5 / 75
第1章 獣の檻
第5話 汚泥の園
しおりを挟む格子窓からうっすらと朝の光がさしこむころあい。部屋の外の回廊でなにやら人が行き交うような気配の中で翠蓮はぼんやりと目を覚ました。
見慣れぬ居室の内装に、公燕の邸宅に泊まってしまったのかと焦った気持ちは、その公燕がどうなったのかを思い出して瞬時に冷え切った。
(そうだ……私は……)
昼に婚約者の義兄に穢され、夜にその父親に犯されたという、非情な現実だけがそこには横たわっていた。
一体、前世でどんな行いをしたならばこんな酷い報いとなって返ってくるのだろうか。諦念と絶望が、翠蓮の口元に乾いた笑みを形作る。
望んだわけではないとはいえ皇帝の寝所に侍ったせいだろうか、やたらと着心地のよい夜着の上に手近にあった薄物を一枚羽織ると、翠蓮は寝台から降りて居間のほうへと向かった。
居間にある卓の上には盆に乗せられた盒子が二つほど、いつの間にか置かれていた。朝餉だろうかと翠蓮は思い、そうして昨日からほとんどなにも食べていないことに思いいたった。
それに気づくとこんな状況だというのににわかに空腹を覚える。意外と自分は図太い神経の持ち主なのでは、と翠蓮は苦笑しながら盒子の蓋を開けた。
「きゃあぁっ!」
粥かなにかだろうと思って開けた盒子の中に入っていたものに、翠蓮は思わず悲鳴をあげた。
そこには鼠や蜘蛛や百足やらの死骸が入っていたのだ。
「失礼いたします。いかがなさいましたか」
悲鳴を聞きつけたのだろう、女官らしきものが部屋へと入ってきた。
「……ご、盒子の中に……」
翠蓮が恐々と盆のほうを指し示したときだった。
「……あら、朝餉はお気に召さなくって?」
かけられた声のほうを見やると、女官が入ってきた扉に、三、四人ほどの煌びやかな女性たちが立ち並んでいた。その女たちを見るやいなや、女官は逃げるように立ち去ってしまった。
女官とは比べるべくもない豪奢な服装や宝飾品を見るに、彼女らもこの後宮の妃嬪だろうと察せられた。
「あ、朝餉……? これが……?」
信じられない、と翠蓮がそちらを見ると女性たちは口々に嘲りあうように言った。
「公燕殿下の許嫁でありながら、東宮殿下だけでは飽き足らず、陛下まで誘惑するような獣にはそれがぴったりでしょう?」
「すべて知っているのよ。公燕殿下の企みを密告する代償に東宮殿下の寵を得たのだって」
「父子共々と交わるだなんて畜生にも劣るわ」
「おお、臭い。獣の臭いがこちらにも移りそう」
クスクスと耳障りな嗤いに翠蓮は愕然とした。
「すこし見目が良くても、中身はとんだ売女だわ」
「いったい今までに何人の男を咥えこんだのやら」
「饐えた臭いが体に染みついているのではなくって? 洗ってさしあげるわ!」
そういうなり、女の一人が桶に入れていた汚水のようなものを翠蓮にぶちまけた。翠蓮が衝撃で思わずへたりこむと、ぽたぽたと薄茶色に濁った雫が髪の先から滴り落ちて床に広がった。
「臭い、臭い!」
「ああ、嫌だ。皇后陛下が築きあげた由緒正しき掖庭宮にこんな穢らわしい者がいるだなんて!」
女たちは一方的に翠蓮に侮蔑の言葉を投げつけると、姦しく嗤いながら立ち去っていった。
(……私が……私がいったいなにをしたというの⁉︎)
翠蓮は悔しさのあまり爪が食い込むほどに拳を握りしめた。
ただ、公燕との甘い結婚を夢見ていた。
それだけだったのに、婚約者は殺され、立て続けに皇太子と皇帝に犯され、後宮に連れこまれていわれのない侮辱を浴びせられた。
なにひとつ翠蓮が望んだことではない。
けれども権力の前にはすべての真実が塗り潰された。
これ以上の絶望があるだろうか。
こんな状況に追い込まれて生きている意味などあるのだろうか。
かくなるうえは首をくくるか、舌を噛み切るか、と翠蓮が生を諦めかけたときだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる