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第2章 蠱毒の頂
第36話 宴の暁
しおりを挟むぼんやりとものの輪郭が捉えられるくらいには薄明るくなってきたころ、翠蓮はなかば夢見心地で目を覚ました。
気づけばあたたかくがっしりとした腕の中にいる。しっとりと包み込むような香りでそれが渓青なのだとすぐに分かった。
翠蓮はそれを意外に思う。
こうして渓青の腕の中で朝を迎えたことは、実は数えるほどしかない。一応は後宮の妃と宦官という関係である以上、後宮にいるときはどんなに前夜の「特訓」で疲れていても、渓青は律儀に隣室の長椅子へと戻るのが常だった。
だから離宮にいたときだとか、一時的に自宅にいたときだとか、非常に限られたときだけあたたかい腕の中で目を覚ますことができるのを、翠蓮はとても大切に思っていた。
そんな渓青がなぜ、と思った瞬間に翠蓮は背中にもう一つあたたかい存在があることに気づいた。おそらく、体の大きさからして瑛藍だ。すこし遠くから聞こえてくる寝息は、長椅子で寝ているであろう緑基に違いない。
爛れている、という言葉でさえ表しきれないような昨夜の痴態を思い出して翠蓮が小さくみじろぎしたとき、翠蓮の体がしっかりと抱きしめられた。
驚いて顔をあげると、ぼんやりと目を覚ます渓青と目が合う。
そのあと起きたことに、翠蓮は思考を停止した。
渓青が笑ったのだ。
それも、とても愛しいもの見るようなひどく優しい目つきで、ふわりと幸せそうに。
そして翠蓮の頬に優しく手を当てると、ゆっくりと顔が近づいてきて甘く口づけされる。激しさはなく、ただ優しくとろけるような接吻は、愛しいという感情を互いに交換するようなもので、翠蓮は夢のような時間にしばし溺れた。
しばらくしてそっと唇が離れていったとき、翠蓮はそっと目を開けて、そしてふたたび呆然とする。
渓青は幸せそうに眠っていたのだ。
まさか今のは寝ぼけていたのかと、翠蓮は愕然とした。そう思ってから、寝ぼけて無意識にしたことと表情があれなのかと思い至って、今度は逆に顔が真っ赤になる。
いつもはしれっとしていて表情一つ変えずに翠蓮を翻弄するくせに、あんな裏表のない顔と口づけは――卑怯だ。
自分の中で渦を巻く感情を持て余した翠蓮は、腹いせとばかりに渓青の鎖骨あたりにきつく吸いついた。
小さな赤い痣ができた痛みで、今度こそ渓青が目を覚ます。
翠蓮様、と言いかける口を翠蓮は自分の唇で塞いだ。今度はしっかりと舌を差し入れて絡めあわせ渓青の呼気を奪う。
薄い寝衣一枚を隔てて硬い胸板に胸を押しつけ、脚をからめて渓青の太腿に秘所を擦りつけると、目を見開いた渓青ががばりと身を起こして寝台に翠蓮を縫いとめた。
「……おはようございます、渓青」
「……お戯れが過ぎます」
珍しく渓青の慌てた顔が見られたことに満足して、翠蓮はするりと渓青の腕の中から抜け出すと、そっと寝台を降りる。
瑛藍が目をこすってぐぐっとのびをした。彼もどうやら目を覚ましたようだ。つられて長椅子で寝こけていた緑基も猫のような声を上げて起きる。
翠蓮は裸足のままひんやりとする石の床をひたひたと歩き、格子窓のほうへ向かった。曙光がようやくさしこみはじめ、床へ幾何学模様の影をおとす。
「……靴を」
足元に跪いた渓青がそっと絹の靴を差し出した。翠蓮が寝衣の裾をすこしつまんで足を出すと、渓青がするりと靴を履かせる。
「……まるで暁の女王だね」
寝台に腰掛けていた瑛藍がそんなふうに言ってくすりと笑った。かくいう瑛藍も片方だけだらりと下がった寝衣から覗く肩には翠蓮のつけた爪痕がくっきりと残り、乱れた髪の一筋さえも芸術品のように流れ落ち、夜の帝王とでも言える風情だ。
瑛藍はばさりと髪をかきあげると、ぽつりとこぼした。
「……これであとは孫佐儀と琰単を廃し、清の頭上に帝冠が抱かれれば、僕たちの復讐は時間はかかるけれど達成できるね」
渓青を跪かせた翠蓮の姿に将来の皇后を垣間見たのか、瑛藍はそんなことを言った。
それに対して翠蓮はにこやかに笑って――否定する。
「……たしかに私もそう思っていました」
「……え?」
「瑛藍の子を産んで、すこし考えたのです。清がある程度成長するまでは私が摂政となり政務を補佐することは可能でしょう。けれどもそのあとは?」
「ああ……分かったぜ。つまり次の孫佐儀が生まれることを懸念してんだな?」
翠蓮が皆まで言わずとも、長椅子の上で着崩れた寝衣を纏った緑基があとを引き継いだ。
「そうです。清も長ずれば妃を迎えるでしょう。その父親が――つまり外戚が権力を握り専横する。そんな例はいくらでも挙げられます。その者が北族であればすべては振り出しに戻り、第二第三の暗君が生まれ、悲劇が連鎖していく」
翠蓮は格子戸の枠をぎゅっと握り――まるでそれが牢獄の鉄格子であるかのように――枠に囚われたまだ赤い太陽を見た。
「外戚に権力を握らせず、可能な限り科挙出身者を引き立てて支持基盤を形成し、北族や貴族といった特権階級を解体する――それは皇后程度で成し遂げられることではありません」
「ちょっと待って、翠蓮、それって……」
「おまえ、なにを考えていやがる……」
「翠蓮様……?」
翠蓮はくるりと振り向き、暁光を背負ったまま愛しい男たちを見つめた。
「……私は頂点に立ちます。この国の頂――皇帝に」
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