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第五章 日向ぼっこ好きは台風の目の夢を見る
第四十話 台風の目は一瞬で
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雨が重い。
シャワーとは比較にならない量の水が体を打ち付ける。大量の雨は服を重くするだけではなく、体温を奪い、口の中に入り呼吸すらも邪魔してくる。
近くに閃光が見え、間髪入れず雷鳴が轟き、地面と空気が揺れる。それでも陸は足を止めない。
服が濡れそぼり、頭が鉛のように重く感じても、ひたすらに走り続ける。
何度転んだだろうか。何度立ち上がっただろうか。何度足が止まりかけただろうか。
つら過ぎて、つらいという気持ちがわからなくなって、意識が朦朧とした。それでも意地だけで一歩一歩進んでいった。
やがて雨も風も和らぎ始める。台風が通り過ぎたのではない。中心に近づいているのだ。
河川敷に着くと、雨も風もとんと止んでいた。どこか不気味な静けさだ。
頭上を見上げると、曇天と晴天の狭間が見える。
濁流が堤防を激しく打ち付けており、川だけが嵐の存在を表している。清々しい空とのギャップに、悪夢のようなチグハグ感を覚える。
台風の目に入った。
(まるでゲームのボス部屋に入ったみたいだ)
そんなくだらないことを考える程、今の陸はテンションがハイになっていた。豪雨の中を突っ切ったことによる高揚感と達成感。それらが人生一の自信を与えてくれている。
びしょびしょになった体を引きずりながら歩いていると、沼のようにぬかるんだ原っぱの上で寝転んでいる少女をみつけた。少女は見覚えのある恰好をしていた。夜の校舎に侵入した時に、陸がトイレの花子さんみたいだと言った服装だった。
今はどこか死に装束のように見えてしまう。いや、音流にとっては巫女さんイメージなのだから、神に捧げられる寸前の巫女と表現すべきだろうか。
(なんでそんな顔してるんだよ)
寝顔は穏やかそのものだった。顔色の悪さも相まって、死に顔のように見える。
恐怖を振り切るように、足を高く上げて一歩一歩近づく。
すぐそこまで近づくと寝息が感じられて、ホッと息を吐いた。しかし音流が反応することはない。絶対に気付かないはずはないのに。陸からすれば拒絶されている気分だが、ここまで来たら止まる訳にはいかなかった。
意を決して口を開く。
「やあ、奇遇だね」
震えた声を絞り出した。
しばらくの沈黙の後、音流はゆっくりと目を開けた。
「同志。なんで来たんですか」
突き放されるような言葉を受けて、陸は息が詰まった。だが「これしきがなんぼのもんじゃ!」と言わんばかりに食らいつく。
「僕も日向ぼっこしたかっただけだ」
決して嘘ではなかった。陸にとってもこの異常な環境は魅力的だった。
「そうですか。じゃあ勝手にしてください」
音流は唇を尖らせながら、体を横にずらした。隣に寝ていい、という合図だ。
濡れた地面に直接寝転ぶ。すでにビショビショに濡れているため、大して気にならない。
目を開けると、晴天が広がっていた。ご無沙汰になっていた青空を前に自然と心が躍る。
「いい空だ」と陸は感嘆の息を漏らした。
「確かにキレイですけど、胸がザワザワして眠れません。思っていたより楽しいものじゃないですね」
「そう? 僕は楽しい。ワクワクする」
「ウチはワクワクしたいわけじゃないんですよ。ワクワクを求めて日向ぼっこをするなんて不誠実です」
「不誠実……?」
音流の言っていることがよくわからず、陸は小首をかしげた。
「日向ぼっこはもっと穏やかで、多幸感にあふれるものじゃないといけないんです」
「そうなの……?」
陸はやはり理解できずに唸った。その様子を見て、音流が補足する。
「レアチーズケーキに苦みを求めるようなものです」
その例えを聞いた瞬間、陸に衝撃が走った。レアチーズケーキ好きの陸には効果てきめんの言葉だった。
「それは大変失礼なことを申し上げました。心より謝罪致します」
「わかればいいんです」
音流は勝ち誇ったような顔を向けた。
(ん? あれ?)
陸は音流の顔を見てあることに気付いて、じっと見つめ始めた。
「なんですか? 恥ずかしいですよ」と視線に気づいた音流は顔を赤らめた。
「メイク落ちてる」
陸の言った通り、顔の化粧が雨のせいでドロドロに溶けていたのだ。
「ちょ、見ないでください。これは本当にダメなヤツです」
音流は耳まで赤くしながら、慌てて顔を腕で覆い隠した。
「そんなに変わってる?」
「……それはどういう意味ですか?」と音流は怒気のこもった声で返した。
「だって、素の顔もかわいいじゃん」
陸からしては純粋な好意で口にしたのだが、音流はまるで砂糖まみれの梅干を食べたような微妙な表情をした。その顔があまりにもおかしく見えて、陸は吹き出してしまった。
「笑いごとじゃないですよ。人生で一番傷つきました」と音流はさらにむくれてしまう。
「え、褒めたつもりなんだけど」
「うれしい気持ちはありますけど、それ以上に傷つきました。努力を踏みにじられたんです」
「そうなの……?」と陸は納得できなかった。
「レアチーズケーキに辛さを求めてクレームを入れるようなものです」
陸はまた衝撃を受けた。
「大変失礼なことを言ってしまい、心より謝罪致します」
「わかればいいんです」
音流はまた勝ち誇った顔をした。しかしすぐにおかしさが上回り、コロコロと笑い始めた。つられて陸も笑い出し、顔を突き合わせてさらに笑った。
台風の目の中にいるとは思えないほど、穏やかな時間が流れていた。しかし長く続くものではない。
ぁ、と二人同時に声が漏れた。
ポツリと一滴の雨が音流の頬を濡らした。まるで暗幕がおろされるように周囲が暗くなっていく。雨は一気に強まり、未成熟な体をお構いなしに打ち付ける。
台風の目が通り過ぎたのだ。
シャワーとは比較にならない量の水が体を打ち付ける。大量の雨は服を重くするだけではなく、体温を奪い、口の中に入り呼吸すらも邪魔してくる。
近くに閃光が見え、間髪入れず雷鳴が轟き、地面と空気が揺れる。それでも陸は足を止めない。
服が濡れそぼり、頭が鉛のように重く感じても、ひたすらに走り続ける。
何度転んだだろうか。何度立ち上がっただろうか。何度足が止まりかけただろうか。
つら過ぎて、つらいという気持ちがわからなくなって、意識が朦朧とした。それでも意地だけで一歩一歩進んでいった。
やがて雨も風も和らぎ始める。台風が通り過ぎたのではない。中心に近づいているのだ。
河川敷に着くと、雨も風もとんと止んでいた。どこか不気味な静けさだ。
頭上を見上げると、曇天と晴天の狭間が見える。
濁流が堤防を激しく打ち付けており、川だけが嵐の存在を表している。清々しい空とのギャップに、悪夢のようなチグハグ感を覚える。
台風の目に入った。
(まるでゲームのボス部屋に入ったみたいだ)
そんなくだらないことを考える程、今の陸はテンションがハイになっていた。豪雨の中を突っ切ったことによる高揚感と達成感。それらが人生一の自信を与えてくれている。
びしょびしょになった体を引きずりながら歩いていると、沼のようにぬかるんだ原っぱの上で寝転んでいる少女をみつけた。少女は見覚えのある恰好をしていた。夜の校舎に侵入した時に、陸がトイレの花子さんみたいだと言った服装だった。
今はどこか死に装束のように見えてしまう。いや、音流にとっては巫女さんイメージなのだから、神に捧げられる寸前の巫女と表現すべきだろうか。
(なんでそんな顔してるんだよ)
寝顔は穏やかそのものだった。顔色の悪さも相まって、死に顔のように見える。
恐怖を振り切るように、足を高く上げて一歩一歩近づく。
すぐそこまで近づくと寝息が感じられて、ホッと息を吐いた。しかし音流が反応することはない。絶対に気付かないはずはないのに。陸からすれば拒絶されている気分だが、ここまで来たら止まる訳にはいかなかった。
意を決して口を開く。
「やあ、奇遇だね」
震えた声を絞り出した。
しばらくの沈黙の後、音流はゆっくりと目を開けた。
「同志。なんで来たんですか」
突き放されるような言葉を受けて、陸は息が詰まった。だが「これしきがなんぼのもんじゃ!」と言わんばかりに食らいつく。
「僕も日向ぼっこしたかっただけだ」
決して嘘ではなかった。陸にとってもこの異常な環境は魅力的だった。
「そうですか。じゃあ勝手にしてください」
音流は唇を尖らせながら、体を横にずらした。隣に寝ていい、という合図だ。
濡れた地面に直接寝転ぶ。すでにビショビショに濡れているため、大して気にならない。
目を開けると、晴天が広がっていた。ご無沙汰になっていた青空を前に自然と心が躍る。
「いい空だ」と陸は感嘆の息を漏らした。
「確かにキレイですけど、胸がザワザワして眠れません。思っていたより楽しいものじゃないですね」
「そう? 僕は楽しい。ワクワクする」
「ウチはワクワクしたいわけじゃないんですよ。ワクワクを求めて日向ぼっこをするなんて不誠実です」
「不誠実……?」
音流の言っていることがよくわからず、陸は小首をかしげた。
「日向ぼっこはもっと穏やかで、多幸感にあふれるものじゃないといけないんです」
「そうなの……?」
陸はやはり理解できずに唸った。その様子を見て、音流が補足する。
「レアチーズケーキに苦みを求めるようなものです」
その例えを聞いた瞬間、陸に衝撃が走った。レアチーズケーキ好きの陸には効果てきめんの言葉だった。
「それは大変失礼なことを申し上げました。心より謝罪致します」
「わかればいいんです」
音流は勝ち誇ったような顔を向けた。
(ん? あれ?)
陸は音流の顔を見てあることに気付いて、じっと見つめ始めた。
「なんですか? 恥ずかしいですよ」と視線に気づいた音流は顔を赤らめた。
「メイク落ちてる」
陸の言った通り、顔の化粧が雨のせいでドロドロに溶けていたのだ。
「ちょ、見ないでください。これは本当にダメなヤツです」
音流は耳まで赤くしながら、慌てて顔を腕で覆い隠した。
「そんなに変わってる?」
「……それはどういう意味ですか?」と音流は怒気のこもった声で返した。
「だって、素の顔もかわいいじゃん」
陸からしては純粋な好意で口にしたのだが、音流はまるで砂糖まみれの梅干を食べたような微妙な表情をした。その顔があまりにもおかしく見えて、陸は吹き出してしまった。
「笑いごとじゃないですよ。人生で一番傷つきました」と音流はさらにむくれてしまう。
「え、褒めたつもりなんだけど」
「うれしい気持ちはありますけど、それ以上に傷つきました。努力を踏みにじられたんです」
「そうなの……?」と陸は納得できなかった。
「レアチーズケーキに辛さを求めてクレームを入れるようなものです」
陸はまた衝撃を受けた。
「大変失礼なことを言ってしまい、心より謝罪致します」
「わかればいいんです」
音流はまた勝ち誇った顔をした。しかしすぐにおかしさが上回り、コロコロと笑い始めた。つられて陸も笑い出し、顔を突き合わせてさらに笑った。
台風の目の中にいるとは思えないほど、穏やかな時間が流れていた。しかし長く続くものではない。
ぁ、と二人同時に声が漏れた。
ポツリと一滴の雨が音流の頬を濡らした。まるで暗幕がおろされるように周囲が暗くなっていく。雨は一気に強まり、未成熟な体をお構いなしに打ち付ける。
台風の目が通り過ぎたのだ。
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