うみと鹿と山犬と

葦原とよ

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第5話 ひとりじゃない

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 十日後、ヤシュカはモレヤに会いにいつもの池へと出かけた。
 今度はミサハに「みそぎをした後、祖神おやがみ様に祈りを捧げてくる」と言い置いて出てきたので準備は万端だ。

 この十日の間にミナカタ族の新たな里――湖にちなんでスハの里と名付けられた――はかなり整備が行き届いてきた。平らな広い土地で稲田を作るのに適していたこともあって、驚くべき速さで水田が整えられていった。

 もとより獣人けものびとはヒトよりも体力もあるし力も強い。土地をならし、水路を掘り、土を耕すことは造作もなかった。

 今は雌たちが早くも水の張られた稲田に苗を植え、数少ない男手は環濠や住居作りに精を出している。

 そのためヤシュカの暮らしは段々と元のものに戻りつつあった。
 祖神を祀り、一族の安寧を祈り――ほとんど誰とも口をきかず一人きりで過ごす生活へと。

 禊をして身を清め、祖神へ祈りを捧げるのはヤシュカの大切な役目だ。
 だからそれを行うといえば誰にもヤシュカを止めることはできない。その役割を押し付けた母であっても。

 そしていくら祈っても祖神は肝心な時・・・・には助けてくれないと、ヤシュカはもう知っていた。



   ***



 ヤシュカが池に着くと、まだモレヤは来ていなかった。

 ヤシュカは池の際まで生えている下草の上に寝転がると、池に手を差し入れて何をするでもなく水をパシャパシャと適当に跳ねさせた。

 まだ池の水は少し冷たく、泳ぐには早い。もっとも、禁足地の池で鹿が泳いだなどと知れたら、今度こそ食い殺されてもおかしくないので絶対にやらないが。

 水面に、真っ白な髪と赤い目のヤシュカが映っている。
 どうあがいても切り離せない、ヤシュカの色だ。

 その白に優しい影が落ちて、ヤシュカはふわりと笑って振り向いた。

「……まだ雪が残っていたのかと思った」

 モレヤが大きな手を差し伸べて、ヤシュカを起こしてくれる。

「雪みたいに溶けて消えちゃえれば良かったわ」
「それは困る。おにぎりまで溶けてなくなったら、今日の昼飯がない」
「もう、そればっかり!」

 ヤシュカは笑いながら、傍らに置いていた袋の中から溶けなかったおにぎりを差し出した。今日はモレヤの分だけで五つだ。少し重かった。

 モレヤはヤシュカの横に腰を下ろし、受け取ったおにぎりを今日は味わうように食べ始めた。

「……ん? 何か入ってる?」
「今日は葉物の浅漬けを入れてみたの」
「うん、うまい。いいな、これ」

 前回までは軽く塩を振っただけのおにぎりしか用意できなかったが、スハの里にも少しずつ余裕が生まれてきて、ヤシュカに供される食事も種類が増えてきた。

 その中から浅漬けを取っておいて入れたのだが、好評なようで良かった、とヤシュカはホッとする。本当は以前のように海藻や小魚などを煮たものを入れられたらいいのだけれど、海のないこの地域ではそれは難しい。

 もう少し余裕が出てきて丸木船を作ったりできれば、湖での漁もできるようになるので、それまでの辛抱だろう。

「これ、ヤシュカが作ったのか?」
「ううん、里ではくりやの担当の者がみんなの分をまとめて作るの。シャグジ族は違うの?」

「違うって言うか……そもそもまとまって住んでないからな」
「え?」

 モレヤの答えにヤシュカは驚いて目を瞬かせた。

「里、っていう考え方がない。みんなそれぞれ大体の縄張りを持っていて、その中で好き勝手に動物や魚を獲ったり、木の実や山菜なんかを集めている」

「そうなんだ……同じ獣人けものびとでもだいぶ違うのね。それであんまり他のシャグジ族に会わないのかしら」

「まあ……そんなもんかな」

 ヤシュカはそう納得したが、モレヤは曖昧に笑った。

「他の人に会いたい時とか困らないの?」

 発情期などはどうするのだろう、と純粋に思う。誰がどのあたりに住んでいるのかは大体把握しているのだろうが、余所から訪ねて来る者は苦労しそうだ。

「ほら、これがあるから」

 そう言うとモレヤは天を仰いで、うおぅ、と小さく鳴く真似をした。

「あ、そうか。便利ねそれ」

 確かに山犬の遠吠えならばある程度距離が離れていても連絡は取れるし、複数人での会話もできる。鹿の鳴き声はそんなに遠くまで響き渡らないので、考えが及ばなかった。

「モレヤの縄張りはこの辺りなの?」
「ああ。俺の……縄張りは、この池の周りだ」

 そのモレヤの言葉と間にヤシュカは微かな違和感を覚えた。モレヤは、縄張り「は」この辺りだと言った。では、他の何かは?

「……縄張り「は」この池の周り?」
「……ヤシュカは鋭いな」

 モレヤは苦笑して、ちょうど今いるところから平原を挟んで反対側の山並みを指差して言った。

「ねぐらはあっちにある」

「え⁉ 全然違うところじゃない。あの辺って、前に言っていた四つ根のかしのあたりでしょう?」

「ああ。シャグジの一族も大体向こうの山のあたりに住んでいて、縄張りもあちらだ。何かあれば四つ根の樫に集まる」

「……なんでモレヤだけ縄張りと住んでいるところが離れているの?」

 それは聞いてはいけないことだったのかもしれない、とヤシュカは思った。けれどもいつも泰然自若としているモレヤの様子がどこか寂しそうに見えて、聞かずにはいられなかった。

「……俺は、忌み子なんだ」

 ぽつりと言うと、モレヤは語り始めた。

「シャグジは結束が強くて、他の種族の者とほとんど番わない。そんな中で俺の母親は、南から流れてきた熊族の男に乱暴されて俺を産んだ。他の種族の血が混じった者はシャグジでは忌み子と呼ばれる。縄張りも、一族の土地から離れたところに隔離される」

「そんな……!」

 獣人けものびとは基本的に母系社会だ。

 それは偏に、異なる種族の者同士が交わっても、生まれてくる子は母方の種族の特徴しか受け継がないからに他ならない。故に子は全て母方の一族の元で養育される。

 ミナカタにも、父親がミナカタの者ではない者など沢山いる。というか、ヤシュカたち兄妹も三人とも父親が違うし、父親は他の種族の者だということしか知らない。顔も名前も、どこの種族の者なのかさえ知らない。

 だから獣人けものびとの族長は、よっぽど特殊な事情がない限り雌が就く。
 雄たちはどんなに他種族の雌に入れあげても、発情期が終われば自らの一族に戻っていく。

 美貌で知られた母の元には、異なる種族の雄が多く夜這ったと聞いたことがある。異種族間で子を成すのは獣人けものびとの間では当たり前のことだと思っていたが、だからこそまた、母親のように利益を求めて多くの雄を受け入れる雌にはヤシュカはなれそうになかった。

「ミナカタでは、他の種族を父親に持つなんて当たり前のことよ。それだけが理由で遠ざけたりしない」

 モレヤの置かれた境遇に憤慨してヤシュカは言った。勿論他種族のことに口出しすることはできないが、シャグジの理論で言ったらミナカタなんて誰も彼もが忌み子になってしまう。

「それは……羨ましいな。シャグジはつがいになった相手は生涯変えない。死ぬまで寄り沿う。だからそれを破った結果の子供が忌み子になる。番の結びつきはそれほどに強いものなんだ」

 その仕組みもまたヤシュカを驚かせた。良い面と悪い面は隣り合わせということかと思った。それはまたミナカタも同じだった。忌み子がいない代わりに番の結びつきは驚くほど薄く、酷ければ発情期のうちの数日間だけの相手のこともある。

「その点に関しては羨ましいわ。私は沢山の雄と番うなんて、多分無理」

 ヤシュカもシャグジ族に生まれていれば、平々凡々に一人だけの雄を生涯の番として愛せただろうに、うまくいかないものだと思った。

「ミナカタは違うのか?」
「私には兄と妹がいるけれど、三人とも父親は違うわ」
「そうか……やっぱり外は違うんだな」

 ヤシュカの言葉に、モレヤは深く考え込んでいるようだった。
 きっとモレヤは今まで、忌み子ということで色々な制限――いや、「忌み子」という名称からして差別を受けてきたのだろう。

 それが他の種族ではごく当たり前のことで、忌み嫌われる要素などどこにもないと知れば、天地がひっくり返ったような衝撃を受けているに違いない。

 モレヤほどではないだろうけれど、ヤシュカだって驚いた。
 同じ獣人けものびとなのにこんなにも正反対の価値観を持つ種族がいるだなんて、考えてもみなかった。そして色々と見聞きしたつもりになっていたけれど、やはり世界はまだまだ知らないことに満ちていると改めて思った。

 モレヤが落ち着くだろう頃合いを見計らって、ヤシュカはそっと漏らした。

「どちらが良くてどちらが悪いかなんて分からないけれど……私とモレヤは同じなのね」

「え?」

 首を傾げたモレヤに、ヤシュカは自らの置かれた立場を説明した。

 ただ色が白いというだけで母や兄に利用され、妹には劣等感を抱き、一族の者とは疎遠で、そしてそんな境遇を打ち明ける相手すらいない自分のことを。

「モレヤは……私の色、気持ち悪くない?」

 真っ白な髪を指に絡ませながらヤシュカは問うた。意地の悪い質問だと分かっている。短い付き合いでも、嘘でも「気持ち悪い」だなんてモレヤが言う訳がないと分かっていて尋ねた。

 モレヤに言って欲しかったのだ。気持ち悪くない、と。
 ヤシュカがモレヤに忌み子なんて外の世界では存在しないと言ってその存在を肯定したように、モレヤにヤシュカの存在を認めてもらいたかった。

 けれどもモレヤの答えは意外なものだった。

「え……? だって白い動物とか他にもいるだろう? ヘビとかネズミとか、たまに白いのを森の中で見るぞ。あれが神の使いだって言うなら、俺、何回か食べた」

 モレヤの言葉に、ヤシュカは呆気にとられ――そして大笑いした。

「ぷっ……くっ……あっはっはっは‼」

「ヤ、ヤシュカ……?」

「そうよね、そう……色が白いだけで食べられちゃうことには変わりないわね!」

 神の使い、白き鹿、神々しいまでの白。
 そんな言葉で飾り立てられてきたヤシュカが、ヘビとネズミや同じ扱いで、ましてやあっさりと食べられてしまうのが面白くて仕方なかった。

 存在を肯定されるよりも、嬉しかった。
 他と変わらない、普通なんだと言ってくれたことが、これほど嬉しいとは思わなかった。

「ありがとう、モレヤ。なんだか少し元気が出た」
「俺の方こそヤシュカに忌み子だってずっと隠してて悪かった。ヤシュカは何も知らないから俺を避けないんだと分かってて、利用するような真似をした」

「ううん、全然気にしてない。私たち、同じね。どっちも一族のはみ出し者」
「そうだな」

 忌み子のモレヤと、神の使いのヤシュカと。
 方向性は真逆だけど、一族の中から浮いていることには変わりない。それも、本人たちの預かり知らない持って生まれたもののせいで、一族の中でしか通用しない価値観に縛られて苦しんでいる。

「ねぇ、モレヤ。また会いに来ていい?」
「勿論。何しろ話す相手もいなくて暇なんだ」
「その気持ち、よく分かるわ」

 そう、本当に。
 そこに誰かがいるのに、いない者のように扱われるのは結構辛いのだ。
 もっとも、モレヤの場合は本当に一人だったみたいだけれど。

 それからヤシュカはたわいもない話をして、影が長くなりつつあるのに気づいてモレヤに別れを告げて、里へ戻った。

 モレヤとの距離がだいぶ縮まったような気がして嬉しい。
 初めて本当の自分を隠さないでいい友人ができて、自分だけじゃないということが分かって、ヤシュカは次の十日後が待ち遠しかった。



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