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第2章 蠱毒の頂
第15話 密約
しおりを挟む瑛藍はその琰単と同じ碧がかった目を大きく見開いてから、ぶはっと息を吐き出し大笑いした。
「あっはっはっは! 君、最高だねぇ。てっきり「協力しませんか」って言われるものだと思ってたのに。やっぱり僕の目に狂いはなかったってことかな」
腹をおさえて、涙すら浮かべている瑛藍に、翠蓮は微笑みかけた。
「……私の望みは、陛下の血筋を絶やし尽くして、まったく異なる者を帝位につけ、それを陛下に突きつけること。陛下が誰よりも愛する妃と、なにもかも劣っていると思われている弟との子を、自分の子だと思わせて育てさせるのは……大層おもしろそうではございませんか?」
「ふふっ……君も大概いい趣味してるねぇ……」
「お互い様だと存じます、斉王殿下」
「……瑛藍、でいいよ、呉昭儀」
「では私のことも、翠蓮、と。これから事実上の夫婦になるのですから」
翠蓮がそう言うと、渓青がうしろで大きなため息をついた。それで翠蓮は一つ思い出したことがあった。
「……瑛藍様、その前に一つ確認せねばならぬことがございました」
「うん? なにかな」
「お召し物をすべて脱いでいただけますか」
翠蓮の言葉に瑛藍は一瞬虚を突かれた表情を浮かべたあと、苦笑いした。
「君、ほんといい性格してるねぇ……誰だ、貞淑で薄倖そうな、病弱な佳人とか言ってたやつは」
「私自身は一言もそんなことは言っておりません。皆様が勝手にそう思われているだけで」
「思い込みと女の演技って怖いよねぇ……ああ、でも心配しなくても大丈夫。僕はたしかに琰単の模倣ができるから、しょっちゅう後宮に潜りこんでるんだけど、みんな寝台の上では気づくって言ったでしょ? 残念ながらそこまでは模倣できなかったんだよねぇ」
瑛藍がそう言ったとき、うしろにいた渓青が耐えきれずにぶはっと吹き出した。
「……失礼いたしました……」
「いや、いいよー。気持ちは痛いほどに分かるからね。あれは……ねぇ?」
渓青は口元を手で覆って笑いを堪えたまま静かに頷いた。そんな二人の様子を見て、翠蓮はため息をつく。
翠蓮は実のところ、先帝と琰単のものしか実物を見たことがない。渓青が使用している狎具はなかなか精巧にできていると思うが、実際にその大きさのものを見たことがあるわけではないので、男性にとってそれの大きさが非常に繊細で重要な問題であると言われても、いまいち実感がわかなかった。
「……そちらの方は問題ない、ということですね」
「うん。すくなくともアレよりはましだから安心して」
「……では、すこし準備をしてまいりますので、こちらで少々お待ちください」
翠蓮はそう言って、渓青を連れて一度寝室へ戻った。広げたままだった書物などを整理して、渓青に寝台を整えてもらう。
「翠蓮様、藍月漿は準備いたしましょうか」
「そうですね……念のため枕元に置いてください。正直なところ、私もどうなるか分かりませんし」
渓青が掛布を整え、寝台の中を整理しているうしろに翠蓮は近づいた。
「渓青……」
その大きな背中を翠蓮はそっと抱きしめた。
ごめんなさい、とその言葉は言えなかった。
(本当は、渓青との子が欲しかった……)
でもそれだけは叶えられない望みだった。
そして口に出すことさえ憚られる望みだった。
それを言ってしまえば、渓青を困らせるだけなのは火を見るよりも明らかだったからだ。
琰単ではない他の誰かの子を身篭り、その子を琰単の子として育て、帝位に就ける。それは当初から翠蓮と渓青の計画に含まれていた。
だから翠蓮は本当は謝る必要はないし、渓青もまた謝られる立場ではない。それでも翠蓮は謝りたかった。
「翠蓮様……」
渓青は振り向くと、翠蓮の肩を優しく抱いて言った。
「つねにおそばに侍っておりますので、なにかございましたらお呼びください。斉王殿下は……信頼に足るお方だと思いますし、経験も豊富そうですが、翠蓮様はそうではありませんから」
「はい……」
渓青がそっと顔を寄せて翠蓮の眦に口づけてはじめて、翠蓮は自分が涙をこぼしていたことに気づいた。
***
翠蓮は夜着一枚になって瑛藍を寝室に迎え入れた。寝台に腰かけると瑛藍がするりと手をのばして髪を一房とり、そこに口づける。
これは本人の言葉どおり、相当手慣れているな、と翠蓮は思った。仕草が自然で嫌味がない。琰単のような傲慢さも性急さもなく、甘くて軽い言動で琰単と同じような顔立ちなのだから、さぞかし後宮では人気なのだろうと察せられた。
けれども瑛藍がそのまま顔近づけて来たとき、翠蓮は口の前に手を出してそれを止めた。
「……口だけは……」
「うん?」
「他はなんでも結構ですが……口だけは許していただけませんか」
「なに? 公燕に義理立て? べつにかまわないよ。僕たちはただの共犯者だからね。愛しあう夫婦じゃない」
翠蓮はそれになにも答えなかった。
ただすこし安堵する。寝台の横で小さく息を飲む音が聞こえた。
「……ん? ちょっと待って、じゃあなに琰単は君と一度も口づけしてないってこと?」
「……そう言われてみると、そうですね」
「え? それって拒否してるわけじゃなくて、本当に全然してこないの?」
「改めて思い返してみると、たしかにそうですね。いつも押し倒されたと思ったら、即、入れられて出されて終わり、でした」
翠蓮がそう言うと、瑛藍はがくりとうなだれて翠蓮の肩に頭を乗せた。
「うわー……分かってたけど、あいつ、ほんとに情緒のかけらもなくて最低だね……」
「さっさと終わるので助かってます」
「くっくっく……その身の蓋もない言い方、最高。 ……あれ? 君って父上の後宮にもいたんだよね? じゃあ、父も……?」
「お二人ともそっくりですよ、閨での振る舞いは」
顔を上げた瑛藍は、はあと深いため息をついた。
「……なに、皇帝の閨房での所作ってそうしなきゃいけないとかあるの?」
「さあ……そこまでは存じませんが、瑛藍様のお言葉を借りれば、情緒など微塵も感じませんね。『嬲る』という言い方が一番正確かと思います」
「……そりゃ僕がしょっちゅう後宮に呼ばれるわけだよねぇ……」
苦笑しながら髪をかきあげる姿も瑛藍はさまになっている。さきほど瑛藍は後宮に潜りこんでいると言っていたが、いまは「呼ばれている」と言った。この様子だと、どちらかというと呼びつけられているほうが多いのでは、と翠蓮は思った。
本来ならば男子禁制の後宮だが、皇帝と瓜二つの瑛藍ならばあまりことを荒立てずに潜りこめる。それにそつのない瑛藍のことだから、宦官や女官への根回しも万全なのだろう、と察せられた。
先帝時代に後宮に、噂をばら撒きながら侵入してきていた琰単とは違う。もっともあれは、故意に噂を流させていたわけだが。
そう考えて、翠蓮はふと思いついたことがあった。
「そうそう、瑛藍様。共犯者になるからにはもう一つお伝えしておかねばならぬことがございました」
「なにかな?」
「貴方のお父上、先帝陛下ですが……弑し奉ったのは私です」
翠蓮がそう告げると、瑛藍はさすがに顔をこわばらせて、冷や汗をたらした。
「……誰かに殺されたのかな、とは思ってたけど、まさか君とはね……さすがにそれはちょっと予想外だった」
瑛藍は顎に手をあて、翠蓮の問題発言をなんとか飲み込もうとしているように見える。翠蓮はそんな様子を尻目に淡々と言った。
「……婚約者を殺されて、義理の兄と父になるはずだった人たちにたて続けに犯されて、無理やり後宮に入れられて。押し込められたここでも、婚約者を売って体で皇帝と太子を籠絡した毒婦と罵倒されました。
……ですから、殺したのです。毒を盛って錯乱させて、皇帝らしからぬ惨めな最期を迎えさせて。いかがなさいます? 私は貴方の父親を殺した仇です」
「……いや、それは全っ然かまわないんだけど。父親らしいこととかなに一つされた記憶がないし、そもそもあの屑がきちんとしていれば僕が生まれることも、母が殺されることもなかったわけで」
瑛藍はしばし考え込んでから言った。
「あのさ……どうやって毒を盛ったの? 皇帝のまわりとかめちゃくちゃ毒見がいたでしょ? しかも、口づけしたこともないんでしょ?」
「それはですね……」
翠蓮はふふっと妖しく笑ってから、自分の下腹部をそっと押さえた。
「ここに薬を仕込んで、舐めとらせたのです」
「うっわ……えげつなっ! 女って怖っ!」
思わずあとずさった瑛藍に、翠蓮はにっこりと笑った。
「今日は仕込んでいませんからご安心を。それとも、渓青に『毒見』させましょうか?」
「いや、いい……いいんだけどさ……ずいぶんと変わった毒を盛ったんだね。遅効性……いや、蓄積するような性質……?」
「そうですね。量を間違えれば急死しますが、そうでなければ依存性と耐性獲得性が問題になる程度で、薬としても使われるものです。薬は渓青が管理していますから、彼を怒らせると気づかないうちに一服盛られるかもしれませんよ?」
「……気をつけておくね」
瑛藍は顔を引きつらせながら、寝台の脇に立つ渓青のほうを見やる。渓青は黙して語らず、といった風で、瑛藍は「お手柔らかに……」と呟いていた。
「では……真贋のほどを見させていただきましょうか」
翠蓮はそう言って瑛藍の手を取り、寝台の上へと誘った。
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