うみと鹿と山犬と

葦原とよ

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第4話 つながり

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 ひとしきり景色を堪能した後、ヤシュカは興奮冷めやらぬまま再びモレヤの背に乗せてもらって下山した。池まで戻ってくると、モレヤはおにぎりのお礼だと言って木のうろに隠していた葉の包みをくれた。

「中身は何?」
「川魚が十匹と、山菜が少しと春イチゴだ」
「そんなに⁉」

 おにぎりの対価にしては十分すぎるお礼にヤシュカは恐縮したが、モレヤは持っていけと言う。昨日とは違って一人ではとてもではないが食べきれない量だ。
 里のくりやにこっそりと置いておけば、誰かが採ってきたものだと思ってくれるだろうか。

「それよりも……また会えないか」
「もう、今度はおにぎり何個?」

 ヤシュカが苦笑すると、モレヤは幾分か真面目な表情になって言った。

「おにぎりよりも……ヤシュカに会いたい」

 思わぬ言葉にヤシュカはドキリとしたが、続けてモレヤは言う。

「ヤシュカの話が聞きたい。遠くの話に興味があるんだ」

 なんだ、そんなことかとヤシュカは少しがっかりした。そしてなぜがっかりなどしたのか自分で自分を疑問に思ったが、それは心の片隅に置いておくことにした。

「いいよ。でも、あんまり頻繁には来られないと思う」

 毎日のように抜け出していたら、いくら一族の中で特殊な立ち位置にあるとは言え怪しむ者が出るだろう。それに族長である母親がそれを見逃すとも思えなかった。

 ただ、族長の娘としてのヤシュカが頭の端で考える。
 モレヤからシャグジ族のことを何か聞き出せるかもしれない。そうしてモレヤと縁を作っておけば、何かあった時に少しだけに有利になるかもしれない、と。

 そんなことを考えてしまう自分にヤシュカはうんざりしたが、それは一族のためというよりは自分のためでもあった。

 もう放浪の生活はこれで終わりにしたい。
 ここでの安住を手に入れるために、少しばかり敏感になっても罰は当たらないだろうと思った。

「十日に一度くらいでどうだろうか。それならおにぎりを大量にヤシュカが食べたとしても、そう怪しまれないだろう?」

「なんだ、やっぱりおにぎり食べたいんじゃない!」

 ニヤリと笑うモレヤに、ヤシュカもつられて笑った。
 後ろめたさを隠し持っているヤシュカに対して、おにぎりへの未練を断ち切れないモレヤはとても純粋なように思えて眩しかった。

「十日後は……ああ、ちょうど満月の日だな」
「うん、分かった。時間は今日と同じくらいでいい?」
「ああ」

 じゃあまた十日後に、と声をかけてヤシュカはモレヤと別れた。ゆっくりと日が西に傾いて、少しずつ肌寒くなってくる。くしゅん、と小さくくしゃみをしたヤシュカは、山の上でモレヤの毛皮に包まれていた時の方が温かかったな、と思った。



   ***



「……どこへ行っていたの、ヤシュカ」

 里にこっそりと戻ったヤシュカは、あと少しで自分の幕屋へと戻れるというところで母に見つかった。厳しめの声で言われて、ヤシュカはまずい、と思う。

 母はヤシュカに特別な力がないことを知っている。
 と言うより、ただの「白い鹿」であるヤシュカをさも特別な存在であるかのように仕立て上げて、一族の者に祭り上げられるという今の状況を作ったのが母なのだ。

 だから、ヤシュカが「土地神に呼ばれた」などということが、あり得ないことであると誰よりもよく分かっている。

 母相手に隠し事をするのは難しいが、それでもモレヤが敵とも味方とも言えない現状では隠す方が無難だった。

「ごめんなさい、母様。午前中の作業で疲れてしまって、湖のほとりで休んでいたらすっかり寝てしまったの」

「全く、貴方は……次期族長としての自覚をもっと持ちなさい」

「はい、ごめんなさい……」

 しおらしく謝ってみせるが、内心では辟易していた。一族の者にさえ遠巻きにされている現状で、族長になったところで何の利点があるというのだ。

 母はヤシュカと違って、見た目はごく普通の鹿だ。族長の血筋は代々若干色が薄いが、ヤシュカのように「白い」わけではない。

 元々色の薄い族長の血筋は、神の使いである白き鹿に色が近いということで崇められていた。そこに、本当に「白い」ヤシュカが偶然生まれた。

 母は族長としての権威を高めるために、娘のヤシュカが「白い」ことを利用した。

 ヤシュカは「神の使い」であり、神の声を聞ける巫女姫であると吹聴したのだ。

 ヤシュカの偽りの神性を高めるために、そして襤褸ぼろが出ないようにするために、母は一族の者とみだりに関わることをヤシュカに禁じた。
 もっとも、そんなことをしなくとも一族の者たちは神と関わり合いにならないように――神の怒りを買うこと恐れてヤシュカと触れ合おうとはしなかった。

 ミナカタ族には神の使いである「白き鹿」がついている。そう宣伝すればミナカタ族に手を出すような輩は獣人けものびとにはいなかった。

 そうして母はその安寧の上に胡座をかいていた。ヤシュカさえいれば、ミナカタは襲われるようなことはないと油断していた。

 だから、あんなこと・・・・・が起きたのだ。



「……それよりもトオミから連絡があったわ」

 母のその言葉に、ヤシュカはびくりと体を震わせた。今一番聞きたくなかった名前だ。

「もしかしたらこちらへ来るのが秋に間に合わないかもしれない、と。だから貴方は今年の秋は身を慎むように」

「…………はい」

 震える心を押してそれだけをやっとの思いで答えると、ヤシュカはこれ以上母の前にいたくなくて自分の幕屋へと逃げるように戻った。

 次期族長としての自覚がない、と言われたことなど気にならない。
 だってヤシュカは族長になどなりたくない。
 族長になるということは――ヤシュカにとって耐えがたいもう一つのことを受け入れさせられる、ということだからだ。

 暗澹たる思いでヤシュカが幕屋の中で打ちひしがれていると、外から小さく声がかかった。

「姉様? 入ってもいい?」

「ミサハ? いいよ」

 ヤシュカが声をかけると、ヤシュカよりも少し小ぶりな薄い榛色の雌鹿が、頭で器用に幕屋の入り口に垂らされた布をかかげて入ってきた。

 そうしてぷるりと一度震えると、目の前で幾分かあどけなさを残した少女の姿に変化する。手早く衣服を身につけていく様子にヤシュカは溜息をついた。

「なんで獣形けものがたになんかなってたのよ」

 ヤシュカが尋ねると、小柄な雌鹿――ミサハは毛色と同じ薄い榛色の髪を手櫛で梳いてまとめ、黄味がかかった丸い瞳をくるりと巡らせて言った。

「男の子たちと湖で遊んでたの!」

 ニコニコと笑って炉のそばに座るミサハには悪気など欠片もないが、その様子が一層ヤシュカを鬱々とした気分にさせる。

 ミサハは一つ年下の年子の異父妹だ。
 普通の鹿に比べれば族長の血筋らしく色は薄いが、ヤシュカのように「白」ではない。

 それ故か、次女故か、母もミサハには厳しくなく、二人はごく普通の母娘の関係だった。族長がそうであれば、一族の者たちもそのように扱う。

 ミサハはヤシュカの神事の手伝いをすることくらいはあるが、それ以外は里の娘たちとほとんど変わらない。

 道端に咲いている花を髪に飾り、それを褒めてくれた年頃の雄たちとじゃれあって遊ぶ。農作業や機織りをし、友人たちと恋話に花を咲かせ、成人したら誰と番おうかとキラキラとした瞳で語る。

 どれもこれも、ヤシュカができなかったことだ。

 ミサハは当たり前のようにそれを享受し、それが得られない者がいるなど考えもしていなかった。いや、ヤシュカがそれを望んでいるとさえ思っていないだろう。

 ただそんなミサハも、ヤシュカに対してそれなりに普通に接してくれる貴重な存在だ。母のように、トオミのように、自分の思惑のためにヤシュカを扱わないだけマシだった。

「母様が、トオミ兄様が来られるのは秋以降になるかもしれないと言ってたわ」

「ええーっ⁉ じゃあ私、せっかく成人しても兄様と番えないの⁉ どうしよう……今年は誰と番おう……」

 ヤシュカはミサハの気持ちを知っていて敢えてこのことを告げたのだが、あまりにもあっけらかんと言われてかえって狼狽えた。



 ミサハは今年の秋に十八歳になって成人する。

 獣人けものびとの間では近親婚も珍しくない。母と父が全く同じとなれば流石に眉を顰める者もいるが、どちらかが異なっていれば特に問題視はされない。

 ミサハが異父兄のトオミを恋い慕っているのは昔から明らかだった。
 だからもしトオミがここにいたら、今年のミサハの初めての相手はトオミになっていたかもしれない。

 ……ヤシュカがいなければ。

 遠回しにミサハにトオミを諦めろ、とヤシュカは言ったつもりだったのだが、ミサハはそれを理解するどころか、別に初めての相手はトオミでなくとも構わないのだといとも容易く言われてヤシュカの方が呆気にとられた。

 というか、ミサハの方が獣人けものびととしての普通の感覚を持ち合わせている。

 獣人けものびとは、一生を通して決まった番《つがい》を持つ訳ではない。
 発情期に気に入った相手を雌が選ぶ。そして生まれた子供は雌の一族で育てられる。毎年決まった相手と番う者もいれば、その年ごとに変わる者もいる。

 ミサハのように里の者たちと幼い頃から触れ合って遊んでいれば、同世代の雄たちがどのような者か知ることができる。その中から気にいる者を選び、合わなければまた違う者を、となるのが「普通」の獣人けものびとだ。

 そんな大人たちの様子を見て育っていれば、多分それが「当たり前」だと思うのだろう。

 けれどもそれは一人隔離されて育ったヤシュカには、酷く異質なことに思えた。

 どの雄であってもヤシュカはよく知らない。
 いや、そもそも雌と雄がどのように違うのか、それさえもよく分かっていない。

 ただ頭に角があるなしの違いではないことくらいは知っているし、里の娘たちの会話をそれとなく聞いているから、「番う」ことがどのようなことかくらいは何となく知っているが、それだけだ。

 そもそも「気にいる」とは、相手を「好く」とは、どんな感覚なのか分からない。



 そんな状態で、この身の上を幾人もの雄が利害だけを求めて通り過ぎていくなど耐えられそうになかった。

 母には言われていた。
 ミナカタ族と、「白き鹿」とつながりを持ちたいと考える一族は多いと。

 そのためにヤシュカを、そういった一族の雄たちに差し出すのだと言われた。白き鹿に祝福された――文字通り白き鹿に「迎え入れられた」雄たちには箔がつく、と。

 だからトオミなど、ずっとここに来なければいいと思っていた。

 母が次期族長としてのヤシュカと、一番初めに番わせようとしている、異父兄のトオミなど。



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