僕が剥がして、少女が食べる怪異清掃

じゃろけ@いろんな小説を書いています

文字の大きさ
1 / 3

曇天の鏡

しおりを挟む
「はい」



 インターフォン越しの女性の声は、音質のせいか少しくぐもっていた。



「タブラ・ラサ怪異美装の甲斐田……です」



 オートロックが解除される電子音が鳴る。



 そのわずかな間に、僕はスマホでメールを開き、依頼者の名前を確認した。高橋佳織、33歳、と。



 エレベーターを降り、愛想笑いもそこそこに、そのマンションの一室へと上がりこむ。



「うっ」



玄関に入った瞬間、鼻をつく強烈な甘い香りに、つい嗚咽を漏らしてしまった。



「どうしました?」

「……いえ、なんでも」



 どうしたもこうしたも、あんた香水つけすぎだよ。僕は依頼者を睨みつけたい気持ちを、営業スマイルの下に必死に抑え込んだ。



「困るんです」



 リビングに通されるなり、女性が訴えた。



「化粧もできないし……」

「依頼の内容は?」

「……メールに書きましたよね?」

「もちろん把握していますとも。ただ、本人から直接話を聞くことも重要なんです。プロとして」



 嘘だ。メールは住所くらいしか確認していない。そりゃあ、勤務時間外に仕事の長文メールなんて読みたくない。それが人情というものだ。



「鏡が私を映さないんです」



 女性がそう言ったところで、洗面所につく。



「なるほど」



 依頼者の言葉を聞くまでもなかった。 目の前にある鏡は、僕を無視して、ただ無機質な白い壁だけを映し続けていた。試しに両手を広げて動かしてみる。けれど、鏡面は僕たちをまるでそこにいないかのように無視し、静止画のように壁だけを映し続けた。



 光学的な反射ではない。意図的な「拒絶」を感じる。間違いなく、怪異だ。



 僕は鞄から専用のライトを取り出して、念入りにいろんな角度から光を当てた。  青白い光が、反射せずにずぶずぶと奥へ吸い込まれていく。



「気持ち悪い……」



 後ろで呟く依頼人の反応が鬱陶しい。僕は構わず、鞄から金属製のスクレイパーを

取り出した。



「少し大きな音がしますよ。奥のリビングでお待ちいただいた方がいいかもしれません」

「……壊さないでよ」



 疑わしげな視線を残し、女性はしぶしぶ洗面所を出ていった。



 足音が遠ざかるのを確認し、鏡に向き直る。

 さて、溜まりに溜まったものを、削ぎ落とすとしますか。

 スクレイパーの刃を、鏡の端に食い込ませた。



 がり、がり、がり。

 

 硬質なものを削り取る音が、狭い空間に響く。



 その不快なリズムに神経を逆なでされたのか、リビングへ退避させていたはずの依頼人が洗面所に戻ってきた。



「なにしてるの!?」



 高い声が、キンと耳に響く。



「……あなた、相当自意識が高いですね?」

「はあ? なによ、急に」

「ええとですね、これ、汚れなんですよ」



 僕は鏡の表面をヘラでこつこつと叩いて指し示す。



「視線の汚れです。水にカルキやミネラルが含まれているように、あなたの視線にも不純物――つまり『自意識』が含まれているんです。それがべったりと垢になってこびりついている」



「わけがわからないわ。適当なこと言わないで」



「ただの事実ですよ。鏡を見るたびに、『しわを見たくない』とか、『毛穴が見えなかったらいいのに』って強く念じるでしょう?その『見たくないものを遮断する成分』が鏡に残り、澱のように積もって層になっちゃってるんですよ。そのうち、鏡の方も『人間の顔なんて汚いものだ』って学習して、人間そのものを映さなくなったんです」



「な……あなた、失礼でしょう!」



「そんなこと言われましても、プロの見立てですから。それによくあることですから、恥じることはありません」



 僕はさらに力を込め、ヘラを押し込んだ。後ろで依頼者がぶつぶつ言っているのが邪魔だったが、リビングに追いやるのは諦めて無視した。



「それにしても、随分と固いですね。これはどちらかというと歯石に近い」



 ズズ、と重たい感触があった。鏡の表面が、なめこのようにぬるりとした感触を伴ってめくれ上がる。



「うわ、これは……随分ぶ厚い」



依頼人の顔色がさっと変わるのが横目に見えた。



「相当、現実を見るのが嫌だったんですね」



 そう言いながら、ぐいっと膜を引っ張る。ボンドが乾いたような、あるいは日焼け後の皮膚のようなその膜は、ぬるりと鏡から剥がれ落ちた。



「ほら見てください。この膜、あなたを映さずに、後ろの壁だけを映しているでしょう?」



 手元でぶら下がっている半透明の膜。そこには確かに、洗面所の壁紙だけが歪んで映り込んでいた。



 女性は言葉を失い、ただ呆然とそれを見つめている。怒る気力すら削がれ、ただ生理的な嫌悪感だけが残ったようだった。



「こちらは私の方で処分しておきますね」



 僕は鞄から小瓶を取り出して、その中にするりと膜を入れた。



「……あ、ありがとうございます」



「どういたしまして。ほら、ぴかぴかの鏡ですよ。存分に現実を見てください」



 覆いを失った鏡は、残酷なほど鮮明に世界を映し出していた。



 目の下のクマも、小鼻の黒ずみも、加齢による細かいたるみも、一切の妥協なくそこにある。



 女性は鏡の前で凍りついたまま動かない。



 鏡の中の自分と向き合わざるを得なくなった彼女を背に、僕は道具をまとめた。



「では、仕事を終えましたので、私はこれで」



 マンションを出ると、外は曇天だった。ポケットに入れた小瓶の中で、先ほど回収した「膜」が小さく蠢いているように見えた。あれほど鮮明すぎる鏡だ。きっと一カ月もすれば、彼女はまた新しい膜を張り直すことだろう。しかし、それは僕の知ったことではない。



 マンションの植え込みの陰、地べたに座り込んで、暇そうに指遊びをしている少女が目に入る。



「おまたせ」

「待った!」



 少女が嬉しそうに立ち上がる。ワンピースの裾が泥で汚れているが、気にした様子はない。



「早かった方だけどな」

「いいから! はやく、はやく! いい匂いする!」

「はいはい」



 家に帰ってからと思っていたが、オリはもう限界のようだ。小瓶を手渡すと、オリはくるくると瓶のふたを回し、膜をするりと抜き出す。白く濁った汚らしい膜を、彼女は麺を啜るようにじゅるじゅると口内へ吸い込んでいく。



 ごくり。



 喉の音がはっきりと聞こえた。



「味はいまいち」

「文句言わない」

「はーい」



 口元についた汚れを舐めとり、オリは不満げに、しかしどこか満足そうに笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

『日常の中の怪異』 ― 私が体験してきた不思議な話 ―

かゆると
ホラー
これは私が これまでの人生で体験してきた 不思議な出来事の記録です。 実体験を元に 一部フィクションを交えて書いています。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

今日の怖い話

海藤日本
ホラー
出来るだけ毎日怖い話やゾッとする話を投稿します。 一話完結です。暇潰しにどうぞ!

【1話完結】5分で人の怖さにゾッとする話

風上すちこ
ホラー
5分程度で読める1話完結のショートショートを載せていきます。主に、ヒトコワなホラー話です。

洒落にならない怖い話【短編集】

鍵谷端哉
ホラー
その「ゾワッ」は、あなたのすぐ隣にある。 意味が分かると凍りつく話から、理不尽に追い詰められる怪異まで。 隙間時間に読める短編ながら、読後の静寂が怖くなる。 洒落にならない実話風・創作ホラー短編集。

きさらぎ駅

水野華奈
ホラー
親友から電話があった。 きさらぎ駅という場所にいるらしい… 日常の中の小さな恐怖が今始まる。 触れてしまったが最後。 二度と戻れない。

処理中です...