆れた、というように
「大公家のシャルロットの侍女は昨日大公邸でアルゼリア子爵に会ってる。確認してもいいが」
と答えた。
ロイスはキョロキョロと周りを見回して侍女頭を指差し、
「あ、あの女、あの女ではないのか?いつもシャルロットが連れていたのは!」
と言う。
「ゲノーム公爵の侍女?」
と、俺は大袈裟に反応してみせた。公爵はあわてふためき、逃げ出そうとする。ロイスは驚き、こちらを振り返る。
「捕まえろ!王太子宮殿で何かを盗んだ犯人だ!大公妃に対する軟禁未遂の犯人でもある!捕まえろ!」
ええ!とシャルロットが口元を覆った。
「お父様、どうして?」
だから、シャルロットはいつも演技が大袈裟すぎて下手なんだよ……。
捕まえろと命じられた近衛兵は、揃ってゲノーム公爵にとびかかった。
「私が何を盗んだというんだ!私はなにも知らん!やめてくれ!」
悲鳴をあげながら、屈強な騎士に連れ去られる公爵に、つい忍び笑いが漏れる。ロイスは信じられないものをみるように、目を剥いてこちらを見ていた。
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