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第20話 偽装兵装
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「旦那様、書簡が届きましたよ」
太陽が上がりきってうだるような暑さがやって来る前に手合わせを、と早朝から我が家に姿を見せた翔星をぼろっぼろに負かしていると、英凛が竹簡を一つ手にやってきた。
「誰からだ?」
「差出人は……衛原王府の軍師・陳東宣様、となっています」
「陳東宣? 知らんな……」
衛原王の方は流石に皇族なので知っているが、そこに属する軍師の一人一人までは知らない。奉直のようにぶっ飛びすぎていれば悪い意味であちこちに名前が売れているが、大抵の軍師は生真面目な生き物だ。
「軍師が私に何の用だ。まさか衛原王の配下になれとでも?」
翔星を返した後、苦笑しながら竹簡をほどき、内容に目を通した私は……言葉を失った。
「いかがなさいました? 何が書いてあったのです?」
「……見合いだ」
「え……?」
「見合いを、申し込まれた」
「……中を拝見しても?」
「ああ」
英凛に竹簡を手渡すと、眉根を寄せて内容を読み……いや、検分と言った方が良いような険しい表情で目を通していた。それはそうだろう、見合いを止めると言った矢先にこれでは、英凛としては面白くないに違いない。
差出人は先程も英凛が伝えてくれた通り、衛原王府の軍師・陳東宣。
立ち場的には、清寧王こと洋嘉の軍師であった奉直と同じになる。
ただ違うのは、清寧王と衛原王の序列の問題だ。
洋嘉は現皇帝の三男の五番目の息子という、もう本当に端くれもいいところの皇族でしかない。それに対して衛原王は、現皇帝の長男である。洋嘉とは全然格が違う。
ただ、衛原王は皇帝の長男だが皇太子ではない。
ここがややこしいのだが、衛原王は長男として皇帝の側室から生まれ、現在の皇太子は次男だが皇后を母に持つ。つまり、皇太子になれなかった兄、という権力争いによくありそうな立ち場である。
「東宣氏のご息女・綺晶嬢が私との見合いをお望みらしい。酔狂な」
「何故、旦那様をご指名なのです? 面識もないのに……」
「さあ、分からん。書簡には辺境の鬼神と名高き黄牙燎殿、としか書いてないからな」
何事か考え込むような顔でしばらく書簡を眺めていた英凛が言った。
「それで、どうされるのですか?」
「……正直なところ全く気乗りしないんだが、相手が衛原王配下とあってはなぁ……」
「ですよね……お断りできる相手ではございませんものね」
英凛もはあ、と溜息をつく。見合いを止めようと思った途端にこれとは、なんとも巡り合わせの悪い話だ。
今までの縁談は全て洋嘉を通して、言わばこちらから先に相手を選んでいる状態だったのだが、今度は私が「選ばれた」形になる。けれども、そもそもなんで私なのかが分からない。
あれだろうか、また筋肉とかそういう方向か。
最近の流行りなのか、筋肉は。
「……まあ、とりあえず会うだけは会ってみる。向こうも実際に会ってみれば気が変わるかもしれないしな」
「はい……」
すっかりと笑みが消えてしまった英凛が、「旦那様」と呼びかけて来る。
「なんだ?」
「……先方へお見えになる前に、清寧王様にだけはお話をされておいた方が良いかと思います。皇族の方たちはどこでどうお付き合いがあるか分かりませんし」
「あ、ああ……そうだな」
そんなことは全く念頭になかったのだが、言われてみればその通りだ。
それにしても……英凛の雰囲気が何だか硬い。
私に見合い話が来て苛立っていると言うよりは……何か警戒しているようなそんな面持ちだ。それは予想だにしなかった敵が現れた時の奉直の表情とよく似ていて、私はじっとりとする暑さの中でさえも薄ら寒さを感じた。
***
指定された日時に、私は東宣氏の邸宅を訪れた。首都の中でも比較的裕福な官僚などが住まう地域にその邸宅はあって、ほどほどに壮麗といった趣きだった。
同じ軍師でも、やはり清寧王配下と衛原王配下とではだいぶ異なるのだな、と思う。奉直の家は――英凛の家でもあるのだが――もっと庶民的な家で、少なくともここのように中庭の池に小舟を浮かべられるほどの大きさではない。
先に書斎で面会した東宣氏はやはり面識のない顔であった。
「暑い中お越しいただきかたじけない。衛原王麾下の陳東宣と申す」
「こちらこそお招きいただき……清寧王配下の副将軍・黄牙燎です」
官僚的な細面に、感情の読みにくい一重の目。何もしなくても汗がじんわりと滲んでくるような暑さだというのに、きっちりと乱れなく衣服を着込んでいる。軍師らしい軍師、だと思った。
年齢は五十を少し越えたくらいだろうが、衰えたところは感じられない。
「此度は急な話で申し訳ない。我が娘が辺境でも名高い貴殿の噂を聞きつけ、こちらにいる時に是非一度会ってみたいと我が儘を申したのだ。娘の言うことには父親は逆らえぬ」
「そうでしたか……それは光栄です」
何だろう、言葉とは裏腹にどこか取ってつけたような印象を受ける。
例えば紫喜嬢の時の孫諌議大夫のように娘に手を焼かされて焦っているという雰囲気でもなければ、恵玉嬢の時の明徳殿のように娘が大事だというような気持ちもあまり伝わってこない。
「まずは娘に会ってみてくれ。きっとそなたも気にいると思う。自慢の娘だ」
表面を滑っていくような言葉の中、案内されて例の池のある中庭へ出ると、その女性は船着場の近くに植えられた柳の下に立っていた。
年齢は英凛とおそらくそう変わらないほどだ。
そしてまたこちらも驚くほどの美女であった。くっきりとした目鼻立ちに艶めく長い髪。健康的な程よい大きさの胸と腰つきで、しっかりとした眼差しには知性の光が灯っている。やや薄めの唇はどことなく酷薄そうな雰囲気があるが、まごうことなく美しい女性であった。
「……陳東宣が長女の、綺晶と申します。この度は私の無理なお願いを聞き届けてくださり、ありがとうございます」
深く礼をする所作の一つ一つも美しい。そっと伏せられた瞳は恥じらっているかのようでもあった。
「……お父様、折角憧れの黄副将軍とお会いできたのですから、しばらくお話をさせていただけませんか?」
「ああ、構わないとも。可愛いお前の頼みだ。では、牙燎殿、ごゆるりと」
そう言い残すと、東宣氏は鷹揚に母屋の方へと引き上げて行った。美女と二人取り残されて少々焦るが、何か心の隅を爪で引っ掻かれているような些細な違和感が生じる。
「……改めまして、本日はわざわざお越しいただきありがとうございます。辺境の鬼神と名高い黄副将軍にこうして実際にお会いできて感激しております」
「そ、そうですか……それはどうも……」
綺麗ににっこりと笑う顔に、口下手な私はそんな言葉を返すことくらいしかできない。
「……私は幼い頃から軍師の娘として、政略結婚も厭わずに生きよと育てられて参ったものですから、まさかお父様が私の我儘を叶えてくださるとは夢にも思わず……」
やや俯きがちにはにかみながらいう姿は、美しいながらも可憐といった風情で、普通の男であれば一も二もなく陥ちるところであろう。
けれども英凛の美貌と、建前の笑顔と、そして掛け値無しの本物の愛らしい表情にすっかりと慣らされてしまった私は、やはりどこかピンとこないものを感じていた。
そこで思い切って聞いて見ることにした。
「あ、あの……失礼ながら私の方は貴女のことはあまり存じ上げておりません。私はしがない万年副将軍で、言葉を飾ることもできない戦うしか能のない四十目前の男です。一体何をそんなに気に入って下さったのですか……?」
私が問うと、彼女は一度驚いたように目を丸くさせ、それから破顔した。
「……辺境で長年従軍しておられる黄副将軍は、貴方が思っているよりもずっと有名なんですのよ。牙燎様が睨みを効かせている限り、敵も迂闊に攻め入って来ることが出来ない、と」
「そう、なんですか……」
それは初耳だった。まあ、熊が来たとか言われているくらいだから、敵もビビってはいるのだろうとは思っていたが。
「私、お父様が頭脳派で細身なものですから、筋骨隆々とした殿方に憧れておりますの。牙燎様の逞しい腕の中はどんなに幸せなことかしら」
やっぱり筋肉か。筋肉なのか。この国の女性はどうなってる。
だがそれで一瞬冷静になれた私は、あることに気づいてしまった。
嘘だ。この女性は嘘をついている。
憧れと恥じらいで紅潮した頬。幸せそうに笑みを形作る紅い唇。そこにそっと添えられる白くたおやかな指先。それだけを見れば、美しい女性に言い寄られていると、男ならば舞い上がってしまうだろう。
けれども彼女の瞳の奥は冷静だった。
紫喜嬢のように理想の胸筋に巡り会えたと、うっとりと潤んだ瞳ではない。
恵玉嬢のように穏やかに幸せそうに康壮を見つめている瞳でもない。
文香嬢のように、これから統健と築いていく未来を夢見る瞳でもない。
そして英凛のように、私を愛おしみ、惑わせ、体当たりでぶつかってきて、有無を言わせず、恥じらいと妖艶さと可憐さと奔放さとを併せ持ち、全身全霊で私を愛していると伝える瞳でもない。
英凛の言葉が蘇る。
相手をよく観察しろ、と。
落ち着きを取り戻した私はそれとなく彼女を観察する。
確かに、憧れていると言っている割には彼女は私と一定距離を保っている。勿論、年頃の女性としてみだりに男に触れたりはしないだろうが、私が少し立つ位置を変えるとすっとさりげなく動いて、触れそうで触れられない位置を意識的に維持しているように感じた。
まるでそれは、こうやって餌をぶら下げておけば男はより欲しくなる、と分かっているかのようだ。
その後も彼女とは当たり障りない会話をしたのだが、違和感は募るばかりだった。
軍師の娘で、年齢も英凛とさほど変わらず、趣は違えど美貌の持ち主だ。
会話の端々には知性が感じられるし、男をある程度操る術も持っているように思える。
ある意味で、英凛とよく似た存在だ。
もしも翔星の前に英凛と綺晶嬢を並べたら、彼ならどちらを選んでいいか迷うかもしれない。
けれども決定的に違った。
英凛に感じる熱が、彼女にはない。
いや、正確に言えば恋をした女性が持つ、あの熱が彼女にはなかった。
今までの私だったならばそんなことには気づかなかっただろう。ただ美しい女性に言い寄られたと勘違いして浮かれてしまっていたに違いない。
けれどもいくつかの見合いを経てそれぞれの女性たちが抱える想いを知り、毎日毎日英凛と攻防戦を繰り広げた私は確かに経験を積んでいた。
彼女は間違いなく、何か目的を持って私に近づいている。
おそらくそれは父親の方も一枚噛んでいる。
ただそれが、なんのためなのかが分からない。
自分だって痛いほどに理解しているが、私はただの辺境軍の副将軍だ。洋嘉のように全軍を動かす権限はない。
考えた末に私は、彼女の目的を探るべくこう切り出した。
「……貴女のような美しい方と縁を持つことが出来て、私は大変光栄に思います。けれども私は女性の好むもの一つ知らない無骨者ですので、少しずつ貴女と縁を深めさせていただけないでしょうか」
私がそう言うと、彼女は一瞬だけ意外そうな表情を――そう、まるでこの自分の虜にならないなんてと言ったような色を浮かべて、すぐに笑顔になって言った。
「そうですわね。私としたことが感激のあまり急ぎすぎてしまいました。お許しください。またお時間を作っていただいて、お会いできます?」
「ええ、勿論です。お呼びいただければ」
そうして表面的には双方笑顔で初対面を終え、私はやたらと疲れ切って帰宅したのである。
珍しく美女に言い寄られたと思ったら訳アリとは、もう何だか悲しくなってくる。だが冷静に考えれば四十目前のおっさんのところにそうそううまい話が転がって来るわけがないのだ。
そんな訳で私は彼女の真の目的を探るべく、何度か彼女の元へと通うこととなった。
太陽が上がりきってうだるような暑さがやって来る前に手合わせを、と早朝から我が家に姿を見せた翔星をぼろっぼろに負かしていると、英凛が竹簡を一つ手にやってきた。
「誰からだ?」
「差出人は……衛原王府の軍師・陳東宣様、となっています」
「陳東宣? 知らんな……」
衛原王の方は流石に皇族なので知っているが、そこに属する軍師の一人一人までは知らない。奉直のようにぶっ飛びすぎていれば悪い意味であちこちに名前が売れているが、大抵の軍師は生真面目な生き物だ。
「軍師が私に何の用だ。まさか衛原王の配下になれとでも?」
翔星を返した後、苦笑しながら竹簡をほどき、内容に目を通した私は……言葉を失った。
「いかがなさいました? 何が書いてあったのです?」
「……見合いだ」
「え……?」
「見合いを、申し込まれた」
「……中を拝見しても?」
「ああ」
英凛に竹簡を手渡すと、眉根を寄せて内容を読み……いや、検分と言った方が良いような険しい表情で目を通していた。それはそうだろう、見合いを止めると言った矢先にこれでは、英凛としては面白くないに違いない。
差出人は先程も英凛が伝えてくれた通り、衛原王府の軍師・陳東宣。
立ち場的には、清寧王こと洋嘉の軍師であった奉直と同じになる。
ただ違うのは、清寧王と衛原王の序列の問題だ。
洋嘉は現皇帝の三男の五番目の息子という、もう本当に端くれもいいところの皇族でしかない。それに対して衛原王は、現皇帝の長男である。洋嘉とは全然格が違う。
ただ、衛原王は皇帝の長男だが皇太子ではない。
ここがややこしいのだが、衛原王は長男として皇帝の側室から生まれ、現在の皇太子は次男だが皇后を母に持つ。つまり、皇太子になれなかった兄、という権力争いによくありそうな立ち場である。
「東宣氏のご息女・綺晶嬢が私との見合いをお望みらしい。酔狂な」
「何故、旦那様をご指名なのです? 面識もないのに……」
「さあ、分からん。書簡には辺境の鬼神と名高き黄牙燎殿、としか書いてないからな」
何事か考え込むような顔でしばらく書簡を眺めていた英凛が言った。
「それで、どうされるのですか?」
「……正直なところ全く気乗りしないんだが、相手が衛原王配下とあってはなぁ……」
「ですよね……お断りできる相手ではございませんものね」
英凛もはあ、と溜息をつく。見合いを止めようと思った途端にこれとは、なんとも巡り合わせの悪い話だ。
今までの縁談は全て洋嘉を通して、言わばこちらから先に相手を選んでいる状態だったのだが、今度は私が「選ばれた」形になる。けれども、そもそもなんで私なのかが分からない。
あれだろうか、また筋肉とかそういう方向か。
最近の流行りなのか、筋肉は。
「……まあ、とりあえず会うだけは会ってみる。向こうも実際に会ってみれば気が変わるかもしれないしな」
「はい……」
すっかりと笑みが消えてしまった英凛が、「旦那様」と呼びかけて来る。
「なんだ?」
「……先方へお見えになる前に、清寧王様にだけはお話をされておいた方が良いかと思います。皇族の方たちはどこでどうお付き合いがあるか分かりませんし」
「あ、ああ……そうだな」
そんなことは全く念頭になかったのだが、言われてみればその通りだ。
それにしても……英凛の雰囲気が何だか硬い。
私に見合い話が来て苛立っていると言うよりは……何か警戒しているようなそんな面持ちだ。それは予想だにしなかった敵が現れた時の奉直の表情とよく似ていて、私はじっとりとする暑さの中でさえも薄ら寒さを感じた。
***
指定された日時に、私は東宣氏の邸宅を訪れた。首都の中でも比較的裕福な官僚などが住まう地域にその邸宅はあって、ほどほどに壮麗といった趣きだった。
同じ軍師でも、やはり清寧王配下と衛原王配下とではだいぶ異なるのだな、と思う。奉直の家は――英凛の家でもあるのだが――もっと庶民的な家で、少なくともここのように中庭の池に小舟を浮かべられるほどの大きさではない。
先に書斎で面会した東宣氏はやはり面識のない顔であった。
「暑い中お越しいただきかたじけない。衛原王麾下の陳東宣と申す」
「こちらこそお招きいただき……清寧王配下の副将軍・黄牙燎です」
官僚的な細面に、感情の読みにくい一重の目。何もしなくても汗がじんわりと滲んでくるような暑さだというのに、きっちりと乱れなく衣服を着込んでいる。軍師らしい軍師、だと思った。
年齢は五十を少し越えたくらいだろうが、衰えたところは感じられない。
「此度は急な話で申し訳ない。我が娘が辺境でも名高い貴殿の噂を聞きつけ、こちらにいる時に是非一度会ってみたいと我が儘を申したのだ。娘の言うことには父親は逆らえぬ」
「そうでしたか……それは光栄です」
何だろう、言葉とは裏腹にどこか取ってつけたような印象を受ける。
例えば紫喜嬢の時の孫諌議大夫のように娘に手を焼かされて焦っているという雰囲気でもなければ、恵玉嬢の時の明徳殿のように娘が大事だというような気持ちもあまり伝わってこない。
「まずは娘に会ってみてくれ。きっとそなたも気にいると思う。自慢の娘だ」
表面を滑っていくような言葉の中、案内されて例の池のある中庭へ出ると、その女性は船着場の近くに植えられた柳の下に立っていた。
年齢は英凛とおそらくそう変わらないほどだ。
そしてまたこちらも驚くほどの美女であった。くっきりとした目鼻立ちに艶めく長い髪。健康的な程よい大きさの胸と腰つきで、しっかりとした眼差しには知性の光が灯っている。やや薄めの唇はどことなく酷薄そうな雰囲気があるが、まごうことなく美しい女性であった。
「……陳東宣が長女の、綺晶と申します。この度は私の無理なお願いを聞き届けてくださり、ありがとうございます」
深く礼をする所作の一つ一つも美しい。そっと伏せられた瞳は恥じらっているかのようでもあった。
「……お父様、折角憧れの黄副将軍とお会いできたのですから、しばらくお話をさせていただけませんか?」
「ああ、構わないとも。可愛いお前の頼みだ。では、牙燎殿、ごゆるりと」
そう言い残すと、東宣氏は鷹揚に母屋の方へと引き上げて行った。美女と二人取り残されて少々焦るが、何か心の隅を爪で引っ掻かれているような些細な違和感が生じる。
「……改めまして、本日はわざわざお越しいただきありがとうございます。辺境の鬼神と名高い黄副将軍にこうして実際にお会いできて感激しております」
「そ、そうですか……それはどうも……」
綺麗ににっこりと笑う顔に、口下手な私はそんな言葉を返すことくらいしかできない。
「……私は幼い頃から軍師の娘として、政略結婚も厭わずに生きよと育てられて参ったものですから、まさかお父様が私の我儘を叶えてくださるとは夢にも思わず……」
やや俯きがちにはにかみながらいう姿は、美しいながらも可憐といった風情で、普通の男であれば一も二もなく陥ちるところであろう。
けれども英凛の美貌と、建前の笑顔と、そして掛け値無しの本物の愛らしい表情にすっかりと慣らされてしまった私は、やはりどこかピンとこないものを感じていた。
そこで思い切って聞いて見ることにした。
「あ、あの……失礼ながら私の方は貴女のことはあまり存じ上げておりません。私はしがない万年副将軍で、言葉を飾ることもできない戦うしか能のない四十目前の男です。一体何をそんなに気に入って下さったのですか……?」
私が問うと、彼女は一度驚いたように目を丸くさせ、それから破顔した。
「……辺境で長年従軍しておられる黄副将軍は、貴方が思っているよりもずっと有名なんですのよ。牙燎様が睨みを効かせている限り、敵も迂闊に攻め入って来ることが出来ない、と」
「そう、なんですか……」
それは初耳だった。まあ、熊が来たとか言われているくらいだから、敵もビビってはいるのだろうとは思っていたが。
「私、お父様が頭脳派で細身なものですから、筋骨隆々とした殿方に憧れておりますの。牙燎様の逞しい腕の中はどんなに幸せなことかしら」
やっぱり筋肉か。筋肉なのか。この国の女性はどうなってる。
だがそれで一瞬冷静になれた私は、あることに気づいてしまった。
嘘だ。この女性は嘘をついている。
憧れと恥じらいで紅潮した頬。幸せそうに笑みを形作る紅い唇。そこにそっと添えられる白くたおやかな指先。それだけを見れば、美しい女性に言い寄られていると、男ならば舞い上がってしまうだろう。
けれども彼女の瞳の奥は冷静だった。
紫喜嬢のように理想の胸筋に巡り会えたと、うっとりと潤んだ瞳ではない。
恵玉嬢のように穏やかに幸せそうに康壮を見つめている瞳でもない。
文香嬢のように、これから統健と築いていく未来を夢見る瞳でもない。
そして英凛のように、私を愛おしみ、惑わせ、体当たりでぶつかってきて、有無を言わせず、恥じらいと妖艶さと可憐さと奔放さとを併せ持ち、全身全霊で私を愛していると伝える瞳でもない。
英凛の言葉が蘇る。
相手をよく観察しろ、と。
落ち着きを取り戻した私はそれとなく彼女を観察する。
確かに、憧れていると言っている割には彼女は私と一定距離を保っている。勿論、年頃の女性としてみだりに男に触れたりはしないだろうが、私が少し立つ位置を変えるとすっとさりげなく動いて、触れそうで触れられない位置を意識的に維持しているように感じた。
まるでそれは、こうやって餌をぶら下げておけば男はより欲しくなる、と分かっているかのようだ。
その後も彼女とは当たり障りない会話をしたのだが、違和感は募るばかりだった。
軍師の娘で、年齢も英凛とさほど変わらず、趣は違えど美貌の持ち主だ。
会話の端々には知性が感じられるし、男をある程度操る術も持っているように思える。
ある意味で、英凛とよく似た存在だ。
もしも翔星の前に英凛と綺晶嬢を並べたら、彼ならどちらを選んでいいか迷うかもしれない。
けれども決定的に違った。
英凛に感じる熱が、彼女にはない。
いや、正確に言えば恋をした女性が持つ、あの熱が彼女にはなかった。
今までの私だったならばそんなことには気づかなかっただろう。ただ美しい女性に言い寄られたと勘違いして浮かれてしまっていたに違いない。
けれどもいくつかの見合いを経てそれぞれの女性たちが抱える想いを知り、毎日毎日英凛と攻防戦を繰り広げた私は確かに経験を積んでいた。
彼女は間違いなく、何か目的を持って私に近づいている。
おそらくそれは父親の方も一枚噛んでいる。
ただそれが、なんのためなのかが分からない。
自分だって痛いほどに理解しているが、私はただの辺境軍の副将軍だ。洋嘉のように全軍を動かす権限はない。
考えた末に私は、彼女の目的を探るべくこう切り出した。
「……貴女のような美しい方と縁を持つことが出来て、私は大変光栄に思います。けれども私は女性の好むもの一つ知らない無骨者ですので、少しずつ貴女と縁を深めさせていただけないでしょうか」
私がそう言うと、彼女は一瞬だけ意外そうな表情を――そう、まるでこの自分の虜にならないなんてと言ったような色を浮かべて、すぐに笑顔になって言った。
「そうですわね。私としたことが感激のあまり急ぎすぎてしまいました。お許しください。またお時間を作っていただいて、お会いできます?」
「ええ、勿論です。お呼びいただければ」
そうして表面的には双方笑顔で初対面を終え、私はやたらと疲れ切って帰宅したのである。
珍しく美女に言い寄られたと思ったら訳アリとは、もう何だか悲しくなってくる。だが冷静に考えれば四十目前のおっさんのところにそうそううまい話が転がって来るわけがないのだ。
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