無字の後宮 ―復讐の美姫は紅蓮の苑に嗤う―

葦原とよ

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第1章 獣の檻

第4話  至上の腐臭

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 左手側には落ち着いた色合いの官庁街が立ち並ぶ皇城こうじょう域が広がる。横街おうがいを一本隔てただけで、皇城と宮城では全く異なる世界が存在していた。

 長明門ちょうめいもんという扁額へんがくの掲げられた、東宮の南の正門の扉が重い音を立てて開けられた時、翠蓮すいれんは絶望の中に覚悟を決めた。

 だが、翠蓮が重い足をあげて踏みだそうとした一歩は、目の前にいた男――琰単えんたんが急に立ち止まったことで遮られた。

 気づけば琰単は膝を折って礼をしている。皇太子である琰単がこうべを垂れる相手、それに瞬時に思い至って翠蓮は慌てて腰を落とした。

「……公燕こうえんを討ったそうだな」

 特に感情のない声だった。
 自分の息子の一人が、同じく自分の息子に討たれたというのに、世間話でもするような、独り言のような呟きでさえあった。

「はっ。恐れ多くも父上をしいさんと企てておりましたので」

 先ほどまでの傲慢な態度はどこへ行ったのか、琰単は酷くかしこまって父親――今上皇帝に答えた。

「……そうか。大儀であった」

 それはまるで興味が感じられない声音だった。末席に近い息子が一人いなくなろうがどうということもない、そう言外に含まれているようで、翠蓮はカッと怒りに体が熱くなった。
 だがその熱も続く言葉に一気に冷めた。

「……して、その娘は」

「はっ……これなるは公燕めの許嫁であった者でして……その、これより……謀叛の企てに関する、尋問を……」

「東宮で、か」

 しどろもどろに答えた琰単を、幾分か嘲るように皇帝は言った。恐らくは琰単の真意に気づいているのであろう。ならば助けてはくれないか、と翠蓮は下げた頭で必死に祈った。

「娘、面を上げよ」

「は、はい……」

 まさか皇帝に直接声をかけられるとは思ってもみなかった翠蓮は、震える声で返事をし、恐る恐る顔を上げた。

 そこには琰単をあと三十歳ばかり年かさにしたような初老の男が、輿こしの上に存在していた。親子なのだからその美貌が琰単と似通っているのは当たり前なのだろうが、同じく血の繋がっているはずの公燕の優しい面影はどこにもない。

 ただ意外なことにあまり覇気というものは感じられないのだと、翠蓮は思った。皇帝とはもっとひれ伏したくなるような雰囲気があるものだと勝手に思っていたが、酷薄さはその眼差しに浮かんでいるものの気圧されるほどでもない。

 そんなこともあってか、翠蓮はつい不躾に皇帝の顔をまざまざと見つめてしまった。

「……ふむ」

 一つ呟くと、皇帝はその顎髭を撫でた。

「良いな。今宵のとぎをせよ」

 何の気なしに放たれた言葉に翠蓮は凍りついた。今、この皇帝という肩書きの老境に差しかかった男は、自分の息子の許嫁であった女に――つまりは義理の娘になるはずだった女に、閨房けいぼうの相手をしろと、そう命じたのかと信じられない思いで目を見ひらいた。

 それは琰単も同じであったようで、言葉を詰まらせながらもなんとか反論した。

「……しかし、父上。この女は公燕と組んでいたやも知れず、そんな者を召し上げるのは……」

「この者にそのような気概があるならば、そなたも既に襲われているであろうよ」

「そ、それは……し、しかし……」

「くどい」

 それだけ吐き捨てると、皇帝は供回りの者を引き連れて宮城へと向かっていった。



   ***



 その後のことは、翠蓮は何一つ思い出したくない。

 どこかから湧いて出たような女官と宦官かんがんたちに引き立てられて、問答無用で紅い壁の内側に連れ込まれた。呆然としているうちに湯殿で磨かれ、夜着を着せられ、太極宮たいきょくきゅうの皇帝の寝所で昼間と同じように犯された。

 そうして翠蓮は数多いる皇帝の妃嬪ひひんの一人となり、その日から才人さいじんという位を賜って、後宮に起居することになったのである。

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