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第2章 蠱毒の頂
第5話 泥と蓮
しおりを挟む荘淑妃の居間から出た北族の宦官は、二つ先にある淑妃の寝室へと向かった。うしろからは椅子になっていた宦官が責められる声が聞こえる。
北族の宦官は荘淑妃の寝室に入ると、寝台の脇の棚から一つの白い壺を取り出した。こよりの封を解いて蓋を開けると、中には嬰児の死骸、殺害された女官の手首、遺髪が入っていた。
あたりを見回すとそれをそっと取り出し、嬰児に偽装した猫の死骸、人の手首のように見える猿の手、遺髪のように包んだ馬の尾と入れ替える。壺はもとあったように封をして、寝台の脇へとしまった。
こんなものを寝台脇に隠しておけと指示するあたり、もはや正気ではない、と宦官は密かに思う。
彼は布で大切にくるんだそれを懐にしまい、内侍省の厨房へと向かう。そこでは庖人の宦官たちが大勢忙しそうに食事の準備に追われていた。宦官はその中を縫って歩き、調味料の棚の下から二番の右端に置かれた白い壺へと、包みをそっと入れる。
そこへ別の体格の良い宦官があらわれ、その壺を手に取り言った。
「この乾物、すこし借りますね」
「ええ、どうぞ」
「貴重なものなのにすみません」
「いえ、では仕事がありますのでこれで」
それだけ言うと、北族の宦官はすぐに立ち去った。壺を受け取った宦官――渓青は壺の中身を確かめると、その痛ましさに顔を歪めた。
「……おのれのためならば人はどこまで醜くなれるのでしょうね」
あの宦官は、殺された女官の血縁の者だった。北族にありがちな姓なので淑妃は気づいていないようだが、族妹として幼いころから見知っていたらしい。
当時、まだ太子だった琰単が気まぐれに荘淑妃のもとを訪れたが、その日、荘淑妃は急に月のものになってしまった。琰単の関心を買いたい荘淑妃は、仕えていた女官をかわりに差し出したのだ。なんの因果かそのときに子ができた。だが荘淑妃はそれが気に食わなかった。
だから、女官は流産して亡くなったと嘘をつき、女官の肚を割いて嬰児を取り出したのだ。それだけでは飽き足らず、その子供の死骸を呪詛の道具に使おうと取っておいたというのだから開いた口が塞がらない。
あの宦官もそうだ。
もとは軍での顔馴染みだった。渓青は皇子だった公燕の護衛として、むこうは他の皇族の護衛として宮中で何度か顔を合わせ、立ち話をする間柄だった。けれどもふとしたときに荘淑妃が彼を見かけ――拉致して宦官にした。
荘淑妃は気に入った見目の男が自分で動かせる立場の者ならば、無理やり宦官にして侍らせる。そうして淑妃に仕える宦官が、両手でも数えられないほどいた。それでいて飽きたらすぐに他の妃に下げ渡すのだ。
南朝の皇族出身の荘淑妃は、北狄の男が宦官として自分に仕えることができるようになるのだから光栄だろう、という思考回路しか持ち合わせていない。人ではなく、家畜。その程度にしか思っていないのだ。
劉皇后も荘淑妃も、およそその位にふさわしい心根など微塵も持ち合わせていなかった。他人は自分の肥やし、気に食わなければ権力にものを言わせて殺せばいい、そういう女たちだった。
渓青は内侍省を出て麗涼殿へと向かった。
ふと持っていた壺を見やると、白い蓮と紅い蓮が絡み合うように描かれている。
(……翠蓮様もここの汚泥に染まりつづければ、いつしか彼女らのように心まで腐り果てていくのでしょうか)
いや、と渓青は首を振った。
あの日、翠蓮は腐臭に馴染みかけていた自分を、泥の中からその綺麗な指ですくいあげてくれた。罪なくして宦官にされて、後宮の女たちにかわるがわる弄ばれ、渓青は生きる気力も目的もなく、ただ死んだ目で瑠璃瓦に切り取られた曇天を眺めていた。
あのとき翠蓮にかけられた汚水を落とし、新しい着物を着せ、髪を梳ったが、本当に渓青を生まれ変わらせてくれたのは翠蓮のほうだった。
諦め、折れていた心に紅く燃える炎を灯し、修羅の道をともに歩もうと、言ってくれた。復讐が成功した暁になんでも欲しいものを与えると言われても、なにも思い浮かばなかった。ただ、翠蓮とともに歩めるならばそれで良かった。
あの日、翠蓮は自分を助けてくれた。
(……ならば今度は私が翠蓮様を淀みから守る番です)
彼女が心まで汚染されてしまわぬよう、自分にできる汚れ仕事はすべて自分が引き受ける。翠蓮には、自分という泥など省みずに美しく咲く蓮の花になって欲しいと、渓青は壺に咲く白い蓮の花を見ながら思った。
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