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第8話 任務完了
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「それでは旦那様、お気をつけて」
「あ、ああ……」
英凛に見送られて、私は自宅を出発した。向かうは孫諌議大夫の邸宅。今日は私の方から話があると先方に伝えて、場を設けてもらっていた。
先日は近所であるにも関わらず体裁を気にして騎乗して行ったが、今日は徒歩だ。格好はつかないが、どうしても騎乗したくない理由があった。
英凛に授けられた『秘策』を心の中で復唱する。
はっきり言ってそれを聞いた時は我が耳を疑ったが、確かに最も効果的な方法であることは間違いなさそうだった。
さすが奉直の娘。よくもあんな奇策を思いつくものである。
あの日、秘策の一環として緊縛術を会得する必要があると言われ、英凛に縛られた後。私に亀甲縛りを試してみて酷く興奮したらしい英凛は、他の縛り方も試してみると言い出して、もうそれはそれは何度も縛ったり解いたりを繰り返して私は練習台になった。
目的によって人体の縛り方とは随分と変わるものだと感心していたのは最初のうちだけ。
繰り返される緊縛に些かの疲労とともに蓄積していくものがあった。
目の前には下着姿で楽しそうな英凛。縄を引っ張れば目の前で胸がたぷんと揺れ、縄を解こうとすれば白い脚が視界のすぐ側を横切る。縛る側だけでなく、縛られる側も性的興奮が生じるのだと気づいたばかりだった。
おそらく私のそこは緩く硬度を持ち始めていただろう。目敏い英凛がそれに気づかないわけがない。手でいいからしてくれないかな、などという考えが頭の片隅を掠めた。
だが一通り縛り終えて満足したらしい英凛は、「大分コツが掴めてきました。ありがとうございます旦那様。では夜も更けてきましたので、おやすみなさい」と言うと、さっさと退室してしまったのである。
放置、と言うか完全にお預けを食らった状態だ。
我が分身はこのままでは寝られないと盛んに訴えていた。
流石に今夜ばかりは、英凛以外の妄想材料など思い浮かびそうになかった。先程わずかな間だけ見た、縛られた状態の英凛を思い出せばぐんぐんと昂ぶってくる。
もう一度引っ張ろうとして引っ張れなかったあの縄を、脳内でぐいと思い切り引けば、「やぁ……ん! 旦那、様……そんな、強くしちゃ……っ」と甘い声の幻聴が聞こえる。
「だが、激しくした方が好きなんだろう?」と言うと、「そん、な……こと……」と真っ赤に染まった顔で目を伏せた。それが肯定を表しているのは言わずもがなだ。
抱腹をつけたままでも分かるほど立ち上がった乳首を摘んで引っ張り、縄を掴んで小刻みに揺らすと腰がゆらめいて下帯にじんわりと染みが滲んできた。
そのまま英凛の口へ挿し込んで心ゆくまで喉奥を嬲ると、赤い縄に彩られた体へ思い切りぶちまけた。
……ふう。
一瞬魂を飛ばしたような状態になって、呼吸が落ち着いてきて……とんでもない罪悪感にかられた。もう、本当に我ながら最低だと思う。
娘同然だとか、保護者の立場とか御託を並べているくせに、欲望の前にはそんなものは吹き飛んでいく。
今回の縁談は上手くいかなかったが、早く次を紹介してもらわないと私が持たない。
切実にそう思った。
……そんなこんなで今日の日を迎えたのだが、思い出すとまた滾ってきそうになる。だがしかし、到着した諌議大夫邸へ招き入れられ、相変わらずさっさと紫喜嬢と二人きりにさせられるとそんな気持ちはあっという間に萎縮した。
「お会いしたかったですわ、牙燎殿」
にっこりと微笑む紫喜嬢の眼差しは、完全に獲物を捕獲した女豹のそれだ。「早く縛って苦痛に顔を歪ませたい」と顔に思いっきり書いてある。彼女の視線に晒されると私は縮み上がりそうになるのだが、英凛の『秘策』をもう一度思い出してから意を決して言った。
「わ、私も早くお会いしたくて……矢も盾もたまらず参りました」
「まあ……」
彼女が意外そうにでも嬉しそうに目を細めるのに、些か心苦しくなる。英凛の授けてくれた『秘策』はそんな彼女の楽しみを奪うようなものだから。
私は彼女の前に跪くと、一応周囲に誰もいないのを確認してから、「失礼」と一言断りを入れて、纏っていた上衣と単衣を思い切りはだけさせて、上半身を露出した。
「……貴女との縁談話が来た時、私は天にも昇る心地でした。何故なら私も縛られたり叩かれたりするのにこの上なく興奮する変態奴隷だからです。今まで、何人もの『ご主人様』が私を可愛がってくれましたが、貴女に辱められると思うと、もう……!」
何度も英凛に暗唱させられた台詞を一気に言い、これまた英凛に練習させられた「頬を染めて恥ずかしそうなでも興奮してたまらない顔」で紫喜嬢を見つめた。
すると今まで嬉しそうに微笑んでいた彼女が、一気に真顔になりゴミ屑をみるかのような冷たい侮蔑の視線で私を見た。
……怖っ!
「…………残念ですわ、牙燎殿」
「え…………?」
「私、その手のことに染まっていない男性に痛みと快楽を交互に植え付けて、自分好みに調教するのが好きなんです。誰かの手垢のついた豚なんて、面白くないわ」
「そ、そんな……」
私は縋り付くような情けない声と、懇願する眼差し、そして罵られて若干喜んでいる、そんな表情で彼女を見た。言うまでもないがこれも英凛仕込みだ。
「……大体、なにこの縄。誰がやったのか知らないけれど、雑だし全然なってない。そんな奴に仕込まれた奴隷なんて吐き気がしそう」
私の体は英凛が施してくれた亀甲縛りが赤く戒めている。これが騎乗できなかった理由だ。乗馬の振動で擦れてしまってあらぬ状態になってしまいそうだったから。
と言うか、英凛があんなに練習したのに(そして私が練習に付き合わされたのに)、見る者が見るとやはり付け焼き刃なのか、と変なところに感心した。
だがハッと、まだ『秘策』中だったことを思い出す。
「そ、そんな……私は貴女に甚振られたい一心で……」
「申し訳ないけれど今回の話はなかったことに。貴方にはがっかりだわ」
そう言うと紫喜嬢はもはやゴミに用はないと言うような氷点下の眼差しで私を一瞥し、裾を翻してさっさと母屋の方へ戻っていった。
母屋からは孫諌議大夫の悲痛な嘆きが聞こえてくる。それを聴きながら、私は服を着直して整えると、出来るだけがっかり見えるように肩を落としてとぼとぼと諌議大夫邸を辞した。
諌議大夫の屋敷を出てしばらく歩き、何度か角を曲がって邸宅が見えなくなり、周囲に誰もいないのを確認すると、私は思い切り拳を握りしめた。
(いやったあああ!)
任務完了、である。ここしばらく憂鬱だった気持ちが一気に晴れた。
あの日、英凛が授けてくれた『秘策』とは。
それは、私は既に「調教済み」と紫喜嬢に思わせることだった。
紫喜嬢の言動を詳細に英凛に説明すると、英凛は少し考え込んでから「彼女は既に躾けられた雄豚には興味を示さない可能性が高いです」と言った。
雄豚って……と思いながらも、大人しく英凛の話を聞くことにはこうだった。
紫喜嬢は「自分好みに調教するのが趣味」「初心で躾甲斐がある男がいい」と発言していることから、緊縛や調教など経験したこともない相手の隠れた被虐心を呼び醒まし、躾けていく過程そのものにも楽しみを見出しているのではないのか、と英凛は推測した。
それが本当ならば、私はまさにうってつけの相手だったのだろう。
縛り甲斐のある体格で、最初は抵抗するも快楽に弱く、心の奥底に小さな被虐心を隠し持っている、と。英凛のおかげで気づきたくもないそれらに気づかされてしまったからな。
洋嘉、お前の見立ては完璧だったよ!
危うくドツボにハマるところだったさ!
そんな紫喜嬢が嫌がる男といえば、貧相な肉付きもしくは既に調教されていて被虐願望丸出しの完全なる奴隷だ。「体つきは変えられないので、ならば奴隷に成り下がりましょう」と英凛は実に楽しそうに言った。
その結果があの度重なる緊縛の練習台で、英凛に猛特訓させられた情けなく媚びるような言動だ。正直、骨を切らせて肉を断つような作戦だが、背に腹は変えられない。
そして例え私が被虐趣味を持つ調教済みの男だと知っても、紫喜嬢はそれを他人には言いふらさないだろう、というのも英凛の見立てだった。多分その予想は正しい。さっきの完全に蔑むような目線から考えるに、おそらく既に彼女の中から私は消去されている。汚らしいものを見てしまった、くらいの認識になりさがっている気がした。
何はともあれ作戦が成功して、私は完全に浮かれていた。たまには英凛にお礼の土産でも買って帰ろうと、菓子店に寄ったりもした。
七年間避け続けていた自宅の門が見えて、私は安堵する。自宅とはいいものだ、などと現金な考えさえ浮かんだ。
「旦那様、おかえりなさい……そのお顔ではうまくいったようですね」
「ああ、英凛のおかげでバッチリだった。これはお礼の土産だ。ありがとう」
「まあ珍しい。ありがとうございます」
上機嫌な私は英凛に土産を手渡し、自室に戻ろうとした。すると後ろから声がかかる。
「お待ちください、旦那様。縄を解きませんと」
「ああ、そうか、そうだったな」
行きはあんなにも気になっていた縄が、帰りは浮かれすぎていてすっかり忘れていた。英凛を伴って自室に戻り、上半身を晒すと英凛が後ろに回って縄を解き始める。
「英凛の予想通りだった。紫喜嬢の態度の急変は凄まじかったぞ……」
「やっぱりそうでしたか。結構、あの手の方には多いらしいですよ」
「そうなのか? 世の中は知らないことだらけだ……」
緊縛も調教も、今や私にとっては再び遠い世界の話に戻った。性的興奮が得られることは分かったが、深みにはまってしまいそうなので今後はご遠慮願いたい。しばらくは安穏とした生活で十分だ。
「まあこれに懲りて、旦那様はもう少し条件をきちんと確認して、お相手のことをよく観察なさいませ」
「そうだな……洋嘉にもきっちり言っておく」
あまりにも普通に、和やかに会話をしていたものだから気づくのが少し遅れた。
英凛が何やら前に手を回していたので縄を解いているものだと思っていたのだが、いつの間にか二の腕ががっちり固定されていて動けない。
「え、英凛……?」
「……私も、何もご存知ない旦那様を縛ったり躾けたりするのは大変楽しかったです」
前に回った英凛の唇が、蠱惑的な笑みを形作る。英凛が私の胸板をえいっ、と押すものだから、両手を縛られていた私は体勢を崩してたたらを踏み、後ろにあった寝台に倒れ込んだ。
慌てて何とか上半身を起こすと、既に両脚の間には英凛が陣取っている。
「英、凛……何を……」
「ねえ、旦那様。『お預け』は効きました……?」
「なっ……!」
やはりこの間のはわざとだったと知って、何もかも見透かされていたことに羞恥で顔が赤くなる。それと同時に目の前で見せつけるように衣服を脱いでいく英凛に、違う意味でも顔が赤くなった。
ゆっくりと滑らせるように全ての衣服が床に落とされていく様から目が離せない。肌を露わにした英凛が纏っていたのは、この間の清楚とも言える白い抱腹と下帯ではなくて、真紅と黒の恐ろしく妖艶なものだった。抱腹はやたらと丈が短くて臍が見えているし、下帯はもう――紐か?
おかげで私のものはすっかりと上を向いてしまったのだが、下衣の上から縄で縛られているせいか妙に窮屈だ。それを英凛がさわさわと触り、今出してあげますからね、などと話しかけている。
「英凛、やめ、なさい……っ」
「これは正当な報酬ですよ?」
「それはこの間……」
縛られまくって支払っただろう、と力なく睨む。
「この間のはあくまで『練習』です。それに私、『成功報酬』は体で支払えと申しましたでしょう? 全て上手くいってからの支払いです」
「…………っ!」
はめられた、と思った。いや、英凛の方が何枚も上手だったと言うべきか。
「まったく……『条件をきちんと確認なさいませ』と言ったばかりなのに」
「うっ……」
もはやぐうの音も出ない。と言うか、英凛相手に勝てる気がしない。
「仕方がないから今回だけは条件をお伝えしますね。『最後まで』はしませんから、ご安心ください」
「そ、そうか……」
ほっとするのと同時に、なんだか少し残念な気持ちになった。
いや、なってない! なってないったら!
密かに葛藤しながら英凛を見ると、英凛がにっこりと笑って言った。
「私、好きなものは最後までとっておく方なんです」
全然安心できない、と思った。
「あ、ああ……」
英凛に見送られて、私は自宅を出発した。向かうは孫諌議大夫の邸宅。今日は私の方から話があると先方に伝えて、場を設けてもらっていた。
先日は近所であるにも関わらず体裁を気にして騎乗して行ったが、今日は徒歩だ。格好はつかないが、どうしても騎乗したくない理由があった。
英凛に授けられた『秘策』を心の中で復唱する。
はっきり言ってそれを聞いた時は我が耳を疑ったが、確かに最も効果的な方法であることは間違いなさそうだった。
さすが奉直の娘。よくもあんな奇策を思いつくものである。
あの日、秘策の一環として緊縛術を会得する必要があると言われ、英凛に縛られた後。私に亀甲縛りを試してみて酷く興奮したらしい英凛は、他の縛り方も試してみると言い出して、もうそれはそれは何度も縛ったり解いたりを繰り返して私は練習台になった。
目的によって人体の縛り方とは随分と変わるものだと感心していたのは最初のうちだけ。
繰り返される緊縛に些かの疲労とともに蓄積していくものがあった。
目の前には下着姿で楽しそうな英凛。縄を引っ張れば目の前で胸がたぷんと揺れ、縄を解こうとすれば白い脚が視界のすぐ側を横切る。縛る側だけでなく、縛られる側も性的興奮が生じるのだと気づいたばかりだった。
おそらく私のそこは緩く硬度を持ち始めていただろう。目敏い英凛がそれに気づかないわけがない。手でいいからしてくれないかな、などという考えが頭の片隅を掠めた。
だが一通り縛り終えて満足したらしい英凛は、「大分コツが掴めてきました。ありがとうございます旦那様。では夜も更けてきましたので、おやすみなさい」と言うと、さっさと退室してしまったのである。
放置、と言うか完全にお預けを食らった状態だ。
我が分身はこのままでは寝られないと盛んに訴えていた。
流石に今夜ばかりは、英凛以外の妄想材料など思い浮かびそうになかった。先程わずかな間だけ見た、縛られた状態の英凛を思い出せばぐんぐんと昂ぶってくる。
もう一度引っ張ろうとして引っ張れなかったあの縄を、脳内でぐいと思い切り引けば、「やぁ……ん! 旦那、様……そんな、強くしちゃ……っ」と甘い声の幻聴が聞こえる。
「だが、激しくした方が好きなんだろう?」と言うと、「そん、な……こと……」と真っ赤に染まった顔で目を伏せた。それが肯定を表しているのは言わずもがなだ。
抱腹をつけたままでも分かるほど立ち上がった乳首を摘んで引っ張り、縄を掴んで小刻みに揺らすと腰がゆらめいて下帯にじんわりと染みが滲んできた。
そのまま英凛の口へ挿し込んで心ゆくまで喉奥を嬲ると、赤い縄に彩られた体へ思い切りぶちまけた。
……ふう。
一瞬魂を飛ばしたような状態になって、呼吸が落ち着いてきて……とんでもない罪悪感にかられた。もう、本当に我ながら最低だと思う。
娘同然だとか、保護者の立場とか御託を並べているくせに、欲望の前にはそんなものは吹き飛んでいく。
今回の縁談は上手くいかなかったが、早く次を紹介してもらわないと私が持たない。
切実にそう思った。
……そんなこんなで今日の日を迎えたのだが、思い出すとまた滾ってきそうになる。だがしかし、到着した諌議大夫邸へ招き入れられ、相変わらずさっさと紫喜嬢と二人きりにさせられるとそんな気持ちはあっという間に萎縮した。
「お会いしたかったですわ、牙燎殿」
にっこりと微笑む紫喜嬢の眼差しは、完全に獲物を捕獲した女豹のそれだ。「早く縛って苦痛に顔を歪ませたい」と顔に思いっきり書いてある。彼女の視線に晒されると私は縮み上がりそうになるのだが、英凛の『秘策』をもう一度思い出してから意を決して言った。
「わ、私も早くお会いしたくて……矢も盾もたまらず参りました」
「まあ……」
彼女が意外そうにでも嬉しそうに目を細めるのに、些か心苦しくなる。英凛の授けてくれた『秘策』はそんな彼女の楽しみを奪うようなものだから。
私は彼女の前に跪くと、一応周囲に誰もいないのを確認してから、「失礼」と一言断りを入れて、纏っていた上衣と単衣を思い切りはだけさせて、上半身を露出した。
「……貴女との縁談話が来た時、私は天にも昇る心地でした。何故なら私も縛られたり叩かれたりするのにこの上なく興奮する変態奴隷だからです。今まで、何人もの『ご主人様』が私を可愛がってくれましたが、貴女に辱められると思うと、もう……!」
何度も英凛に暗唱させられた台詞を一気に言い、これまた英凛に練習させられた「頬を染めて恥ずかしそうなでも興奮してたまらない顔」で紫喜嬢を見つめた。
すると今まで嬉しそうに微笑んでいた彼女が、一気に真顔になりゴミ屑をみるかのような冷たい侮蔑の視線で私を見た。
……怖っ!
「…………残念ですわ、牙燎殿」
「え…………?」
「私、その手のことに染まっていない男性に痛みと快楽を交互に植え付けて、自分好みに調教するのが好きなんです。誰かの手垢のついた豚なんて、面白くないわ」
「そ、そんな……」
私は縋り付くような情けない声と、懇願する眼差し、そして罵られて若干喜んでいる、そんな表情で彼女を見た。言うまでもないがこれも英凛仕込みだ。
「……大体、なにこの縄。誰がやったのか知らないけれど、雑だし全然なってない。そんな奴に仕込まれた奴隷なんて吐き気がしそう」
私の体は英凛が施してくれた亀甲縛りが赤く戒めている。これが騎乗できなかった理由だ。乗馬の振動で擦れてしまってあらぬ状態になってしまいそうだったから。
と言うか、英凛があんなに練習したのに(そして私が練習に付き合わされたのに)、見る者が見るとやはり付け焼き刃なのか、と変なところに感心した。
だがハッと、まだ『秘策』中だったことを思い出す。
「そ、そんな……私は貴女に甚振られたい一心で……」
「申し訳ないけれど今回の話はなかったことに。貴方にはがっかりだわ」
そう言うと紫喜嬢はもはやゴミに用はないと言うような氷点下の眼差しで私を一瞥し、裾を翻してさっさと母屋の方へ戻っていった。
母屋からは孫諌議大夫の悲痛な嘆きが聞こえてくる。それを聴きながら、私は服を着直して整えると、出来るだけがっかり見えるように肩を落としてとぼとぼと諌議大夫邸を辞した。
諌議大夫の屋敷を出てしばらく歩き、何度か角を曲がって邸宅が見えなくなり、周囲に誰もいないのを確認すると、私は思い切り拳を握りしめた。
(いやったあああ!)
任務完了、である。ここしばらく憂鬱だった気持ちが一気に晴れた。
あの日、英凛が授けてくれた『秘策』とは。
それは、私は既に「調教済み」と紫喜嬢に思わせることだった。
紫喜嬢の言動を詳細に英凛に説明すると、英凛は少し考え込んでから「彼女は既に躾けられた雄豚には興味を示さない可能性が高いです」と言った。
雄豚って……と思いながらも、大人しく英凛の話を聞くことにはこうだった。
紫喜嬢は「自分好みに調教するのが趣味」「初心で躾甲斐がある男がいい」と発言していることから、緊縛や調教など経験したこともない相手の隠れた被虐心を呼び醒まし、躾けていく過程そのものにも楽しみを見出しているのではないのか、と英凛は推測した。
それが本当ならば、私はまさにうってつけの相手だったのだろう。
縛り甲斐のある体格で、最初は抵抗するも快楽に弱く、心の奥底に小さな被虐心を隠し持っている、と。英凛のおかげで気づきたくもないそれらに気づかされてしまったからな。
洋嘉、お前の見立ては完璧だったよ!
危うくドツボにハマるところだったさ!
そんな紫喜嬢が嫌がる男といえば、貧相な肉付きもしくは既に調教されていて被虐願望丸出しの完全なる奴隷だ。「体つきは変えられないので、ならば奴隷に成り下がりましょう」と英凛は実に楽しそうに言った。
その結果があの度重なる緊縛の練習台で、英凛に猛特訓させられた情けなく媚びるような言動だ。正直、骨を切らせて肉を断つような作戦だが、背に腹は変えられない。
そして例え私が被虐趣味を持つ調教済みの男だと知っても、紫喜嬢はそれを他人には言いふらさないだろう、というのも英凛の見立てだった。多分その予想は正しい。さっきの完全に蔑むような目線から考えるに、おそらく既に彼女の中から私は消去されている。汚らしいものを見てしまった、くらいの認識になりさがっている気がした。
何はともあれ作戦が成功して、私は完全に浮かれていた。たまには英凛にお礼の土産でも買って帰ろうと、菓子店に寄ったりもした。
七年間避け続けていた自宅の門が見えて、私は安堵する。自宅とはいいものだ、などと現金な考えさえ浮かんだ。
「旦那様、おかえりなさい……そのお顔ではうまくいったようですね」
「ああ、英凛のおかげでバッチリだった。これはお礼の土産だ。ありがとう」
「まあ珍しい。ありがとうございます」
上機嫌な私は英凛に土産を手渡し、自室に戻ろうとした。すると後ろから声がかかる。
「お待ちください、旦那様。縄を解きませんと」
「ああ、そうか、そうだったな」
行きはあんなにも気になっていた縄が、帰りは浮かれすぎていてすっかり忘れていた。英凛を伴って自室に戻り、上半身を晒すと英凛が後ろに回って縄を解き始める。
「英凛の予想通りだった。紫喜嬢の態度の急変は凄まじかったぞ……」
「やっぱりそうでしたか。結構、あの手の方には多いらしいですよ」
「そうなのか? 世の中は知らないことだらけだ……」
緊縛も調教も、今や私にとっては再び遠い世界の話に戻った。性的興奮が得られることは分かったが、深みにはまってしまいそうなので今後はご遠慮願いたい。しばらくは安穏とした生活で十分だ。
「まあこれに懲りて、旦那様はもう少し条件をきちんと確認して、お相手のことをよく観察なさいませ」
「そうだな……洋嘉にもきっちり言っておく」
あまりにも普通に、和やかに会話をしていたものだから気づくのが少し遅れた。
英凛が何やら前に手を回していたので縄を解いているものだと思っていたのだが、いつの間にか二の腕ががっちり固定されていて動けない。
「え、英凛……?」
「……私も、何もご存知ない旦那様を縛ったり躾けたりするのは大変楽しかったです」
前に回った英凛の唇が、蠱惑的な笑みを形作る。英凛が私の胸板をえいっ、と押すものだから、両手を縛られていた私は体勢を崩してたたらを踏み、後ろにあった寝台に倒れ込んだ。
慌てて何とか上半身を起こすと、既に両脚の間には英凛が陣取っている。
「英、凛……何を……」
「ねえ、旦那様。『お預け』は効きました……?」
「なっ……!」
やはりこの間のはわざとだったと知って、何もかも見透かされていたことに羞恥で顔が赤くなる。それと同時に目の前で見せつけるように衣服を脱いでいく英凛に、違う意味でも顔が赤くなった。
ゆっくりと滑らせるように全ての衣服が床に落とされていく様から目が離せない。肌を露わにした英凛が纏っていたのは、この間の清楚とも言える白い抱腹と下帯ではなくて、真紅と黒の恐ろしく妖艶なものだった。抱腹はやたらと丈が短くて臍が見えているし、下帯はもう――紐か?
おかげで私のものはすっかりと上を向いてしまったのだが、下衣の上から縄で縛られているせいか妙に窮屈だ。それを英凛がさわさわと触り、今出してあげますからね、などと話しかけている。
「英凛、やめ、なさい……っ」
「これは正当な報酬ですよ?」
「それはこの間……」
縛られまくって支払っただろう、と力なく睨む。
「この間のはあくまで『練習』です。それに私、『成功報酬』は体で支払えと申しましたでしょう? 全て上手くいってからの支払いです」
「…………っ!」
はめられた、と思った。いや、英凛の方が何枚も上手だったと言うべきか。
「まったく……『条件をきちんと確認なさいませ』と言ったばかりなのに」
「うっ……」
もはやぐうの音も出ない。と言うか、英凛相手に勝てる気がしない。
「仕方がないから今回だけは条件をお伝えしますね。『最後まで』はしませんから、ご安心ください」
「そ、そうか……」
ほっとするのと同時に、なんだか少し残念な気持ちになった。
いや、なってない! なってないったら!
密かに葛藤しながら英凛を見ると、英凛がにっこりと笑って言った。
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