無字の後宮 ―復讐の美姫は紅蓮の苑に嗤う―

葦原とよ

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第2章 蠱毒の頂

第22話 不遇の策士

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 不敵な笑みを浮かべる緑基りょくきに、翠蓮すいれんは呆気にとられた。

「……堅っ苦しいのは苦手なんで、素のままでいかせてもらうぜ。それにこれから自分を売り込もうってんだ。猫かぶってちゃ意味ねーだろ?」

 有能そうな官吏の仮面を脱ぎ捨てた緑基は、そうしているとかえって年相応に見えた。これははらを据えてかかった方が良さそうだと、翠蓮も考えを改める。
 だが翠蓮よりも渓青けいせいの方がすばやく反応した。

「無礼な。殺しますか?」
「渓青!」
「……おっかねーな、この兄ちゃん」

 動じたそぶりもなくけらけらと笑う緑基に、殺気立つ渓青。翠蓮は頭が痛くなってこめかみを揉んだ。

「……かまいませんよ。大切なのは礼儀ではありませんから」
「そうこなくっちゃな。にしてもあんた、そうしてっとイイ目してんな。さっき宴席にいたときはお人形さんみてぇだったけど。女にしとくのがもったいない」
「……女だからこそできることもあるのです」
「そうだな。皇帝を籠絡して後宮を引っ掻き回すのは女にしかできない。だがこっから先、朝廷に巣食う老獪なジジイどもの相手をすんのはあんた一人じゃ厳しい。違うか?」
「……残念ながらそのとおりですね」

 緑基の言葉は正鵠せいこくを射ていた。瑛藍えいらんという力強い味方を得たものの、瑛藍はあくまで皇族であり、官僚ではない。
 まつりごとを実際に動かしているのは、一握りの閣僚とそこに連なる数多の官吏なのだ。彼らを掌握しなければ、いくら琰単えんたんが翠蓮を皇后に推したところで実現しない。

「あんたは皇帝は完璧に落とせたが、それ以外はちぃとばかりあらがある。俺が調べあげた宦官の件にしてもそうだし、自分のガキ殺すのにわざわざ皇后の髪紐を使ったのはちょっと『やりすぎ』だったな。あれで孫太尉そんたいいは疑問をもって、俺の上司んとこに依頼がきたんだ」

「そう、でしたか……」
「あ、やっぱ子供殺したのあんたなんだ。そこはカマかけてみたんだけど」
「…………っ!」

 まずい墓穴を掘ったと翠蓮は痛感した。これでこの男を「こちら側」に引き込むしかなくなった、と内心で汗を垂らしながら笑う。

「この調査書はまだ上司にゃ提出してねぇ。いまんとこ知ってんのは俺だけだ」
「つまり、私の生命線は貴方に握られているということですね」
「ああ。あんたの返答次第では俺はこれを上司のとこに持ってく。おっと……兄ちゃん、俺を殺そうとしても無駄だぜ? 俺が戻らなかったらこいつの写しを運べって家の者に言ってあるからな」

 瞬時に扇の骨の先の毒針を突きつけた渓青に、緑基はそんなことは想定済み、とでもいうように言った。

「ならば家ごとすべて焼き払うまでです」
「おっかねー……なんでこんなのが宦官やってんだ? まあ、聞けよ。俺はこいつを太尉たいいのとこに持ってくこともできたのに、あんたのところにこうしてきた。なぜだと思う?」

「……そうした方が、貴方にとって利点があったからですか」
「そのとおり! だからわざわざあんたが後宮からこうして出てくるのを待ってたんだ。さすがに俺でも掖庭宮えきていきゅうに侵入すんのは無理だからな」

「貴方は……なにが目的なのですか」
「うーん……そうだな、まあ端的に言えば、金と権力かな。あとたまにあんたを抱けたら最高だな。 ……いや、そんな怖い目すんなって兄ちゃん」

 あまりにも分かりやすい要求に、翠蓮はかえって笑ってしまった。これは渓青とウマが合わないわけだ、と苦笑する。

「これを上司に提出したってさ、「うむ、ご苦労であった」の一言で、俺にとってはなんの旨味もないわけ。特別に褒賞が出るわけでなし、昇進させてくれるわけでなし。下手したら知りすぎたつって消されるかもしんねぇ。だからあんたのところにこうして持ち込んで、自分ごと売りつけた方が金も権力も手に入りやすそうだろう?」
「いまの私にはなんの権限もありませんけれどね」
「それを手に入れるために俺があんたを皇后にしてやるんだ」

 そう言い切った緑基に翠蓮は初めて心の底から興味を抱いた。翠蓮が皇后位を「狙っている」と考える人間は少ない。そのために散々「大人しくて主張しない昭儀」を演じてきたのだから。
 だが緑基はその翠蓮の演技を、記録という情報で裏づけて真の姿を暴き、なおかつ翠蓮が皇后に「なれる」と信じている。それはどこか面映くもあった。

「……皇后にする、と簡単に言いますが、具体的にどうするのですか」
「ココを使うのさ」

 緑基はとんとんと自分の頭を指した。とても頭脳派には見えない緑基に翠蓮は疑問を浮かべる。

「あ、俺のことそんなタマには見えねぇって思ってんだろ? 俺、こう見えても一昨年の科挙かきょ、史上最年少の二十歳で探花たんかで合格だぜ?」

 翠蓮と二歳しか違わなかったのか、ということよりも科挙で三番目となる成績を残して合格という方に大きな衝撃を受けた。

「……一昨年といえば、状元じょうげん王戸部尚書おうこぶしょうしょの嫡男、次席は温御史大夫おんぎょしたいふの三番目の御子息でしたから……実質、貴方が状元ですか。まったくはそうは見えませんが」
「おっ、よく知ってんな。一言余計だけど。そのとおり、あいつらはほとんど親の縁故で合格したようなもんだからな。実力は俺の方が圧倒的だぜ」
「探花が吏部りぶ書史令しょしれい、ですか……」
「俺が金と権力って言う理由も分かるだろ?」

 翠蓮は完全には理解しきれていなかったが、渓青の言葉から察するにおそらく緑基の就いた職は、探花で及第というその経歴からすると不当に低い。

 そもそも科挙に合格したからと言って、すぐに官吏になれるわけではない。官吏の任命罷免権を持つ吏部りぶは北族系貴族の力が強く、科挙出身者は冷遇されていた。科挙合格者でも元々が貴族層出身の者ならば、当然高位の官へと出世していくような道が用意されるが、庶民出身ならば結果は言わずもがなだ。
 流外官りゅうがいかんは庶民から登用されるから、緑基もおそらく貴族ではないのだろう。

「……俺はな、北のほうの貧しいとこの生まれだが、北族じゃねぇ。けど両親はできの良かった俺に望みをかけて、貧しいなりに一生懸命勉強させてくれた。それが祟って二人とも死んじまったんだけどな……そんでなんとか科挙に合格して、これで道が開けるって思ってた」

 けどよ、と言いながら緑基は瞳に暗い炎を燃やす。

「俺より劣る成績で合格したらやつらが、ばんばんいい位の職に就きやがる。そいつらはみんな北族出身か、貴族の息子とか、つながりがあるやつらだ。俺はそんなもんなんも持っちゃいねぇ。そんで呆然としてたところを……つけこまれたんだ。
 俺の出身地に、北族のすげぇ金持ってる元宦官がいた。そいつが、俺の妹を寄越せば官職を斡旋してやるって言うんだ。俺はそんなことしてまで……って思ってたんだが……妹は俺のためにつって自分からそいつのところに行っちまいやがった」

 爪が手のひらに食い込むほどに緑基は拳を握りしめた。

「……目の中に入れても痛くないほど可愛がってた妹を、薄汚ねぇ屑野郎に売り払って、手に入れた職が……書史令しょしれいだ。クソみてぇだろう?
 妹を買い戻すために出世してやろうと思って、上司にはこび売って、心にもねぇお世辞を言って、卑屈に振る舞って……けど二年経ってもなんも変わりゃしねぇ。
 いい加減嫌気が差してきたところにクソ上司が俺に押しつけてきやがった面倒な仕事が……あんたの調査だった。分かるかい? 俺にはあんたに賭ける以外に方法がねぇんだ。俺はあんたを皇后にする秘策を授ける。その代わりに俺の妹と……俺の誇りを取り戻させてくれ」

 そう言った緑基の瞳はまったく曇りがなく、真摯しんしそのものだった。翠蓮と同じように、渓青と同じように、瑛藍えいらんと同じように。奪われて虐げられて、それでも目的のために偽りの自分を演じて足掻いている人間が持つ、強い意志の光を宿す復讐に濁った瞳だった。

 思いのほか重いものを背負っていた緑基に、翠蓮は人はみかけによらない、と痛感した。みな、目的のために皇宮こうぐうという空間のなかで演技をしている。

「……貴方の望みは、妹さんを取り返すための金と権力を手に入れること?」
「ああ、それだけだ。他にはなんにもいらねぇ。一族の栄達だとかいうほどたいした親族もいねぇし、そもそも俺は血縁だけで能力もねぇのにのさばるやつらに辛酸を舐めさせられてきた。血筋だけで実力がねぇやつなんかクソくらえだ」

 瞬時に翠蓮は計算を巡らした。孫佐儀そんさぎがそうであるように、また北族や南朝貴族がそうであるように、おのれが地位と権力を得たあとは、それをいかに固めるかに腐心する。そのために自らの血縁を要職につけて地盤を固め、一族郎党でもって動く。それは結束が強くなり、いざと言うときに強力な団結力で軍を持てるという利点もあったが、比較的国内が落ち着いてくれば、腐敗という負の側面のほうが大きくなる。

 派閥争いが激しくなり、官吏は腐敗し、汚職と賄賂、売官が横行する。緑基の言うように血縁や縁故で登用される者が増え、全体的な官吏の質が低下し、そしてまたそれに不満を持つ者たちが反乱を起こし、王朝が倒れていった例は枚挙にいとまがない。

 だが、緑基ならばその心配はいまのところないだろう、と翠蓮は値踏みする。
 それにその気配が見えてきたならば、緑基が油断したところで切り捨てればいいと冷静に算段をつけた。

「では……わたくしは貴方の提案を受け入れます」
「翠蓮様!」

 渓青が異議を唱えるのを、翠蓮は片手で制した。

「……渓青も分かっているでしょう? 今のままでは次の手が打てないと。それに探花という実績があるのです。探していた講師役にぴったりではありませんか?」
「それは……そうですが……」

 多分渓青も頭では理解していいる。けれども、いまひとつ反りが合わないところがあるのだろう、と思った。

「私は……彼の実績は認めますが、その『秘策』とやらがどのようなものか分からねば、賛同はいたしかねます」
「そりゃ、たしかにそうだな」
「でしたら、こうしたらどうでしょう。貴方は私たちに、その秘策の内容を教える。もし私たちがそれを受け入れなければ、貴方は書類を上司に提出すればいい」
「ふむ……俺にとちゃ損はないが、あんたらには不利じゃないかい? 提示された策が魅惑的でなかった場合でも、訴えられることになる」
「その場合は渓青が焼き払いに行くだけです」
「くっくっ……訂正。あんたのほうがおっかないわ。いいぜ、それで乗った。命がかかってくるくらいじゃねぇとおもしろくねぇ。じゃあ、教えてやるよ。あんたを皇后にするためにはな……」

 そうして緑基が話しはじめた秘策の全容に、翠蓮も渓青も思わず体を震わせることになった。

 これならば、と。



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