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日常編7・あやうく白状(ゲロ)りそうに

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 そのまま俺は、午前の授業を全て睡眠学習に替えてしまうという偉業というか異業を成し遂げてしまった。柚繰に昼休みに入った、と肩を揺さ振られて目を覚ます。

 昨日、あれだけ寝たのにここまで熟睡するとはさすが俺様、やることがビッグである。 そして昼飯を食うために、俺が寝ている間何時の間にやら登校していた隼人と何故か無言で俺の傍らに居る柚繰を伴って食堂へ移動する。

 柚繰には女の子同士で昼飯を食べなくていいのか、とそれとなく尋ねてみたが、自分は学食だから浩之君についてきた、と言うのでそのまま行動を共にした。隼人なんかは柚繰が一緒に居るのが余程嬉しいのか、さっきから頬が緩みっぱなしだ。気持ち悪いぞ隼人、顔を見た人が大分退いてるぞ? 学園きっての問題児と謎の美少女転校生。注目度は抜群だった。

 食堂で今日こそ味わおうと和食ランチの食券を買い、本日のランチと引き換える。今日は鮮度が重要な刺身ランチだった。色とりどりの魚の刺身がお皿の上で自己主張をしている。ていうか、刺身なんか学校で出してもいいのだろうか? 採算もそうだが、衛生上あまりよろしくないと思うのだが。まぁ、好物だからいいけどね。

 柚繰は相変わらず小さいうどん一杯のみ。こんなんで本当によくもつものだ。隼人に至っては、ラーメンにカレー(各大盛)、さらにサラダという素敵な量の昼食だった。こいつは逆に食いすぎだろう。

 トレイを持って移動し、隼人が睨みを利かせてテーブルで食っていた生徒をどかす。急遽、使用者が居なくなってしまったテーブルにドカッと腰を下ろして昼食を食い始めた。

「……ところで、隼人。なんで昨日部活に来なかったんだ? 驚いたことに柚繰が部活動見学に来たんだぞ?」

 もぐもぐと刺身を咀嚼しながら隼人に聞いてみた。部活動紹介にははりきって出たクセに何をしていたんだ?

「ん? マジで? そいつは惜しいことをしたなぁ。まぁ、ちょっと家の事でな……不服ながらも西大路だから色々有るのだよ」

 ズルズルと麺を啜りながら隼人は言う。

「俺も暇だから昨日は部活に顔を出そうかとも思ったんだが……家の奴が校門まで車で迎えに来てよ」

「へぇ……そいつは大変なこって……」

「まぁ、西大路も色々大変なんだよ。そんなことよりも俺はお前と柚繰ちゃんの方が気になるぞ? いくら見学に来たからって昨日の今日でなんだその親密さは、名前で呼ばれやがってどういう了見だよコラ、えぇ?」

「(チュルルル…)うん? ……私と浩之君が親密? そうかしら?」

「いや、俺に聞かれても……そういえば、何で柚繰は俺のこと名前で呼ぶんだ?」

 隼人に言われて思い出したが、確かにそれは疑問だ。

「……うーん、特に理由は無いけど、私、前の学校が名前で呼び合う学校だったからその癖が今でもね」

 ゴトッ、と丼をテーブルに置いて柚繰は言う。意外なことに器の中は空だった。

「流石に、接点の無い人はそうはいかないけどね。浩之君は春菜さんとか隼人君が何回も呼びかけてたから覚えたわ。隼人君も凪先生が何回か注意してたとき名前を呼んでたから知ってるわ」

「ふーん、まぁ、そんなもんか。俺はどちらで呼ばれても構わないけどよ」

 多分、他のクラスは昨日の時点で自己紹介しているはずなのだが、うちのクラスの担任凪教諭の方針でうちは自己紹介はしていない。なんでも、初対面で全員が名前を言ってもみんな覚えきれないからだそうだ。だから、接点があるヤツから覚えていけと去年は言っていた気がする。全くもってクールというかなんというか珍しい先生だと思う。

 逆に西大路って苗字はさっき初めて聞いたしね、とお茶を飲みながら柚繰は言った。名前で呼ばれた隼人は顔を真っ赤にしてカレーライスをかっこんでいる。意外に逆境に弱い男なのだ。こんな不意打ちを食らうとは思わなかったのだろう。

 そんな隼人に対して柚繰は首を傾げている。どうして奴の顔が紅いのか分からないのだろう。この二人、中々面白い組み合わせのようだ。

 隼人もカレーを食べ終わり食器を片付けた後も少々食堂でダベっていたが、後の生徒もつかえているので、早めに食堂を出て教室に戻った。



 食後の気怠い雰囲気の中で五限が始まった。まぁ、栄養補給もしっかりと行ったし、午後からは頑張るぞ、一念発起した筈が、何故かまたしても五、六限目の記憶は無い。というより、気がつけば終礼のチャイムが鳴っていたという感じだ。同時に教室から出て行く凪教諭の後ろ姿が見える。……自分の脳味噌に疑問を覚えるが、担任よ、出来れば終礼の際に起こして頂きたい。

「……おはよう、よくそんなに寝れるものね。脳味噌がバターになるわよ?」

 柚繰は呆れてか、至極無表情でそう言った。ちなみにそんな話は聞いたことが無い。

「おはよう……いやはや、自分でも疑問というか……少々、おかいしいんじゃないか、と思わなくも無いが、まぁ春だしね」

 アフゥ、と欠伸を噛み殺す。あれだけ昨日の夜寝たクセによくもまぁ、これほど寝れるものだ、と某のびた君の気持ちが分かる春の午後。

「……深くは追求しないでおくわ」

「ふむ、適当な判断だ……しっかし、今日は部活どうしようかねぇ……」

 凝り固まった筋肉を解しながら言う。当然の如く、隼人はクラス内には居ない。多分、昨日の一件がまだ尾を引いているのだろう。あいつも何かと忙しい奴だ。

「私は……ちょっと用事があるから事務員室に行くわ。転校後の手続きとか色々やらないと」

「おぅ、そうか……」

 ふむ、何かと色々時間が掛かりそうな用事ですな。

「じゃぁ、俺は適当に部活寄ったりしてブラブラするとするかな。そいじゃ、またな柚繰」

「えぇ、また明日。ごきげんよう」

 そう言ってスカートを翻しながら去っていく柚繰。うーむ……彼女の前の学校ってもしかしたらマリア様がご覧になっている学校だったりしてな、なんてお馬鹿チンなことを考えながら俺も歩き出す。さて、どうしようか……昨日の今日では春菜たちは同じ議題で熱く討論しているだろうし、弱ったなぁ……。こういう時こそのための隼人なんだが……全く肝心なときに居やしない。

「……ふむ、そこの暇人」

「ぬ?」

 放課後の自由時間について頭の中で算段を立てていると、不意に後方から声を掛けられた。この声は……?

「えっと、僕チン急用を思い出したんで……その野暮用が」

「ふむ、用件を切り出す前に逃げる術を会得したか。成長したな、巻坂。しかし、前後の文脈が支離滅裂だ。四十五点。話をしている時は相手の目を見ろ」

 そう言われては逃げようもなく、仕方なく振り向くとそこには予想通り我が担任凪琴美教諭が相変わらず惚れ惚れするぐらいかっこよく立っていた。……褒めたら逃げれるかなぁ?

「いやはや、こんちは先生。今日も凛々しいスーツ姿で……。黒板よりも先生を見ていたいほどですよ」

「その割には授業中に寝ていた生徒が二名ほど居たようだが?」

 イカン、藪蛇だっ!?

「……すんません、ご用件は?」

「最初から素直にそう言え。何も取って食おうとしている訳ではないんだから」

 凪女史はそう言って軽く溜め息を吐く。……取って食わなくても毎回重労働させられてりゃ警戒もするって話なんだが。

「あぁ、今日は別に仕事の手伝いとか雑用なんかではないから安心しろ。ま、立ち話も何だ、ちょっと座って話しをしようじゃないか」

 と言って、職員室近くの生徒指導室を親指で軽く指し示す凪先生。

「うえっ!? ぼぼぼぼ僕ちゃん最近とみにいい子ですよ? お、怒られるようなことはなーんもしちょらんですよっ!?」

「……とみにいい子でも困るんだが……そんなに焦るな。今回は本当に世間話程度の雑談だ。気を張らなくてもいい」

 そう言って先に立って歩き出す凪先生。本音を言わせてもらえばそのまま逃げ出したい気持ちで一杯なんだが、それをやると次はまた違った理由で生徒指導室に呼ばれかねないので黙って付いていくことにした。

 生徒指導室と掲げられたプレートの部屋に入るとおなじみの椅子&机のセット。スタンドライトなんかあった日にはやってないことまでゲロってしまいそうだ。

「……とまぁ、生徒指導室まで引っ張り込んでおいて悪いが、話の内容はお前に関することじゃないんだ。どうだ、お隣さんは……上手くクラスに馴染めているか?」

「隣って……柚繰のことですか?」

 促されて座ると古びたパイプ椅子が金属質な音を出した。デスクライトこそないが、何故だかカツ丼大盛りを所望したくなってしまう。

「そうだ。まだ転校二日目でどうとも言えんかもしれないが、端から見てお前はどう感じた?」

「どう……って言われてもまぁ、クラスの奴らとは案外仲良くやってるみたいですよ。授業の方も新学年からだし、大して困ってないと思いますけど……」

 残念ながら授業中は諸事情により柚繰の動向を目にしていないので、詳しいことは何とも言えんがな。

「そうか……今のところ問題は無さそうだな」

ホッと安堵の表情を浮かべる凪女史。意外なことにこの辺は非常に担任らしい一面である。

「あれ、もしかしてそのために柚繰を俺の隣にしたんですか?」

「……ほぅ、意外と鋭いな。半分正解だ。出席番号の順から言ってもお前の隣だったからな。逐一状況を聞ける奴の隣に出来て助かったとだけは言っておこう」

 フフッ、と微妙に表情を和らげ語る凪教諭。

「ちぇっ、何だよ俺は諜報員じゃねぇっつーの……」

「そう、拗ねるな。私の性格上、こういうときに話を聞ける生徒というのは限られてしまうからな。去年、あれだけ指導した甲斐があるというものだ。頼りにしているぞ、巻坂」

「まぁ、構いませんけど……」

雑用云々をやらされるよりよっぽどマシだし。

「本人にも聞いてみたんですか?」

「当たり障りのないことを言われるに決まっているだろ。転校数日で現状に満足出来るような奴はよっぽどさ」

 そりゃそうだ。居たとしても余程アッパーな奴だろう。……残念ながら知り合いにそんなテンションの小さい奴がいるがな。

「私が必要としているのは客観的に見た第三者の意見だ。悪いがGWまでは何度か聞くかもしれん。少々でいいから気にかけといてくれ」

 我が担任はそれだけ言うと内ポケットから何かを取り出そうとして顔をしかめて納め直した。校内は数年前から全面禁煙なのである。

「了解っす。授業中は自信ありませんけどね」

 何故なら夢の国が俺を呼ぶからだ。

「全く……あまり五月蝿くは言わないが高い学費を出してるんだ、それに見合う対価を得た方が賢いと思うぞ」

 苦い顔で担任は最もなことを言う。このさっぱりとした合理的なところがこの先生のいいところだ。
それから、教室での授業中の柚繰の様子等を何点か聞かれて凪先生との世間話は終わった。本当に世間話だけだったので些か肩透しを食らった気分だったが、無事平穏なのはいいことだ。


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