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第23話 全身全霊前進
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乾いた風が通り抜けていく。西の乾燥した高原地帯を流れる大河が我が国と隣国との国境線だ。国境沿いには烽火台が一定間隔で設置されていて、状況を逐一狼煙で知らせる。
辺境に戻って来てから既に一ヶ月ばかり敵軍と相対し、時には小規模な戦闘が行われることもあったのだが、どうも今までとは色々と勝手が違っていた。
明徳殿の店で、康壮が新しく鍛えてくれた戟はすこぶる調子が良い。あまり力を入れずとも敵が自ら刃に吸い込まれるようにして斬られていくので、力を込めれば言わずもがなだ。
補修に出していた甲冑も今のところ大きな傷はないし、三頭いる愛馬たちも我先に主人を乗せて戦場を蹂躙せんと鼻息が荒い始末だ。
自宅で待ってくれている英凛のことを思えば、敵軍の総大将に突っ込んでいって血祭りにし、その足で帰宅したいのだが、悲しいかな私は副将軍。独断専行は許されていない。
だがそれよりも何よりも、今までとは戦場の様子が異なっていた。
敵の歯応えがなさすぎるのだ。
敵が進軍してきたと聞いて出陣すれば、当初の斥候の報告よりもはるかに敵兵の数が少ない。苛立ちまぎれに瞬殺してはみるものの、どうもそれは陽動部隊で別方面にいる味方が主力部隊に襲われるということが何度か続いた。
ここまで来ればいくら鈍い私でも気づく。
「……情報が、漏れてるね」
「……ああ」
ここは戦場だというのに相変わらず綺羅綺羅しい出で立ちの洋嘉が、遥か前方に翻る敵の旗を眺めながら言う。
「どうも向こうは、徹底的に君を引っ掻き回してその隙にこちらを叩くことにしたようだね」
「忌々しいがそのようだ」
「ま、正解だと思うけどね。僕も戦場で君みたいなのが出てきたらぶつかりたくないし」
「ぶつかってもらわんと困る。私はあいつらを壊滅させて一刻も早く帰りたいんだ」
「うわぁ……誰これ。別人みたいなんですけど。七年も帰りたがらなかった君はどこへ行ったの」
そう言われても帰りたいものは帰りたいのだ。こんな埃っぽくて乾燥してて、汗と血と泥塗れでろくに風呂にも入れないところはもう嫌だ。
温かい英凛の手作りの食事を食べて、英凛とゆっくりと風呂に浸かって、英凛が整えてくれた清潔な寝台で、柔らかくて花の香りのする英凛を抱き締めて眠りたい。
そう洋嘉に言ったら、洋嘉は何だか死ぬほど不味いものでも食べたような顔をした。
「……僕の方が耐えきれないよ……奉直、助けてー……」
「ふん。こう言う時は奉直がいればさっさと解決してくれるんだがな」
一度、味方に間諜が入り込んでいた時の奉直はえげつなかった。およそ味方にとるとは思えない方法で容疑者を炙り出し、そしてその後、文字通り炙った。
「まあ僕はあんなおっかない方法は出来ないからさー、もう少し穏当な方法でいくよ」
「任せる」
「明日から少し部隊編成変えるけどいいかな?」
「構わん。後続がどうであろうと私は目の前の敵を屠るだけだ」
そして早く帰る。それだけだ。
***
洋嘉に言われていた通り、翌日から部隊編成が何日か毎に変わった。副官である翔星が別働隊になったり、統健の率いる弓兵隊が編成に加わったり加わらなかったり、とその日によってマチマチだったが、相変わらず敵は私を避けるかのように陽動を繰り返した。
何日か経つと洋嘉のやりたいことが朧げながら見えてきて、確かに奉直に比べれば真っ当な方法だと思った。あれで洋嘉は軍略に関しては慎重派だからな。
と言うか、奉直が無茶苦茶やらかすので、慎重にならざるを得ないと言うか。
「……で、色々と組み合わせを変えて、結論は出たのか?」
「……残念ながらね」
洋嘉が床几に深く座り直し、布陣図の乗った卓の上にぽい、と短刀を投げる。
「……これに見覚えは?」
「これは……」
それは紛れもない、私が貞然に贈った、あの短刀だった。
「翔星や統健を軍編成から外しても、他の部隊長たちを外しても敵の動きには変化がなかった。情報は部隊長級から漏れてるんじゃない。じゃあ、他に軍編成を知り得るのは……?」
「……従軍書記、か」
軍議で決まった編成は、従軍書記がまとめて木簡に記入し、その後厳重に封をして報告書と共に首都へ送られる。それは論功行賞の証拠ともなり得るからだ。
「だが軍編成は書き終われば封をされる。いくら内容を覚えていても全てを書き写すのは困難だろう。怪しまれる」
「ここが首都だったらね。向こうは温暖だから書き物に使われるのは「竹」だ。でもここは乾燥地帯。竹は育たない」
そうだ、こちらでは竹簡ではなく木簡が主に使用される。竹と木の違いは軽さだったり書き味だったりもあるが――
「木簡なら表面を薄く剥ぎとることが出来る。特にこんな切れ味の良い書刀なら尚更ね。そして従軍書記が木簡の誤りを削り取っていても誰も不審には思わない。 ……そうだろう、貞然?」
洋嘉の言葉に従って天幕の帳が上げられ、手に縄を打たれた貞然が兵に引き連れられてきた。その顔は憔悴し、ただでさえ細い体がげっそりとしている。
「許してください! 知らなかったんです、こんなことに利用されるだなんて!」
「貞然、お前……」
「軍編成を他人に漏らすのがどれほどの罪に当たるかは、君だって知らないわけじゃないよね?」
「違うんです! 僕は、僕は……っ!」
「貞然、訳を話せ」
私が貞然を正面から見据えると、貞然は項垂れて話し始めた。
「僕は……僕は、誓って言いますが、機密を漏洩したつもりはありませんでした。ただ、ある人に貴方の文章はとても素敵だと褒められて……僕と離れている間も僕を身近に感じていたいから、僕の記した文章を送って欲しいと言われて……」
私ははあ、と深くため息をついた。
対人関係の苦手な貞然のことだ。唯一得意とする文章を褒められて、すっかりその気にさせられてしまったのだろうと容易に想像がつく。
「そ、それに僕は敵国の人間に情報を渡したのではありません! 文章の送り先だって首都です! だから大丈夫だろうと思って……」
「なんだって?」
私はてっきり貞然が書いたものがそのまま敵に流れていたのだろうと思っていた。けれども貞然が疑念を抱かない程度には、それなりに信用のおける相手だったと言うことか。
「貞然、君が剥ぎ取った木簡を送っていた相手は誰なんだい?」
洋嘉が優しく問いかけると、貞然はぽろりと涙を零しながら言った。
「……衛原王府の軍師・陳東宣様のご息女、綺晶様です……僕が、将来を誓い合った……」
「陳東宣の娘、綺晶だと⁉︎ それは私の見合い相手の彼女か⁉︎」
「見合い相手⁉︎ そんな! 嘘です、嘘だ! 僕と彼女は二世を誓った仲で……彼女も何度も閨で僕だけだと言ってくれて……っ!」
錯乱状態に陥ってしまった貞然を、とりあえずは牢に繋いでおくように命じて退出させた。
「……何とまあ、ここで繋がってくるとはね」
「ようやく尻尾が出てきたか……それにしてもあの女……」
「……おそらく彼女の方から言い寄って……体を武器に貞然を骨抜きにしたってとこかな。可哀想に、免疫のない貞然じゃひとたまりもなかっただろうね。君と違って」
「……私と違って? 私も標的だったと言うことか?」
「多分。堅物と評判の君のことだから簡単に陥ちると思ってたんじゃない? それで情報を吸い上げるか、子供でも出来たことにして君を首都にとどまらせるか……そんなところだと思うよ」
私は何とも言えない微妙な気持ちになった。
何か裏がある縁談だと思ってはいたが、貞然のようにあんな風にいいように使われるだなんて御免被りたい。
日々の英凛との攻防戦のおかげで、無駄にその手のことに耐性がついていて助かった。
本当に、英凛には感謝するしかない。色々と凄い方法だったけれど。
「意外にも君が陥ちなかったもんで、苛立って標的を貞然に変えたって感じかな」
「なるほど……」
それで回を重ねるごとに、彼女が妙に焦っていた訳だ。
「しかし、私を籠絡させるか、軍編成を漏洩させるか、と言うことは……西部方面軍に穴を空けるのが目的か?」
「十中八九ね。そして西部本面軍に穴が空いて得するのなんて、お隣さんしかいない」
つまり、衛原王は隣国と結託して……?
と思ったところで、天幕の外から翔星の声がかかった。
「お取り込み中、失礼いたします! 洋嘉様宛に、急ぎの書簡です」
洋嘉は翔星が急いで持ってきた書簡を受け取ると、さっと目を走らせた。
「僕の奥さんたちから連絡が来た」
「なんだ、また子供でもできたのか?」
まったくそれのどこが急ぎの要件なんだ、と文句を言いかけたところで、洋嘉の顔が思いの外真剣なことに気づく。
「今の件の裏付けが取れた。衛原王は西部方面軍に穴を開けて、ここから隣国を引き込んで謀反を起こそうとしている」
「なんだって⁉︎」
「大丈夫、僕の父や伯父――東宮殿下にももう連絡は行っていて、事態はまもなく鎮静に向かう見込みって書いてある」
「そうか……それは良かった……にしてもお前の奥方たちは何者なんだ」
それは明らかに奥方たちから来る書簡の内容じゃないだろう、とツッコミを入れる。
「いやほら、僕の奥さんたちって元・女官長とか花街一の娼妓とか皇后陛下の従姉妹とかだから、色々と伝手とか情報源があって」
「各種取り揃えすぎだろう……」
情報源さえも女性というところが、こいつらしいと言えば最高にらしい。
「まぁ、そんな訳だから都の方は大丈夫なんだけど……」
「問題はこっちか」
「うん」
軍編成は全て敵に筒抜けと考えていい。衛原王の謀反の企みは失敗に終わりそうだが、こんな機会を武闘派が政権を握った今の隣国がみすみす見逃すとも思えない。
「って言うかさー、謀反を起こすのに敵国の勢力を引き込むってホント阿呆でしょ。それ万が一上手くいって政権取っても隣国の傀儡じゃん。自分の伯父ながら呆れるね。あー……ホント、めんどくさ、マジだりぃ……」
やさぐれた洋嘉がぶつくさ言いながら、がんっと床几を蹴っ飛ばす。洋嘉のそんな様子を初めて見た翔星が天幕の隅で怯えていた。
「ふ、副将軍……洋嘉様って、本当はあんな風なんですか……?」
「……洋嘉は昔、奉直とつるんでいた。 ……あとは言わなくても分かるな?」
「は、はい……」
「まあ荒くれ者だらけの西部方面軍をまとめてるんだ。顔が綺麗なだけじゃ務まらん」
思えば昔の洋嘉は酷かった。もっとこう、女性に対する優しさが絶望的に不足していて、食い散らかすという表現が適切だった。あとこんな顔しておいて喧嘩っぱやくてしかも強いもんだから、そこに憧れてしまう女性も多発して、もう本当に悪循環だった。
それを思うと洋嘉も丸くなったもんだ……と思う。
あと、多分私も。
「……牙燎」
「なんだ」
「潰してこい」
「承知」
久々にキレた洋嘉にこちらも楽しくなる。ちょうどいい、私も面倒なのはすっ飛ばして早く帰りたかったんだ。不敵に笑って新しい戟を掴めば、翔星が隣で呆気にとられている。
「向こうが軍編成を知っていようが、大将首さえもいでしまえば関係ないな?」
「お前の好きに暴れてこい」
うむ。お墨付きをもらったのだから、これでようやく家に帰れる。
「ふ、副将軍……」
「なんだ、翔星」
「も、もしかして、副将軍も……?」
「私は、洋嘉と奉直とは腐れ縁だ」
「や、やっぱり……!」
そう、幼い頃から三人で、洋嘉様のご学友とは名ばかりの悪ガキだった。
悪戯も喧嘩も戦も、三人だった。
でも今は奉直はいない。
けれども奉直は生きている。私の心の中に、そして英凛の眼差しの中に。
***
愛馬に跨り、まだ傷のない甲冑を纏い、左手に長剣を、右手に新しい戟を握る。
太腿の力だけで馬を操り、選りすぐった少数の精鋭のみを引き連れて道とも言えないような急峻地を通り、敵の本陣近くへ降り立つと、敵兵の叫び声が聞こえた。
「こ、こ、黄牙燎が出たぞーー‼︎」
だから私は猛獣か化け物か。
苛々として視線を巡らせれば、自ずと総大将の位置と、そこに至るまでの道が見えた。
前へ進め、牙燎、と奉直が言う。
前へ進んで下さい、旦那様、と英凛が言う。
ならば前へ進むのみ。
後のことは考えずに、前へ、進むのみ。
辺境に戻って来てから既に一ヶ月ばかり敵軍と相対し、時には小規模な戦闘が行われることもあったのだが、どうも今までとは色々と勝手が違っていた。
明徳殿の店で、康壮が新しく鍛えてくれた戟はすこぶる調子が良い。あまり力を入れずとも敵が自ら刃に吸い込まれるようにして斬られていくので、力を込めれば言わずもがなだ。
補修に出していた甲冑も今のところ大きな傷はないし、三頭いる愛馬たちも我先に主人を乗せて戦場を蹂躙せんと鼻息が荒い始末だ。
自宅で待ってくれている英凛のことを思えば、敵軍の総大将に突っ込んでいって血祭りにし、その足で帰宅したいのだが、悲しいかな私は副将軍。独断専行は許されていない。
だがそれよりも何よりも、今までとは戦場の様子が異なっていた。
敵の歯応えがなさすぎるのだ。
敵が進軍してきたと聞いて出陣すれば、当初の斥候の報告よりもはるかに敵兵の数が少ない。苛立ちまぎれに瞬殺してはみるものの、どうもそれは陽動部隊で別方面にいる味方が主力部隊に襲われるということが何度か続いた。
ここまで来ればいくら鈍い私でも気づく。
「……情報が、漏れてるね」
「……ああ」
ここは戦場だというのに相変わらず綺羅綺羅しい出で立ちの洋嘉が、遥か前方に翻る敵の旗を眺めながら言う。
「どうも向こうは、徹底的に君を引っ掻き回してその隙にこちらを叩くことにしたようだね」
「忌々しいがそのようだ」
「ま、正解だと思うけどね。僕も戦場で君みたいなのが出てきたらぶつかりたくないし」
「ぶつかってもらわんと困る。私はあいつらを壊滅させて一刻も早く帰りたいんだ」
「うわぁ……誰これ。別人みたいなんですけど。七年も帰りたがらなかった君はどこへ行ったの」
そう言われても帰りたいものは帰りたいのだ。こんな埃っぽくて乾燥してて、汗と血と泥塗れでろくに風呂にも入れないところはもう嫌だ。
温かい英凛の手作りの食事を食べて、英凛とゆっくりと風呂に浸かって、英凛が整えてくれた清潔な寝台で、柔らかくて花の香りのする英凛を抱き締めて眠りたい。
そう洋嘉に言ったら、洋嘉は何だか死ぬほど不味いものでも食べたような顔をした。
「……僕の方が耐えきれないよ……奉直、助けてー……」
「ふん。こう言う時は奉直がいればさっさと解決してくれるんだがな」
一度、味方に間諜が入り込んでいた時の奉直はえげつなかった。およそ味方にとるとは思えない方法で容疑者を炙り出し、そしてその後、文字通り炙った。
「まあ僕はあんなおっかない方法は出来ないからさー、もう少し穏当な方法でいくよ」
「任せる」
「明日から少し部隊編成変えるけどいいかな?」
「構わん。後続がどうであろうと私は目の前の敵を屠るだけだ」
そして早く帰る。それだけだ。
***
洋嘉に言われていた通り、翌日から部隊編成が何日か毎に変わった。副官である翔星が別働隊になったり、統健の率いる弓兵隊が編成に加わったり加わらなかったり、とその日によってマチマチだったが、相変わらず敵は私を避けるかのように陽動を繰り返した。
何日か経つと洋嘉のやりたいことが朧げながら見えてきて、確かに奉直に比べれば真っ当な方法だと思った。あれで洋嘉は軍略に関しては慎重派だからな。
と言うか、奉直が無茶苦茶やらかすので、慎重にならざるを得ないと言うか。
「……で、色々と組み合わせを変えて、結論は出たのか?」
「……残念ながらね」
洋嘉が床几に深く座り直し、布陣図の乗った卓の上にぽい、と短刀を投げる。
「……これに見覚えは?」
「これは……」
それは紛れもない、私が貞然に贈った、あの短刀だった。
「翔星や統健を軍編成から外しても、他の部隊長たちを外しても敵の動きには変化がなかった。情報は部隊長級から漏れてるんじゃない。じゃあ、他に軍編成を知り得るのは……?」
「……従軍書記、か」
軍議で決まった編成は、従軍書記がまとめて木簡に記入し、その後厳重に封をして報告書と共に首都へ送られる。それは論功行賞の証拠ともなり得るからだ。
「だが軍編成は書き終われば封をされる。いくら内容を覚えていても全てを書き写すのは困難だろう。怪しまれる」
「ここが首都だったらね。向こうは温暖だから書き物に使われるのは「竹」だ。でもここは乾燥地帯。竹は育たない」
そうだ、こちらでは竹簡ではなく木簡が主に使用される。竹と木の違いは軽さだったり書き味だったりもあるが――
「木簡なら表面を薄く剥ぎとることが出来る。特にこんな切れ味の良い書刀なら尚更ね。そして従軍書記が木簡の誤りを削り取っていても誰も不審には思わない。 ……そうだろう、貞然?」
洋嘉の言葉に従って天幕の帳が上げられ、手に縄を打たれた貞然が兵に引き連れられてきた。その顔は憔悴し、ただでさえ細い体がげっそりとしている。
「許してください! 知らなかったんです、こんなことに利用されるだなんて!」
「貞然、お前……」
「軍編成を他人に漏らすのがどれほどの罪に当たるかは、君だって知らないわけじゃないよね?」
「違うんです! 僕は、僕は……っ!」
「貞然、訳を話せ」
私が貞然を正面から見据えると、貞然は項垂れて話し始めた。
「僕は……僕は、誓って言いますが、機密を漏洩したつもりはありませんでした。ただ、ある人に貴方の文章はとても素敵だと褒められて……僕と離れている間も僕を身近に感じていたいから、僕の記した文章を送って欲しいと言われて……」
私ははあ、と深くため息をついた。
対人関係の苦手な貞然のことだ。唯一得意とする文章を褒められて、すっかりその気にさせられてしまったのだろうと容易に想像がつく。
「そ、それに僕は敵国の人間に情報を渡したのではありません! 文章の送り先だって首都です! だから大丈夫だろうと思って……」
「なんだって?」
私はてっきり貞然が書いたものがそのまま敵に流れていたのだろうと思っていた。けれども貞然が疑念を抱かない程度には、それなりに信用のおける相手だったと言うことか。
「貞然、君が剥ぎ取った木簡を送っていた相手は誰なんだい?」
洋嘉が優しく問いかけると、貞然はぽろりと涙を零しながら言った。
「……衛原王府の軍師・陳東宣様のご息女、綺晶様です……僕が、将来を誓い合った……」
「陳東宣の娘、綺晶だと⁉︎ それは私の見合い相手の彼女か⁉︎」
「見合い相手⁉︎ そんな! 嘘です、嘘だ! 僕と彼女は二世を誓った仲で……彼女も何度も閨で僕だけだと言ってくれて……っ!」
錯乱状態に陥ってしまった貞然を、とりあえずは牢に繋いでおくように命じて退出させた。
「……何とまあ、ここで繋がってくるとはね」
「ようやく尻尾が出てきたか……それにしてもあの女……」
「……おそらく彼女の方から言い寄って……体を武器に貞然を骨抜きにしたってとこかな。可哀想に、免疫のない貞然じゃひとたまりもなかっただろうね。君と違って」
「……私と違って? 私も標的だったと言うことか?」
「多分。堅物と評判の君のことだから簡単に陥ちると思ってたんじゃない? それで情報を吸い上げるか、子供でも出来たことにして君を首都にとどまらせるか……そんなところだと思うよ」
私は何とも言えない微妙な気持ちになった。
何か裏がある縁談だと思ってはいたが、貞然のようにあんな風にいいように使われるだなんて御免被りたい。
日々の英凛との攻防戦のおかげで、無駄にその手のことに耐性がついていて助かった。
本当に、英凛には感謝するしかない。色々と凄い方法だったけれど。
「意外にも君が陥ちなかったもんで、苛立って標的を貞然に変えたって感じかな」
「なるほど……」
それで回を重ねるごとに、彼女が妙に焦っていた訳だ。
「しかし、私を籠絡させるか、軍編成を漏洩させるか、と言うことは……西部方面軍に穴を空けるのが目的か?」
「十中八九ね。そして西部本面軍に穴が空いて得するのなんて、お隣さんしかいない」
つまり、衛原王は隣国と結託して……?
と思ったところで、天幕の外から翔星の声がかかった。
「お取り込み中、失礼いたします! 洋嘉様宛に、急ぎの書簡です」
洋嘉は翔星が急いで持ってきた書簡を受け取ると、さっと目を走らせた。
「僕の奥さんたちから連絡が来た」
「なんだ、また子供でもできたのか?」
まったくそれのどこが急ぎの要件なんだ、と文句を言いかけたところで、洋嘉の顔が思いの外真剣なことに気づく。
「今の件の裏付けが取れた。衛原王は西部方面軍に穴を開けて、ここから隣国を引き込んで謀反を起こそうとしている」
「なんだって⁉︎」
「大丈夫、僕の父や伯父――東宮殿下にももう連絡は行っていて、事態はまもなく鎮静に向かう見込みって書いてある」
「そうか……それは良かった……にしてもお前の奥方たちは何者なんだ」
それは明らかに奥方たちから来る書簡の内容じゃないだろう、とツッコミを入れる。
「いやほら、僕の奥さんたちって元・女官長とか花街一の娼妓とか皇后陛下の従姉妹とかだから、色々と伝手とか情報源があって」
「各種取り揃えすぎだろう……」
情報源さえも女性というところが、こいつらしいと言えば最高にらしい。
「まぁ、そんな訳だから都の方は大丈夫なんだけど……」
「問題はこっちか」
「うん」
軍編成は全て敵に筒抜けと考えていい。衛原王の謀反の企みは失敗に終わりそうだが、こんな機会を武闘派が政権を握った今の隣国がみすみす見逃すとも思えない。
「って言うかさー、謀反を起こすのに敵国の勢力を引き込むってホント阿呆でしょ。それ万が一上手くいって政権取っても隣国の傀儡じゃん。自分の伯父ながら呆れるね。あー……ホント、めんどくさ、マジだりぃ……」
やさぐれた洋嘉がぶつくさ言いながら、がんっと床几を蹴っ飛ばす。洋嘉のそんな様子を初めて見た翔星が天幕の隅で怯えていた。
「ふ、副将軍……洋嘉様って、本当はあんな風なんですか……?」
「……洋嘉は昔、奉直とつるんでいた。 ……あとは言わなくても分かるな?」
「は、はい……」
「まあ荒くれ者だらけの西部方面軍をまとめてるんだ。顔が綺麗なだけじゃ務まらん」
思えば昔の洋嘉は酷かった。もっとこう、女性に対する優しさが絶望的に不足していて、食い散らかすという表現が適切だった。あとこんな顔しておいて喧嘩っぱやくてしかも強いもんだから、そこに憧れてしまう女性も多発して、もう本当に悪循環だった。
それを思うと洋嘉も丸くなったもんだ……と思う。
あと、多分私も。
「……牙燎」
「なんだ」
「潰してこい」
「承知」
久々にキレた洋嘉にこちらも楽しくなる。ちょうどいい、私も面倒なのはすっ飛ばして早く帰りたかったんだ。不敵に笑って新しい戟を掴めば、翔星が隣で呆気にとられている。
「向こうが軍編成を知っていようが、大将首さえもいでしまえば関係ないな?」
「お前の好きに暴れてこい」
うむ。お墨付きをもらったのだから、これでようやく家に帰れる。
「ふ、副将軍……」
「なんだ、翔星」
「も、もしかして、副将軍も……?」
「私は、洋嘉と奉直とは腐れ縁だ」
「や、やっぱり……!」
そう、幼い頃から三人で、洋嘉様のご学友とは名ばかりの悪ガキだった。
悪戯も喧嘩も戦も、三人だった。
でも今は奉直はいない。
けれども奉直は生きている。私の心の中に、そして英凛の眼差しの中に。
***
愛馬に跨り、まだ傷のない甲冑を纏い、左手に長剣を、右手に新しい戟を握る。
太腿の力だけで馬を操り、選りすぐった少数の精鋭のみを引き連れて道とも言えないような急峻地を通り、敵の本陣近くへ降り立つと、敵兵の叫び声が聞こえた。
「こ、こ、黄牙燎が出たぞーー‼︎」
だから私は猛獣か化け物か。
苛々として視線を巡らせれば、自ずと総大将の位置と、そこに至るまでの道が見えた。
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