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第5話 対策本部設置
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最悪の目覚めだった。
はっきり言って昨夜はまともに眠ることなどできやしなかった。
眠ってしまえばまた英凛に襲われるのではという杞憂もあったのだが、それよりもなによりも英凛に与えられた快感が私を蝕んで、燠火のように燻り続けている小さな熱が私を睡眠から遠ざけた。
悩み続けていっそのこと英凛に睡眠薬でも貰おうかと考えて、いやそれは今度こそ最後までされてしまう最悪の選択だとすんでのところで気づいたりもしていた。
大体こういうのは、男女が逆なのではないか。
うら若き乙女が、育ての親である年上の男性に淡い恋心を抱く。乙女を可愛く思いながらも欲望を抑えきれなくなってきた男は、豊富な経験を使い「教育」と称して乙女を自分好みに仕立てあげるべく少しずつ快楽を植えつけていく。乙女は為す術もなく与えられた感覚に身を震わせ羞恥に身悶えするが、心とは裏腹に体は拒めない。男は待っている。乙女が我慢できずに、自ら乞い願うのを――
うん、我ながら興奮する設定だ。
それがどうだ、現実は。
愛しく思いながらも欲望が抑えきれずにダダ漏れなのは乙女である英凛の方だし、少しずつというか全力で快楽をねじ込んできているのも英凛だ。
まるで処女のように初めての感覚に身を震わせているのも、羞恥に身悶えしているのも、心と裏腹に体が拒めずに自ら乞い願いそうになっているのも、いい年したむさ苦しいおっさんの私だ。
まあ、私が経験豊富でない時点で設定崩壊しているが。
一体全体どこでどう間違った。
こんな状態どこに需要がある。
誤りは正さねばならない。英凛は私が正しく導かねばならない。
そう決意すると睡眠不足で気だるい体を何とか起こした。眩しくきらめく朝日の中を裏庭に面した回廊を通り抜けて厠へと向かえば、裏庭には今まさに洗濯物を干し終えた、といった状態の英凛がいて私は若干ビクつく。
「あら、旦那様おはようございます。もっと遅くまで寝ていらしても良かったですのに」
「おはよう、英凛……今日は用事があってな……」
「まあ、そうですか。朝ごはん、召し上がられます?」
「ああ……」
「もう用意できていますから。顔だけ洗われたら食堂の方へいらして下さいね」
「あ、ああ……」
それだけ言うと、英凛はさっさと母屋の方へ向かった。
何というか、極々当たり前の朝の光景だ。むしろ熟年夫婦のノリだ。構えてビビっていた私の方が間違っていたような気さえしてくる。普通、あんなことをしてしまった夜の後の女性とは、もっと恥じらいがあるものじゃないのか? よく知らないが。
それはさておき、この時間に朝食が作り終わっていて、洗濯も終えて、裏庭も綺麗に掃き清められていて。それを全て一人でこなしているのだから、侍女としてはこの上なく完璧だろう。
正直言って、侍女としての英凛は滅多にない逸材だ。財形貯蓄までする侍女なんて聞いたことないけれども。
昼だけいてくれればな、なんて私は罰当たりなことを思ってしまった。
用意されていたこれまた完璧な朝食を食べ終え、絶妙な間で出された食後の茶をすすっていると、傍で縫い物をしていた英凛がふと顔を上げて言った。
「旦那様、今日はどちらに?」
「洋嘉のところだ」
「まあ、清寧王様のところに? じゃあお仕事ですか?」
「う、ん……まあ、そんなところだ」
洋嘉とは、姓を張、字を洋嘉と言い、清寧王という王号を戴いているれっきとしたこの国の皇族の一員だ。
皇族の一員ではあるのだが、現皇帝の二番目の弟の五番目の息子という、はっきり言ってもうどうでもいいような皇族でもある。
おかげで王号の他に征西将軍も拝命して、辺境の国境地帯の紛争に駆り出されている、つまりは私の上司にあたる。
皇族で上司。とは言え、洋嘉と私、そして今は亡き奉直は幼馴染というか腐れ縁のようなもので、洋嘉は奉直の次に私が手を焼かされている困った年下の上司だ。奉直がいない今は、問題児番付の首位を独走していることになる。もっとも、昨日一日で英凛がぐいぐい食い込んできているが。
だが今回ばかりはあの男を頼らねばなるまい。
「夕方までには戻る……と思う」
「分かりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
にこやかに見送る英凛に些かの罪悪感を覚えつつ、私は洋嘉の屋敷へと向かった。
***
「で、何? むさ苦しい大男の君が英凛に襲われそうになったから逃げ出してきたって? いや、もう、面白すぎでしょ、それ!」
「…………」
目の前で卓をばんばん叩いて笑い転げている見た目だけはやたらと良い男が洋嘉だ。黙っていればそんじょそこらにはいない美丈夫で女性に人気なのだが、中身がもうこの上なく軽いのが玉に瑕というか致命傷な男である。
ゆるく波打つ栗色の髪に、垂れたくっきりと濃い目、鼻筋の通った甘い顔立ち。私ほどではないが十分に長身で、均整のとれた体つき、と外見だけなら本当に申し分ない。
だがその頭の中で考えていることと言えば、一に女性、二に女性、三も四も女性で多分百まで女性のことだけだ。
正妻に加えて三人の愛妾までいるというのに、寝ても覚めても最優先事項は女性のこと。既婚で女好きという噂は広く知れ渡っているのに、それでも更に女性の方からも寄って来るし、来るもの拒まず、去るものさえも愛おしく思う、それでいて女性たちの間で諍いは起こさせないという、異常なまでのマメさを持つ、全能力を女性に傾けた男、それが洋嘉である。
私と洋嘉、足して二で割ればちょうど良い塩梅になると思うのだが、人生とはうまくいかないものだ。
「もういいじゃん、再婚しちゃえば。英凛、美人だし頭良いし、おっぱい大きいし」
「洋嘉! 貴様、まさか英凛に手を……!」
「いや、一回愛妾にならない?って声かけたんだけど、逞しい殿方が好きなんですって言って断られちゃった」
「どこまでも見境ないなお前は!」
既に魔手を伸ばしていたのかこいつは!
洋嘉だって武人の端くれなので、決して奉直のような貧弱な体つきではないのだが、英凛の審査基準が私ならばそれは確かに物足りないだろう。何だか生まれて初めて自分の筋肉に感謝したくなった。
「いやでも、まさか五年も前に奥方に逃げられてたとはね……しかもそれに誰も気づかないって、もう悲劇を通り越して喜劇だよねー!」
こいつに相談したのが間違いだったと思ったのは既に今日何回目だろう。だが、色々と事情を知っていて、英凛とも顔見知りで、そして私の直面した問題を解決する手段を持っているのが嫌なことにこいつしかいなかったのだ。
事の経緯を説明すると、洋嘉はしばらく笑い続けて止まらなかった。勿論、私が英凛に襲われた下りはぼかして話したのだが、多分その手のことに対しては異常に勘がいいから、何があったのか薄々察しただろう。
「君んところの奥方……あっ、「元」奥方って元々あまり外に出ない人だったからねー。僕の奥さんたちも多分知らないと思うよ。知ってたらきっと真っ先に教えてくれるし」
一々言い直すあたり、本当に癪に触る。
とは言え、洋嘉が知らないと言うならば本当に知らなかったのだろう。こんなのでも一応、西部方面軍の司令官として国境と首都とを頻繁に行き来しているから、私よりもはるかにこちらの情勢には詳しいはずなのだ。
もっとも、こいつがやたらと往来しているのは主に奥方たちのご機嫌とりのため――と言うか、久しく離れていると自分が耐えられなくなるとか言う最高に軟弱な理由だ。そのため何かと理由をこじつけては首都に戻っていた。
国境から首都まで馬を乗り換えてどんなに飛ばしても最短五日はかかるのだから、私のような中間管理職がおいそれと帰れるわけがない。腐っても皇族の端くれなこの男とは訳が違う。
ただ、こいつの場合は帰るための理由を無理矢理捻出して、私は帰らないための方便に距離と時間を利用していただけだから、やっていることは同じかもしれない。そして今更それを悔やんだところで全ては遅すぎただけだ。
「……で、英凛からも逃げて、どうするつもりなの?」
洋嘉はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる。私が帰りたがらなかった理由が夫婦仲にあることは察しているだろうに、分かっていて聞いて来るのだからタチが悪い。だが、状況を打破して前に進むためには恥を耐え忍んでこいつに助力を仰がねばならない。
「…………見合い相手を、紹介して欲しい」
「だーかーらー、英凛でいいじゃーん」
「駄目だっ!」
「何でー? 器量良し、性格良し、若くて有能、おまけに巨乳。こんなお買い得物件ないよー?」
ぐっと言葉に詰まる。英凛のあの性格が良いかどうかはさておき、結婚相手として申し分ない相手だと言うことは私にだって分かっている。
「……英凛は、奉直の娘だ」
一にも二にも、親友の愛娘なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「奉直だったら許すと思うけどなー……いや、絶対面白がるな。うん。そんで「お義父さん」とか無理矢理呼ばせると思う」
「……それだ」
私は深いため息をついた。洋嘉の言う通り、奉直が存命だったなら激怒するどころかまず間違いなく笑い転げるだろう――さっきの洋嘉のように。そしてありとあらゆる嫌がらせを仕掛けて来るに違いない。
奉直が死んでてくれて助かったと初めて思った。
奴が生きてたら、援護射撃どころか後ろから撃たれる未来しか想像できない。
そうして一通りやって気が済んだところで――影でこっそりと酒を飲みながら泣くのだ。
奉直とはそういう男だ。
「英凛が問題なのではない。私の問題なのだ。英凛の未来を、私が潰すわけにはいかない」
「……君がそれでいいなら、いいけどねー」
そうは言いながらも何処と無く不服そうな洋嘉を、視線だけで黙らせた。
「とは言ってもさー、僕も無駄に顔だけは広いからあちこち聞いてみるけど、君、自分が置かれてる状況分かってる?」
「ん?」
「四十目前、妻に逃げられた甲斐性なし。官職はしがない万年副将軍。英凛のおかげで家屋敷は保たれてるみたいだけど、君のあだ名といえば『鬼の副将軍』『辺境の鬼神』『熊撃将軍』だよ?」
「うっ……」
最後のは、幕営地に入り込んできた熊を適当に追い払ったら、何故か熊と互角に戦って討ち取ったことにされてついたあだ名だ。どうせつけるなら、辺境の護り人とかもう少し穏やかなあだ名にして欲しかった。
ちなみに奉直は『神算の軍師』、洋嘉は『華麗なる守護者』だ。納得がいかない。
放蕩の軍師、女性の守護者が正解だと思う。
「言っとくけど、選り好み出来る立場じゃないからねー?」
「分かってる、分かってる……!」
洋嘉の言葉に我にかえるが、そんなの自分が一番痛いほどに理解している。
だが父からの難題を解決し、英凛を諦めさせるにはこれしかないのだ。いくら英凛でも、私が再婚すれば諦めてくれるだろう。
「ま、一応当たってはみるけど……あんまり期待しないでね。今、西部方面軍がほとんど帰京してるからさ、若くて活きのいい男が都に溢れてるんだよね。この機会を逃すなとばかりに、僕の姪っ子のところにも縁談話が殺到しててさ」
「そうなのか……」
その手のことに疎い私は、そんなことになっているとは露ほども思っていなかった。
国境の情勢が少し落ち着いて、私の属する西部方面軍は四分の一程度を留守居に残して帰京することになった。今までは少数ずつが交代で休暇を取っていたのだが、帰っても特にすることがない私はその休暇さえも国境で過ごしてきた。
それまでだったら私は留守居の方に志願して国境に居残っていたのだろうが、今回長年国境で従軍した者に対して褒賞が出るとかで、それの授与のために強制的に帰らされたのだ。そうして七年ぶりに帰ってみればこの様だった、という次第である。
それでもぎりぎりまで帰京を渋って、最後に出発する組に編入された。洋嘉なんかは司令官のくせに最初にいそいそと帰って行ったのだが。
先に帰京した未婚の者たちは、きっと素早く見合い相手を探し始めたのだろう。私は始まりからして出遅れた、という訳だ。
まあなるようになれ、と半ば投げやりな気持ちで私は洋嘉に見合い相手の紹介を頼む。洋嘉ならば顔も広いし、皇族の伝手もあるのできっとなんとかなるだろう、と気楽な気分で構えることにした。
はっきり言って昨夜はまともに眠ることなどできやしなかった。
眠ってしまえばまた英凛に襲われるのではという杞憂もあったのだが、それよりもなによりも英凛に与えられた快感が私を蝕んで、燠火のように燻り続けている小さな熱が私を睡眠から遠ざけた。
悩み続けていっそのこと英凛に睡眠薬でも貰おうかと考えて、いやそれは今度こそ最後までされてしまう最悪の選択だとすんでのところで気づいたりもしていた。
大体こういうのは、男女が逆なのではないか。
うら若き乙女が、育ての親である年上の男性に淡い恋心を抱く。乙女を可愛く思いながらも欲望を抑えきれなくなってきた男は、豊富な経験を使い「教育」と称して乙女を自分好みに仕立てあげるべく少しずつ快楽を植えつけていく。乙女は為す術もなく与えられた感覚に身を震わせ羞恥に身悶えするが、心とは裏腹に体は拒めない。男は待っている。乙女が我慢できずに、自ら乞い願うのを――
うん、我ながら興奮する設定だ。
それがどうだ、現実は。
愛しく思いながらも欲望が抑えきれずにダダ漏れなのは乙女である英凛の方だし、少しずつというか全力で快楽をねじ込んできているのも英凛だ。
まるで処女のように初めての感覚に身を震わせているのも、羞恥に身悶えしているのも、心と裏腹に体が拒めずに自ら乞い願いそうになっているのも、いい年したむさ苦しいおっさんの私だ。
まあ、私が経験豊富でない時点で設定崩壊しているが。
一体全体どこでどう間違った。
こんな状態どこに需要がある。
誤りは正さねばならない。英凛は私が正しく導かねばならない。
そう決意すると睡眠不足で気だるい体を何とか起こした。眩しくきらめく朝日の中を裏庭に面した回廊を通り抜けて厠へと向かえば、裏庭には今まさに洗濯物を干し終えた、といった状態の英凛がいて私は若干ビクつく。
「あら、旦那様おはようございます。もっと遅くまで寝ていらしても良かったですのに」
「おはよう、英凛……今日は用事があってな……」
「まあ、そうですか。朝ごはん、召し上がられます?」
「ああ……」
「もう用意できていますから。顔だけ洗われたら食堂の方へいらして下さいね」
「あ、ああ……」
それだけ言うと、英凛はさっさと母屋の方へ向かった。
何というか、極々当たり前の朝の光景だ。むしろ熟年夫婦のノリだ。構えてビビっていた私の方が間違っていたような気さえしてくる。普通、あんなことをしてしまった夜の後の女性とは、もっと恥じらいがあるものじゃないのか? よく知らないが。
それはさておき、この時間に朝食が作り終わっていて、洗濯も終えて、裏庭も綺麗に掃き清められていて。それを全て一人でこなしているのだから、侍女としてはこの上なく完璧だろう。
正直言って、侍女としての英凛は滅多にない逸材だ。財形貯蓄までする侍女なんて聞いたことないけれども。
昼だけいてくれればな、なんて私は罰当たりなことを思ってしまった。
用意されていたこれまた完璧な朝食を食べ終え、絶妙な間で出された食後の茶をすすっていると、傍で縫い物をしていた英凛がふと顔を上げて言った。
「旦那様、今日はどちらに?」
「洋嘉のところだ」
「まあ、清寧王様のところに? じゃあお仕事ですか?」
「う、ん……まあ、そんなところだ」
洋嘉とは、姓を張、字を洋嘉と言い、清寧王という王号を戴いているれっきとしたこの国の皇族の一員だ。
皇族の一員ではあるのだが、現皇帝の二番目の弟の五番目の息子という、はっきり言ってもうどうでもいいような皇族でもある。
おかげで王号の他に征西将軍も拝命して、辺境の国境地帯の紛争に駆り出されている、つまりは私の上司にあたる。
皇族で上司。とは言え、洋嘉と私、そして今は亡き奉直は幼馴染というか腐れ縁のようなもので、洋嘉は奉直の次に私が手を焼かされている困った年下の上司だ。奉直がいない今は、問題児番付の首位を独走していることになる。もっとも、昨日一日で英凛がぐいぐい食い込んできているが。
だが今回ばかりはあの男を頼らねばなるまい。
「夕方までには戻る……と思う」
「分かりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
にこやかに見送る英凛に些かの罪悪感を覚えつつ、私は洋嘉の屋敷へと向かった。
***
「で、何? むさ苦しい大男の君が英凛に襲われそうになったから逃げ出してきたって? いや、もう、面白すぎでしょ、それ!」
「…………」
目の前で卓をばんばん叩いて笑い転げている見た目だけはやたらと良い男が洋嘉だ。黙っていればそんじょそこらにはいない美丈夫で女性に人気なのだが、中身がもうこの上なく軽いのが玉に瑕というか致命傷な男である。
ゆるく波打つ栗色の髪に、垂れたくっきりと濃い目、鼻筋の通った甘い顔立ち。私ほどではないが十分に長身で、均整のとれた体つき、と外見だけなら本当に申し分ない。
だがその頭の中で考えていることと言えば、一に女性、二に女性、三も四も女性で多分百まで女性のことだけだ。
正妻に加えて三人の愛妾までいるというのに、寝ても覚めても最優先事項は女性のこと。既婚で女好きという噂は広く知れ渡っているのに、それでも更に女性の方からも寄って来るし、来るもの拒まず、去るものさえも愛おしく思う、それでいて女性たちの間で諍いは起こさせないという、異常なまでのマメさを持つ、全能力を女性に傾けた男、それが洋嘉である。
私と洋嘉、足して二で割ればちょうど良い塩梅になると思うのだが、人生とはうまくいかないものだ。
「もういいじゃん、再婚しちゃえば。英凛、美人だし頭良いし、おっぱい大きいし」
「洋嘉! 貴様、まさか英凛に手を……!」
「いや、一回愛妾にならない?って声かけたんだけど、逞しい殿方が好きなんですって言って断られちゃった」
「どこまでも見境ないなお前は!」
既に魔手を伸ばしていたのかこいつは!
洋嘉だって武人の端くれなので、決して奉直のような貧弱な体つきではないのだが、英凛の審査基準が私ならばそれは確かに物足りないだろう。何だか生まれて初めて自分の筋肉に感謝したくなった。
「いやでも、まさか五年も前に奥方に逃げられてたとはね……しかもそれに誰も気づかないって、もう悲劇を通り越して喜劇だよねー!」
こいつに相談したのが間違いだったと思ったのは既に今日何回目だろう。だが、色々と事情を知っていて、英凛とも顔見知りで、そして私の直面した問題を解決する手段を持っているのが嫌なことにこいつしかいなかったのだ。
事の経緯を説明すると、洋嘉はしばらく笑い続けて止まらなかった。勿論、私が英凛に襲われた下りはぼかして話したのだが、多分その手のことに対しては異常に勘がいいから、何があったのか薄々察しただろう。
「君んところの奥方……あっ、「元」奥方って元々あまり外に出ない人だったからねー。僕の奥さんたちも多分知らないと思うよ。知ってたらきっと真っ先に教えてくれるし」
一々言い直すあたり、本当に癪に触る。
とは言え、洋嘉が知らないと言うならば本当に知らなかったのだろう。こんなのでも一応、西部方面軍の司令官として国境と首都とを頻繁に行き来しているから、私よりもはるかにこちらの情勢には詳しいはずなのだ。
もっとも、こいつがやたらと往来しているのは主に奥方たちのご機嫌とりのため――と言うか、久しく離れていると自分が耐えられなくなるとか言う最高に軟弱な理由だ。そのため何かと理由をこじつけては首都に戻っていた。
国境から首都まで馬を乗り換えてどんなに飛ばしても最短五日はかかるのだから、私のような中間管理職がおいそれと帰れるわけがない。腐っても皇族の端くれなこの男とは訳が違う。
ただ、こいつの場合は帰るための理由を無理矢理捻出して、私は帰らないための方便に距離と時間を利用していただけだから、やっていることは同じかもしれない。そして今更それを悔やんだところで全ては遅すぎただけだ。
「……で、英凛からも逃げて、どうするつもりなの?」
洋嘉はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる。私が帰りたがらなかった理由が夫婦仲にあることは察しているだろうに、分かっていて聞いて来るのだからタチが悪い。だが、状況を打破して前に進むためには恥を耐え忍んでこいつに助力を仰がねばならない。
「…………見合い相手を、紹介して欲しい」
「だーかーらー、英凛でいいじゃーん」
「駄目だっ!」
「何でー? 器量良し、性格良し、若くて有能、おまけに巨乳。こんなお買い得物件ないよー?」
ぐっと言葉に詰まる。英凛のあの性格が良いかどうかはさておき、結婚相手として申し分ない相手だと言うことは私にだって分かっている。
「……英凛は、奉直の娘だ」
一にも二にも、親友の愛娘なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「奉直だったら許すと思うけどなー……いや、絶対面白がるな。うん。そんで「お義父さん」とか無理矢理呼ばせると思う」
「……それだ」
私は深いため息をついた。洋嘉の言う通り、奉直が存命だったなら激怒するどころかまず間違いなく笑い転げるだろう――さっきの洋嘉のように。そしてありとあらゆる嫌がらせを仕掛けて来るに違いない。
奉直が死んでてくれて助かったと初めて思った。
奴が生きてたら、援護射撃どころか後ろから撃たれる未来しか想像できない。
そうして一通りやって気が済んだところで――影でこっそりと酒を飲みながら泣くのだ。
奉直とはそういう男だ。
「英凛が問題なのではない。私の問題なのだ。英凛の未来を、私が潰すわけにはいかない」
「……君がそれでいいなら、いいけどねー」
そうは言いながらも何処と無く不服そうな洋嘉を、視線だけで黙らせた。
「とは言ってもさー、僕も無駄に顔だけは広いからあちこち聞いてみるけど、君、自分が置かれてる状況分かってる?」
「ん?」
「四十目前、妻に逃げられた甲斐性なし。官職はしがない万年副将軍。英凛のおかげで家屋敷は保たれてるみたいだけど、君のあだ名といえば『鬼の副将軍』『辺境の鬼神』『熊撃将軍』だよ?」
「うっ……」
最後のは、幕営地に入り込んできた熊を適当に追い払ったら、何故か熊と互角に戦って討ち取ったことにされてついたあだ名だ。どうせつけるなら、辺境の護り人とかもう少し穏やかなあだ名にして欲しかった。
ちなみに奉直は『神算の軍師』、洋嘉は『華麗なる守護者』だ。納得がいかない。
放蕩の軍師、女性の守護者が正解だと思う。
「言っとくけど、選り好み出来る立場じゃないからねー?」
「分かってる、分かってる……!」
洋嘉の言葉に我にかえるが、そんなの自分が一番痛いほどに理解している。
だが父からの難題を解決し、英凛を諦めさせるにはこれしかないのだ。いくら英凛でも、私が再婚すれば諦めてくれるだろう。
「ま、一応当たってはみるけど……あんまり期待しないでね。今、西部方面軍がほとんど帰京してるからさ、若くて活きのいい男が都に溢れてるんだよね。この機会を逃すなとばかりに、僕の姪っ子のところにも縁談話が殺到しててさ」
「そうなのか……」
その手のことに疎い私は、そんなことになっているとは露ほども思っていなかった。
国境の情勢が少し落ち着いて、私の属する西部方面軍は四分の一程度を留守居に残して帰京することになった。今までは少数ずつが交代で休暇を取っていたのだが、帰っても特にすることがない私はその休暇さえも国境で過ごしてきた。
それまでだったら私は留守居の方に志願して国境に居残っていたのだろうが、今回長年国境で従軍した者に対して褒賞が出るとかで、それの授与のために強制的に帰らされたのだ。そうして七年ぶりに帰ってみればこの様だった、という次第である。
それでもぎりぎりまで帰京を渋って、最後に出発する組に編入された。洋嘉なんかは司令官のくせに最初にいそいそと帰って行ったのだが。
先に帰京した未婚の者たちは、きっと素早く見合い相手を探し始めたのだろう。私は始まりからして出遅れた、という訳だ。
まあなるようになれ、と半ば投げやりな気持ちで私は洋嘉に見合い相手の紹介を頼む。洋嘉ならば顔も広いし、皇族の伝手もあるのできっとなんとかなるだろう、と気楽な気分で構えることにした。
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