無字の後宮 ―復讐の美姫は紅蓮の苑に嗤う―

葦原とよ

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第1章 獣の檻

第5話  汚泥の園

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 格子窓からうっすらと朝の光がさしこむころあい。部屋の外の回廊でなにやら人が行き交うような気配の中で翠蓮すいれんはぼんやりと目を覚ました。

 見慣れぬ居室の内装に、公燕こうえんの邸宅に泊まってしまったのかと焦った気持ちは、その公燕がどうなったのかを思い出して瞬時に冷え切った。

(そうだ……わたくしは……)

 昼に婚約者の義兄に穢され、夜にその父親に犯されたという、非情な現実だけがそこには横たわっていた。

 一体、前世でどんな行いをしたならばこんな酷い報いとなって返ってくるのだろうか。諦念と絶望が、翠蓮の口元に乾いた笑みを形作る。

 望んだわけではないとはいえ皇帝の寝所に侍ったせいだろうか、やたらと着心地のよい夜着の上に手近にあった薄物を一枚羽織ると、翠蓮は寝台から降りて居間のほうへと向かった。

 居間にある卓の上には盆に乗せられた盒子ごうしが二つほど、いつの間にか置かれていた。朝餉だろうかと翠蓮は思い、そうして昨日からほとんどなにも食べていないことに思いいたった。

 それに気づくとこんな状況だというのににわかに空腹を覚える。意外と自分は図太い神経の持ち主なのでは、と翠蓮は苦笑しながら盒子の蓋を開けた。

「きゃあぁっ!」

 粥かなにかだろうと思って開けた盒子の中に入っていたものに、翠蓮は思わず悲鳴をあげた。
 そこには鼠や蜘蛛や百足やらの死骸が入っていたのだ。

「失礼いたします。いかがなさいましたか」

 悲鳴を聞きつけたのだろう、女官らしきものが部屋へと入ってきた。

「……ご、盒子の中に……」

 翠蓮が恐々と盆のほうを指し示したときだった。

「……あら、朝餉あさげはお気に召さなくって?」

 かけられた声のほうを見やると、女官が入ってきた扉に、三、四人ほどの煌びやかな女性たちが立ち並んでいた。その女たちを見るやいなや、女官は逃げるように立ち去ってしまった。
 女官とは比べるべくもない豪奢な服装や宝飾品を見るに、彼女らもこの後宮の妃嬪だろうと察せられた。

「あ、朝餉……? これが……?」

 信じられない、と翠蓮がそちらを見ると女性たちは口々に嘲りあうように言った。

「公燕殿下の許嫁でありながら、東宮殿下だけでは飽き足らず、陛下まで誘惑するようなけだものにはそれがぴったりでしょう?」
「すべて知っているのよ。公燕殿下の企みを密告する代償に東宮殿下の寵を得たのだって」
「父子共々と交わるだなんて畜生にも劣るわ」
「おお、臭い。獣の臭いがこちらにも移りそう」

 クスクスと耳障りな嗤いに翠蓮は愕然とした。

「すこし見目が良くても、中身はとんだ売女だわ」
「いったい今までに何人の男を咥えこんだのやら」
えた臭いが体に染みついているのではなくって? 洗ってさしあげるわ!」

 そういうなり、女の一人が桶に入れていた汚水のようなものを翠蓮にぶちまけた。翠蓮が衝撃で思わずへたりこむと、ぽたぽたと薄茶色に濁った雫が髪の先から滴り落ちて床に広がった。

「臭い、臭い!」
「ああ、嫌だ。皇后陛下が築きあげた由緒正しき掖庭宮えきていきゅうにこんな穢らわしい者がいるだなんて!」

 女たちは一方的に翠蓮に侮蔑の言葉を投げつけると、かしましく嗤いながら立ち去っていった。



(……私が……私がいったいなにをしたというの⁉︎)

 翠蓮は悔しさのあまり爪が食い込むほどに拳を握りしめた。

 ただ、公燕との甘い結婚を夢見ていた。
 それだけだったのに、婚約者は殺され、立て続けに皇太子と皇帝に犯され、後宮に連れこまれていわれのない侮辱を浴びせられた。

 なにひとつ翠蓮が望んだことではない。
 けれども権力の前にはすべての真実が塗り潰された。

 これ以上の絶望があるだろうか。
 こんな状況に追い込まれて生きている意味などあるのだろうか。

 かくなるうえは首をくくるか、舌を噛み切るか、と翠蓮が生を諦めかけたときだった。

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